花札

「こいこい」

 掛け声と共に、荊凍ケイテが取り札を並べた。

 向かい合う硫咲イサキが、場札と双方の取り札を代わる代わる睨みながら山から札を引いた。険しい顔で引いた札を場札に重ね、そのまま取り札に引き入れた。自他の取り札と、荊凍ケイテの涼しい顔を見比べ、逡巡の末「こいこい」

 大小の皿が並ぶテーブルを囲んだ軍医たちの視線が、荊凍ケイテの手元に注がれる。山から引かれたのはすすきに月。荊凍ケイテはそれを素早く場に出し、場札と一緒に取り札に加えた。

「月見で一杯、青短」

 荊凍ケイテが役を宣言すると、硫咲イサキは手札を表に机へ投げ出し、周囲を見回した。

「船の上からこの調子で、可愛げがないったら」

 軍医たちから笑い声が上がった。荊凍ケイテはテーブルに散らばった花札を集める。テーブルの上、料理皿の隙間には薬の空き瓶があり、赤やピンクのハイビスカスが生けられている。ちらりと窓を見る。カーテンは糸で綴ったプルメリアで飾られている。異国の花々と、手元の見慣れた草花の絵。

 硫咲イサキ荊凍ケイテに向き直り「君は遠慮というものを覚えた方がいいぞ」

「では今後の解剖はご遠慮し、全て硫咲イサキ先生にお願いするということで」

 硫咲イサキがわざとらしく肩を竦めた。

「解剖結果報告書の書き方は覚えたからな。書類だけでっち上げて全部やったことにでもするさ」

 再び周囲から笑いが上がった。

「祖母が花札好きで、鍛えられたものですから」

 荊凍ケイテが花札を箱に納めながら言った。荊凍ケイテの隣で盃を傾けていた湖弓大尉が、荊凍ケイテに問う。

「ところでお祖母ばあ様というのは、もしや夕焼の柳凪やなぎ先生ではないか」

「はい。祖母をご存知でしたか」

「御実家の病院の話が出た際、もしやと思ってね」

 上座から兵站病院の院長、巳輔ミスケ中佐が挟む。

柳凪やなぎ先生には、軍医学校の札幌分校開設にあたり大層世話になったと上官から聞いたことがあったが、なるほど、可愛い孫を東京ではなく手元に置いておきたかったということかもしれんな」

「俺も見たことがあるが、大層大きい病院だ。そこの理事長先生ともなれば、豪快に賭けられるんでしょうな」と湖弓。

いいえ、祖母は菓子程度しか賭けませんので。別にぼくが相手だからと手加減するのではなく、誰に対してでもです」

「そいつは意外だな」大皿から手元の小皿に料理を移しながら硫咲イサキが挟んだ。どの大皿の端にも冷えた料理が残されていた。

「祖母が云うにはですね。賭けで勝っても増えるのはただの紙っ切れ。それならむしろ、絶対に手を付けてはいけない金子きんすをすって、ああ、これで人生が終わったと思う瞬間の方が気持ちいいだろう、と」

 周囲からどっと笑いが起った。「いかにも」「それが堪らんのですわ」

「どうせ大金を投じるなら、例えば舶来の最新機械を導入すれば病院の評判は上がり、一つ病棟が立つ。ぺらぺらの紙ではない、何十人の医者と看護師が働き、百人の患者が入院する、どっしり大きい建物だ。そして新病棟の収益でまた新しい機械が買える。この繰り返しの方が数倍愉快だ、と」

「中々商売上手なお祖母様のようですな」硫咲イサキが茶碗に残った白飯を口へ運びながら言った。

「祖母の生家は松前の呉服問屋ですが、これからは病院経営に旨味ありと考えて医者になったそうです。まあとにかく、気分転換の花札遊びは菓子でも賭ければ十分、とのことで」

 硫咲イサキは苦い顔で湯呑みの茶を啜った。

 部屋の戸が開き、衛生下士官の案内で紫髪の女性軍医が入室した。

紫晶華ショウカ少佐、お待ちしておりました」湖弓が言い、荊凍ケイテも部屋の入口を見た。

 紫晶華ショウカ荊凍ケイテと湖弓の間に立ち、荊凍ケイテと、その向かいに座る硫咲イサキを見た。

「貴方たちが霞早太先生の後任ね。副院長の紫晶華ショウカよ。このところ本当に人手が足りなくて、本当に助かるわ」

 湖弓が席を詰めながら「それにしても霞早太君は本当に惜しかった」と言った。

 衛生下士官が空いた隙間に椅子を置き、紫晶華ショウカ荊凍ケイテの隣へ座った。荊凍ケイテの鼻が、消毒液に混じる漢方薬の匂いを捕らえた。そして、その奥のはだの匂いも。

「ええ。ここは子供が多いから、彼のような小児科が専門の者がいるのは有り難かったわね」

 向かいの席から硫咲イサキが「何かあったんですかね」と挟んだ。

「事故で、と聞いたわ」

「具体的には」硫咲イサキが身を乗り出した。

「たしか、不発弾の爆発に巻き込まれたと」紫晶華ショウカが小首を傾げて言った。

「不発弾。医者に不発弾処理でもさせたと仰いますか」硫咲イサキが眉を顰めた。

「移動中、密林に転がっていた不発弾で、ということらしいわ。そのとき、私は所用で司令部へ行っていたのですべて又聞きなのだけれど」

 衛生下士官が紫晶華ショウカに茶を差し出し、紫晶華ショウカは湯呑みを受け取ると一口呑んだ。衛生下士官は部屋から去っていった。硫咲イサキは険しい顔で俯いている。

「そんなに気になりますかね」と荊凍ケイテが首を傾げた。

「俺は死にたくないからな。戦地で軍医が死ぬならどういう状況かと思ってね。同じ轍を踏みたくは」――――

 天井から、がさがさ、と音が鳴り、硫咲イサキは言葉を切って天井を見た。紫晶華ショウカも見上げて言う。

「天井裏に、蛇か鼠でも潜んでいるのかしら」

「鼠やヤマネはご勘弁願いたいな。蛇ならヤマネも鼠も喰うだろうから、むしろ大歓迎だ」

 硫咲イサキはそう言って湯呑みの茶を煽った。荊凍ケイテが天井を睨む。音は止んでいた。

「ところで、二人とも初日から大変だったようね」

「もうお聞き及びでしたか。本当に酷い目に遭いましたよ」硫咲イサキはそう言うと溜息をついた。

百開千成ももひらきせんなり様への供物事件、ということで病院内その話で持ち切りですからね」と湖弓が言い、硫咲イサキが怪訝そうな目で湖弓を見た。

「別に信じているわけではありませんが。本気で言っているのは一部の若葉兵たちだけです」

「若いのに熱心に祈っていて、殊勝だとは思うわ」

「はい。それに、彼は病院内あちこちに花を飾ってくれたりしましてね」

「それは助かるわね。戦地では中々そこまで気が回らないけれど、花や緑は患者の健康にいいはずよ」

「とすると、もしや」荊凍ケイテが部屋を見回して言った。湖弓が頷きながら言う。

「ああ。この部屋の飾りつけも彼がやってくれたんだ。今日は新任の先生方の歓迎会をすると言ったら、お二人には早速お世話になったばかりなので、と言ってな」

「しかし実はよくない噂もあってな。彼は……」

 湖弓が言葉を切り、周囲の視線が彼に注がれた。

「占いなんぞに興じていると」

 軍医たちがざわつく。「なんだって」「占いだと」「軍紀の乱れもここまで来たか」

荊凍ケイテ君も、花札占いなんかやっていたりしないだろうな」と湖弓が問うた。

「まさか。ぼくは科学者です。そのような非科学的なことしませんよ」

 紫晶華ショウカは俯いている。目の前の小皿には衛生下士官が取り分けておいた料理が載っているが、殆ど手が付けられていない。荊凍ケイテ紫晶華ショウカの顔を覗き込む。薄紫の瞳に憂うたような影を落とす長い睫毛。

「顔色がよろしくないようです」荊凍ケイテ紫晶華ショウカの指先に触れた。

「この暑いのに冷えています。御気分が優れませんか」

「先ほど司令部から戻ったばかりで、少し疲れているの。ごめんなさい。本日はもう失礼するわ」

 紫晶華ショウカが席を立ち、荊凍ケイテも席を立った。

「ではお部屋までお送りしましょう」

「ありがとう。でも、貴方は今日の主賓でしょう」

「では、廊下まででも送らせてください」

 荊凍ケイテ紫晶華ショウカの肩を抱きながら廊下へ出た。後ろ手で扉を閉める。

「この炎暑での山越え、御苦労様でした。十分に御休みになってください」

「そうは言っても私は助手席で揺られていただけなのだけれど、バテてしまって情けないわね。おやすみなさい」

 紫晶華ショウカは廊下の奥へ消えていった。



*****



 宴を終えて荊凍ケイテが自室に入り明かりをつけると、べちゃり、二匹の蛇が落ちてきた。


 一回り大きい隻眼の蛇が片方の蛇から離れ部屋の中央に出た。

「どうした」荊凍ケイテが近寄ると、頭を荊凍ケイテの脚に押し付けた。

「離れていたほうがいいのか。何かするのか」

 部屋の真中に陣取った隻眼の蛇は、一度身体を真っ直ぐにすると、とぐろを巻き、また身体を伸ばした。すると、身体は短く、太くなっていき、ついにはツチノコのような形になった。それから獲物を丸呑みするときのように大きく顎を開いた。あわや裂けるとも見えたが、顎はどんどん開き、喉の奥から青磁色の毛が覗いた。ずるり。蛇が毛玉を吐き出した。毛玉には胴と手足がついていた。赤子だった。

 荊凍ケイテが目を見開いて赤子を見つめる。這い歩く姿は赤子そのものだが、尾骶びてい骨の辺りからは蛇の尾のようなものが生えていた。荊凍ケイテが言葉もなく眺めていると、赤子の全身がうっすら膨らんだように見えた。赤子が顔を掻き毟り始めた。口の回りの皮が剥けていく。手と、先端が二股に別れた舌を使い、皮を剥いていく。ずる、と頭が一気に剥けた。剥けた下には、皮に残る髪より多い毛と、先程よりも大きな頭。そのまま肩から腕を剥く。皮を剥く間も、腕がどんどん長くなっていく。胴や脚も見る間に伸びる。尻尾と、足の指を脱ぎ終わったときには、立って歩けるほどの幼児の姿になっていた。

「人の姿に戻るのだろうとは思っていたが、子供になるのは想定外だ。それに、その尻尾はなんだ」

 メカクレは舌を数度出し入れし、後ろを向いて尻尾を見た。確かめるように尻尾を上下左右に動かす。顔を正面に戻して荊凍ケイテの顔を見ると、首を傾げた。

「もしかして、尻尾は予定外なのか」

「もう二、三度脱皮すれば、元の背丈に戻る」その声は、高い子供の声だった。

「だから、尻尾は…………まあいい、これからすぐ脱皮するのか」

いや、数日か、数週間か」

 荊凍ケイテは溜息をつくと、洋箪笥クローゼットの扉に手を掛けた。

「着物は持ってきたが、その身体では持て余すな。何か着れる物を見繕わねば」

 洋箪笥クローゼットの中を改めながら続ける。

「宴会に来ていただろう。あまり目立つなよ。今は特にその姿だ」

「うむ」

 荊凍ケイテ洋箪笥クローゼットの扉を閉じた。荷解きの済んでいない、開いたままの将校用行李の中を探る。メカクレが荊凍ケイテの背中に声を掛ける。

「ところで。先程お主らが騒いでいた占いというもの、聞いたことはあるがどういったものかようわからぬ」

「占いか。説明するのが難しいな。そうだな……なにやらまじないのようなもので、先の出来事を見透かそうとするもの、といったところか」

「なんと。これから何が起こるかなぞ、まじないで判るわけなかろうに」

「もちろんだ。だから上官たちが問題視している。非合理的で、まったくもって前近代的な風習だ……まるで時代小説のような」

 荊凍ケイテは行李の底からシャツを引っ張りだした。ボタンを開け、メカクレに羽織らせる。

「お主は占いとやらが好きではなさそうだの」

「当たり前だ。ぼくは医者だ。科学者だ。占いなぞは信じない」

 シャツの裾は床を引き摺る丈で、袖も余っていた。荊凍ケイテが袖を折る。

「こんなところか。当面はこれでも着ていてくれ。しかし」

 荊凍ケイテがメカクレの両脇を抱えて持ち上げた。メカクレが手足をじたばたと振る。脚の間から覗く尻尾もびちびちと跳ねる。荊凍ケイテが脚の付け根をしげしげと眺める。凹凸がなくつるりとしているが、よく見ると横一文字の裂け目があった。

「普段は中にしまっている、ということか」

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