羽根
メカクレは大蛇の抜け殻の元へ戻り、牙に絡む羽根を幾枚か取った。根元に血肉が付いたものもある。そのうち一枚を口に放りこむと、上を向き、呑み下した。
「喰えと……云うのか」
「無理にとは云わぬが」
メカクレが肉の付いた羽根を差し出した。
ぢゅう。メカクレが
「傷口は舐めるなよ。君の唾液には血液凝固を妨げる作用があるようだ」
メカクレは答えず、ぢゅうぢゅうと軍袴を吸い続けた。
腹の下から、霞早太が這い出てきた。身体をすべて引き抜くと動かなくなったが、胸は微かに上下していた。
「あれで生きているとはな」
密林の奥が騒がしくなった。人の声と、軍靴で湿った土を踏む音もする。メカクレが立ち上がり、舌を出し入れしながら音の出所を凝視する。
飛行場建設部隊の将兵が姿を現した。銃口を
「怪しげな鳥が飛び立つのを見て何事かと思えば……これはどういうことだ」
密林から、兵站病院付きの将兵が現れた。
「往生際が悪いな。いい加減洗いざらい話したらどうだ」
湖弓が「それは一体どういう……」と言ったが、
「上官に対する口の利き方がなっていないようだな」
「部下も守れず何が上官かね。どうも俺の経歴は知らないようだから自己紹介しておこう。俺は
それまで尊大な態度を崩さなかった部隊長が狼狽えて目を泳がせた。
「前任者の噂はすぐ耳に入った。診察室で首を括った子が出るとすぐに奴は職を辞して、その後、上はだんまりだ。同僚が云うに、転職先は軍だ、と」
部隊長は苦々しい顔で軍刀を鞘に収めた。
「俺には詳しく話してくれた子もいたよ。非行少年とは言っても、食い詰めて弟妹の食べるものを盗んでしまっただけのような子も多かった」
「俺たちだってそんな経歴は知らされていなかった。それで、気付いたとき」――――
「気付いたとき、どうしたんだ」
部隊長が答える前に、それまで無言だった院長、巳助中佐が前に出て口を開いた。
「自決を命じた」
周囲の視線が集まる中、院長が語り出す。
*****
雨の密林。巳助と下士官二人に挟まれて地面に坐する霞早太は、膝に載せた軍刀を掴んだまま俯いている。長袖の開襟防暑衣から、階級章が付いたシャツの襟を出してネクタイを締めている。
「覚悟は決まったか」
巳助が、霞早太の頭に拳銃を向けながら言った。霞早太が顔を上げ、密林の奥を指差した。崖際の樹に、原生蘭の蔓が絡む。
「あの花。せめて、あの綺麗な蘭の下で」
巳助は周囲の林を伺った後「いいだろう」
霞早太が立ち上がった。ゆっくりと歩き、他の者も彼に銃を向けたまま続く。目当ての樹に辿り着くと、霞早太は蘭を撫で、蔓を掴み、崖から飛び降りた。
「撃て!」怒号と銃声が交錯する。
――どこに行った――――見えません、雨と葉が――――引き上げろ――――
下士官の一人が蔓を引いた。手応えは軽く、勢い良く跳ね返った先端が足元へ投げ出された。巳助が崖下に近付いて見下ろした。雨で勢いを増した濁流が
「この中に落ちて生きているとは思えん。溺れるのと鰐に喰われるのどちらが早いか」
*****
巳助が語り終えたところで、それまで無言で倒れていた霞早太が呻き始め、背中を掻き毟りながらシャツを脱いだ。
霞早太の背、肩甲骨のあたりがに盛り上がり、ぶちぶち、と音を立てて肉が裂け、
巨大な羽根が羽ばたきはじめた。周囲に風を巻き起こし、ぐったり項垂れ手足をだらりと垂らす〝本体〟をぶら下げながら上昇する。羽ばたくたび、付け根から血が噴き出し、徐々に繋ぎ目の組織が細く伸びていく。
ぶちり。すぐに繋ぎ目の肉が裂けた。本体が落下し、ラワンの高木に突き刺さった。霞早太が悲鳴を上げる。先端が尖る枯れ枝の先は霞早太の脚の間から刺さり、霞早太の腹は膨らんでいる。もがけばもがくほど身体は沈み、深く枝を呑み込んでいく。
羽根は暫く単体で羽ばたいていたが、やがて動きを止め、地面へ落下した。前後して、本体の腹を枝が突き破った。霞早太が盛大に血を吐き出す。背中の傷からも止め処なく血が流れ続けている。
「あまり子どもに見せたい光景ではないな……結局、あれは一体……」
独り言のような
「あの者が語ったところによると、先ほど飛び立った鷲の羽根や血肉に特別な薬効があり、動植物の生命力を強化するようです。自身もそれで生き延び、少年たちを無理やり生き永らえさせた」
それを聞き咎めて部隊長が言う。
「随分奴と親しくなったようだな。それになんだ、
彼の疑う不審者は、巳助が語る間に密林へ消えていた。
「現地人です。〝薬〟で怪我の手当をしてくれました」
「現地人とは着るものが違うようだが」
「ぼくの寝間着です。パパイヤと交換しました」
「白々しいな、あの舌は、それにあの髪、鷲に喰らいついた蛇と」――――
部隊長が薄青の抜け殻を指しながら言うのを、
「薬に食べ物。今の私たちに一番必要なものよ。それに引き換え、あなたがたは、一体何をもたらしてくれるのでしょう」
部隊長は
「あの
湖弓も件の肉を見上げて溜息をついた。
「現地人の処遇より、あちらの始末の方が問題のように思えますね」
部隊長は巳助に駆け寄り、何やらひそひそと話しはじめた。
「助かりました」
「……漢方でもなんでも、原理はさておき、役に立つならなんでも使いたい、というのが本音ではないかしら」
「ご推察の通りです。医学は実学ですから」
視線を交わす二人を横目で見て、
内緒話の時間は長く続かなかった。鳴りはじめた警報が囁きを搔き消し、「敵襲!」拡声器越しの声は隠し立てなく皆へ平等に降る。
遠くの空に、銀色の小さな影が姿を現し、見る間に大きくなった。羽根を広げて滑空する、鳥のシルエット。
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