実の章

 小屋の跡地は畑になった。少年たちが耕して「早ク実ガ成リマスヤフニ」と記す木片を立てた畑に、巨大なが成った。

 若葉の並ぶ畝を潰して鎮座するそのココナッツは、高さが荊凍ケイテの腰まであり、天辺から少年の首が生えていた。


 は、周囲を囲む少年たちの問い掛けにも答えず、高い陽を浴びても瞳孔が散大したままの目は不規則に時折瞬く。色白の幼い顔立ちに長い睫毛が上下する様は、寝かせると瞬く仕掛け人形を想起させた。

 荊凍ケイテが首に触れるとひやり冷たく脈もない。呼吸もなかった。根元に手を伸ばし、殻の表面を覆うふしゃふしゃとした繊維を指で避けると、首は確かに殻へ埋まっていた。その先――殻は、身を屈めた大人を収めてなお余るほどの大きさだったた。

 二人の少年が両手挽のノコギリの端をそれぞれ持ち、汗だくになりながら歯を往復させている。しかし鋸の歯には繊維が絡まり、遅々として切り進まない。殻は表面だけでなく、断面にもぎっしり繊維が詰まっていた。

 用務員が斧を担いでやって来た。

「埒が明きません、先生は下がっていてください」

 荊凍ケイテも少年たちも、ココナッツから距離を取った。

 用務員が刃を実の肩に当て、狙いを定めると控えめに振り下ろした。鋸よりは深く刃が入ったものの、まだ殻が割れる気配はない。少年の首は相変わらず不規則な瞬きをするばかりで、変化はない。再び斧が振るわれた。斜めに勢いよく刃が刺さり、ぷしゅ、と音がして液体が噴き出した。飛び散った汁が土を濡らす。

 一人の少年が悲鳴を上げてへたり込んだ。荊凍ケイテが駆け寄ると、脛の皮膚が爛れ、じゅわじゅわと蒸気が昇っていた。

「酸だ!ココナッツに近付くな!」

 荊凍ケイテは野次馬の一人から水筒を引ったくり、少年の脚へ水を掛ける。

「水をもっと!」

 叫ぶ荊凍ケイテの背後で、みしり、と音が鳴った。ぞわりと全身が総毛立ち、怪我人を抱えて駆け出した。ばきり、という音に振り向くと、殻の裂け目が大きく拡がっており、すぐ真っ二つに割れた。ばしゃりと酸が溢れ、生首の載る上側の殻が地面へ落ちた。殻の内側は白い胚乳になっており、そこに半ば埋もれた首の断面が見えていた。

 飛び交う悲鳴の中、荊凍ケイテは担架を持つ衛生兵を探し出した。脛が爛れて黒く焦げた少年を担架へ寝かせた。担架を持って歩き出す衛生兵に言う。

「早く病院へ。ぼくもすぐ追いかける」

 荊凍ケイテは地面の乾いた場所を慎重に選んで歩き、ココナッツに近付いた。

 斜めに割られた下側の殻は、透明な汁を湛え、ごろりと揺れるたびに、ばちゃりと酸が溢れ、地面を流れる酸は蒸気を上げて若葉を呑み込んでいく。汁の中には、どこの部位とも知れぬ小さな骨片のようなものが幾つも浮かんでいた。また、汁が飛び散る周囲の土にも、同様の欠片が転がっていた。

 上側の殻の天辺から飛び出す首は、この騒ぎにも動じず、瞬きすらしなくなっていた。

「また百開千成ももひらきせんなり様への供物が一つ」

 喧騒の中でも通る艷やかなテノールが謳った。



*****



 琺瑯の洗面器に、目を閉じた生首が仰向けに収まっており、傍らにはココナッツ殻の破片が散らばる琺瑯のトレイがある。

 荊凍ケイテ鑷子ピンセットで殻を摘み上げ、湖弓が視線を注ぐ。分厚い断面は、繊維質の外殻の内側に白い胚乳があり、その上は半透明でガラス光沢を持つ層が覆っている。

「単子葉類の一部、イネ科やヤシ科などでは、珪素を大量に土壌から吸い上げることで茎や幹の強度を保ちます。微細なガラス質の組織を持つこともありますが、巨大なガラス質の内殻とは聞いたことがありません」

「もちろん俺もだ。ましてや人を呑み込むなぞ……」

の仕業だとお考えでしょうか」

 鑷子ピンセットを置き、荊凍ケイテは生首の髪を探り始めた。根本からオレンジ色の繊維を取り出し、トレイに置いた。

「また鳥の羽、か。率直に言って、お手上げだ」

「もしこれが南洋特有の事象なら、他の部隊で知見がないでしょうか」

「院長曰く、外部に情報を出すには時期尚早、とのことだ」

 荊凍ケイテは溜息をついた。物言わぬ首を見て湖弓が言う。

「しかし、彼はいつ死んだのだと思う」

「わかりません。脈も呼吸もないのに瞬くのは皆が見ていましたが、こちらの問い掛けとは無関係の不規則な動きでした。まるで、電気を流されて痙攣する、蛙の死体のような」

「生命の定義から始めなければならんようだ。外科医の手には負えんぞ」

 湖弓が今度は実際に両手を挙げた。荊凍ケイテがトレイに並べたものを硝子壜に収めながら言う。

「しかし、行方不明者もこれで終わりですから、不審死もこれが最後と願いたいものです」

いや、まだ一人いるが」

 荊凍ケイテが眉を顰めた。

紫晶華ショウカ少佐が仰っていたのですが……」

「おかしいな。少佐もご存知のはずだが。お忙しいので数え間違えたのかもしれない」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る