第一章① 早朝の一幕

 ーーアクタスにて:枯れた井戸の底にの白骨が見つかる。十六年の孤独。ーー

 ウェア新聞、朝刊の裏面はいつもオカルトチックな記事が掲載されている。

 ウェア新聞社は西側大陸でもっとも購読されている新聞であり、アルカニア大陸北部に位置するアーガスト帝国でも同様であった。

 アーガストはと呼ばれていた。その所以は、剣帝グラン・エルデ・アーガストが治める国だからである。

 

 「おはようございます団長。これ今朝の新聞です。ご確認ください。」


 アーガスト帝国国防軍第三師団の朝はいつも早かった。


 「…カルネか。いつも早いな。」

 男の声は、ひどく嗄れていた。寝起きというだけでは説明がつかないほどである。カルネには、その主たる原因に見当がついていた。彼女は、部屋に入るなり窓をあけつつ、「団長、お酒は控えてください。貴方、まだ未成年なのよ。」


 「…それなら、、まずは、第三師団、団員に、、、禁酒令をだしてくれ。」


 「それは、、、骨が折れそうね。」


 「うぅ、水。」


 クロは寝床から這うように抜け出した。まだ足元が覚束ない様子である。彼はカルネの手を借りて、椅子に腰かけた。彼の艶めいた黒髪も、今は台無しなぐらいに寝ぐせづいていた。


 「まったく、みたいな声を出さないの。それに、かの剣鬼が下戸なんて知ったら、あなたに恋心を抱いている全員が幻滅してしまうわね。」


 フフフと、口を押さえてほほ笑むカルネと項垂れるクロ。一見すると妹を介抱する姉のような様子である。(クロにとってのコンプレックスでもあるのだが、彼はまだ髭も生えてこないのだ)


 「何だよ、もう。うぅ頭がガンガンする。」


 「仕方ないわね。ほら、目を閉じて。」

 「ん。」

 カルネは、抱えていた厚さが拳大ほどもある本をパラパラと捲りだした。それは深緑色の装丁で、表紙には植物が描かれている。タイトルには【回復魔法大全】という文字が金色で書かれ、エンボス加工が施されていた。


 「ティル・アノ・サレア」


 カルネは、クロの前に膝を付き、彼の額に手を当てながら魔法を唱えた。二人を中心として、床に薄氷を思わせる陣が浮かぶ。解毒系魔法の特徴だ。

 地面からは、風が吹きあがる。冬の森に吹く風に似ている。その風は毒を雪ぐ作用があった。


 魔法が完了すると風は止み、当然魔法陣も消え去った。まるで何事もなかったように。ただ、先ほどと違って、クロの顔色が幾分良くなったこと以外、世界は変わらず平常を全うしている。

 

 「改めておはようございます。団長、気分は如何ですか?」


 「…ありがと。大分ましになった。まだ少し気だるいけどね。」


 「やっぱり、魔法の利きが悪いですね。不思議な体質、技術スキルか何かですか?」


 「どうだろう。俺自身、真の名を知らない所為かな。」


 魔法は願いそのものだと言う学説もある。願いには、願うものと、願うべき内容、対象が存在する。その対象の識別に用いられる最もな識別子が真の名である。

 母親が、産まれた我が子に対して名を呼びかけた時、その名が真の名に該当する。そして、父親が表の名前(一般的な概念としての「名前」がこちらにあたる。)を付けるものである。蛇足に蛇足を重ねるが、クロという「表の名」の名づけも甚だ複雑なしがらみがあった。


 カルネが神妙な面持ちで、机の上を片付け始めた。「悪手だった。」彼女はそう思わざるを得なかった。真の名とは、人間的要素の根底と言える。裏を返せば、この世界において真の名を持たぬとは、人間としての尊厳の欠如に相当する。


 「カルネ、お前が気にすることじゃない。」


 「はい、申し訳ありません。」


 「…カルネ副団長。俺はクロだよ。それ以上でも以下でもない。ただのクロだ。」


 クロは椅子から立ち上がり、階下に向かう。新聞は、表面の記事にさっと目を通すに留めた。本日の昼からは、軍の議事堂で定例が開かれる予定となっていた。


 カルネはクロの後に続いた。「あぁ、本当に強くなったのね。」彼女にとってクロは補佐すべき上長であると同時に、いつまでも庇護すべき弟の様に感じていた。彼に出会って、もうすぐ十年の月日が経つ。それでも、彼女の瞼裏には一人隠れて泣いているクロの姿があった。孤独な少年は強く在らねばならぬ理由があった。


 朝日は昇ってまもなく、まだ肌寒い。


 中庭で鍛錬に励む団員達がクロに気づいた。その日初めて太陽を浴びたみたいに彼らはクロを迎えた。

 

 それが第三師団の朝であった。




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フレーバテキスト:

【魔法を忘れた南の魔女】

ー>数多の男を魅了してきた南の魔女は、老齢的な物忘れによって年齢を偽る魔法を思い出せず、半端な魔法を自分にかけてしまう。見た目は麗しい美女となったが、声は老婆のままであった。その事に気づかず、男たちをだまそうとした魔女は、忽ち正体を見破られ、火あぶりの刑になった。

転じて、「注意不足な様子」という諺のようになった。今回の場合は、諺の意味ではなく、その成り立ちをカルネが引用している。

 

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