第一章③ 男は時として毒を飲む
クロが怪我人を背負って馬車へ移動をしていると、異変に気が付いた村人たちが恐る恐る外へと出てきた。訝しむ様に、あるいは酷く怯えた様に。しかしながら、気にならずにはいられないらしい。その中で、一人の女がクロ達の方に駆け寄ってくる。正しくは怪我人を、というべきかもしれないが。
「あなた!!」と、怪我人に呼びかける声で、二人の間柄は容易に想像ができる。三十代か、そこらだろうとクロは検討をつけた。そして、同時にカルネに視線を向ける。カルネはこくりと頷いて、クロ達の一歩前に踏み出た。
「安心してください。今は気を失っているだけです。それより、貴女は?」
「あぁ、あなた!!あなた!!なんてことなの。」
気が動転してしまったのだろう。村女は無理にでもクロから夫を引っぺがそうと、クロの服だの髪だのを掴んでは騒ぎ立てた。
「痛い。いたたた、おば、、お姉さん。ちょっと落ち着いてってば。…カルネ、何とかして!!」
カルネは手の平を女の顔の前に差し出し、ふっと息吹いてみせた。彼女の手に幽かに残った魔法薬の香りが村女の鼻腔を叩く。先ほど彼女が摘んだロウレイ草には、薬草学の観点から鎮痛効果だけでなく、若干の精神鎮静も期待できた。
「ティル・ビル」は手で揉んだ草花の成分を分離、抽出、加工する魔法である。その工程の全てを右手首に現れる魔法陣でコントロールする必要がある。そして、各工程を術者の意思で取捨選択する必要がある。故に植物に対して造詣が深いことが使用の前提条件となる。この魔法を極めることで、右手首に腕輪を思わせる魔法陣に魔法薬をストックしておくことも可能ではあるのだが、カルネにはまだ難しい。ただ、専門外の魔法としては上出来といえる。
今回の場合、カルネはまずロウレイ草のエキスを分離し、精神鎮静作用を含んだエキスを抽出し、下地として活用した。そして、その上に鎮痛作用をコーティングしたのだった。
薬草の効果が効き始めるまで、そう時間は要さなかった。
(まったく、【回復魔法大全】様々ね。お師匠に感謝しなくちゃね。)カルネは内心でそう呟く。
「はっ、、、私ったら。あぁ、こんなに引搔いちゃってごめんなさいね。まぁ大変 こんな綺麗な顔に、私はなんてことを!!」
どうやら、村女はクロの容姿からある誤解をしている様子だった。男、いや漢の沽券にかかわる誤解を。
クロはその盛大な勘違いに対して弁明をしようかと悩んだが、また目の前の村女が騒ぎ出しても面倒である。それに、今のこの村では井戸端会議をする余裕は無い。森の奥の騒がしさに気が付いているのは、クロただ一人だけだった。
「漢には毒を飲み込まなくてはいけない場面が人生で幾度かある。」クロは或る人にそう聞かされている。それが今この瞬間なのだろう。クロはそう思い、ぐっと奥歯を噛みしめた。
「…お気になさらず。その、、落ち着いて話せますか?」
苦虫を嚙み潰したような声だった。
その様子にカルネは失笑を抑えられなかった。顔をクロから逸らしてはいたが、肩が楽しそうに震えている。遠方の森の騒がしに気が付くクロが、それに気が付かない訳もなく。腰に携えた剣の柄で彼女を小突いた。「痛っ。」とカルネが呻く。それからクロと顔を合わせ、彼女達…ではなく二人は視線のみでコミュニケーションを取る。その内容は想像の通りで、敢えて語る必要は無いものだ。
そんな二人のことなど露知らず、村女がクロの質問に答える。まだ恐る恐るといった塩梅だ。
「はい。あの、、、私はミレと言います。あなた方は?」
「私たちは、」そう話すカルネは、含みのある視線をクロに向ける。クロは、ばつの悪そうな表情でかぶりを振った。
「…私たちは通りすがりの冒険者です。この辺りを定期調査するようにとギルドから派遣されて参った次第です。それより、急いで家へ。ご主人にはもう少し手当てが必要かと。」
「あら、まぁ。さぁこっちです。」
カルネの言った「冒険者」という言葉が、村人たちの特に興味を引いたようだ。きっと、それが嘘であったとしても村人達には関係ないのかもしれない。平凡で代り映えのしない村の生活の中で、彼等は内心で刺激を求めているのだから。
手招きしながら家へとむかう女の後ろで、クロがカルネに耳打ちする。「ちょっと、カルネ。村人達を家の中に。森の奥で羽音が騒がしい。・・・段々近づいてきてる。」
クロが森の方角を顎で指し示す。
「えぇ、わかりました。」
カルネはクロが示した方角を一度見やったが、ただ木々の葉が風に揺られているだけであった。それが彼女の見えている世界だ。それでも、カルネにクロの言葉を疑う選択肢はなかった。
他でもない剣鬼の危険信号である。それはヘタな索敵魔法よりも確かな情報だった。
「皆さん、各自家の中へ、戸締りをしっかりなさってください。蜂が来るかも。」
カルネは凛とした鈴の様な声は村人達の耳によく響いた。
村人たちは、一瞬間にカルネの声に魅了された。そして、今にも綻ばんとする彼女の若い美貌に見惚れていた。
それは、「若々しさ」と「時折チラつく大人らしさ」を、コインの様に併せ持った彼女の魅力の一つであった。
カルネの言葉を何度も頭で反駁するうちに、村人達は事の重大さを思い知ったのだろう。時間が巻き戻っていくように、みな家の中へ逃げ込んでいった。
「団長。」
「ん?って何だよ。やめ、わしゃわしゃすんな。」
カルネは自身の右手で、クロの髪に手櫛を通しはじめた。サラサラとした彼の髪が、一層を増して黒く深みを持ち始める。月に照らされた川の色に似ている。それはきっと冷たく澄んだ清流なのだろう。
「動かないでください。ロウレイ草は髪の艶に良いんです。それに、ほらいい匂いでしょ?」
「…ありがとう。」
「それに軍の人間だと思われないように演技ですよ。私がお姉さんで、あなたが弟。フフフ、案外妹でも通るんじゃないかしら?」
一理あるなと思い、クロはカルネの演技に乗ることにした。
「…からかわないでくれ。その…姉 さん。」
「えっ?」
彼女は雷に打たれたように、立ち止まった。彼女は目を瞬かせ、しばらくクロを見つめたまま動かなかった。そして不意に俯いてしまった。
先ほどの失笑とは、すこし違った様に震えている。悪手だったのだろうかとクロは不安だった。そして恐る恐る伺うように彼女の顔をのぞき込む。
カルネの頬はふわりと朱色が広がっていた。口を開きかけては閉じ、どう言葉にしてよいかわからない様子だった。
「ちょっと、恥ずかしがらないでよ。演技なんでしょ?演技。」
「…違う。…もっかい。」
「ん、ごめん聞こえない。」
「だから、もう一回言って!!次はカルネお姉ちゃんでお願い!できれば上目遣いで!!」
カルネの庇護欲が最高潮に達していた。それも一種の愛なのだろうが、愛に暴走は付き物だ。
「、、、。カルネ 左腕の魔法陣、それが何か正直に教えてくれたら言ってあげる。」
はっとした表情で、カルネは左腕を隠す。
クロの疑念が確証に変わった。
「おい、それ音声記憶とか云々の魔法だろ絶対!!」
「違くて。 これは、その、お師匠からの課題で、、、その 違うの。そう蜂よけの
「信じられるか。 森からめちゃめちゃ蜂寄ってきてるぞ。いつの間に無詠唱で、、、おいお前、、、これが初犯か?」
クロはじろりと、カルネを睨む。
ある種、諦めた様にカルネが息を吐いた。そう彼女は開き直ったのだ。
「ショハン?何ですかそれ。音楽家みたいな名前ですね。」
あくまで白を切るつもりらしい。クロはカルネの盗聴の数々(盗撮は無いと信じたいが)が行われていそうな場面を推理してみる。・・・それらは決まって酒の席での様な気がした。
白状させるには時間がかかりそうだと、あきらめたクロは再び毒を飲むことにした。
程なくして、目的地の家にたどり着いた。
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フレーバーテキスト:
【回復魔法大全】著作:テリウス・オルゴール
教会の聖職者による「癒しの奇跡」は、かつて治癒行為の唯一の手段とされ、民衆からも絶大な信仰を集めていた。しかし、長年の権威に安住した教会上層部は次第に腐敗し、金銭や特権の維持にのみ関心を向けるようになった。寄付金やお布施は聖職者たちの私利に流れ、裏金のやり取りや治癒の高額化は一般民衆を遠ざけ、犯罪隠蔽や不正も常態化した。さらには、社会への影響力も強化し、教会への批判を封じる仕組みを構築していた。
こうした教会の腐敗に異を唱えたのが、「治癒魔法」として回復魔法を広めた賢者テリウス・オルゴールである。彼は、「癒しの奇跡」に頼らずとも民衆を癒す
テリウスが編纂した『回復魔法大全』は、その知識を網羅するものであり、当時の治癒技術を一変させる力を秘めていた。しかし、教会はこれを「奇跡の冒涜」とみなして激しく非難し、ついに禁書として扱うに至った。彼の存在は教会の権威に対する脅威とされ、晩年には死者蘇生の秘薬の研究の中で事件が発生し、テリウスは国を追放されることとなる。蘇生薬の誤用によって暴走した亡者たちの反乱は、彼の唯一の汚点として、教会から厳しく批判されたのである。
その後テリウスは消息を絶った。
追記:
彼の開発した魔法には、先頭に「ティル」とつく場合が多い。
これは若くして亡くなった彼の妹の愛称だったことは有名。
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