花十勝
薬箱や硝子瓶の並ぶ棚の奥。
灯りを消した部屋で窓の月を背負う
「私にこんな安酒を呑ませようというの」
「申し訳ございません、
「ああ
「ほんっと、見る目がないのね。床が汚れてしまったわ。綺麗にしなさい」
「は…はい、畏まりました……」
「申し訳ございません、これ以上は呑めません……
「まだ全然終わっていないわよ」
*****
薬品庫を出て廊下を歩く
「あまり虐めてやるな」
「あら、相手が虐められたがっている場合はどうすればいいのかしら」
「大人ならともかく、子供だぞ」
「私だってまだ子供ですよ」
「そう言っても、もうすぐ成人だろう。相手はまだ」――――振り向いた
「それで、私が気に喰わなければどうしましょう。湖弓大尉に云いつけますか、それとも
そう言うと
「で、お前は院長にでも云い付けるか」床を見る檸檬色の瞳は小刻みに震えている。
「それは、
*****
失礼します、との声に
「こんな深夜にどうした。子供は寝る時間だ」
「すみません、すぐ宿舎に戻りますから……」
そう言って鋸浦は座卓の上に皿を置いた。焼いた黒い鶏肉が載っていた。
「昼間の鶏です。そちらは検食ですか。丁度良かった」
座卓の盆には、食事が並べられていた。米麦飯に豆と芋の煮物、青菜が浮かぶ味噌汁、青パパイヤの漬物。入院患者の食事の栄養や衛生検査のため、当直の医師が入院患者と同じ食事を摂ることになっていたのだった。また、他に兵士の食事の検食もあった。
「ああ、バタバタしていて食べ切れなかったので残りを今食べている。これは校庭で育てているタロイモかな」
「はい」
芋を口へ運ぶ。かつて少年たちと一緒に食べたのと同じ、里芋をあっさりさせたような味。次に鶏肉へ箸を伸ばす。皮は艶々と黒光りし、断面の肉は墨が染みたような灰色。よく噛んでも、
「あの、本当にありがとうございました」
鋸浦はぺこりと頭を下げると、足早に部屋を去った。
足音が聞こえなくなったころ、
「まあ、今みたいなこともあるからあまり院内をうろちょろしないでくれ」
畳まれた布団の隙間から、ぽろりとメカクレの尾の先が現れ、ぴち、と小さく跳ねた。
「厩舎はまあ、鼠を追うのはわかるがせめてミドリだけにしてくれ。鼠といってもヤマネは絶対だめだぞ」
布団の影から顔を出したミドリがぽふりと布団に頭を載せ、またすぐにしゅるりと引っ込んだ。
「あとは……血塗れだからといってロブラ患者の身体を舐めたりするなよ」
べち、と尾が畳を打ち、布団の中からくぐもった声が響く。
「男の血の匂いは好かぬ」
「そんなものか。たしかに獣の肉でも雄の方が臭みが強いと聞くな……
「心得た」
「既に吸っていたりしないよな」
「しておらぬ」
布団の隙間からずるりとメカクレが這い出した。畳の上に立つ姿を見て、
「到着してすぐ急に育ったが、もう一ヶ月近く成長が止まっている気がする」
浴衣の袖はようやく指先が見えるほど。
「最初は暖かくて具合が良いと思ったが、暑すぎるのやもしれぬ」
「たしかに、この暑さはぼくも堪える。こうも毎日暑かったら、今ロブラかマラリアに罹ってもわからないかもしれないな……熱いのは外気か、自分の身体か」
「まあ、爬虫類に汗腺はないか……」
「もう少し栄養を摂ればあるいは……」
メカクレは
「院内ではだめだ、今度にしてくれ。それと、頼んでいたことだが……」
「うむ。かずらの近くに落ちていたのと同じ羽根が、幾つか森に落ちておった」
「ありがとう。助かる。どちらの方角が多いだろうか」
「あちらこちらに散っておって、ようわからぬ」
「そうか。ちなみに羽根を持ち帰ってきてくれたりは」
メカクレは無言で布団を乗り越えると、布団と壁の隙間、板張りの床でべちゃりとうつ伏せになった。
「わかったよ、鷲は嫌いなんだな……冷たい床は気に入ったようだが」
細く開けた窓から湿った夜風が入る。庭やその周りを取り囲む密林には、イランイランやジャスミン、或いは名も知らぬ強い香りの花が闇に芳香を撒き散らしているはずだった。
「気の所為か。まあいい。とにかく来週はお楽しみだぞ」
布団の陰で、メカクレとミドリも欠伸をした。
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