鳥の章

――お父様、駝鳥シュトラウスは鳥なのに飛べないのですよね。飛べない鳥は、哺乳類や爬虫類とどう違うのでしょうか。

――そうだな、一般的には、羽毛と嘴があり、硬い卵から生まれるものを鳥と呼ぶね。ああ、卵といえば。魚や蜥蜴は雌が直接仔を産むものもいるが、鳥は必ず卵から生まれるんだよ。

――なんだか、よくわからなくなってしまいました。

――混乱させてしまってすまない。つまり、人間が鳥のようだと思う生物を鳥と呼ぶんだ…………しまった、余計に混乱させてしまったかな。



 ぼんやりと幼い頃の記憶を反芻しながら、荊凍ケイテは廊下を歩いていた。食堂の方から何やら人の声がする。半開きの引き戸に近付いて中を見れば、がらんとした食堂で、例の少年四人が机を囲み、背後に紫晶華ショウカが立っていた。机には皿に乗った卵。


 卵が割られると、すっかり茹で上がった雛が、文字通り顔を出した。頭部にはうっすら毛が生えている。頭の周囲以外の箇所は、まだ卵白、あるいは卵黄の状態である。

 一番乗りの斑雲むらくもが雛の頭に齧り付いた。頭の花はピンクのプルメリア。鋸浦が引き攣った顔でその様子を見る。

「なぜこんな残酷なことができるのです」

 霜銀ソウギンが殻を割りながら言う。

「残酷も何も、君だって卵や鶏肉を食べるだろう」

「鶏はきちんと締めてから食べる。これは生きたまま茹でるようなものじゃないか」

 今にも泣き出しそうな潤んだ目の鋸浦に、紫晶華ショウカが声を掛ける。

「栄養価は高いわよ。単なる迷信じみた薬膳というわけでもないの」

 荊凍ケイテは戸を引いて食堂へ入った。

「何の騒ぎでしょう」

「新しい料理の試食よ。卵は良質な脂質を含む一方、こうすると蛋白質の比率が高まるわ。成長期の彼らに必要なものね。評判が良ければ患者にも出そうと思ったのだけれど」

 紫晶華ショウカが少年たちの様子を窺う。鋸浦と霜銀ソウギンは忙しく口を動かしている。卵の中身を平らげた斑雲むらくもが「もっと食べたいな」と言った。

「鶏舎の運営が順調にいけば……味は気に入ってもらえたようね」

 紫晶華ショウカが微笑んだ。「待つのか……」と呟いた斑雲むらくもに、霜銀ソウギンが言う。

「なら、卵を獲ってくればいい。実は、鳥の巣がたくさんある場所を見付けたんだ。飛行場に行く途中の道から逸れたあたりだ。一緒に行かないか」

 斑雲むらくもはプルメリアを髪から取り、花弁を毟り始めた。あっという間に五枚の花弁が散った。

「あの方角は駄目だ、よくないことが起きる」

 断られて不満げな顔の霜銀ソウギンに、棘途キョクトが言う。

「なら俺が。卵は食べたい。明日の仕事は午後からだから、朝のうちに行こう」

「ああ。卵が割れると困るから、椰子の繊維を袋に詰めていこう」

 計画を立てる二人を、荊凍ケイテが苦い顔で眺める。それに気付いた霜銀ソウギンが居心地悪そうに言う。

「手榴弾も銃も使いませんよ。それなら構わないでしょう」

「そうだな。卵は使い出があるし……ぼくも欲しいくらいだ」

 棘途キョクトが、ぱっと顔を輝かせ「でしたら、荊凍ケイテ先生もご一緒にいかがでしょう」



*****



 反り立った崖の腹に灌木が這う。荊凍ケイテが見上げると、そのうちのいくつかに小枝で出来た鳥の巣があった。張り出した


「思っていたより高いな。それに大きい。巣には近付かない方がいいだろう。あとで射撃が得意な者に親鳥を撃たせにでも来させよう」

 荊凍ケイテの言葉を無視して、霜銀ソウギンは岸壁に這う樹を登りはじめた。枝のずっと先には、一際大きな巣があった。

棘途キョクト、早く来いよ」

「鷹か鷲かもしれない、危ないぞ」

「そうだ、特に君はまだ無茶をしない方がいい。X線写真で骨折は見つからなかったが、小さなヒビや助軟骨は写らないし……」

 そうこう言う間にも霜銀ソウギンは上へ上へと進む。溜息をつく荊凍ケイテの袖を棘途キョクトが引く。

「あの、先生……」

 棘途キョクトが指した先に、腰ほどの高さの巨岩があった。荒く磨かれた上面は寝台ほどの面積がある。側面の凹凸に、赤黒い汚れがいくつもこびりついていた。棘途キョクトが肩を震わせはじめた。

 不意にバサバサと羽音を立て岸壁の巣から一斉に鷲が飛び立った。荊凍ケイテが見上げると、幾羽もの鷲が上空を旋回している。耳を刺す甲高い笛のような鳴き声が幾重も重なって岸壁に谺する。ピイィ、ピイィ、そして鳴き声に混ざり、霜銀ソウギンの悲鳴が響いた。

 ハッとして荊凍ケイテは巣に目を向けたが、枝葉の陰で霜銀ソウギンの姿は見えなくなっていた。

「メカクレ!」荊凍ケイテが振り向き、背後の樹上へ呼び掛けた。

「あれは鷲の巣」声が降ってきた「近寄りとうない」

 荊凍ケイテは歯軋りすると鳥の巣を見上げ、そこへ繋がる樹を攀じ登り始めた。高さはあるが都合いい位置に枝があり不思議とすいすい身体が進む。まるで山中の獣道、あるいは逆様さかしまの蟻地獄――――

 小枝を寄せ集めた椀型の巣に辿り着くと、中は空っぽだった。かわりに、岸壁に昏い孔が空いており、奥から物音がする。荊凍ケイテは拳銃を抜き、横穴に足を踏み入れた。

 ゆっくり進むと、天井から吊るした布で奥と仕切られた空間があった。中央に湯呑みの載った座卓があり、壁際には缶詰の空き缶が積まれている。布の裏の様子は見えないが、揺らぐ灯りと子どもの啜り泣き、それと、ぎぃこ、がぎぃ、鋸で硬い物を挽くような音が漏れていた。

 布の中央には切れ目があった。荊凍ケイテは伸ばした手の先、そうっと銃口を布の間に差し入れた。

 布の隙間から、正面の壁にだらりともたれて座る小さな人影が見えた。胸には深々と銃剣が刺さり、割れた眼鏡がランタンのを反射する――鋸浦だった。前に投げ出された脚は片方が膝までしかなく、もう一方の脚の上には、オレンジの羽根を髪に挿した斑雲むらくもが屈み込み、鋸を挽いていた。

 荊凍ケイテが布をばさと捲って奥に飛び込んだ。拳銃を斑雲むらくもに向ける。

「やめろ」

「別に、もう死んでますよ」

 荊凍ケイテの足元では腰を抜かした霜銀ソウギンが座り込み啜り泣いている。荊凍ケイテがカラカラに乾いた喉から絞り出すように言う。

「他の者も、君が……」

「ええ」

 答えながらも斑雲むらくもは手を止めない。床の血溜まりは広がっていく。

「何故」

百開千成ももひらきせんなり様への捧げ物です」

「そんなことをして何になる……蛇に呑まれた者もか」

「まさか。間抜けな脱走兵なんか知ったことではありません」

「なら、アルフは……」

「ああ、捕虜の。目障りなんですよ、あちこち嗅ぎ回る蛇もその飼主も……」

 地の底で渦巻いて唸る風のような声で、斑雲むらくもが続ける。

「鳥に喰われてしまえばいい……」

 洞窟の外で、大きな羽ばたきが聞こえた。荊凍ケイテが入口に駆け寄って外を見ると、鷲が近付いてきていた。それは、荊凍ケイテがこの島でも図鑑でも見たことがないような巨大な羽根を持っており、頭から腰は、人間の少女のような姿形をしていた。

 遥か足元では、棘途キョクトが悲鳴を上げて駆け出した。

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