石の章

黒耀石

 濡れたように輝く黒い羽根の鶏が、露天に作られた柵の中で草をついばんでいる。嘴から鶏冠とさか、脚の皮膚に至るまで全くの黒であった。背後では馬がのんびりと草を食んでいる。


「素晴らしい色艶でしょう。これはお御石様の御使みつかいに違いありません」

 霜銀ソウギンが軍帽を脱ぎ鶏の前にかしずいて言った。紐で首から下げた鞘を胸の前で握り、帽子頭を下げて、何事か呟いた。真昼の太陽に透ける銀髪がはらりと落ちる。すぐにぱっと顔を上げ、鞘から黒耀石の小刀を抜いて高く掲げた。

 小刀は黒く、猛る炎の先を思わせる赤い模様が入っていた。北海道では黒耀石を十勝石とかちいしと呼ぶが、赤が入るものは花十勝はなとかちと呼ばれ、特に珍重される。

 斑雲むらくももしゃがんで鶏を眺める。鋸浦が眼鏡の下でつぶらな黒眼をぱちくりしながら言う。

「明るいところで見ても真っ黒だ。不思議だなあ」

 霜銀ソウギンが小刀に恭しく接吻する。

「お御石様、遥基隔はるかもとへだて様に連なる方々にあって随一の鋭さ。黒く輝く永遠の乙女。ああどうかぼくにお導きを」


 厩舎の脇で用務員と話していた荊凍ケイテが、口を止めて声の来し方を見た。

「珍しいですね。烏骨鶏も黒いですがふわふわの綿毛ですし、軍鶏シャモで羽が黒いのものも鶏冠とさかは赤い。この島の在来種でしょうか」

「密林で捕まえたそうで。昨日の日暮れ近くに持ってきてここへ置かせてくれと言うので一旦預かっておりましてね」

「そうでしたか。しかしここへ来て一月ひとつき経ちましたが、斑雲むらくもといい、どうも熱心に祈る者が多いような気がしますね」

「年端もいかない子供が親元を離れた異邦で毎日仲間の死体を埋めて、自分もいつ埋められる側になるかわからんと来た。何か縋るものが要るんでしょうよ。そのうえ、彼らは酒を呑めない」

 用務員が水筒を煽った。赤い顔で酒気を帯びた息を吐く。


 棘途キョクトは苦々しい顔で鶏を見下ろす。

「やっぱり返しにいこう。昨日も言ったけど、この黒い鶏は現地民が大切に飼っていて、儀式のときにだけ〆るんだ。たぶん逃げ出しただけで、そのうち探しに来る」

「うるさいな。野生化したものかもしれないだろう」

 そうぶっきらぼうに返すと、霜銀ソウギンはナイフで鶏の額を切った。鶏がギィ、と悲鳴を上げ、黒い鶏頭トサカの裂け目から、深紅の血が流れた。

 鋸浦が霜銀ソウギンに掴みかかった。

「何をするんだ!」

「〆るに決まっているだろう」

 霜銀ソウギンが鋸浦を振り払い、弾みで鋸浦の眼鏡が飛んだ。

「可哀想だ!」

「何を言うんだ。君が可愛がっていた馬ならともかく、昨日ぼくが捕まえたばかりの鶏だぞ」

「食べるにしても、無駄に苦しめる必要はないはずだ……なぜ顔を傷付ける必要がある!」

 霜銀ソウギンが、鶏の切り込みに指を入れ、傷口を押し拡げる。

「止めろったら!まだ息があるじゃないか!」

「お御石様に捧げるからすはこうすることになっている」

「これは鶏だ!」

「これがぼくなりのやり方だ!この鶏がぼくに新しい実践を授けてくれたんだ」

「動物を虐めるな!」

「動物だけじゃない!そんなに言うなら今やってやる!本当は成人式の日にやるんだ……」

 霜銀ソウギンはゆらりと立ち上がった。鶏はその場から飛び立とうとしたが、脚に括られた紐の先に重石がついており、少し身体が浮き上がったかと思うと、べちゃり、地面へ落ちた。

「お御石様の指で額を撫でていただくと、第三の眼が開き、様々のことを見通せるようになるという」

 左手で前髪を持ち上げ、右手で持った小刀を額に宛てた。

 それまで横目で見ていた荊凍ケイテが駆け出して霜銀ソウギンに飛び付き、小刀を取り上げた。衝撃で尻餅をついた霜銀ソウギンが、口をぽかんと開けて荊凍ケイテを見上げる。額からはうっすら血が滲んでいる。

「他人の祈り方にあまり口を出したくはないが、まさか動物の血が付いたナイフを使うよう教わったわけではないだろう。どんな感染症に罹るかわかったものではないぞ」

 霜銀ソウギンは数度大きく瞬いたかと思うと、しくしく泣きはじめた。斑雲むらくもが駆け寄り、背をさする。髪に挿していたブーゲンビリアを取り、霜銀ソウギンの胸ポケットに入れた。荊凍ケイテが溜息をつき、言う。

「そのまま病院へ連れて、消毒してやってくれ」

 斑雲むらくもに促されて霜銀ソウギンが立ち上がり、肩を抱かれながら去った。

 鋸浦が落ちていた眼鏡を拾い、裾で拭って掛けた。ぱたぱたと荊凍ケイテに駆け寄り、一礼した。

「先生、ありがとうございました」

「や、なんというか……」

 荊凍ケイテは言い淀んだが、鋸浦はすぐ踵を返して黒鶏の元へ行った。そして鶏の首に銃剣を差し込んだ。

「今、楽にしてやるからな」

 鶏の首から血が噴き出す。それを眺める鋸浦の眼は黒く潤んでいる。

 荊凍ケイテが立ち去る二人の背中を見送りながら「あの二人は仲がいいようだな」

 いつの間にか荊凍ケイテの横に立っていた棘途キョクトが言う。

「あいつは人形に入れ込んでいますからね。人形相手に花を贈ったり、莫迦らしい。セルロイドだって石みたいなものだから、石好き同士気が合うのでしょう」

 荊凍ケイテがびくりとして横を見る。

「現地民が大切にするものを無視して、あいつらのやり方は理解しがたいです。それに、ああも簡単に祈り方を変えては、祈られる方も混乱してしまうとは思いませんか。通じる祈りも通じないでしょう」

 棘途キョクトが真っ直ぐ荊凍ケイテの目を見て言った。

「ぼくのところは祖母の代から医者でね。あまり熱心に祈る方ではないし、地元では十勝石が採れないからあの祈り方には詳しくないんだ」

 棘途キョクトは無言で荊凍ケイテの顔を見詰めたあと、彼女の手元に視線を移し、小刀を指差した。

「それ、ずっと持っていては危ないでしょう。俺が洗っておきます」

「助かるな。君も自分の手を切らないように気を付けてくれ」

 厩舎の側にある水桶に向かって歩く棘途キョクトを見送り、荊凍ケイテは厩舎へ入った。騒ぎを避けて馬の背をブラッシングしていた用務員が、荊凍ケイテに気付いた。

「話が途中になりましたね。それで、院長からの言付けというのは」

「はい。どぶろく造りを見逃す代わりに、消毒用酒精への転用を検討いただきたい、と」

 用務員が頭を搔いた。

「原料の砂糖黍も在庫が乏しいし、蒸留するには燃料も足らん気はしますがね……考えておきますよ」

 お願いします、と返すと、荊凍ケイテは声を潜めて続けた。

「それより、若葉兵にも人形を使わせているのですか」

「俺も正直どうかと思いますがね。前任の先生が決めたそうで」

 荊凍ケイテが眉を顰める。

「曰く、ストレスを発散させるべきだ、悪いことだという意識を植え付けることのほうがよくない、と」

「意味がわかりません。児童精神学上、悪影響があることは明白です」

荊凍ケイテ先生は外科が御専門と聞きましたが」

「養父が精神科医でして」

「俺は使いませんよ」

 荊凍ケイテがぎくりとして振り向いた。棘途キョクトが黒耀石の小刀を差し出していた。

「ありがとう。暫くぼくが預かっておく」荊凍ケイテが小刀を受け取った。

「どんな病気に罹るかわかったもんじゃない。俺は、絶対に生きて北海道へ帰ります」

 そう言い残して、棘途キョクトは去った。

 がたり。

 天井裏からなにやら音がした。荊凍ケイテがごくりと唾を呑んだ。用務員が天井を見上げて言う。

「馬の餌を狙った鼠が住み着きますから、蛇も出るんですよ。いや、蛇にしては大きいかな……山猫か何かかもしれませんな」

「いずれにせよ、鼠を取ってくれるなら無理に駆除する必要はないでしょうね。では、ぼくはそろそろ戻らねば。硫咲イサキ先生にマラリア患者の血液検査を頼まれていまして」

 荊凍ケイテは、黒耀石の小刀をポケットに入れると厩舎を後にした。

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