紫石英

 細長い机の上には、壁を埋める百味ヒャクミ箪笥ダンス紫晶華ショウカが、文字通り百はあろうかという小抽斗から、幾つか選んで抜き出す。百味箪笥の前には処方のメモを記したノートが開かれており、淡紫色の結晶が交差する紫水晶アメシストが、文鎮がわりに載っていた。

「それは紫水晶アメシストでしょうか」

「ええ。生薬としては紫石英シセキエイと呼ぶわ」

「石英も薬になるのですか」

「少なくとも古典ではね。白いものは白石英ビャクセキエイとして区別するわ。有名な方剤に含まれないから、西洋医にはあまり知られていないのだけれど」

 荊凍ケイテが首を傾げた。

「石英は二酸化珪素ケイソの結晶で、二酸化珪素は砂にも、空気中の塵にさえ含まれます。それに薬効がある、まして色は微量金属の差でしかないのに効能に差が出るとは……」

「実のところ、この二つは私も処方したことがないの。でも将来的に、その微量金属こそが大事と判明しないとも言い切れないわ」

 紫晶華ショウカは匙と秤で抽斗から生薬を量り取り、紙の小袋に分包していく。荊凍ケイテは顎に手を当て考え込む。

「占いも、将来的に科学的根拠が見つかるとお考えですか」

「……この間の話の続きといったところね」

 紫晶華ショウカが手を止めて、荊凍ケイテに向き直った。

「私も大学ではもちろん西洋科学を学んだわ。そこで気づいたの。人間が論理的と信ずる判断は、ときにランダム性を欠くの」

 荊凍ケイテは眉を顰め、怪訝そうな目で紫晶華ショウカを見た。

「当たるも八卦当たらぬも八卦と言うけれど、五分五分の試行を繰り返すと、勝率は五割に収束するわ」

 紫晶華ショウカはノートを引き寄せ、余白に白黒二色の、陰陽太極図を描いた。

「西洋医だって、かつては迷信めいた論理で逆効果な治療をして、患者を苦しめてきたでしょう。だと、誰が証明したかしら」

「……つまり、下手に考えるより、丁半でずっと丁に張り続ける方が勝てるということですか」

 紫晶華ショウカ莞爾にっこと微笑み「そういう場面もあるはずよ」

「それが陰陽思想なのですか」

「伝統的な陰陽思想とは異なるわね。古代人は本気で宇宙を二元論で説明できると信じていたのかもしれないわ。私は〝均等な機会の積み重ねから、白黒同面積の太極図が如き均衡が生まれる〟と解釈しているの」

 豊かな響きのアルトが、一人芝居のように滔々と語った。荊凍ケイテの身体を狭い部屋に反響した音が包み込む。ノートの太極図を見た。尾を引いて渦のように絡み合う白と黒。ぐらり、目眩がして、足が泥に沈み込むように錯覚した。

「……非科学的です」

「科学のすべてを否定するわけでないのよ。たとえば、数字や統計も大事にするわ」

 紫晶華ショウカがノートの間から書類を一枚抜き取り、荊凍ケイテに差し出した。

「少し前から、高射砲陣地構築部隊でロブラ患者が増え始めたの。ついては、湖弓大尉からあなたにお願いがあるそうよ。明日、彼から詳細な指示を聞いてちょうだい」

 表に並ぶ、黒インクでくっきりと書かれた数字。目眩は収まり、立つ床は頑丈な岩盤かのように感じた。荊凍ケイテはちらりと紫水晶アメシストを見た。もやもやとした濃淡の薄紫―――煙に巻かれたような気分で荊凍ケイテは薬局を出た。

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