第七話 王都へ
クロとカルネは、ミネを連れて森を後にした。彼らは念のため蜂を警戒していたが、それは杞憂であった。どうやら、例の魔女もどきが去ってしまった今、蜂達は支配から抜け出し、各々が自然に帰っていったのであろう。
しかし、全部が全部 平穏に戻った...という訳ではなさそうだ。
魔女の家から離れるほど、つまり村に近づくほど、何やら喧騒が大きくなっている。クロとカルネは顔を見合わせて、その騒ぎの中へ歩み寄る。
「なんで、すぐに助けを呼ばねぇ!!」
「うるさいうるさい!! 元奴隷なんぞに助けを求めるものか!!」
「なんだと!!」
「それに今、凄腕の冒険者が二人が魔女討伐に向かった。」
村の一番立派な家はおそらく村長の宅なのだろう。どうやら騒ぎはそこが中心地となっている。そこでは、村人たちと何やら揉めている一団の姿が見受けられた。
クロはその一団に心あたりがあった。
「村長、それは、、、」ミネが小声ではあったが割って入るように村長に申しでた。しかし、その声は村の人々の耳に届くことは無い。彼らはすっかり頭に血が上っているらしい。
「お前らは用済みだ。奴隷は奴隷らしく、分を弁えろ!!」
「...削がれるか、砕かれるか、選べ。」その一団の先頭に立つ金髪の男が、背中に携えた剣に手をかける。村人達はその剣幕にたじろいだ。
「いやいや、駄目だろ。馬鹿ネロ。」
「貴方たち、まったく何してるのよ。」
クロとカルネが喧騒に割って入る。
「団長 それにお嬢!!」ネロと呼ばれる男が驚きと、確かな嬉々とした様子で後ろを振り向く。
「ミネ!!」村長の後ろに控えていたミレがクロ達の方に全力で駆け寄ってくる。それを止めるものは誰もいなかった。一方のミネもカルネの胸から飛び降り、「お母さん!!」と叫びながら母親に駆け寄る。
「おぉ!!」と村人たちが、歓声をあげた。ある種英雄的な一幕を目撃した嬉しさと、村の子が無事だった安堵の入り混じった声だ。しかし、歓声の後に彼らはみな静まり返った。村人らには一つ胸に引っかかるものがあった。先ほどまで問答を繰り広げていた「ネロ」と呼ばれる男は、村の娘を連れ戻した例の男を「団長」と呼んだことだ。みな、ひそひそと自らの考察を喋りあっている。
「団長 まだ酒が抜けないのか?キルキスにまだ着いてないなんて、よっぽどの千鳥足だ。」豪快に笑うネロと、その一団がクロ達の方に寄ってくる。
「ほっとけ。誰のせいだと思ってんだよ。」クロがそっぽを向く。
ネロがカルネに視線を向ける。そして、「昨晩はお楽しみでしたねお嬢」とネロは続けた。
「おいネロ。その話、詳しく聞かせてもらおう。」
「そりゃもう、酔いつぶれた団長にあんな事やこんな事を、、、。」
ネロが途中で言葉を遮った。「失言だった」というネロのモノローグが滲みだすような表情をしている。きっとカルネの仕業だなと考え、クロは振り向いた。
クロが振り返った際、カルネは何時にも増して、完璧な笑みを浮かべている。
「カルネ…」
「...記憶にございません。」
「ん?」クロがカルネの方に耳を寄せて、再度問い返す。
「記憶にございません。」負けじとカルネも同じように返答をする。しかし、旗色が悪くなり始めたのだろう。彼女の頬に一粒、汗が垂れる。
「あの、、、、」と、一人の村人がその攻防に一石を投げ入れる。カルネがこれを見逃すはずもなく、直ぐに一連の会話を切り上げて「何でしょうか?」と、心なしかほっとしたように村人の前にでた。
「あなた方も軍の?」と村人たちが確定した未来をなぞるように質問を投げかけてきた。
「凄腕の冒険者ってのは団長たちのことだったんのか。まったく、そんな都合よく連中が村に訪れるはずがないだろう。」
ネロがやれやれといった風に首をふった後、剣を地面に突き立てた。そして、「第三師団の頭、クロ師団長だ...覚えとけ!!」と囃し立てるように口上を述べた。
「あぁ、なんて事を。」
村長がふらふらとクロの元に歩み寄ってくる。一方のクロは待ち構えるように腕を組み、その様子を静観していた。それは彼の意思だった。
しかし、いや恐らく。クロの願いとは裏腹に事は動く。
クロの元にたどり着いた村長は、目一杯の力で彼の胸倉を掴んで、こう怒鳴りつけた。「なに晒してくれとるんや小僧!!お前のせいで、他の村に顔向けできん!!元奴隷如きに借りがあるなんて、他の村に知られてみろ!!お前、どう責任とるつもりや!!」
この村の長の世界の全ては、周辺の村々で完結しているらしい。口を開けば村の面子だの村の恥じだのと、クロは内心で呆気に取られていた。一方で、カルネやネロはあからさまに嫌悪の眼差しを村長に向けている。
「出ていけ。、、、出てけ!!」
村長がクロを突き放した。無抵抗だったクロはカルネに抱きとめられる。その一瞬でカルネは見たのであった。クロがぎりっと奥歯を噛みしめている様子を。それはきっとクロの気丈な態度の綻びなのだろう。
「てめえ、下手にでてたら偉そうに!!」ネロの金髪が逆立つ。そして地面に突き立てた剣を抜き取って、大きく振りかぶった。ネロの殺気には確かな覚悟が込められていた。そんな鬼のような形相に怯みきった村長は、無意味に両手を顔の前に掲げ防御の構えを取っている。そして、彼は余りの恐怖の中で、自身の股間辺りがびっしょりと濡れてしまっていることに気が付かない。
しかし、ネロの剣が振り下ろされることはなかった。一番驚いたのは、ネロ自身だった。全力で剣を振り下ろそうとした彼の腕は、まるで凍りついたように止まり、剣は微動だにしない。ふと目をやると、剣の切っ先をクロが握りしめていた。クロの手のひらから、赤い血が一筋、また一筋と静かに流れ落ちる。それはまるで、クロの涙のように、静かに地面に染み込んでいった。
「ネロ、剣を鞘に戻せ。」
「何してんだ団長!!闘気は?」
先ほどまでの剣幕とは打って変わり、狼狽した様子でネロが叫ぶ。
クロは事に於いて、闘気を纏わずに切っ先を握りしめていた。クロはネロの問いに答えない。沈黙のまま、ネロの剣を強く握りしめている。
「....わかったよ。だから、手を放してくれ。...団長を傷つけたくない。」
ネロの言葉を信用して、クロは剣から手を放す。そして短く「行くぞ。」と呟き、村を後にした。
ネロは行き場のない怒りと、敬愛してやまない人物を傷つけてしまった悲痛の念を共にして、剣を鞘に納めた。そして身を翻し、仲間らと共に村を後にした。
暫くしてネロが口を開いた。少々ふてくされている様子だ。
「おい、団長。なんで止めたんだよ。」
「....あの村長を屠って、そこに意味はあるのか?」
「意味?」
「俺も、お前も、虐げられてきたろ。暴力によってな。」クロが視線を前に向けたまま静かに言う。「誰よりもそれを身に染みて知っているはずだ。お前はそれを繰り返すつもりか?」
歩みを止めることなく、彼は続ける。「暴力は敗北だ。」
「振るう剣には意味を持たせろ。」
「…でもよ、団長。」後ろを歩くネロが、思わず拳を握りしめる。「あいつらはアンタの意思を踏みにじったんだ。ただ黙って見逃すなんてできない。俺らの信念は…アンタなんだ。許せねぇよ…。」ネロの半ば涙ぐんだ声が、風に乗せられて響く。
クロは一度だけ足を止め、短く呟いた。「そうだな…。」しばらく沈黙が続く。「…今日は先に帰っていろ。」
「……。」ネロは微かに歯噛みして、拳をほどいた。
「お兄ちゃん!!」
村の門が見えてきた頃、背後から幼い声が彼等を追いかけてきた。
クロ達が振り返ると、ミネが一生懸命こちらに向かって駆けてくる姿が見えた。小さな肩で息を切らしながらも、瞳はまっすぐにこちらを見据えている。
「これ、お兄ちゃんにあげる。」そう言って、ミネは小さな両手で握りしめた瓶をクロに差し出した。中には、光を反射して輝く濃密な黄色の液体が揺れている。
「…これは?」
「ハチミツだよ。」ミネが少し照れくさそうに俯く。「あの…怖いおばさんのところから、少しだけ分けてもらって…。助けてくれたお礼なの。」
くすねてきたんだな。子供は本当に恐れを知らないな。
クロは内心でくすりと笑った。
「ミネちゃん…。」
「お兄ちゃん、お姉ちゃん、本当にありがとう!!」
その幼い声に込められた真っ直ぐな感謝に、クロの心の奥に微かな温もりが染みわたる。
「はは、悪い子だな…。」クロは照れくさそうに笑い、そっとミネの頭を撫でた。「さぁ、村へお戻り。きっとお母さんが心配している。」
ネロ達一行と別れた後、クロとカルネは再び王都きキルキスを目指した。
馬車で向かうのなら、軍議にはもう間に合わない。そう、馬車で向かうのなら。
現在、クロとカルネは帝都の側を横断する大河を駆けていた。クロはカルネを腕に抱きかかえ、風のように水面を駆けていた。
通常なら馬車で数時間かかる道のりも、クロにとってはほんの一瞬の道なのだ。それこそ、少し遠出した時の散歩と同義なのだ。
一歩、また一歩とクロの足が水面を弾き、そのたびに波紋がひとつ、ふたつと広がっていく。その波が交わる頃には、クロはもう十歩、二十歩先を進んでいた。
クロの胸に身を委ねるカルネは、風のように流れていく景色に目を細めながら、時折、悲しそうに彼の胸元の服をギュッと握りしめる。その握りしめた指先から、彼女の胸の中で消化しきれず残っているものが感じられた。
クロはその重みを感じ取ったのか、小さく呟いた。「カルネ。」
カルネが顔を上げると、クロは少しだけ迷うような声で続けた。「正義ってやつは、一体どんな形をしているんだろう。」どこか悩みを打ち明けるような、囁くような口調だった。
「…えっ?」カルネが驚いてクロを見上げると、彼はすぐに気を取り直すように笑い、ふっと視線を前に向けた。
「いや、なんでもないさ。しっかり捕まってて、もう少し飛ばすぞ!」
不安も、躊躇いも、過去も未来も、この一瞬だけは全て吹き飛ばしてしまおうとするかのように、クロは再び全力で川を駆け抜けた。
もうすぐ、キルキスの高い城壁が見えてくる。あたたかな風に吹かれながら、カルネはクロの鼓動の音に耳を傾けた。彼の心臓が刻む音に、少しずつその胸に残っていたわだかまりが溶かされていくような気がしていた。少なくとも、この瞬間だけは。
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