石灰

 穴の底に並んだ死体へ、クロール石灰が撒かれていく。ガーゼのマスクを着けた荊凍ケイテが、湖弓と並んで穴の縁を歩く。


「発生源を探せ、と。まさかロブラヤマネを飼っているわけでもありませんし」

「ロブラ流行初期に戻ったような話だな。流石に今そんなことはないと信じたい」

「同じ部屋で寝起きしていますから、一人出れば同じ部屋で広まるのは自然と思いますが」

「発症者を隔離したあとも同室の者から患者が連続した。これまでロブラは潜伏期間中は他者への感染能力を持たないとされてきたが、そうではないか、もしくは別のがあるかのように思われて仕方がない」

「そうであれば、ロブラヤマネがどこかに潜んでいるのでは」

「実際、その可能性は高い。しかしあの宿舎は最近建てたばかりで、ヤマネの目撃情報がこれまで一切ない。もし見つけられたら手柄だ」

 少年たちがクロール石灰の上から土を被せていく。湖弓が声を低め、シャベルの音の陰で荊凍ケイテに言う。

「実は前に大人の兵士が、こっそり人形の交換パーツを持ち帰り、同室の者と使い回していたことがあった。同室の全員が罹患し、うち半分が死亡した」

 どさり、隣の穴に死体が落とされ、衝撃で眼球が飛び出した。

 荊凍ケイテがマスクの裏で小さくえずいた。

むごい死体には慣れているものと思ったが」

「死体より今の話のほうがよっぽど厳しいですね。回復後一月ひとつき以上経ってから妻へロブラを感染させた男の例もあります。自殺行為ですよ。しかし、の隠し場所なら湖弓大尉の方がお心当たりがあるのでは」

「実は既に一度行ったのだ。少なくともは見付からなかったが、どうも何かを隠している雰囲気があった。君は病院附きの若葉兵たちに懐かれているようだし、歳の近い者の方が心を許しやすいだろう。少し見てきてくれないか」

 真っ白になった骸を見下ろして、少年が泣く。



*****



 荊凍ケイテと鋸浦が居室に入ると、不安気な表情の少年たちが出迎えた。つややかな黒髪に紅い頬の、まだ幼さの残る少年が一歩前に出て言う。

「あの、先日も湖弓大尉がいらしたのですが……」

「おかしいな。湖弓大尉は別の棟を視察されたと聞いたのだが。割り振りが重複してしまったかもしれない」

 荊凍ケイテは大仰に首を捻ってみせた。

「まあ、せっかく来たのだし少しお邪魔させてもらうよ」

 荊凍ケイテが居室を歩き回り、部屋の左右に並ぶ寝台や、物入れの様子を観察する。鋸浦が掃除用具入れを開いた。箒やモップが立て掛けられている。黒髪の少年が言う。

「掃除は日頃から丁寧にしていまして。感染者が出たあとは消毒も徹底しております」

 荊凍ケイテも後ろから覗き込んだ。掃除用具の足元には、石灰の袋が積まれていた。鋸浦が扉を閉めた。

「よい心掛けだ。これからも継続してくれ。そうだな、居室はこれくらいにしてあとは調理場と」――――

 ドンドンドン、天井が三回鳴った。荊凍ケイテの肩がびくりと震えた。少年たちもやいのやいのと言いながら天井を見上げる。

「うわ」「いきなりなんだ」

「山猫でも潜んでいるのかもしれないな。鼠を取ってくれる益獣エキジュウだ」と荊凍ケイテ

「えっ鼠を……」

 黒髪の少年が、掃除用具入れの方を振り返った。荊凍ケイテの視線に気付くと、慌てて顔を前に戻した。

 荊凍ケイテが再び掃除用具入れを開いた。掃除用具は乱雑に立てられているが、石灰袋は積まれている。荊凍ケイテが石灰袋に手を掛けると、黒髪の少年が制止した。

「す、すみません、あの、実は……を……」

 少年が石灰袋をどかすと、竹で組んだ手製の虫籠があった。底のおがくずに半ば埋まって、白い背中が見えていた。

「ペットは禁止されているだろう」

「はい、でも……密林で道に迷い、喉が渇いて死にそうなときにこの子を見つけて、あまりに綺麗だったものでふらふら追いますと、清流に辿り着いたのです。それで、これは白冠媛しらかむりひめ様の御使いに違いないと思って連れ帰ったのです」

白冠媛しらかむりひめ様というのは……たしか名前は聞いたことがあるが」

「ぼくの地元では、川に水が絶えないのは、白冠媛しらかむりひめ様が冬に雪を降らせ、夏は山に積もった雪を守ってくださるからだ云われているのです」

 黒髪の少年が籠に手を入れ、丸まって眠る白い小動物を取り出した。透き通るような毛並みに短い尾。

「それに、ほら、こんなに可愛いでしょう」

 少年は童顔を綻ばせながら白い毛玉を荊凍ケイテの前へ差し出した。荊凍ケイテが顔を寄せると、鼠は鼻をひくひくさせ、ぱちりと目を開けた。すぐに立ち上がり、赤い瞳がきょろきょろ周囲を見回し、少年の腕を伝って走り出した。

 周囲で見守る少年たちが「逃げた!」と囃し、腕に鼠を走らせる少年は、

「先生は動物に好かれないのですね。お医者様なのに」と。

「獣医ではないんだ。医者は関係ないだろう。しかしおかしいな。特段動物から嫌われる性質たちではないと思うのだが。モモンガを飼っているし、昔は猫も飼っていた。それに」

 今回の旅にだって蛇を――――と言いかけたが思い留まった「いや、なんでもない」

「あの、今の鼠、目が赤くありませんでしたか……」

 鋸浦が震える声で言い、荊凍ケイテがはっとして鼠を見た。

 鼠は黒髪の少年の肩へ納まっており、血雫のような潤んだ瞳で主人を見上げる。同室の少年たちも笑顔で取り囲んでいる。飼い主は肩で毛繕いする鼠を指で撫でる。

「はい。赤い眼をしております。兎みたいで可愛いでしょう」

 荊凍ケイテの顔がさっと青褪めた。後退って叫ぶ。

「暢気なことを!ロブラヤマネだ!」

 肩に鼠を載せたままの少年は、指を彼のペットに舐めさせながら答える。

「何を仰るんです。全身真っ白でヤマネの一本模様もありませんし、尾だって短い」

「突然変異の白子アルビノだよ、尾はたぶん自切ジセツ……ヤマネの自切は蜥蜴とかげと違って再生しないから、尾は短いままになる……」

 鋸浦の言葉に、少年たちの顔も青褪めた。赤い眼をぱちくりさせるヤマネを指し、荊凍ケイテが言う。

「白兎の眼が赤いのと同じだ。あれは突然変異の個体を交配して固定化した品種だが、白子アルビノは兎に限らず野生動物でも稀に発生する。白兎や実験用二十日鼠ハツカネズミのように、毛は白く、眼は赤くなる」



*****



 クロール石灰が撒かれる部屋を見ながら、荊凍ケイテが鋸浦に言う。

「しかし石灰袋の陰にロブラヤマネとは、奇妙な巡り合わせだな」

「どういうことでしょう」

「ロブラの語源は知っているか」

「当時リスブラン領だった小天竺の、ロブランシュ島で発見されたからだと」

「そうだ。もう少し詳しく言うと、ロブランシュとはリスブラン語で白い水を意味するが、島に流れる石灰を含んで白く濁った川に因んで名付けられた」

「そうだったのですね」

 マスクを着けた荊凍ケイテが、白く霞んだ室内を周り、消毒に勤しむ少年たちの手際を点検する。鋸浦もぱたぱたと後ろについて回る。

「あの、今日はぼくを選んでいただきありがとうございました」

「君は動物に詳しいからな。白子アルビノを素早く見抜いたのは流石だ」

「お褒めいただき恐縮です」

 鋸浦は上擦った声で答えて俯いた。鈍色の髪の陰で、頬に赤みがさした。



*****


 荊凍ケイテの部屋、机上に置いた洗面器でミドリが身体を水に浸している。

 部屋の主は、洋箪笥ワードローブから、メカクレの抜け殻を引っ張り出した。鋏で細かく切り分け、小さな麻袋に入れる。洋箪笥ワードローブの中やベッドの枠などに吊るし、また箪笥の抽斗の奥にも入れた。

 仕事を終えた荊凍ケイテが椅子に腰を下ろし、ふう、と一息つくと、〝本体〟がぬるりとベッドの下から這い出した。荊凍ケイテの膝に登り、肩に手を掛ける。

「今日は助かった。遠くまでご苦労だった」

 細い牙が荊凍ケイテの頸に埋められた。頸から指先にかけて、すぅと冷える。細く開けた窓から吹く微温い夜風もひやり心地良く指先を撫でる。荊凍ケイテがふと小さな頭越しに自分の指先を見ると、まだ少し石灰が爪の間に残っていた。机の抽斗から爪切り鋏を取り出し、まず右手の中指と薬指を、白い部分が無くなるまで短く切った。じゅる、ちゅぱ、と鳴る水音を聞きながら、他の指も整えた。

 ぴちゃ、洗面器から控えめな水音。こちらはミドリが尾を揺らした音だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る