第九話 師団長たちの憩い
東屋を囲む庭園には、色とりどりの花が咲き誇り、その甘い香りが漂っていた。風に揺れる草木のざわめきが、微かな音楽のように耳に心地よい。
テーブルに差し込む光は、先ほどよりもその面積を大きくしている。
そんな華やぐ空間に、男が三人。クロ、ユター、ライセの三人だ。
「ユター、そういえば何でここにいる?」
クロが怪訝な様子で、ユターに問う。それもそのはずで、本日予定されている定例会は、第四師団が管理している監獄についての話し合いとなっている。そして出席するのは、第一から第四師団までとなっており、クロの目の前にいる第五師団長であるユターは含まれていないのだ。理由もなく、王都に訪れるほど、師団長という役職は暇ではないものであり、クロの疑問はもっともなものであった。
「ちょっとした報告があったんだ。最近、森の獣達が変に狂暴になったりしててね!!」ユターが快活に答える。「そんなこと言ったら!!」っとユターが付け加えて、「ライセ君こそ、遠路はるばるキルキスまで何用なんだろう!!」とライセの方に体の向きを変えながらに言った。
「あー、俺はだな、、、書類の提出だ。」
頬を搔きながら、少々バツが悪そうにライセが呟いた。それもそのはずで、
「それなら、伝書鳥なり使えば済む話だろ?」
クロがライセに正論を突きつける。
「いいだろ!せっかく王都に訪れる理由だったんだ。」
「ほんとに書類の提出が理由で?」クロが唖然とした様子を見て、ベンチの背もたれに寄り掛かった。
「まぁまぁクロ君。確かに、正式に師団長になったら、初めの内は王都に足を運ぶ機会は減るだろうね!!」
「ん?どういう意味だ。」
「最初は、顔を国民に知ってもらう必要があるだろ?それで、治安維持を兼ねて全国を外遊するのが、師団長としての初めの軍務だと思うよ!!僕も、クロ君も最初はそうだったしね!!」
「あれは、二度とごめんだ。」
「そうか?楽しそうに思えるが。」
「好き嫌いが分かれるよね!!僕は楽しかったに一票!!」
「…にしても、この東屋は居心地がいいもんだな。」ライセがベンチに肘をかけて、空を眺めながら二人に語り掛ける。すっかり彼等に馴染んだようだ。
きっと人望も厚いんだろうな。
もし、彼がミレ達の村に立ち寄ったのならば、どうなっていたのだろうとクロは少し羨望と期待の眼差しを彼に向けていた。
「ここは、グラン様の正室のお気に入りの場所だったと聞いているよ!!何でも、ここの庭園は設計を全てお一人でなされたとか。」ユターが新米に説明をする。
「そんじゃ、俺らがここで寛ぐのは不敬極まりないじゃないか。いいのか?」
「正妃はもう何十年も前に御隠れになられたよ。王の事を何も知らないのか?」クロが意外そうにライセに問うた。
「あ、いや。恥ずかしい話なんだが、俺は学がないんだ。こうして軍に入る前は只の百姓だった。それに斧を振り回すようになる前は、ベルナベルから一歩も出た事がなかった。それくらい田舎もんだ。」
ベルナベルとは、アーガスト王国の最南部に位置する長閑な町だった。町といっても、村々の合併した結果出来上がった町である。ちなみに、ベルナベルは「畑」という言葉を文字った地名でもある。アーガスト王国にとっての食糧庫といっても差し支えない。
「意外だな、どこかの武闘派な侯爵産のボンボンかと思っていた。」クロが淡々とした様に答える。
「まぁ、見てくれは。」とライセは満更でもなさそうに、顎に手をあてて、確かめるように髭後をなぞっている。
「グラン様は御年百五十二歳だよ!!つい先日生誕祭があったばかりさ!!」
「百五十二!!人間なのか!?」ライセがあんぐりと口を開いている。どうやら、本当に何も知らないらしい。とはいえ、クロ自身も最初にその話を聞かされた時は、同じような反応だった。
「どう……何だろう。」ユターが首を傾げる。言われてみれば、といった表情が、兜越しにも何となく伝わってくる。
「ユター。新米をからかうなよ。」クロが小突くようにユターの兜を叩く。
「痛っ!」とユターは抗議の声を上げたが、すぐに何事もなかったかのように話を続ける。
「ライセ、王の顔を見たことは?」
「いや、俺がガキの頃、記念貨幣に刻まれた肖像を見たくらいだ。」
「ざっと三十年は前か。」クロがつぶやく。
「あぁ、そんなところだな。」ライセは頷くが、その顔にほんの少し疑問の色が浮かぶ。
「なら、きっとその頃と変わらないお姿のままだ。」クロの言葉に、ライセが眉をひそめる。
「何……?」ライセが問い返したその時、クロが淡々と話し始めた。
「剣聖というのは、単なる称号じゃないんだ。」
アーガストを守護する剣聖の存在そのものが、この国の頂点。剣聖の肉体と精神は、その全盛期を保ったまま衰えることがない。
剣聖の座は世襲ではなく、彼を討ち取った者がその名を継ぐ。剣聖を継いだ者は、その瞬間から“アーガスト”を名乗ることが許される。
真っ向勝負であろうと、汚い手段であろうと、すべての挑戦を打ち砕ける力がなければ剣聖の資格はない。剣聖こそがこの国の絶対的な法、最も強き者こそが正義を担うのだ。
そして現剣聖、グラン・エルデ・アーガストは、歴代のどの剣聖よりも長きにわたり、その座に君臨している。その年数、実に100年間。
彼は100年もの間、一人孤独に戦い続けているのであった。単衣にアーガスト王国の安寧の為に。
ひとしきり剣聖のあらましを語り終えると、クロは口元をほころばせて、「全盛期が老体の御姿ってのも変な話だがな」と、締めくくった。
ライセの目には、童心に返ったような好奇心が灯っている。彼はまるで叙事詩を聞く子どものような面持ちで、夢中で話を聞いている。
「ならよ、」とライセが少し興奮した様子で尋ねた。「不敬と受け取らないでほしいんだが、あんたがその剣聖になる可能性もあったってことか! クロ、あんたの噂はベルナベルまで轟いてるんだぜ! 剣鬼誕生の伝説ってやつさ! 三日三晩剣聖と切り結んだって聞いたぜ!」
クロはしばし空を見上げ、思案するように黙っていたが、やがて呟くように口を開いた。「……噂話ってのは、尾ひれがつくものさ。そんな大層な話じゃない。」
「もったいぶるなって。」
「そのへんにしといてあげなよライセ君。」やや、神妙な声音になったユターが二人の会話に割って入ってきた。どうやら、語るのに躊躇っているクロの意図を汲んだのだろう。
「あ、ここにいた兄さん!!」
手を大きく振りながら、こちらに近づいてくる人影があった。その声にユターが真っ先に反応する。「サリバン!!どこに行ってたんだい!!広いんだからあんまり離れるなよ。」
「「絶対に逆だ。」」クロは、彼等と付き合いが長いが、ライセでさえもその答えにたどり着くあたり、ユターの性格が目に見えてくるものだ。
サリバン、と呼ばれた青年が朗らかに笑いながらユターに答える。「そりゃ兄さんの方だろ?まったく。おや?」
年の方は20代前半ほどだろう。まだ若干、顔にあどけなさが残っていた。兄とは違い、白色のローブを身に纏い、手には蜷局を巻いた竜を彷彿とさせるスタッフを右肩に寄せて携えていた。
「そうだ、ライセ君。紹介しよう!」ユターが胸を張りながら、一歩前に出た。「僕の弟、サリバンだ!第五の副団長っていった方が覚えやすいかな?」
ライセが視線を送ると、サリバンと呼ばれた青年は親しみを込めて微笑みながら軽く頭を下げた。兄とは違い、白いローブをまとい、その姿からはどこか厳かな雰囲気が漂っている。右肩に立てかけられた杖には、竜のような装飾が施され、その先端が仄かに光を反射していた。
サリバンはその様子に笑みを深めながら「あぁ、」と声を零して、軽く頷いた。「お噂はかねがね伺っております、ライセ殿。」
ライセが首を傾げる。「ん?俺を知ってるのか?」
「ええ、『雷将:ライセ』の噂は兼ねがね。先代にも引けを取らないと耳にしておりましたから。」そう言うサリバンの目には、どこか尊敬の色が滲んでいる。
ライセは照れ隠しに、頭を掻くような仕草をした。「こりゃ、まいったな。俺はただの田舎者だよ。」
「ご謙遜を。雷を纏い、大地を穿つ。その様はまるで、、、」サリバンは武勲詩を口ずさむように語り出している。
クロはそのやり取りを聞きながら、ライセの横腹に肘を討つ。そして、やや意地の悪い言い方で。「これが噂話ってやつだ。どうだ雷将さん?」
「ふっ、参ったよ。」
ライセは、これからの日々に期待を寄せつつ、そう呟いた。
「さて、俺はこの辺で。定例会が始まる頃だ。」
「お!!もうそうな時間かい?クロ君またね!!今度一緒にハチミツ狩りに!!」
「剣鬼殿、それではまた」
「クロ、また色々聞かせてくれ!アンタとはまた話したい!!」
別れの挨拶は、各々が思うままに口にしていた。
「あぁ、またな。」
クロが剣が刺さっていない鞘を腰に携え直し立ち上がる。...言わずもがな剣は、あの森での一幕で蜂に変わってしまった。定例が終わったら、街に出て調達するとしよう。クロが、そう一人ごちった。
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