鳳梨
無影灯の下で、
床のバケツでは、切り落とされた腕が骨と筋肉の断面を晒している。持ち主の顔を見なければ性別も判然としない、肘関節の小さな子供の腕だった。壁際の流し台では、衛生兵が血で汚れた外科用鋸を洗う。
看護師は次に、台へ並んだメスや鉗子を片付け始めた。しかしすぐに、金属が触れ合う音を掻き消して、窓の外から遠い爆発音が響いた。
「空襲でしょうか。警報は鳴っていませんが……最近増えてきましたね。この子だって……」
「そうだな、高射砲陣地もいつまで保つか……いや、待て、あの方角は……」
湖弓がカーテンを引いて外を見た。夕陽の残り火が密林の林冠を縁取る薄闇、遠くで煙が上がっている。
「入江の方だ。手榴弾で魚獲りをしているな。以前に怪我人が出たのと弾薬の節約のため、禁止令が出たのだが。おそらくあの四人だろう。涼康班長がデング熱で入院しているからといって、気が緩みすぎだ」
針を置いた
「なんだ」
「軍紀の乱れは今に始まったことではないので、監督者の存在を失念しておりました」
はぁ、と湖弓が溜息をつく。
「彼自身の仕事に加えて多数の若葉兵を見る必要があるから、目が行き届かないことも多いだろう……」
そう言いながら湖弓は傷口の縫い目を改めた。
「よし、上出来だ。ここはもういいから、彼らに注意してきてくれないか。君は彼らに懐かれているだろう。次は反省室送りだと言っておいてくれ」
「はい」
「彼ら喧嘩も多いですが、企みごとは一緒ですね」
「まだ子供だからな」
*****
海岸へ続く星明りの道を、
「敵がいないかは、わからないか」
「火薬の匂いなら、海の方から」
「そうだろうな」
歩く内、視線の先に浜が見えてきた。ランタンの灯りと人影もある。
「待て、あちらの方からも」
メカクレが椰子の上で止まり、密林の中を指した。
「人間の男……しかし何やら妙な匂い」
「誰か!」
「動くな!ストップ!」
風が吹いて、男の上半身を隠していたバナナの葉が揺れた。男は両手を挙げていたが、次の瞬間その場に伏せた、ように見えた。
暫し耳鳴りに苛まれた後、ごくりと唾を呑むと、そうっと密林に爪先を差し入れた。そのとき〝No!〟再び男の声がして
「これは異人か。気を失っておる」
蘇鉄の上に座るメカクレの胸元からミドリが顔を出し、ちろちろと舌を動かしたが、すぐに顔を引っ込めた。
入り江の方から、少年たちの声が近付いてきた。ひらりとメカクレが高い枝に登った。
まず鋸浦がやって来た。肩で息をしながらランタンを翳し、倒れた男を覗き込み、ひっと声を上げた。
「初めて見ました……大きい……
「
「そうですか……ところで、先生はなぜこんなところに」
「君たちが禁止されている手榴弾での魚獲りをしているので注意してきてくれと、湖弓大尉に言われてな」
鋸浦が俯いて口を引き結び、眼鏡の下で居心地悪そうに目を
「捕虜〝も〟とはなんだ」
「怪我をして密林を彷徨っていた友軍兵士を見付けたのです。爆発の音を聞きつけたのか、密林の中から現れて助けてくれというので……」
*****
夜光虫が汀を青白く縁取る入り江。
白い砂の上、手足を縛られた痩躯の若い男がだらしなく座る。ずり落ちそうな斜被りのベレー帽が影を落す眼には生気がなく、高い鼻が目立つ。
「なあ、病院が近いんだろう」
自身の脚を目で指しながら男が言った。脛には包帯、足首には細い鎖が巻かれている。
三等兵から少し距離を取って、寝息を立てる
道の方から、
「魚ではなく、捕虜と脱走兵を捕らえるとはな」
湖弓の言葉に、
「あの、魚も」――――
「だから脱走兵ではなく、空襲から逃げるうちに部隊からはぐれたと言っているではありませんか」
「態度の大きな三等兵だ。期限は二日前だったな。危ないから
湖弓が言い、小銃を構えた兵が歩み出ると、入れ替わりで
「それ、やめてもらえませんかね。射つと元気が出なくなるんです。せっかく爆撃を生き延びたのに、今度こそ死んでしまいます」
「抗アンドロゲン作用薬の持続注射剤だ。副作用で倦怠感が出ることもあるが死にはしない」
腕に針が突き立てられ、三等兵が小さく呻いた。
「彼は」
「捕虜収容所までは距離があるから、あの容態だと移送が難しい。一旦は病院の空き部屋に入れる」
「俺もその捕虜と一緒に連れて行ってくれ……」
三等兵が言った。衛生兵が足首の鎖についているロケットペンダントのような部品を開け、中の布片を入れ替えた。赤い糸で日付が粗く縫い取られている。
「まずは野戦病院で治療を受けろ。契約書の通り、余程の重症でければ、非武装の軍属職員がいる兵站病院では受け入れられない。うちは女性と子供が多いから尚更だ」
三等兵は「女が多いならやっぱりそちらがよかった」と言い残し、脇を固めた兵に半ば引きずられるよう、去っていった。
湖弓は、子供……と呟いてから、少年たちへ向き直った。
「そうだ君たち、次にやったらまとめて反省室送りにするからな」
少年たちは謝罪したが、湖弓が後ろを向くと、
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