鳳梨

 無影灯の下で、荊凍ケイテが針を進める。傘の内側に貼られた銀の反射板が、中央の電球が放つ光を乱反射させ、白い覆布おおいぬので覆われた患者の身体をぼうっと照らしている。唯一肌が見えるのは、上腕のみ。切断面に被せるよう引き伸ばした肉と皮膚が乗っており、残りは皮膚の縫合のみだった。

 床のバケツでは、切り落とされた腕が骨と筋肉の断面を晒している。持ち主の顔を見なければ性別も判然としない、肘関節の小さな子供の腕だった。壁際の流し台では、衛生兵が血で汚れた外科用鋸を洗う。

 荊凍ケイテの横には湖弓が立ち、荊凍ケイテの針さばきと、滴下されるエーテルを交互に観察する。湖弓の指示で看護師が点滴器を操作すると、患者に睡りをもたらしていた雫が止まった。

 看護師は次に、台へ並んだメスや鉗子を片付け始めた。しかしすぐに、金属が触れ合う音を掻き消して、窓の外から遠い爆発音が響いた。

「空襲でしょうか。警報は鳴っていませんが……最近増えてきましたね。この子だって……」

「そうだな、高射砲陣地もいつまで保つか……いや、待て、あの方角は……」

 湖弓がカーテンを引いて外を見た。夕陽の残り火が密林の林冠を縁取る薄闇、遠くで煙が上がっている。

「入江の方だ。手榴弾で魚獲りをしているな。以前に怪我人が出たのと弾薬の節約のため、禁止令が出たのだが。おそらくあの四人だろう。涼康班長がデング熱で入院しているからといって、気が緩みすぎだ」

 針を置いた荊凍ケイテが、班長……と呟いた。

「なんだ」

「軍紀の乱れは今に始まったことではないので、監督者の存在を失念しておりました」

 はぁ、と湖弓が溜息をつく。

「彼自身の仕事に加えて多数の若葉兵を見る必要があるから、目が行き届かないことも多いだろう……」

 そう言いながら湖弓は傷口の縫い目を改めた。

「よし、上出来だ。ここはもういいから、彼らに注意してきてくれないか。君は彼らに懐かれているだろう。次は反省室送りだと言っておいてくれ」

「はい」

 荊凍ケイテ琺瑯ホーローの洗面器でゴム手袋を着けた手を洗う。淡い琥珀色のクレゾール消毒液が、さっと薄赤に染まった。マスクの薄布越しに煙りっぽい刺激臭が広がる。

「彼ら喧嘩も多いですが、企みごとは一緒ですね」

「まだ子供だからな」



*****



 海岸へ続く星明りの道を、荊凍ケイテが歩く。左右の密林は、虫や鳥の鳴き声が騒がしい。

「敵がいないかは、わからないか」

 荊凍ケイテの声に呼応して、道に垂れ掛かる椰子の葉が、がさりと鳴る。

「火薬の匂いなら、海の方から」

「そうだろうな」

 歩く内、視線の先に浜が見えてきた。ランタンの灯りと人影もある。

「待て、あちらの方からも」

 メカクレが椰子の上で止まり、密林の中を指した。荊凍ケイテも立ち止まり銃を抜いた。密林に向けて伸ばした腕の先、片手で持つ大型の自動拳銃がずしりと重い。メカクレは舌を出し入れし、首を傾げた。

「人間の男……しかし何やら妙な匂い」

 荊凍ケイテは息を潜めて密林を見詰める。風に揺れる葉や蔓、枝々を行き交う小鳥。動く影は多かった。その中で動く、人間の頭があった。

「誰か!」

 荊凍ケイテ誰何すいかに、密林の奥から、荊凍ケイテが聞き取れない言葉で男の声が返ってきた。荊凍ケイテが息を呑む。鳥の声は急に遠く聞こえ、呻くような男の声は顔の前で鳴るとも錯覚した。方角も距離も――近付いているか否か――も判らなかった。

「動くな!ストップ!」

 風が吹いて、男の上半身を隠していたバナナの葉が揺れた。男は両手を挙げていたが、次の瞬間その場に伏せた、ように見えた。荊凍ケイテの位置からは草に隠れて男の身体は見えなくなっていた。声も止んだ。荊凍ケイテの耳が再び虫の声を捉え始めたが、今度は耳鳴りのように痛く刺さった。

 暫し耳鳴りに苛まれた後、ごくりと唾を呑むと、そうっと密林に爪先を差し入れた。そのとき〝No!〟再び男の声がして荊凍ケイテの身体が固まった、が、すぐ脱力した。〝のう、ケエテ〟メカクレの呼び掛けだった。

「これは異人か。気を失っておる」

 荊凍ケイテが拳銃を構えたまま、羊歯シダを踏み分けて進む。地面に男の元へ辿り着くと、夜闇でも分かるほど顔が真っ赤だった。痩せ細った長い躰を上下つなぎのフライト・スーツが覆っている。片脚には枝を組み合わせた手製らしき添木が括られていた。

 蘇鉄の上に座るメカクレの胸元からミドリが顔を出し、ちろちろと舌を動かしたが、すぐに顔を引っ込めた。

 入り江の方から、少年たちの声が近付いてきた。ひらりとメカクレが高い枝に登った。

 まず鋸浦がやって来た。肩で息をしながらランタンを翳し、倒れた男を覗き込み、ひっと声を上げた。

「初めて見ました……大きい……自由国NUL兵か、それともノバ・アウステラN・A兵でしょうか」

 荊凍ケイテは右手で拳銃を男の顔に向けながら、左手で男の胸からドッグ・タグを探り出した。掲げてランタンの灯りで読む。

自由主義者連合国Nation of United Liberalits海軍、アルフ・シュトラウス。認識票が錆びている。おそらく海で墜落しあと流れ着いて、怪我で動けずにいる間にデング熱かマラリア、もしくはロブラに罹ったのだろう。不用意に触れるなよ」

「そうですか……ところで、先生はなぜこんなところに」

「君たちが禁止されている手榴弾での魚獲りをしているので注意してきてくれと、湖弓大尉に言われてな」

 鋸浦が俯いて口を引き結び、眼鏡の下で居心地悪そうに目をしばたかせた。その背後から、垂れ下がる蔓を掻き分けながら棘途キョクトが顔を出し、「捕虜もですか」と言った。

「捕虜〝も〟とはなんだ」

 荊凍ケイテが眉を顰めた。鋸浦が気まずそうに言う。

「怪我をして密林を彷徨っていた友軍兵士を見付けたのです。爆発の音を聞きつけたのか、密林の中から現れて助けてくれというので……」



*****



 夜光虫が汀を青白く縁取る入り江。


 白い砂の上、手足を縛られた痩躯の若い男がだらしなく座る。ずり落ちそうな斜被りのベレー帽が影を落す眼には生気がなく、高い鼻が目立つ。

「なあ、病院が近いんだろう」

 自身の脚を目で指しながら男が言った。脛には包帯、足首には細い鎖が巻かれている。荊凍ケイテは応えず男に銃を向けたたまま見下ろす。彼の帽子には帽章がなく、襟には三等兵の階級章と、赤い丸印。

 三等兵から少し距離を取って、寝息を立てる自由国NUL兵が横たわっている。銃剣を持った鋸浦と棘途キョクトが両脇に立つ。

 道の方から、霜銀ソウギン斑雲むらくもの先導で、湖弓が歩いてきた。後ろには軍医や兵士を伴っている。全員が成人の男性だった。

「魚ではなく、捕虜と脱走兵を捕らえるとはな」

 湖弓の言葉に、霜銀ソウギンがバケツを差し出す。

「あの、魚も」――――

「だから脱走兵ではなく、空襲から逃げるうちに部隊からはぐれたと言っているではありませんか」

 霜銀ソウギンを遮って三等兵が言い、霜銀ソウギンはふてくされた顔でバケツを引っ込めた。中にはびちびちと跳ねる、青や黄色の熱帯魚が入っていた。横で見ていた斑雲むらくもの腹が、ぐぅと鳴った。

「態度の大きな三等兵だ。期限は二日前だったな。危ないから荊凍ケイテ君は下がっていてくれ」

 湖弓が言い、小銃を構えた兵が歩み出ると、入れ替わりで荊凍ケイテは脇に避けて拳銃を降ろした。次いで注射器を持った若い軍医と、衛生兵が前へ出た。

「それ、やめてもらえませんかね。射つと元気が出なくなるんです。せっかく爆撃を生き延びたのに、今度こそ死んでしまいます」

「抗アンドロゲン作用薬の持続注射剤だ。副作用で倦怠感が出ることもあるが死にはしない」

 腕に針が突き立てられ、三等兵が小さく呻いた。

 荊凍ケイテは担架に乗せられる自由国NUL兵を目で指しながら湖弓に尋ねる。

「彼は」

「捕虜収容所までは距離があるから、あの容態だと移送が難しい。一旦は病院の空き部屋に入れる」

「俺もその捕虜と一緒に連れて行ってくれ……」

 三等兵が言った。衛生兵が足首の鎖についているロケットペンダントのような部品を開け、中の布片を入れ替えた。赤い糸で日付が粗く縫い取られている。

「まずは野戦病院で治療を受けろ。契約書の通り、余程の重症でければ、非武装の軍属職員がいる兵站病院では受け入れられない。うちは女性と子供が多いから尚更だ」

 三等兵は「女が多いならやっぱりそちらがよかった」と言い残し、脇を固めた兵に半ば引きずられるよう、去っていった。

 湖弓は、子供……と呟いてから、少年たちへ向き直った。

「そうだ君たち、次にやったらまとめて反省室送りにするからな」

 少年たちは謝罪したが、湖弓が後ろを向くと、斑雲むらくもは腰から提げた手榴弾を手に取り、無表情で齧った。表面に鳳梨パイナップルのような凹凸のある円筒形。鋳鉄に歯が当たり、カチカチと音がした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る