26 脱衣所はノックをしてから入ろう

 着替えのジャージを持って脱衣所まで来ると、急に紫雨しぐれ君がそわそわし始めた。


「あの……どっちから先に……脱ぐ?」


「あ、恥ずかしいの?」


「いやその……うん」


 可愛い奴だ。


 中性的な見た目でそんな可愛いことを言われれば、たとえ相手が男子だったとしてもキュンとしてしまう。


 俺は紫雨君が緊張している隣で、ゆっくりとTシャツを脱ぎ始めた。


 帰宅部とはいえ、筋トレは欠かさず行っているし、朝から必ずプロテインを摂取している。俺の肉体はイケメン君に見せても恥ずかしいものではない。


 一方、紫雨君はなかなか服に手をかけなかった。


「やっぱり別々に入る?」


 気を遣って提案してみる。

 だが、紫雨君の反応はない。


 俺の鍛え抜かれた上半身を凝視すると、顔を赤くして反対方向に視線を送る。やっぱり彼はゲイなのかもしれない。


 とはいえ、俺と一緒に風呂に入ることに怖気づいたのなら、黙って脱衣所から逃亡すればいい。


 そうしないということは、そんなに気にしなくてもいいってことだろう。


 俺は短パンに手をかけ、いよいよパンツ一丁になる。

 一方で隣のイケメンは完全装備。戦ったら圧倒的に俺の方が不利だな。


 そしてついに、パンツに手をかけた。




 ***




「はぁ? 白水しろみずくんが実は女!?」


 女子部屋にひとりのブラコンの声が響き渡った。


 最初は驚愕の表情だったが、それも次第に暗殺者の冷徹な表情に変わっていく。今まですっかり騙されていたことへの怒りだ。


「紫雨は特殊な性癖を持ってて、男子って思われるのが嬉しいらしくて――」


 千冬ちふゆが詳細を話していく。


 当然ながら、教師である松丸まつまるてんは紫雨の性別が女であることを知っている。

 しかし、紫雨があえて自分を男子として接するように頼んだのだ。


 紫雨は男子と思われることに達成感を感じるという性癖の持ち主であるだけだったが、天はそれを面白がった。


 そしてわざと、紫雨を男子部屋にしたのだ。


「あの教師……殺す」


 そう唸ったのはもちろん、ブラザーコンプレックスの夏凛かりんだ。


 天と紫雨への猛烈な殺意が彼女の中で蠢いている。

 夏凛もすっかり紫雨=男だと勘違いしていた。弟の秋空あきらからは男子部員であると紹介されていたことや、見た目が中性的であることもその理由のひとつになるだろう。


「やっぱり」


 日菜美ひなみは紫雨の勝ち誇ったような笑みを見て気づいた。


 秋空と同じく、紫雨を千冬の彼氏だと思って男扱いしていたわけだが、秋空を見つめる瞳が明らかに女子のものであることに気がついてしまったのだ。


「今すぐ部屋に突撃しよう」


 夏凛の狂気に満ちた声で、考える暇もなく男子部屋へと足が動く。


 何も知らない哀れでアホな秋空は、今頃紫雨を男だと思って楽しく会話でもしているんだろうか。


 夏凛はそう考えるたび、紫雨への殺意が増していくことに気づいた。




「いない……秋くん?」


「夏凛様、もしかして、お風呂?」


「お風呂!? 秋くんとお風呂に入れるのはお姉ちゃんだけだからね!」


「夏凛様って、ショジョですか?」


「当たり前でしょ! 私の貞操は秋くんのものだからっ!」


 秩序のない会話をして、3人で仲良く・・・風呂場に走る。

 女子の浴場ではなく、男子の浴場へ、だ。




 ***




「秋空くん」


 俺が全部服を脱ぎ終わり、全裸になった頃。


 上も下も、まだ1枚も脱いでない紫雨君がやっと口を開いた。


「キミは鈍感なの?」


「え、いきなりどうした?」


「この状況でも、本気で気づかないの? それとも、気づかないふりをしてるだけ?」


 ――気づく?


 紫雨君の指摘を聞いて、俺はハッと気づいた。

 やっぱり紫雨君はゲイだったのだ。


「実は……もしかしたらそうかもしれないと思ってた」


「……流石に気づ――」


「――紫雨君って、ゲイなんだね」


「え!?」


 俺の一言に、肩を大きく跳ねさせて驚く紫雨君。


 やっぱり少しダイレクトな言い方になってしまった。こういう繊細な話は、もう少し丁寧な前置きをしてするべきなのだ。


「ごめん、俺は別にそういうの認めてるっていうか、別に多様性のひとつとしてアリだと思ってる。あ、でも俺はゲイじゃなくてストレートなんだけど」


「んー」


 紫雨君は涙目で俺を見ていた。


 俺の下半身には一切視線を送らず、顔を直視してきている。

 まあ、もう下半身を覆うものはないわけだし、そりゃそうか。


「やっぱり鈍感なんだ、秋空くんは。千冬にはヤンデレ気質があるけど、キミには鈍感気質があるんだね」


 俺は自分が鈍感だと思ったことはないし、言われたこともない。


 ちなみに、俺はラノベの鈍感系主人公が苦手だ。

 だからヒロインからの好意にちゃんと気づいている『勇者学園の異端児は強者ムーブをかましたい』の主人公、西園寺さいおんじオスカーがお気に入りである。


 やっぱり作者のエース皇命こうめいは最高だ。


「秋空くん、これを見たら気づいてくれるかな」


 紫雨君はどこか諦めたような表情をして、Tシャツに手をかけた。


 ようやく脱ぎ始めるらしい。

 俺はもうすでに全裸だからなんだか気まずい。


 紫雨君のお腹が見える。


 細くて、艶のあるお腹だ。

 同じ男子のものとは思えない。


「秋くぅぅぅぅぅううううん!!」


 その時、脱衣所の扉が勢いよく開放された。

 聞き覚えのある叫び声が耳を襲う。


 紫雨君が脱衣を中断して振り返った。姉さんの声でだいたいの状況は察しているだろうけど。


 姉さんの隣には千冬と日菜美もいた。

 急いで駆けつけたのか、少し息を切らしている。日菜美まで息を切らすなんて、相当な運動量だな。


 姉さんはなんだか恐ろしい形相だったが、千冬と日菜美に関しては、先ほどの紫雨君に負けないほどに顔を赤くしていた。


 ――あ……。


 そういえば、俺、全裸だ。


 二人が紅潮した理由は明らかだった。






《次回27話 やっぱり俺はチョロくない》

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