かずら

「想定より成長が早いな」

 傾いた陽が作る木陰の中、密林を歩く荊凍ケイテが、隣のメカクレに声を掛けた。メカクレの身体は少年たちと同じ程の体格になっており、おはしょりを作った浅葱の浴衣を着ていた。袖は手が全て隠れるほど長い。

「うむ、この島はとても暖かいので、具合が良いのかもしれぬ」

「そんなものか。しかし、やはりこういう色がしっくり来るな。ぼくの寝間着はなくなったが、兵たちのように肌着で寝るとしよう」

 話すうちにすぐ二人はイランイランの巨木の下に辿り着いた。夕日に照らされ黄金色に輝く花弁。

「やはり大きいな。図鑑で見るのと印象が違う」

 荊凍ケイテが花に顔を近付ける。荊凍ケイテがふう、と溜息をついた。

「いや、大きさより、この強烈な香りだ。参ってしまいそうだ」

「香りの効果なぞあまり期待はしていなくて、少し気分が盛り上がればいい、くらいのつもりだったのだが、昨晩は何やらような気がしてならなくてな……」

 荊凍ケイテが足元を見ると、巨大な、色鮮やかなオレンジ色の羽根が落ちていた。

「前にも見たな。大きさで言えば猛禽類だが、それにしては色鮮やかだ」

 羽根を拾ってメカクレの前へ差し出した。

「なんの羽根か判ったりしないか」

 メカクレはちろちろと舌先を控えめに出し入れし、「おそらく鷲の羽根」と言うと、ぷいと顔を背け、尻尾をぺちりと地面へ打ち付けた。

「なぜそっぽを向くんだ」

「鷲は好かぬ」

「なるほど、天敵というわけか……」

 袖から顔を出したミドリが、鎌首をもたげ、羽根に向けて威嚇した。

「鳥はさておき、周囲の植物の様子をもう少し見ておきたい」

 荊凍ケイテが密林内を見回した。樹の影が多く、日没前だが薄暗い。背嚢に括り付けたランタンを外し火を灯した。揺らぐ炎が草木の陰をはっきりさせる。特に目を引く奇怪な陰影を持つ木の根があり、

 歩く内に、荊凍ケイテはラワンの巨木の前で足を止めた。樹の幹には苔が生え、枝には蔓が絡む。木の根元からすっと伸びた茎には白い小花が無数に付き、その陰に、袋のようなものが見えた。

「ウツボカズラのように見えるが」

 袋は緑地に赤褐色の斑模様で、米袋程の大きさだった。

「虫だけではなく鼠を捕らえることがあるとは聞いたことがある。しかし、この大きさでは、人の子でも喰ってしまいそうだ」

 おそるおそる中を覗いた荊凍ケイテが、ひゅっと息を呑んで後退った。メカクレも袋を覗いた。そこには、透明の粘液に浸かって丸まる仔虎が収まっていた。

「どういうことだ。食虫植物がこんな大きい哺乳類を捕らえるとは聞いたことがない。仮に虎が落ちたとしても、袋を破って出られるはずだ」

 荊凍ケイテが再び袋に近付き、ランタンで照らして袋の中を眺める。ぼうっとした灯りに浮ぶ仔虎の首には、溶けかけてはいたが、蔓の残滓のようなものが絡まっていた。

「これでは、まるで、止めを刺してから喰ったような……」

 ひゅる。しなる蔓が空を切って荊凍ケイテに向かう。ひっと叫んで逃げ出す。背後から蔓が追う。蔓が荊凍ケイテの足首に巻き付いた。荊凍ケイテが地面へ倒れ込む。手に持っていたランタンが地面へ転がり、火が消えた。陽はほとんど落ちていた。密林の暗がりから次々蔓が伸びる。

 荊凍ケイテが腰から軍刀を抜き、足首の蔓を切った。が、別の蔓が手首に絡んだ。

 メカクレが蔓を引き千切り、荊凍ケイテを肩に抱えて走り出した。しかしすぐ蔓が荊凍ケイテの脚へ絡み、荊凍ケイテを宙に引きずり上げた。荊凍ケイテが脚一本で逆さ吊りに浮かぶ。

 上方の枝葉の影から、ドラム缶ほども大きい袋がするすると降りてきた。

「あちらは先客がいるから、ということか」

 荊凍ケイテが軍刀を振り回して幾らか切っても蔓は次々増え、脚から胴に伸び、身体を締め上げる。荊凍ケイテが顔を歪める。一本の蔓が胴から胸に這い上がり、首元に近付く。メカクレが宙吊りの荊凍ケイテに飛び付いて胸元の蔓を引き千切ったが、すぐに別の蔓が現れて欠けた部分を補った。

「キリがない!軍袴の右ポケットに、燐寸マッチがある。ランタンの油を撒いて燃やせないか」

 メカクレが荊凍ケイテの服を探り、燐寸マッチを取り出すと地面へ飛び降りた。背嚢と一緒に地面へ転がるランタンを拾う。

「下のキャップを」――――

 蔓が荊凍ケイテの首に絡みつき、締め上げた。荊凍ケイテがうめき声を上げる。

 メカクレがキャップを外して口を付け、ランタンを傾けて灯油を口に含んだ。頭上から降りてくる〝袋〟に向けて灯油を吹き、燐寸マッチを擦った。灯油の霧が火焔に変わり、ウツボカズラを覆った。袋がぼとりと地面へ落ち、焦げて孔が空いた袋の隙間から消化液が流れた。

 荊凍ケイテの身体を吊るしていた蔓のうちのいくらかも焼き切れ、また残ったものもするすると戻り枝葉の陰に消えていった。

 支えを失って落下する荊凍ケイテの身体を、メカクレが受け止めた。

「助かった、ありがとう」

 しかしメカクレは荊凍ケイテの身体をすぐ地面に置き、後ろを向いて蹲った。えずくような声と、びちゃびちゃという水音。荊凍ケイテがメカクレの前に回り、声を掛ける。

「灯油を呑んでしまったか」

「うむ、少々」

 荊凍ケイテがポケットからハンカチを出し、メカクレの口元を拭う。水筒の蓋に水を注いで差し出した。

「口を濯いでおくといい」

 メカクレは言われるがまま口を濯いだ。吐いた胃液の上に水を吐く。胃液は固形物を含まず、透明だった。

 荊凍ケイテが振り返り、焦げた蔓、袋の残骸を見た。仔虎の袋も、地面へ落ちていた。

「なんだったんだあれは。メカクレ、心当たりはあるか」

「わからぬ」

 荊凍ケイテの耳許でメカクレの声が響いた。荊凍ケイテがびくりと肩を震わせ振り向くと、メカクレが首元に顔を埋めていた。

「口直しが要る」

 そう言うとメカクレは荊凍ケイテの首筋に噛み付いた。

 じゅるりじゅるりという水音を聞きながら、荊凍ケイテがぼんやり空を見上げる。星が見えはじめていた。

「もう陽が落ちたな。ランタンは油がどれくらい残っているか……真っ暗になる前に帰りたいから、ほどほどにしてくれ」

 血を吸われながら、荊凍ケイテは落ちた袋を見た。ぴり。袋の裂け目が拡がり、どぱ、と消化液があふれた。消化液の中に、溶けかけたオレンジ色の鳥の羽根が混ざっていた。

 メカクレが口を離した。身体の自由が効くようになった荊凍ケイテが、ランタンの様子を改める。落下の衝撃で凹んでいる箇所はあるが大きな損傷はなく、油も若干は残っていた。再び火を灯す前に、別の灯りに気付いた。密林の中、火のように揺らぐ灯り。

「まだこの島には敵兵は上陸していないはずだが……友軍か現地人か。追い払ったウツボカズラが別の者を襲って、彼らも火で対抗しているのでなければいいのだが」

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