果物

 物置を急拵えで病室に整え、ベッドを一つ捩じ込んだ狭い部屋。

 ぐぅ、と棘途キョクトの腹が鳴った。

 ベッドに横たわり、ぼうっとしていたアルフが、彼の腕を消毒していた棘途キョクトに何やら話し掛けた。棘途キョクトは首を傾げた。

「えっと、へんぐ……」

「Hungry.腹が減っているか、と聞いている」

 荊凍ケイテが説明し、棘途キョクトはアルフの方を見て首肯した。

「彼はさっき、はじめて手術の手伝いをしたんだ。だから昼食を食べていない」

 ハイマットラント語で荊凍ケイテが言い、アルフも同じ言葉で話し始めた。

「こんな子供がか」

「ああ。ぼくもこのくらいの歳には簡単な手術の手伝いを始めたものだ。彼も上手くやってくれたよ」

「祖父さんと父さんも医者なんだったか。たしか名前は……」

BertulfベルトルフUlgerウルガー

「ああ、そうだった」

 荊凍ケイテがキニーネの注射を射ち、アルフは顔を顰めた。伸びっぱなしの金髪がかかる目鼻はくっきりしているが、眼は落ち窪み頬は痩けている。棘途キョクトが絆創膏を貼った。アルフが脇の机に置かれた皿を指した。パパイヤが二切れ残っている。

「このパパイヤでも食っていけよ。俺はこれ以上食べれそうにない」

 再び声を掛けられた棘途キョクトが首を捻った。

「食べていいそうだ」

「ありがとう。あー、さんきゅー」

 棘途キョクトはパパイヤを摘んで口に放り込んだ。

「もう食欲があるのか。いい傾向だ。このあと休憩に入ってこい」

 荊凍ケイテの指示に、棘途キョクトは、ふぁい、と返事をした。パパイヤを飲み込むと、脚の包帯を変えている鋸浦に、なあ、と声を掛けた。

「昼食取っておいてくれたよな」

「ああ……それにしても、手術は怖くないか。腹の中を見たんだろう」

「勉強と思えば怖くないさ。偉い画家の先生は、解剖学書で身体の仕組みを学ぶらしい。俺も、人体の仕組みを理解したい」

 ノックの音がして、扉が開いた。十花勝トカチが顔を覗かせて言う。

荊凍ケイテ先生、湖弓先生がお呼びです。詰め所へ、と」

「わかった、すぐ行く」

 扉が閉まった。アルフがぼそぼそとしたハイマットラント語で荊凍ケイテに言う。

「なあ、もしかして今のが……」

 荊凍ケイテはにやりと笑い、アルフも笑い返した。



*****



 医師詰所で、湖弓が手帳を捲りながら荊凍ケイテに言う。

「近くの崖下で機体の破片は見付かったが、彼の言う観測機のものかは判然としないそうだ。しかしおかなら監視が気付くだろうし、飛行機の故障で海に墜落したというのは本当だろう。他に何かめぼしい情報はあるか」

「特には。下っ端だから何も知らないと言っていますが、知っていても簡単には吐かないでしょう」

「そうだな。あとは正式な尋問で探ってもらうとしよう。君は早く移送できるよう、治療に専念してくれ」

 湖弓は手帳にさらさらとメモを取り、懐にしまうと、足早に部屋を去った。荊凍ケイテも二、三度伸びをして、部屋を出た。彼女の姿を認めて、廊下の奥から鋸浦がぱたぱたと駆け寄った。

「捕虜の話ですか」

「そんなところだ」

「……捕虜の診察なんて、危なくありませんか」

「相手はほとんど歩けないような重病人だ」

「でも、身体も大きいし」

「ぼくも身体なら大きいぞ。上背も君よりある。それに、念のため拳銃か軍刀は持って行っている。零語れいごが堪能な軍曹は半年前ロブラで亡くなったそうだし、ぼくの拙いハイマットラント語の方がまだ都合よしと言うのが湖弓大尉のご判断だ」

 鋸浦は押し黙った。小さな手で、ぎゅうと服の裾を握りしめる。

「怖ければ無理して来る必要はない。手術の助手と同じだ。向き不向きがある」

 荊凍ケイテはそう言い残して廊下を歩き始めた。

「あっ……あの!」

 鋸浦が振り絞るような声で言い、荊凍ケイテが振り向いた。鋸浦はポケットから手紙とマンゴスチンを取り出すと、荊凍ケイテに差し出した。荊凍ケイテは手を伸ばしかけたが、鋸浦の顔――頬を赤く染めて俯いている――を見て引っ込めた。

「申し訳ないが、受け取るわけにはいかない」

「そんな、なぜ」

「歳が離れすぎているだろう」

「年齢は関係ありません」

「大人同士ならな」

「なら、ぼくが、大人になったら…………」

 鋸浦の黒い瞳は今にも泣き出しそうに潤んでいる。荊凍ケイテは大きく溜息をついた。

「考えておくよ」

「……これだけでも、どうか」

 鋸浦はマンゴスチンを荊凍ケイテに押し付けた。

荊凍ケイテ先生に食べていただきたくて、特別に色艶がいいのを密林で採ってきたのです」

 眼鏡を外して涙を拭い、鋸浦は廊下を走り去っていった。



*****



 再び医師詰め所。細く開けた窓から夜露を孕んだ空気が流れ込み、蚊取り線香の煙は重たくくゆる。

 荊凍ケイテが果物ナイフでマンゴスチンを切っていく。暗赤色をした掌大の球の中央に、水平に切り込みを入れたが、断面は歪で処々乳白色の果肉も一緒に千切れている。テーブルの向かいでは硫咲イサキが茶を啜る。

荊凍ケイテ君、メス捌きの割に包丁捌きはいまいちだな」

「家では人任せなもので」

 硫咲イサキは溜息をつき「これだからお嬢様は」

「で、なんだって鋸浦はそんなことを。思わせぶりなことでもしたのか」

「まさか。相手は子供で、その上、男ですよ」

「何かを勘違いしたのかね……しかし、本当に大人になってからまた来たらどうする」

「そのころには彼の気も変わっているでしょうから、問題ありません」

 荊凍ケイテがナイフを置いて、皮の上半分を外した。人間の脳にも似た割れ目を持つ果肉が顕になった。

「本来なら同世代の少女が対象ですが、ここにその相手はいない。第二次性徴期の子供がこのような状況に置かれれば混乱を来すこともありますが、一時的なものです」

 荊凍ケイテはスプーンで果肉を掬い取り一口食べると、実を皿に置き、硫咲イサキの方へ押しやった。

「彼にとってのセルロイド人形、あるいは黒耀石というわけでしょう」

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