人造樹脂

 医師詰め所の机に、鼠やヤマネが描かれた紙が広げられている。荊凍ケイテが絵の上に、朱墨で×バツ印を描いていく。部屋に入った硫咲イサキが目を留めた。

「それは何だ」

「啓発ポスターです。湖弓大尉のご指示で。絵は、棘途キョクトに頼みました」

「彼らは残念だった。なにせあのあとは……」

「最終的に同室の者は全員が感染し、飼い主の少年は二週間後に〝溶解〟、同室の者も数名、後に続きました。死は免れても、失明した者や脳症の後遺症で歩けなくなった者もいます」

 荊凍ケイテは紙に、白子のヤマネに注意、云々……と書き込んでいく。

「ヤマネ禁止を軍隊生活の基礎だと心得てもらいましょう。ポスターも各部隊に配布して掲示させます。ポイ捨て禁止、火気厳禁、ヤマネ絶対厳禁、というわけです」

 荊凍ケイテが筆を置くのと同時に、鐘が響いた。火事だ、と叫ぶ声もする。

 墨も乾かぬ紙を掲げて荊凍ケイテが言う。

「このポスター、燃やした方が良さそうですね」

「濡らして口に巻くべきかもしれんな」



*****



 荊凍ケイテが到着した時には、闇空を衝く炎が小屋を包んでいた。密林の中にぽっかり拓けた広場、その中央で火が猛り、周囲を野次馬や消火する者が取り囲む。

 荊凍ケイテが湖弓大尉を見つけて近付くと、若い軍医や衛生兵たち――全員が成人男性――に滔々と語っている。

「セルロイドは高温下で自然発火する。度々火災を引き起こしており、軍医部の頭痛の種だ」

 小屋の近くでは兵士たちが荷車に乗せた手押しポンプを操り、炎に水を浴びせている。風に乗った飛沫しぶきが、鉛筆でメモを取る軍医の手を湿らせた。

「君たちの中にも伝染病を恐れて人形を忌避する者がいることは承知しているが、人形の管理業務は我々について回るため、小屋の防火についても勉強してもらいたい」

 湖弓が周囲を指しながら言う。

「林を伝って兵舎に延焼した例もあり、現在はこのように小屋周りの樹は伐採することとなっている」

 一歩離れた場所でちらちら聞いていた荊凍ケイテも周囲を見回した。闇に舞う火の粉が密林との境にある夾竹桃にぱらぱら降りかかるが燃えてはおらず、夜の密林は普段通りに黒々としている。

「一方、独自の取り組みとして、防火力の高い夾竹桃を植えている。見たところ、効果は評価できそうだ。丈夫だしよく育つので、他の燃えやすい植物が茂ることも防げる。ああ、ちなみにこれは彼の提案だ」

 湖弓の視線の先に、斑雲むらくもが茫然と立っている。ごう、と吹いた熱風が、髪に挿したプルメリアを落とした。隣に立ったいた霜銀ソウギンが拾って渡そうとしたが、斑雲むらくもは立ち尽くすばかりで、差し出された手を無視した。

 斑雲むらくもがバケツの水を被り、ふらりと小屋に向かい歩き出した。霜銀ソウギンが羽交い締めにして止める。

「諦めろ。セルロイドは真っ先に燃えているはずだ。もう使い物にならない」

「それならぼくも一緒に燃やしてくれ」

「莫迦を言うな!人形と心中なんて」

「黙れ。彼女たちこそがぼくを導き、祈りを受け止めてくれる百開千成ももひらきせんなり様の御使いだ。肉の女を崇める不信心者にはわかるまい」

「何を言う、ぼくがお慕いするのは高貴なる石の乙女……」

 斑雲むらくも霜銀ソウギンの細い腕を振り払った。駆け出そうとしたが、すぐに大人の兵士に捕まった。大柄な男の腕の中で藻掻きながら凄みのある低い声で言う。

「気付いていないとでも思ったか、看護師の」――――

 霜銀ソウギンが猫の断末魔のような悲鳴を上げ、斑雲むらくもに殴りかかった。が、拳が届く前に他の少年たちが群がって彼を押し留めた。

 遠巻きに見ていた硫咲イサキの姿に気付いた荊凍ケイテが歩み寄り、声を掛ける。

「何を揉めているかよくわかりませんが、やはり、子供に人形を使わせるのは児童精神学上よくないと思いますね」

「跡地は運動場にでもしたらどうだ。その方が健全な気分転換になるだろう」

「上に進言してみますよ」

 夾竹桃の陰に、灼け焦げて表面の爛れた太腿が転がっていた。模倣品の割に存外、の火傷と似ているではないか、と荊凍ケイテは思った。

「そもそもセルロイドは南洋の気候に適さないのではないかという議論もあるが、木製は将兵からの評判が頗る悪く、また石膏セッコウの場合は」――――

 遠くでは、湖弓の夜間講義が続いていた。

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