頸にナイフが突き刺され、馬が高く嘶いた。樹の前に横たわり、四肢に括られたロープは太い幹に繋がり、自由には動かせない 。鋸浦が馬の顔に縋って泣く。丸眼鏡には幾筋も涙の跡がついていた。

 傍らに立つ荊凍ケイテが「見たくなければ病院へ戻っていろ」と言った。

 頬の痩けた若い男が刃を進める。防暑略衣の襟には階級章がない。彼は軍が雇い入れた用務員だった。馬がもう一度高く嘶いた。頸から止めどなく血が溢れる。よたよたと後ろに下がった鋸浦がしゃがみこんだ。

「気持ちは分かるが、こいつは先が長くなかったのは君も知っているだろう」

 用務員が鋸浦へ言った。大掛かりな輸送は輜重隊が行うが、日常の荷物運搬用に、兵站病院でも数頭の馬匹を有しているのだった。

 ゴム風船から空気が抜けるような音が馬の頸から鳴った。鋸浦が耳を塞いだ。

「気管を切りましたかね。馬の解体を見るのは初めてです」と荊凍ケイテ

「もう肉を切っていいですか」

 斑雲むらくもが背後から馬の側へ歩み寄り、銃剣の先で馬の腹をつつきながら言った。用務員が水筒を煽り、赤い顔で言う。

「まだだ。血抜きをするのに頭を下げるから手伝ってくれ」

 一歩離れて見ていた霜銀ソウギン棘途キョクトも馬へ近付き、鋸浦以外の少年三人と用務員で馬の身体を押す。地面は木の根元が少し高くなっていた。馬の後脚を根元に置き、頭が低い位置になるよう調整する。前脚が赤黒い血溜まりに落ちて、びちゃ、と血が跳ねた。

 しゃがみ込んで啜り泣く鋸浦に荊凍ケイテが声を掛ける。

「健康診断の結果を見たが、年齢の割に身長が低く、また身長に対して体重が軽すぎる者が多い。入院患者も君たちも、栄養不良が喫緊の課題だ。変な茸なんかよりずっと身体にいいぞ」

「なんだ、君たちまた茸を食べたのか。いい加減にしないとまた涼康班長に言いつけるぞ」と用務員。

「それなら、ぼくたちだって……」馬の背を押す霜銀ソウギンが、用務員の水筒を見ながら言った。

 用務員が、顔を背けてごほんと咳払いをした。

「とにかく、俺と違って君たちは成長期だから、ちゃんとしたものを喰わないといけないんだ」

「たかだか幻覚と油断するな。錯乱して事故死する例もある。それに毒茸と間違える危険性もある。で、よく注意して食べるものは選ばねば」

 荊凍ケイテがつらつらと述べた。鋸浦が、きっと荊凍ケイテを睨みつけて言う。

「なぜ人間は動物にこんなに酷いことをできるのですか。ぼくたちのために働いてくれたのに、少し具合が悪くなったからといって。この子は荷物の運搬中にぼくが転んだとき、鼻で優しく撫でてくれたのです」

 鋸浦が馬の顔を撫でた。頸から流れて半ば乾いた血が、彼の手にべったりと付いた。

「この焼印も信じられません、こんな残酷な」

 視線の先、馬の尻には管理用の焼印があった。背後から斑雲むらくもが顔を出した。

「へえ、馬にも焼印ってあるんだ。これ、痛いんだよね」

 斑雲むらくもが自分の腰を撫で、その場の全員が斑雲むらくもを見た。荊凍ケイテが眉を顰め、横目で用務員を見たが、用務員も眉を顰めて小さく首を振った。

 大人二人の懸念を他所に、鋸浦が荊凍ケイテの裾を引いた。

「ちょっと背が低かったり、体重が軽かったりするくらいどうだというのです」

「大問題なんだ。栄養状態はそのまま感染症への抵抗力に直結する。輸送船では毎日ロブラで死人が出たが、乗艦前にどれだけ肥えていたかで予後が違ったぞ」

 背後では斑雲むらくもが銃剣を振り回しながら「今夜は桜鍋だ」

荊凍ケイテ先生も、人間も大嫌いです」

 鋸浦が病院の方へ走り去った。

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