刷り込み

 半身が少女の鷲は真っ直ぐ巣に向かう。


 羽毛に覆われた乳房と縦長の臍。羽ばたくたび生白い胸元の鎖骨が大きく上下する。荊凍ケイテが拳銃を撃ったが外れ、荊凍ケイテが横穴の中に身体を引くのとほぼ同時に鷲が飛び込んできた。鷲は逃げる荊凍ケイテの脇を抜け、仕切り布を突っ切り、鋸を挽く斑雲むらくもかかった。

 鷲は後ろ足で斑雲むらくもの頭を捕らえると、低い天井の下で窮屈そうに脚を振って斑雲むらくもの身体を壁に叩きつけた。ごきり、鈍い音が響いた。

 鷲は鉤爪を斑雲むらくもから離すと、周囲を見回し、短く羽ばたいて部屋の隅に積まれた藁の山に乗った。翼と鉤爪で藁を掻き分けると、軍服の男が横たわっていた。七分袖の軍用シャツは襟に階級章を剥ぎ取った形跡があるが、仕立ての良さは将校用であると窺わせる。

 男の閉じた瞼は周囲に皺一つなく、微動だにしない様子は人形のよう。鷲が翼で男の顔をはたくと、男はくしゃみをして、眼を開いた。片手で鷲の頭――――少女の顔をしている――――を撫で、もう片方の手で眼を擦りながら立ち上がった。長袴から伸びる裸足の指からは鉤爪が生え、一歩ごと先端が岩を掻く。霜銀ソウギンが悲鳴を上げて荊凍ケイテの脚に縋り、震える声で男の名を呟く――霞早太……先生――荊凍ケイテの前任者だった。

「私は何を……そうだ、いきなり注射を射たれて……」

 鷲は、撫でられながらも頭を霞早太の掌に擦り付ける。霞早太は血池に浸かって息絶えた鋸浦の姿を認めて、床に転がる斑雲むらくもを見下ろして言う。

「どういうことでしょう。君がやったのですか。これでは掃除が大変です」

 斑雲むらくもはあらぬ方向に曲がった両脚を引き摺りながら這い、霞早太の足に縋って「霞早太先生……」と掠れた低い声で呟いた。

 霞早太は斑雲むらくもの手を蹴飛ばして、吐き捨てる。

「少し会わない間に随分育ちましたね。それに、何ですかその汚い声は」

 斑雲むらくもは目を見開き、大粒の涙を流し始めた。服の上から自らの臀部にぎりりと爪を立てる。

「そんな……『斑雲むらくもは私だけの物だ』、と仰ったではありませんか」

「しなやかな関節と玉の声を喪った者に興味はありません」

 霞早太は泣き伏せる斑雲むらくもに目も呉れず、藁山の影から竹籠を取り出し、中で蠢く鮮やかなエメラルド・グリーンの蛇を鷲に差し出した。鷲が口を開く――顔は人間の少女でも、口には鋭い牙が並んでいた。

 人面鷲は鋭い歯で蛇の頭に喰らいつき、上を向き暴れる細い身体を嚥下していく。蛇も、巨大な鷲にかかれば蚯蚓が如しだった。

 荊凍ケイテが銃口を霞早太に向けた。

「説明してもらいましょう」

「あなたが私の後任ですか。そうですね……私は死んだことになっているようで、実際、死にかけましたが、そのとき彼女に出会ったのです」



*****



 蔓に捕まった霞早太が崖から落下する。崖上で蔓を支える樹を支点に振り子のように身体が揺れ、勢いよく足から壁面に衝突し、膝から下が砕けた。霞早太は苦痛に顔を歪めながらも、再び壁面に近付いた瞬間、下方にある壁の穴を目掛けて飛び込んだ。頭を洞窟の壁面に強か打ち、地面へ倒れ込む。頭から血を流し、裂けた脚を引き摺り洞窟の奥へ這ってゆく。陽が届かない暗闇を進むうち、光る物体を見付けた。巨大な卵だった。

 霞早太が身体を起こし、枯れ枝で組んだ産卵床に横たわる卵を眺める。

 上部の先端は丸みが強く、下部は緩く尖る形は鶏卵と同様だったが、鶏卵より、駝鳥の卵よりも大きく、米俵ほどもあった。陽の入らない洞窟にあっても表面がうっすらと輝いている。霞早太が呆然と眺めていると、中からピイピイと鳴き声が鳴った。すぐに殻の中央寄り上部にヒビが入った。ヒビは円周状に広がり、隙間から、幼女が顔を出した。透明な粘液で濡れたオレンジの髪が額に貼り付いている。

 殻から飛び出す幼女の顔が、じいっと霞早太を見詰める。ひぃっと声を上げ霞早太は立ち上がりかけたが、すぐ脚がもつれ尻餅をついた。

 卵の割れ目は広がり、オレンジの綿毛に覆われた両翼、次いで胴と脚が殻から出た。ぴぃぴぃと鳴きながら鷲が霞早太に近付き、膝に乗った。霞早太は仰向けに倒れ、鷲は頭を霞早太の顔に擦り付けた。鷲の髪から滲む粘液が、人間の口に入る。ばくり、霞早太の心臓と身体が跳ね、目を見開いた。荒い息を吐きながら、鷲の髪を撫で、手に付いた粘液を舐め取る。喉を鳴らして飲みくだす。鷲の髪に吸い付き、粘液を啜る。項を、喉を舐める。


 鷲は、幼女の顔で笑った。

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