第十話 憂鬱な定例会

 昼明けのアーガスト王国国防軍本部修練場には轟音が轟いていた。


 交じり合うは斧と剣の鞘。切り結ぶその一撃一撃が修練場にいた兵士達の目をくぎ付けにしていた。音の出どころには一人は巨漢と、もう一方の黒髪の少年は、随分と華奢な姿をしていた。


 剣戟に伴う音は、さながら天変地異。——修練場に雷撃が迸る。


 剣鬼と雷将がやりあっている。噂は、瞬く間に軍本部に伝わっていた。それこそ電光石火さながらに。


 「めっぽう強いじゃなないか。正直驚いたぞ。」

 クロが混じりい合った斧を鞘で弾き、距離を取る。痺れた右手を開いては閉じ、感覚を確かめている。そこには、確かな賞賛の意が込められていた。


 「剣も抜かずに鞘だけで、、、はぁ、はぁ、手抜きされて言われてもな。」

 多少、息が荒げているライセは「複雑な心境だった」と、後に言い残していている。含みの無い事は重々承知している。だが、同時に彼の少なからずの矜持が削がれつつあった。


 ——まさか、これほどとは。何が大層なもんじゃないだ。


 「剣を失ったのは、俺の失態だ。その上での最善を取っている。手は抜いていない。」


 「ハっ、優しいな!!」


 「本心だ。」


 ライセは息を整え、斧を今一度構える。ライセの体に蒼白い闘気が立ち上り、髪が鬣のように逆立つ。さながら、意思を持つ雷だ。


 雷将が見据える先には鬼がいた。


 時は少し遡る。


 会議は軍本部の大広間で行われ、中央には長机、奥には壇上が設けられている。師団長の席は壇上を正面に奇数師団が左側、偶数師団が右側に配置され、奇数師団には剣士、偶数師団には魔法使いが任命される。


 広間の壁には各師団のシンボルが刺繍された旗が掛けられている。巨大で、そして重い旗は、広間の静謐さを体現していた。


 第三師団のシンボルは「丸にソデルの花」。ソデルの花は月光のもとに咲く特殊な花で、紋章の中央に描かれた丸は月を象徴している。月に包まれる花の姿は、「久遠」、すなわち永遠に続く時間や調和を暗示していた。


 クロ達一行が到着した時、第一師団以外の団長、副団長は席についていた。遅刻はしていないはずなんだが。とクロは心の中で苦笑いをした。


 「はっ!剣士様は良いご身分なんだな。」クロが席に腰を下ろした時、真向いの席にいる赤髪の男が、そう吐いた。第四師団長のガリウス・エルメロスだ。クロは真顔のまま「どうも。」と悪びれた様子を見せずに返答した。


 実を言えば、こうして何かと突っかかってくるガリウスに、うんざりとしているのがクロの本音である。それでも我慢しなくてはならない。


 「詫びの一つも言えないのかよ。」


 「まだ、開始時刻ではないと認識しています。」


 「減らず口を、、、これだから元奴隷は。品性にかける。」


 この発言に対して、本人であるクロ以上に反応を見せる者がいた。カルネだ。


 「ガリウス師団長。第三師団として、発言の撤回を求めます。」

 カルネが冷酷な口調で異議を申し立てた。その声は広間に響き渡り、微かに漂っていた冷気をさらに鋭くする。師団長と副師団長の立場に隔たりはあるが、ここでは言葉一つに揺るがぬ信念が込められていた。


「カルネ副師団長、私情を挟むなよ。みっともない。」

ガリウス師団長の声は低く、広間の空気が薄くなった。灼熱の予感が彼からにじみ出る。


「私事ではありません。ガリウス師団長。」

カルネ副師団長は眉ひとつ動かさず、冷静に応じた。その声は無機質でありながら、言葉の端に確固たる意思が滲む。


「あ?」

ガリウス師団長は椅子に深く体を預けながら、わずかに眉を吊り上げた。挑発とも取れるその態度は、静かだった空気にさらなる緊張をもたらした。


「軍人として不適切な発言はお止めになるべきだ。と、私は申しているのです。」

カルネの目はガリウスを真っ直ぐに見据えていた。感情を押し殺したその口調には、深い洞窟の奥深くに眠る氷のような冷たさが宿っている。いな、彼女の周囲には冷気が漂い始めていた。


「立場を弁えて発言をしろ。カルネ副師団長。」

ガリウスはわざとらしく鼻で笑いながら応じた。その態度は挑発をさらに露わにしており、場の空気を一層重くする。壇上の旗が微かに揺れる音だけが、沈黙をかき消していた。風の始点はガリウスとカルネのものだった。

 ガリウスが険しい視線を送りながら言葉を放つ。腕を組んだ様子は、挑発の意図を隠そうともしない。


「立場...ですか。」

 カルネはわざとらしく首を傾げ、嘲笑を浮かべた。


 「あぁ師団長と副師団長としての立場だ。」


 「フフフ、その椅子の座り心地はそんなにいいんですね。」

 カルネは微笑みながら放った言葉の裏には明らかな皮肉が含まれている。まるで、目の前の敵を愚弄するかのように。


 「...何が言いたい。」

 ガリウスは目を細めた。声には微かな苛立ちが滲み、左手が椅子の肘掛けを強く掴む。


 「いえ、その椅子を蹴らなければ良かったなと、少し後悔しただけです。あぁ、これはみっともない私情ですね。かの誇り高いガリウス師団長の前で、、、お見苦しい発言でした。どうかお許しください。」

 カルネの発言に対する周囲の反応は鈴の音が染み入る時に似ていた。

 カルネに肩をすくめる仕草は軽々しく、まるで手袋を投げ捨てるかのようだ。


 一方、クロはその言葉を聞いて、眉を吊り上げ、口元をわずかにとがらせた。音が立たないように努めながら口笛を吹く。...失笑していのかもしれない。


 「貴様!!」

 ガリウスが怒号を上げると同時に、右手の上空に赤い魔法陣が現れた。彼の赤髪が逆立ち、周囲に小さな火花が散る。カルネもまた、ガリウスに相対する。左手の薬指と親指を重ね、掌を上に構える。彼の熱をかき消すように周囲に氷の礫が生成された。


 「喧嘩はその辺にしておきなさいな。」

 広間に響いた声が、一瞬でその場を凍りつかせた。第二師団長ミランダの言葉だ。柔らかいながらも揺るぎない威厳を帯びていた。


 「止めないでくれ、ミランダさん。」

 ガリウスが魔法陣をさらに強く光らせながら振り返る。だが、彼の声には一瞬の躊躇が混じっていた。他でもないだ。


 「ガリウス落ち着きなさい。あなた少し頭に血が上っているわよ。カルネ、あなたもよ。」

 ミランダは座ったまま、二人を見かわした。その視線は厳しくも、どこか慈愛を感じさせるものだった。


 「ぐっ...」

 ガリウスが言葉を詰まらせ、魔法陣を消す。その目はまだ怒りに満ちていたが、ミランダの圧に屈せざるを得ない。


 「はい、お師匠。」

 カルネは軽く頭を下げたが、その口元にはわずかな笑みが浮かんでいた。


 「ほらほら、やっとリューさんの到着よ。」

 ミランダが軽やかな声で視線を向けた先、広間の扉が静かに開く。そこに現れたのは、第一師団長リューベルク・アステルだった。彼の登場は、その場の空気を一気に引き締める。


 「すまんな、少し遅れた。」


 リューベルクの遅刻に対して異議を唱えるものは只の一人もいなかった。


 彼の一挙手一投足が大気を震わせる。身長や体躯だけの話ではない。彼を構成する諸要素が彷彿させるものは、さしずめ巌であった。



 その、巨躯の背中に人影が見える。

 クロはその人物に見覚えがあった。


 「ライセ?」


 「よぉ、クロさっきぶりだな。」

 ライセも巨漢ではあるのだが、リューベルクと並んでは形無しだった。巨木の内の一本の太い枝。そんな印象だ。事実、リューベルクの後ろに立つライセは、リューベルクの背中の影にすっぽりと収まってしまっていた。


 「こんなに早く再開できるとは思わなかっただろ。はは、安心しろ

オレもだ。」

 

 「ム?なんじゃ、おんし等。知り合っとたんか。」


 「おい、おいリューさん。今日の会議に関係ない人間だろ?勝手に連れてこないでくれよ。」ガリウスのセリフ。


 「まぁそお言うなガリウス。新人研修といったやつだ。」


 「新しく、第七師団長の座をおおせつかった。ライセ・アイゼンバルトだ。皆々様、よろしくどうぞ。」


 「手前てめぇの名前なんか知らねえよ。おいリューさん!!。軍には規律があるんだ。そいつがここいると定例会が始められん。外に摘まみ出せ。」


 「相も変わらず、頭の硬い奴じゃの。わっしが良しと言えば、良し。おんしの好きな規律に書き足しておけ。」


 「いくらアンタでも、、、」


 「ガリウス、あんたがとやかく言ってリューさんのワガマ...意見が変わった事があるかい?」ミランダが宥めるようにそう言うと、ガリウスは不服そうにではあったが、過去の事例の数々を思い返した。そして、半ば諦めた様子でライセの会議への参加を承諾した。


 


 


 


 

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