花の夢

 密林の先に少し開けた場所があり、衛生兵の腕章を着けた四人の少年が火を囲んで車座になっていた。地面には所々刈り取ったあとの砂糖黍サトウキビや、立ち枯れた砂糖黍があった。放棄された砂糖黍畑のようだった。

「少なくとも敵や、食虫植物ではなさそうだ。少し隠れていてくれ」

 メカクレがするりと樹に登った。

 荊凍ケイテが少年たちに近付く。姿を現した荊凍ケイテを見て、少年たちが、あっと声を上げた。火の上には飯盒が幾つか掛かり、汁が煮えていた。

「なんだ。もう夕飯は済ませただろう」

「あの、すみません!」棘途キョクトが立ち上がって頭を下げた。瑞々しい萌黄の彼は同年代の平均に比すると長身だが、それでも荊凍ケイテよりは低かった。

「全然足りなくて、密林で集めた食べ物を」

 斑雲むらくもが言った。荊凍ケイテが少年たちの身体を見た。皆、長袖の開襟防暑衣に夏袴を着ていた。薄手の生地越しに、細い手脚が浮き上がる。日没後、特に密林に入る際は草や感染症を媒介する蚊からの防護のため、長袖長ズボンの着用が推奨されていた。

「まあ、成長期は喰っても喰っても腹は減るものだ」

「あの、先生もご一緒に如何でしょうか」

 霜銀ソウギンが立上がり、腰の下に畳んで敷いていた携帯用天幕テント荊凍ケイテの方へ押しやった。草の上に膝をついて、銀髪の隙間から懇願するような目で荊凍ケイテを見上げる。

 鈍色の髪に丸眼鏡の小柄な少年が、飯盒の蓋に汁をよそって差し出した。荊凍ケイテは軽く溜息をつき、「そうだな。ご相伴預かろうか」と言うと、天幕テントを広げて端に腰を下ろした。霜銀ソウギンにも促し、天幕テントの逆の端に座らせた。

 蓋を受け取り中を見ると、芋や茸、草などが煮られたものだった。汁を一口啜るとスパイシーな香りが荊凍ケイテの口に広がった。次に芋を齧った。里芋にも似るが、よりあっさりした風味だった。

「これがタロイモというやつか」

「はい。まだ食べたことありませんでしたか。校庭の庭でも育てていてよく食事に出ます。これは密林で採ったものですが」眼鏡の少年が言った。

「これがはじめてだ。ええと、君、たしか名前は……」

鋸浦のこうらです」

 火に掛けた飯盒に葉を千切り入れながら答えた。卵型で浅い鋸歯の葉が裂かれるたび、スパイシーな香りが広がる。

「それはなんだ。見た目はシソに似ていなくもないが」

「ホーリーバジルです。いい香りでしょう」

 鋸浦が飯盒を覗き込み、深く息を吸った。眼鏡が湯気で曇る。荊凍ケイテは茸を口へ運んだ。

 ふと気付くと斑雲むらくもがじっと荊凍ケイテを見ていた。頭に挿した白花のブーゲンビリアは焚き火に照らされ橙色を帯びており、赤毛と一体とも見えた。

「まだ慣れないもので前任の先生に比べると頼りないかもしれないが、まあ今後とも宜しく頼むよ」

 棘途キョクトの顔が曇った「霞早太先生、よく絵を褒めてくれたんです」

 暗い顔で鋸浦が汁を配る。霜銀ソウギンが俯いたまま受け取る。斑雲むらくもは受け取ってすぐ一息で掻き込んだ。

「そうだな、ご不幸なことだった」

「ご不幸、と云うのは」霜銀ソウギンが首を傾げた。

「霞早太先生は事故で亡くなったと聞いたが」

「そうだったのですが。ぼくがロブラで寝込んでいる間にいらっしゃらなくなったので、配置転換になったものとばかり」

 荊凍ケイテが口を開きかけたところで、棘途キョクトが「蛇だ!」と叫んで飛び上がった。荊凍ケイテがびくりとして棘途キョクトの視線の先を見た。霜銀ソウギンが地面に向かって飛び掛かり、かと思うとすぐ手を高く上げた。黒に黄色の縦縞がある蛇を掴んでいた。荊凍ケイテはふう、と息を吐いた。周囲の密林を見回したが、浅葱の浴衣や青蛇は見当たらなかった。

「この蛇、脚が生えている」と霜銀ソウギン。蛇は、尻尾の先から全長のおよそ三分の一ところ、尾と胴の境から、棘がある暗紫色の突起をはみ出させていた。

「新種の蛇か、いや蜥蜴か。先生、ぼくたち大発見をしたかもしれません」

 霜銀ソウギン荊凍ケイテに向けて蛇を突き出した。

「水を差すようで悪いが、それは蛇の生殖器だ」と荊凍ケイテ

 鋸浦も近づき、蛇の腹を指差して言う。

「交尾のときだけ外に出して終わればしまうものだけど、時々なにかの拍子で飛び出して、戻らず出しっぱなしになってしまうこともあるんだ」

「鋸浦、詳しいな」と荊凍ケイテ

「ぼくは動物が好きで、内地に戻ったらお金を貯めて大学に行って、動物学者になりたいと思っているのです」

 優しく微笑みながら鋸浦が言った。眼鏡の下で、小動物のようなくりくりとした黒眼が輝いている。

「先生もはご存知でしたか」

「医者は生物学全般の基礎を広く修めるものだ」

「そうなのですね。しかしこのままだと傷付いたりしてしまいそうです」

 鋸浦は、水筒から蛇のに水を掛け、指先でそっと押し始めた。霜銀ソウギンが覗き込み、興味深そうに眺める。

「普段はこの隙間の奥、総排泄腔の中にしまってあるんだ。雌にも同じような孔があって、交尾するときにはそこへを差し入れる。蛇は尿酸や便の排泄、交尾もすべて同じ孔でする」

 幾度か指で押し込むうち、ゆっくりと突起が体内に吸い込まれていった。ついにすべてが中へ戻った。

「これでよし」

「新種を発見したと思ったのに」と霜銀ソウギン

 斑雲むらくもが蛇に手を伸ばして「こいつも食べよう」と言い、「名案だ」と霜銀ソウギンも同調した。

「駄目だよ。せっかく助けたのに」

 鋸浦が蛇を野に放った。斑雲むらくも霜銀ソウギンが肩を落として視線を交わした。

 蛇は蛇行してしばらく進んだ後、砂糖黍の切り株に登った。しかしすぐ、鷲が上空から風を切って下降し、素早く蛇を咥えると、また急上昇していった。鋸浦が、ああ……と溜息をついた。

棘途キョクト、いつまでそこにいるんだよ」

 離れた場所で見ていた棘途キョクトに、霜銀ソウギンが声を掛けた。

「蛇は嫌いだ」

「怖いのか」

「蛇を恐れて何が悪い。毒蛇に噛まれてから後悔しても遅いだろう」

「あれは牙がなかったし、たぶん毒蛇ではないよ」鋸浦が挟んだ。

「それに、蛇は水巳那みみな様の御使みつかいというじゃないか」

 霜銀ソウギンがそう言ったが、棘途キョクトは無言で汁を啜り続ける。

「まあ、君にそんなこと言っても仕方ないか」霜銀ソウギンが言い捨てた。

 棘途キョクトは芋を口へ放り、苦虫を噛むような顔で芋を咀嚼する。

 斑雲むらくもは会話に加わらず、ぼうっと空を見上げていた。ロブラ患者にも似た虚ろな目は、荊凍ケイテの気を引いた。「具合でも」と言ったところで、どくん、と荊凍ケイテの頭が脈打ち、頭を手で押さえて俯いた。

「なんだか、頭痛がしてきた。それに目眩も」

 霜銀ソウギンの顔が青褪める。

「おい、まさか先生にあの茸の方をよそったんじゃないだろうな……先生がお帰りになったあと食べるつもりで……」

「先生というか、全員分……」

 鋸浦が、おかわりをよそう手を止めて言った。



*****



 荊凍ケイテが振り向くと、密林の樹々から垂れ下がる原生蘭が上下に大きく跳ねていた。


 夜の筈だが、どの花もフラッシュを真正面から浴びせたように色鮮やかで、空はペンキで塗りつぶしたようなコバルト・ブルー。背の高い草の隙間でマゼンタ・ピンクのハイビスカスが開いては閉じてを繰り返す。密林に向かって歩きだす。熱くてたまらなかった。防暑略衣の前を開け、編上げの短靴と靴下も脱ぎ捨てた。足元の草は夜露を帯びてひやり心地よく、一歩踏み込むたび、散らばるプルメリアの花弁が潰れた。


 プルメリアを踏みしだきながら歩いた先に、巨大なイランイランの蕾があった。荊凍ケイテが近付くと蕾が開いて強烈な香りが放たれ、中には一糸纏わぬ女が睡っていた。女の顔は一瞬、紫晶華ショウカのように見えたが、次の瞬間には十花勝トカチになっていた。女が身体を起こし、荊凍ケイテの首に手を掛けるとそのまま草の上に押し倒した。見上げると、輪郭の朧気な女の背後で巨大なイランイランの花がいくつも垂れ下がり、脈打つように開いては閉じてを繰り返していた。



*****



 頭上にあるのは、瞬く星空。頬をつつくひやりとした感触に、荊凍ケイテは、バッと身体を起こした。辺りを見回した。ミドリがつんつんと荊凍ケイテの手をつついている。背後の樹の枝から、浅葱の浴衣の裾と兵児帯の先が垂れていた。

 原の中心では霜銀ソウギンが上半身裸で、黒耀石の小刀を天に掲げている。棘途キョクトはなにやら呟きなから、手帳に草の汁で絵を描きつけている。

 荊凍ケイテは今見た景色を脳内で反芻した。花、女――――鍋は、茸は確かに食べた。はて、あのウツボカズラは。現か幻か。

「みえる、百開千成ももひらきせんなり様のご意思が視える。世界をもっと花で満たす必要がある、と仰っています。さもなければ、新たな供物が捧げられるでしょう」

 虚ろな目の斑雲むらくもが、花弁が三枚残ったプルメリアを手に、歌うように言った。鋸浦は、その足元で目を閉じて横になっており、頭に白いプルメリアの花弁が二枚乗っていた。

 プルメリアの花弁は通常五枚で、一目で判る五芒星のような形をしているのだった。

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