第一章⑤ 蜂の魔女■
クロとカルネが森に足を踏み入れた瞬間に、数十の蜂が襲い掛かった。池のふちにある森だ。
クロは、自身の剣で正確無比に蜂たちを斬る。シュッと乾いた音が絶え間なく響いている。ある種の音楽が森に木霊していく。
一歩、また一歩と森の深部に歩みを進める。木漏れ日の中で、クロは汗一つかかずに蜂を斬り進む。
「カルネ、どう思う?西の魔女の話。」
虫けら共では役不足だと言わんばかりの様子で、二人は会話を続けている。
「西の魔女が死んだのなら、その椅子を狙って、魔女たちが活発化するのも頷ける。きっと今日の議題にも上がるかと。」
「そうだな。面倒なこって。どのみち、時間はかけてられない。最短でいく カルネは捕縛の準備を頼む。」
「承知しました。」
森の中を進む度に、蜂たちはその数を増やしてきた。そして、蜂たちが発する魔力もより力強いものになってきた。
一匹一匹が明確な殺意をもってクロに飛び掛かる。
「ちょっと、五月蠅くなってきたな。」
こひゅー。とクロは一つ息を吐く。
クロが発する薄紅色の闘気が森の中を漂う。霧の様に風に靡いて森に満ちた。
春も散り際、剣鬼は舞う。一振り、二振り、二振り、一振り。
その剣舞は、
舞い散る葉叢を切り捨てる。一枚、二枚、それでも葉は絶える事なく、ひらひら舞い落ちる。どれ一つとして同じ道筋は無い。最後の葉を全て切り裂いた時、初めてこの舞は完成する。果て扨て、それは何時の事やら。麗、秋麗、冬麗。故にこの名は、
「万葉:朽ち無し」
言葉には無限の力が秘められている。それは自らの意思を、または魂を、そして世界を認識・改変するためのアプローチの一つである。
世界がクロの創造的な剣舞に引っ張られるように、蜂が一匹、また一匹と散っていく。
森の曲がりくねった道を進んでいく。一歩一歩着実に、魔女の喉元に剣鬼の刃が差し迫る。もうすぐ目の前だ。
開けた場所に出た時、ぱたりと蜂の嵐は止んだ。
少し盛り上がった所に(土手に階段が設けてあった)怪しげな家が建っていた。魔女の住処だろう。
魔女の家は、とある城の天辺をちょん切ってきたみたいに、先端がやけに尖っていた。
静寂。蜂も、鳥も、空気さえも静まり返っている。周囲が息を殺していた。そしてクロが戸に手を伸ばした時、張り詰めた緊張が解かれる。魔女の声だ。
「ボン・バーナス!!」
その声を口火に、家の内側から爆風が迸った。壁石は四方に飛び散り、火炎が窓を嬲るように砕いていく。羊歯の燃える匂いが辺りに充満する。さながら、巨大な爆弾が事を成したようであった。
「あっはははははは、ざまぁーないわね。糞五味どもめ!!」
鉄製の食器をこそいだ時の様な不快な声が響き渡る。
その声の主は、家の裏の物陰から現れた。細く、やけに長身な、皺だらけの魔女だった。脇に一人の少女を抱いている。ミネだ。少女は老婆の腕を振りほどこうと、やっけになっていた。
「いやぁ。離して!!」ミネが泣きわめく。
「五月蠅い!! あの村に、お前たちが訪れてから、ずっと見ていた。余裕ぶっこきやがって。ぶち殺してやったわ、アホンダラ!!」
「その子を放しなさい。さもなくば、、、。」
カルネは両手を魔女に向ける。両手の親指と人差し指同士を合わせ、ひし形を作る。そして、その輪郭の中に魔女を捉える。
魔女の足元に大きく、そして冷たい魔法時が顕現する。雪の結晶を思わせる絵柄で、月の面影を残した朝の窓辺の様な色は蒼一色である。
魔法陣内に存在する石や硝子の欠片が氷柱に変化する。そして、魔女を囲う様に宙に浮き、合図を待つようにピタッと静止した。
「さもなくば?ん?ン?どうすうるんだい。
「っく。」カルネは展開していた魔法陣を解除した。
「お前の仲間の、生意気なクソガキも、ぶっ壊れやがった。粋がってんじゃねーよ。アタイの可愛い、可愛いクソ蜂どもをぶっ殺しやがって。ぶっ殺してやる!!」
魔女はとても正気とは思えなかった。言葉が支離滅裂になっている。
「あなた、、、魔力に吞まれてるのね。」
魔力に吞まれた人間は理性が溶けて暴走を始める。「蜂の魔女」の今の様子が良い例だ。
「でも、まぁちょうどよかったよ。この小娘じゃ足りない。恋を知らん娘じゃだめだ。恋をして尚、純潔な女じゃなきゃいけねんだ。おい、くそ豚。脱げ。私に血を
「私が清いままだと?」
カルネが嘲るように魔女を挑発した。
理性を欠いた魔女が、持ち得る全ての脳活動で彼女の言葉の意味を推察する。そして、一つの答えにたどり着いた。
「クソガキとブサイク同士お似合いってか?おっえぇ、、、気持ち悪っ!!」
魔女はナイフで吹き飛んだ戸の方を指し示す。立ち込めていた爆煙が風に流されて消え去った時、そこに剣鬼の姿は無かった。
「そんなわけないでしょ。
カルネがやれやれといった様子で両手を挙げ、肩をすくめる。
「いないいない…」
魔女が後ずさりをした時、辺りに声が響いた。
「ばあっ!」
声の主は、魔女の背後からである。クロだ。
「ひょ・・・」
「春雷一閃」
剣鬼の無比な一刀が、魔女を襲う。一瞬間をおいて、魔女の左腕がずり落ちた。その拍子にミネが背中から地に向かって落ちていく。
間髪入れずに、クロは魔女の腹に蹴りを入れて燃え盛る家の方に飛ばす。そして、ミネを抱きかかえ、瞬時にカルネの隣に移動した。
「団長!!魔女は?」
クロの怪我を心配しない辺りに、カルネがクロに寄せる信頼が伺える。
「救助を優先した。あれでやられてくれたら楽なんだがな。」
「うぇーーーん。離して!!いや!!」
気が動転したのか、ミネがクロの腕の中で暴れだした。服だの髪だのをむやみに引っ張りだした。その様子は少女の母親であるミレそっくりであった。
「ちょ、ミネちゃん。ちょ引っ張らないで。痛い。痛たた。」
「子供って、加減を知らないからあれよね…。」
「ちょっとカルネ?何とかして。」
クロの願いとは裏腹にカルネはそっぽを向いた。頼み方があるんじゃない?と言わんばかりだ。
「おま…」
「……。」
「カルネお姉ちゃん。助けてください。」
「フフフ、よく出来ました。ミネちゃん、、、」カルネは、未だに暴れているミネの額に触れ、少女の髪をかき上げた。
ティル・ビルで作り出した魔法薬は、子どもには少々利きすぎるため、幽かに匂いを嗅がせるためだ。
「え、、あぅ。」香りが微かに漂い始めると、ミネの小さな指が次第にクロの髪を離し、次第にクロの髪を握る力を弱めていった。
「ミネちゃんよく頑張ったね。もう大丈夫。助けに来たよ。」
カルネは少し屈んで、ミネの目線に合わせた。彼女の薄氷色の長い髪を耳に掛ける姿が、ミネに母親が放つ安らぎを感じさせていた。ミネは安心した様に、こくりと頷いて。
「…お姉ちゃん!!」
ミネがクロの腕から這い出て、カルネの胸に飛び込む。カルネの瑞々しく且つ、実りを迎え始めた胸にミネの涙が伝った。そしてミネはカルネの首筋から漂うシモレナミクサの、まだ咲き切らない蕾に似た、柔らかな香りを鼻いっぱいに吸い込んだ。
「……解せない。」
「子供に文句言わないの。」
「わだしを無視すんじゃんねーよ、クソカス共!!」
燃え上がる火炎が、うねる様に舞い上がる。火柱の中から、魔女が勢いよく飛び出してきた。切り落とされた箇所から、血がぼたぼたと垂れている。ぎゃーーと叫びながら突進してくる魔女の形相に驚いたミネは、カルネの胸に顔をうずめた。
「はぁ。カルネ、ミネちゃんを頼む。」
そう言って、クロは二人の前に進んで、魔女と対峙する。
クロは魔女を斬り伏せんと、剣を振り下ろす。しかし、魔女がニヤリと笑みを浮かべた。そして、指を鳴らす。
違和感。それはクロが手に持つ剣からであった。…あまりにも軽い!!
「チっ!!」
クロは振り下ろしによる攻撃を中止し、剣を魔女の方に放り投げる。
放たれた刃が魔女の額に触れるかと思われた瞬間、剣は屑の様に切っ先から砕けていった。そして、砕かれた破片は、宙に漂いつつ、ぶんぶんと音を立てている。
剣は、、、蜂へと姿を変えたのだ。
その数は、五匹。たったの五匹である。数を見ればそう思えるかもしれない。しかし、問題はその大きさだった。
20センチ程だろうか、その大きな蜂達は、鋭利な顎をカチカチと鳴らしている。
「はははは、お前の大事な剣を奪ってやったぞ!!えぇ!?解せないって感じだね??」
答え合わせだと言わんばかり、魔女はふんぞり返った。そして言葉を続ける。
「道中、雑魚たちばかりだと感じてたろう?甘いんだよクソガキ!!クソ蜂共には、術式のスペルを一文字ずつ組み込んでいたのさ。真っ向からじゃ
「そんでもって蜂とアッシの血を混ぜて魔法陣完成~」
魔女は今にでも、妖気に踊りだしそうであった。
「……。」クロは黙ったままに魔女を睨んだ。
「えっ?悔しい?悲しい?うれしい?なんか言ってみろよッえ?クソ虫が。」
「魔女もどきってところか。」
「はっ?」
「ちゃちな魔法。手品師かそこらが関の山だ。」
「はぁ=!>?!!殺す!殺す!今殺す!!村の連中もみんなみんな ぶち殺してやる!!」
激昂した魔女が、五匹の内一匹に命令を下す。蜂は一直線にクロに飛び掛かってくる。蜂の持つ針は、短剣ほどの長さだろうか?そう、短剣程の長さだ。
迫りくる巨大な蜂に相対して、クロは闘気を纏った手刀を振りぬく。
蜂は頭が拉っげた。そしてクロは紫の血で染まったその手で、突き出た針を引き抜き、見定める様にそれを見つめた。
「鈍らだな。急ごしらえにしても我慢ならない。」
「よくも、よくも、よくも!!」
魔女が地団駄を踏んで、今度は四匹の蜂に命令を下す。
蜂は、一匹、また一匹と連携してクロに迫りくる。
一方のクロは、手に持った針を勢いよく振って針についた血を払った。
「穀雨四突き」
針の付け根を利き手で鷲掴み、もう片方の手は針先に添える。剣鬼の闘気が針先に集中する。
それは致命的な一撃であった。
「なっ!?私の蜂達が!!いや!!くるな!!ブサイクがうつる!!」
クロが魔女に歩み寄る。魔女は腰が抜けたのか、尻から倒れ込んだ。四、、三つん這いになって逃げ出した。すぐに追いつかれるのは明白だ。
クロは魔女の肩を強引に掴んで引き寄せる。無理に振り替えさせられた魔女の目には、針を大きく振りかぶる鬼の姿がありありと映る。そして悟った。鬼が針を自身の眉間に振り下ろすのだと。
ブンッと音を切り裂く音が鳴り響いた。その一振りから発生する突風が、辺りの火を消し去った。
「…小さい子が見てるんだ 殺しはしないさ。俺は健康優良不良少年だからな。」
寸止め。しかし、そのあまりの剣幕に魔女の意識は彼方に吹き飛んでしまった。…魔女は泡を吹いて倒れ込んだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます