巣立ち
「話にならないな」
鷲が
ラワンの巨木からメカクレが飛び出し、
――ぐちゃっ、ばんっ。
上空で巨大な羽音と、「外れましたね」と霞早太の声。
鷲はほとんど垂直に一瞬で急降下し、後ろ足でメカクレの頭を掴んだ。その勢いのまま頭を地面へ叩き付け、自身が地面に触れるすれすれで再上昇した。
太陽を背に、首ががくりと折れ口から血を流すメカクレが中に浮かぶ。鷲が羽ばたく度、身体がぶらりぶらりと縊死体のように揺れる。それを板根の間の血池に座って眺める
「鷲を相手に蛇とは、少し分が悪いのではありませんか」
いつの間に樹を伝って降りたのか、霞早太は巨石の傍に立っていた。上面が平らな、
霞早太がメカクレの顔を眺める。鈎爪の隙間から指を差し入れ、頬をつつく。子供らしい、求肥のように柔らかな頬。
「蛇のくせに存外、綺麗な顔をしていますね」
霞早太は雑嚢から麻縄を取り出し、メカクレの浴衣の袖を捲ると、肩に近い場所を縛った。麻縄の周囲が見る間に鬱血して暗紫色になる。身体をずらして腕が台の外に出るようにし、鷲が腕を掴んで滞空する。ちょうどメカクレの腕が宙に浮かぶようになった。
一匹の鷲が、ナタを持って現れ、霞早太の傍らに落とした。霞早太がナタを拾い上げ、メカクレの腕に向けて振り下ろした。腕が切り離され、断面から血が吹き出したが一瞬で、血はすぐに勢いを失くした。腕を掴んでいた鷹が鈎爪を離すと、地面に落ちて自由になった腕が這って霞早太へ向かった。すかさず鷹が再び腕を掴み、空へ飛び上がった。
「さすが蛇の生命力と言ったところですか。羽根も与えていないのにまだ元気です。これはやり甲斐がありますね。しかし少々邪魔ですので、お好きにどうぞ」
宙に浮かぶメカクレの腕に鷲が群がり、鋭い嘴で肉を啄みはじめた。血と肉片が下生えの草にぱらぱらと降りかかる。
石の上では、霞早太がもう一方の腕も同様に切断した。落とした腕から手早く肉を削ぎ、少女の口に挿し入れた。
霞早太は次に、両脚を足首で縄で括り、膝の上で切断した。一匹の鷲が縄を掴んで飛び立ち、樹の枝に引っ掛けた。断面を下にして二本まとめられた脚が枝から逆さにぶら下がり、ぼたぼたと血が流れ落ちる。
四肢を失ったメカクレの身体を霞早太がひっくり返し、石の上にうつ伏せにした。鷲が背を押さえ込む。霞早太が浴衣の裾を持ち上げて中を覗き込むと、尾が、びち、と力なく跳ねた。
「なるほど、本当に蛇のようですね。では中の具合を確かめてみましょう。しかしその前に」
そう言うと霞早太は軍刀を抜き、尾を根元から切り落とした。切り口から血が噴き出し、メカクレの身体が跳ねた。
「これでやりやすくなりましたね」
そして軍刀の切っ先を隙間に差入れた。刃と肉の隙間に血が滲む。刃が進むにつれ血が刀身を伝い、鍔を濡らす。
「きちんと押さえておくように」
刀身の半分ほどがメカクレの身体に埋まった。ぐぷ、びちゃり。メカクレが口から血を吐いた。刀に押し出されるかのように口から血が溢れる。刀身が粗方埋まると、霞早太がメカクレの髪を掴み、頭を上げさせた。
「そのまま顔を上げていなさい。動いてはなりません」
横から見るとメカクレの首は身体と一直線になっていた。霞早太は片手で髪を、もう片手で柄を握りながらゆっくりと刃を進める。びちゃびちゃと血を吐くメカクレの喉から、切っ先が顔を覗かせた。根元の方では、刀身は鍔まですべて埋まっていた。霞早太はメカクレの顔の前に回り喉の奥を確認し「やはり少し長さが足りませんね」
再び後方に回ると、霞早太は軍刀を引き抜き、入口周囲の肉に突き刺した。ぐちゃ、にちゃ、血の糸を引く刃を、何度も抜き差しする。元は一本線の切れ込みのように見えたものが、今は孔のようだった。
〝孔〟に勢いよく軍刀が突き刺された。鍔も肉に埋まっている。霞早太は柄を蹴って、柄もすべて孔に叩き込んだ。メカクレは口から血とともに刀先を吐き出した。
霞早太はメカクレの身体を真横から眺める。身体と首は一直線になり、真っ直ぐ刀の先を吐き出している。
「良い具合です」霞早太は額の汗を拭い、言った。
背に乗る人面鷲の下で、手足を失った躰を軍刀で貫かれ、最早メカクレは時折血溜まりの中でぴくりと跳ねるのみだった。
霞早太がメカクレの前髪を乱暴に掻き上げた。右眼は瞼が半ば閉ざされ、虚ろ。左眼には、油紙のような覆いが貼り付いている。
「なんでしょうこの左眼は。まあ、先に右から」
人面鷲が、メカクレの前に羽ばたいて浮かんだ。後ろ足の鈎爪をメカクレの顔に向け振り下ろす。
ぶちゅ。右眼が抉られた。潰れた眼球が地面に落ちる。覆いの下の左眼は相変わらず光を捉えない。メカクレの視界が真っ暗になった。
彼は生まれる前のことを思い出した。
昏い土の下、端が破れた卵の
鷲の鉤爪がメカクレの左眼を突き、覆いが剥がれ落ちた。
殻は破られた。
メカクレの皮膚の下、すべての肉と骨が溶けて混ざり合い、どろどろの卵液に戻るような感覚。渦巻く〝中身〟は何色ともつかず、強いて云えば〝あをいろ〟の混沌。卵の中で感じた、死へ近付く感覚が蘇る。胃が裏返るような吐き気――――早く生まれねば、この混沌に呑み込まれて腐るのみ、と本能が告げていた。
零れた眼球がメカクレの頬を伝う。蛇の舌がそれを絡め取り、持ち主の口内へ運んだ。ぐちゅり、メカクレが眼球を噛み潰し、一瞬の微かな快感、次いで凍り付くような寒気。そして、耳を
裂けた眼窩から、震える大蛇が昇り立つ。今、破れた殻から、中身が噴き出した。
昇る大蛇から逃れるよう、鷲は天に羽ばたく。あっという間に密林の林冠を越える。
大蛇は鷲に噛み付いたが、その牙は尾羽根をいくらか毮っただけで、鷲はするりと逃れて空高くへ羽搏き、そのまま彼方へ消えていった。
地面では残された男が狼狽え「なぜ……戻ってください……」などと言っている。
大蛇は胴体から着地した。地鳴りと、その裏でぐちゃり、水音が鳴った。着地点に霞早太がいた。大蛇の腹の下でくぐもった声が聞こえる。大蛇は腹を地面へ擦り付ける。声が収まったところで、大蛇も動きを止め、地面にとぐろを巻いたまま動かなくなった。
大蛇の腹の一箇所が大きく膨らみ、そのまま肉が裂け、隙間からメカクレがまろび出た。それまでの少年の姿ではなく、大人の体格になっていた。大蛇の躰はたちまち乾き、縮み、巨大な抜け殻だけが残った。一糸纏わぬ姿のメカクレが
「君は……」
「はじまりは、ある人喰いの大蛇でのう」声もまた、元通りだった。
「しかしあの巨躯は目立つ。人が徒党を組み、武器を巧みに操り戦うようになると、人に狩られるようになってしまった。そこで、人に化けて騙して喰うようになった」
メカクレは抜け殻の腕を引き千切り、眼帯のように左眼へ結んだ。
「その子らは代を重ね、長い時間を人の姿で過ごすうち、大蛇に戻れぬようになった。そうして人を喰うことも忘れ、ついには未練がましく、時折人の血を啜るのみとなった」
「なら、
メカクレが顔を上げ、
「わしは不具でのう…….生まれつき左眼の具合が悪うてからに、蓋をしておかねば、ああして中身が溢れてもうて」
乱れた髪の隙間から、右眼が光る。左眼は結んだ抜け殻と前髪に隠されているが、
南洋の景色は、コバルト・ブルーの空を天井に、幻覚のように色鮮やか。
横たわる抜け殻は半透明で青や緑に弱々しく揺らぎ、かと思えば陽を照り返して山吹。現に渦巻く、曖昧な〝あをいろ〟の混沌。
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