クコの実

 鈍く輝くペトロール・グリーンの水を湛える川には、桟橋のように突き出した台が掛かっており、その上で少年たちが洗濯に勤しんでいる。

 荊凍ケイテは丘のような高い土手を、少年たちと反対側、上流に向かって歩く。小さな赤い実をたわわに実らせる灌木が茂る中、目指す紫の髪を見付けた。


「これは何でしょう」

 籐の籠に実を摘み入れていた紫晶華ショウカが、荊凍ケイテに振り向いた。ベレー帽から伸びて波打つ薄紫の髪が、ふわりと揺れる。

「クコの実よ。乾燥したものは見たことあるのではないかしら。ここで育てたものを病人の粥なんかに入れているの。回復期の滋養にいいわ」

「生だとこのような色形なのですね。トマトを小さく、細長くしたような」

 荊凍ケイテがクコを一粒摘んだ。指で押すと弾力があり、艶のある厚い皮が午後の陽を浴びて輝く。

「トマトと同じナス科なのよ。花は、少し茄子に似ているかもしれないわ」

 実の合間には、紫の小花が咲いていた。反り返る紫の花弁から雌蕊や雄蕊が飛び出す様子は、たしかに茄子に近いところがあった。

「ナス科は薬効あるアルカイドを含むものが多いと聞きます」

「ええ。クコはまだ西洋科学での研究が進んでいないけれど、おそらく植物アルカロイドが重要な役割を果たしているようではあるの」

 荊凍ケイテ紫晶華ショウカに並んでクコを摘み始めた。紫晶華ショウカが手に提げる籠の底を、赤い実が埋めつつあった。

「ナス科なら、たとえば伽羅カラ朝顔アサガオは、麻酔にもなりますが量が多ければ中毒死することもあります。毒と薬の区別は恣意的です」

「そうね」

「……生と死の区別は、恣意的でしょうか」

「昨日の患者のことかしら。難しい問いね」

 紫晶華ショウカは木陰に屈み込み、手を動かし続けている。それから暫く、荊凍ケイテも黙ってクコを収穫した。

「……もう一人いるのですか」

 籠の半分ほどが赤い実で満ちたころ、荊凍ケイテが口を開いた。手は止めずに紫晶華ショウカが返す。

「何の話かしら」

「行方不明者です」

「ええ、まだ高射砲部隊の兵が一人行方不明と聞いているわ」

「たしか以前、最初の少年が死んだとき、あと二人、と」

「そうだったわ。ごめんなさいね、最初の三人が失踪したあと、私が司令部へ行っている間にもう一人行方不明になっていたの。あのときはまだ知らなくて」

「そうでしたか。これは失礼いたしました」

 荊凍ケイテが傷んだ実を摘み上げ、 眼下の川へ投げ捨てた。

「度々司令部へ行かれて、お忙しいようです」

「ええ、研究結果を報告しに行っているの」

 荊凍ケイテが小首を傾げた「研究成果……」

「漢方でのロブラ治療についてよ。漢方の軍医学への応用を目指す研究会があって、司令部にも会員がいるの。私の研究も気に掛けてくれているわ」

 紫晶華ショウカはクコの実が詰まった籠を持って立ち上がった。手を庇に空を見上げて目を細める。

「折衷会、と言うの。クコの栽培状況も彼らに好評よ。北海道ではうまく育たないけれど、熱帯の太陽は気に入ったみたい……」

「この陽射しは、植物によくようです」

 荊凍ケイテも立ち上がって空を見たが、ぐらりと目眩がしてすぐにしゃがみ込んだ。目を瞑っても、オレンジの光が残像のように瞼の裏から刺す。

「あら。熱射病かしら。大丈夫……」

「失礼、少し陽を浴びすぎたようです。夕方、手術がありますので、それまで少し休みます」

「高射砲陣地の方は空襲も増えてきて、外科は大忙しね、御苦労様」

 瞼の下で明滅するオレンジの光、それから赤い実、紫の花と……髪。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る