第一話 早朝の一幕


「…さい。起きてください。クロ団長。」

 誰かがを読んでいる。聞きなじみのある声だ。冷たく、透き通った泉のような。

 「カルネか。おはよう。」

 「おはようございます。もうすっかり朝ですよ。」

 

 「あぁ、っう。頭がガンガンする。」

 目が回る。締め切られた部屋の空気は澱んでいて、寝起きのクロにはあまりにも不快なにおいだった。記憶が曖昧だ。


 「まったくもう。クロ、あなたにお酒はまだ早いのよ。」

 カルネは部屋に入るなり、全ての窓を開けて回った。

 クロを「団長」ではなく、彼の名で呼ぶときは決まって、彼に対して姉的なふるまいをするときだった。血こそ繋がっていないが、カルネには些事なのだろう。確かに彼等は長い時間を共に過ごしてきた。


 出会ってから何年経ったっけ。


 ろくに頭が働かない中で、考えがまとまるはずもなく、「うぅ、水。」と、クロはただ嗄れ声をあげるしかなかった。


 「『魔法を忘れた南の魔女』みたいな声ださないの。あぁ、髪もこんなにボサボサにして、女でも嫉妬しちゃうくらい綺麗な黒髪なんだから。ほら、こっちに座って。」

 「うぅ、、、絶対、第三師団、団員に、、、禁酒令をだしてやる。」


 「それは、、、骨が折れそうね。」


 クロは寝床から這うように抜け出した。まだ足元が覚束ない様子である。彼はカルネの手を借りて、椅子に腰かけた。彼の艶めいた黒髪も、今は台無しなぐらいに寝ぐせづいていた。


 「あなたに恋心を抱いている人たちに、今のあなたを見せてあげたいわ。フフフ、剣鬼が実は下戸でした、なんて知ったらどんな顔をするのかしら。」


 クロは知る由もない。その恋心を抱いている人間の男女比を。現に、こうしてカルネがクロを介抱する様子を傍から見れば、妹を世話する姉といった塩梅だ。


 クロを椅子に座らせたカルネは、窓脇の本棚に歩みより、並べてある数々の本を、指で横になぞりはじめた。

 本棚中段の左側あたりでカルネの指が止まる。彼女指の位置に「テリウス・オルゴール著」と刺繡されている。

 

(あった。あった。『回復魔法大全』)そうカルネが一人ごちる。

 本をパラパラと捲りながらクロの下に戻ってきたカルネは、彼の額に薬指をあて、低い声で呟いた。


「ティル・アノ・サレア」

 

 二人を中心として、薄氷を思わせる陣が床に浮かぶ。地面から風が吹きあがる。冬の森に吹く風に似ている。その風は毒を雪ぐ作用があった。

 魔法が完了すると風は止み、まるで何事もなかったように世界が平常を全うしている。ただ一つ、変化があるとすれば、クロの顔色が幾分良くなったことだろうか。


 「助かった。ありがとうカルネ。」

 「どういたしまして。」


 「改めておはようございます。団長、気分は如何ですか?」


 「…ありがと。大分ましになった。まだ少し気だるいけどね。それは?」

 意識が大分すっきりしたクロは、カルネが腕に紙束を抱えていることにきがついた。


 「あぁ、これは今朝の新聞です。」

 カルネはそう言って、表の紙面を見つめている。どうやらまだ目を通していなかったらしい。

 したがって、クロの目の前には裏面の記事が広げられていた。


 ——不毛の土地にて:枯れた井戸の底に大人一人分の白骨が見つかる。十六年の孤独の謎。——

 ウェア新聞、朝刊の裏面はいつもオカルトチックな記事が掲載されている。

 ウェア新聞社は西側大陸でもっとも購読されている新聞であり、アルカニア大陸北部に位置するここ、大国アーガストでも同様であった。


 相変わらずゴシップが好きな新聞社だ。毎日毎日、いったいどこからネタを仕入れてくるんだろうか。


 クロの疑問などよそに、カルネがパラパラと紙面をめくっていく。

 「アーガスト南方ウルベルク付近に。調査に入った冒険者10名が消息を絶つ。現在はアーガスト国防軍が規制中。」

 カルネが新聞の記事を読み上げる。クロはそれに聞き耳を立てていた。


 まったく、どこからこんな早くに情報を。

 カルネもカルネでウェア新聞社の情報収集能力に脱帽していた。


 事実、当該事件への対処を本日の軍議で決定されるのであった。


 永遠の謎マジックだな。とクロが内心で呟いてから椅子から立ち上がる。


 「さて、準備をしようか。」


 そうカルネに伝え、椅子から立ち上がり、階下に向かう。新聞は、表面の記事にさっと目を通すに留めた。

 

 「ほら、まだ寝ぐせが付いてる。お師匠に「寝ぐせを直す魔法」を教えてもらおうかしら。」


 「ミランダさんにそんなヘンテコな魔法習わないでよ。理由を知ったら絶対からかってくる。」


 「フフフ、ますます教えてもらわなくちゃ。」


 クロとこうやって軽口をたたく時間がカルネには好ましかった。

 彼女にとってクロは補佐すべき上長であると同時に、いつまでも庇護すべき弟の様に感じていた。彼に出会って、もうすぐ十年の月日が経つ。それでも、彼女の瞼裏には一人隠れて泣いているクロの姿があった。孤独な少年は強く在らねばならない幾ばくかの理由があった。


 階段を下ると、中には続く扉が開かれていたので、外気が流れ込んできている。

 朝日は昇ってまだそれほど時間が経っておらず、 まだ肌寒かった。


 中庭で鍛錬に励む団員達がクロに気づいた。その日初めて太陽を浴びたみたいに彼らはクロを迎えた。

 

 それが第三師団の朝であった。


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 フレーバテキスト:

【魔法を忘れた南の魔女】

 ―>数多の男を魅了してきた南の魔女は、老齢的な物忘れによって、見た目年齢を偽る魔法を思い出せず、半端な魔法を自分にかけてしまう。見た目は麗しい美女となったが、声は老婆のままであった。その事に気づかず、男たちをだまそうとした魔女は、忽ち正体を見破られ、火あぶりの刑になった。

 転じて、「注意不足な様子」という諺のようになった。今回の場合は、諺の意味ではなく、その成り立ちをカルネが引用している。

 

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