花札
「こいこい」
掛け声と共に、
向かい合う
大小の皿が並ぶテーブルを囲んだ軍医たちの視線が、
「月見で一杯、青短」
「船の上からこの調子で、可愛げがないったら」
軍医たちから笑い声が上がった。
「では今後の解剖はご遠慮し、全て
「解剖結果報告書の書き方は覚えたからな。書類だけでっち上げて全部やったことにでもするさ」
再び周囲から笑いが上がった。
「祖母が花札好きで、鍛えられたものですから」
「ところでお
「はい。祖母をご存知でしたか」
「御実家の病院の話が出た際、もしやと思ってね」
上座から兵站病院の院長、
「
「俺も見たことがあるが、大層大きい病院だ。そこの理事長先生ともなれば、豪快に賭けられるんでしょうな」と湖弓。
「
「そいつは意外だな」大皿から手元の小皿に料理を移しながら
「祖母が云うにはですね。賭けで勝っても増えるのはただの紙っ切れ。それならむしろ、絶対に手を付けてはいけない
周囲からどっと笑いが起った。「いかにも」「それが堪らんのですわ」
「どうせ大金を投じるなら、例えば舶来の最新機械を導入すれば病院の評判は上がり、一つ病棟が立つ。ぺらぺらの紙ではない、何十人の医者と看護師が働き、百人の患者が入院する、どっしり大きい建物だ。そして新病棟の収益でまた新しい機械が買える。この繰り返しの方が数倍愉快だ、と」
「中々商売上手なお祖母様のようですな」
「祖母の生家は松前の呉服問屋ですが、これからは病院経営に旨味ありと考えて医者になったそうです。まあとにかく、気分転換の花札遊びは菓子でも賭ければ十分、とのことで」
部屋の戸が開き、衛生下士官の案内で紫髪の女性軍医が入室した。
「
「貴方たちが霞早太先生の後任ね。副院長の
湖弓が席を詰めながら「それにしても霞早太君は本当に惜しかった」と言った。
衛生下士官が空いた隙間に椅子を置き、
「ええ。ここは子供が多いから、彼のような小児科が専門の者がいるのは有り難かったわね」
向かいの席から
「事故で、と聞いたわ」
「具体的には」
「たしか、不発弾の爆発に巻き込まれたと」
「不発弾。医者に不発弾処理でもさせたと仰いますか」
「移動中、密林に転がっていた不発弾で、ということらしいわ。そのとき、私は所用で司令部へ行っていたのですべて又聞きなのだけれど」
衛生下士官が
「そんなに気になりますかね」と
「俺は死にたくないからな。戦地で軍医が死ぬならどういう状況かと思ってね。同じ轍を踏みたくは」――――
天井から、がさがさ、と音が鳴り、
「天井裏に、蛇か鼠でも潜んでいるのかしら」
「鼠やヤマネはご勘弁願いたいな。蛇ならヤマネも鼠も喰うだろうから、むしろ大歓迎だ」
「ところで、二人とも初日から大変だったようね」
「もうお聞き及びでしたか。本当に酷い目に遭いましたよ」
「
「別に信じているわけではありませんが。本気で言っているのは一部の若葉兵たちだけです」
「若いのに熱心に祈っていて、殊勝だとは思うわ」
「はい。それに、彼は病院内あちこちに花を飾ってくれたりしましてね」
「それは助かるわね。戦地では中々そこまで気が回らないけれど、花や緑は患者の健康にいいはずよ」
「とすると、もしや」
「ああ。この部屋の飾りつけも彼がやってくれたんだ。今日は新任の先生方の歓迎会をすると言ったら、お二人には早速お世話になったばかりなので、と言ってな」
「しかし実はよくない噂もあってな。彼は……」
湖弓が言葉を切り、周囲の視線が彼に注がれた。
「占いなんぞに興じていると」
軍医たちがざわつく。「なんだって」「占いだと」「軍紀の乱れもここまで来たか」
「
「まさか。ぼくは科学者です。そのような非科学的なことしませんよ」
「顔色がよろしくないようです」
「この暑いのに冷えています。御気分が優れませんか」
「先ほど司令部から戻ったばかりで、少し疲れているの。ごめんなさい。本日はもう失礼するわ」
「ではお部屋までお送りしましょう」
「ありがとう。でも、貴方は今日の主賓でしょう」
「では、廊下まででも送らせてください」
「この炎暑での山越え、御苦労様でした。十分に御休みになってください」
「そうは言っても私は助手席で揺られていただけなのだけれど、バテてしまって情けないわね。おやすみなさい」
*****
宴を終えて
一回り大きい隻眼の蛇が片方の蛇から離れ部屋の中央に出た。
「どうした」
「離れていたほうがいいのか。何かするのか」
部屋の真中に陣取った隻眼の蛇は、一度身体を真っ直ぐにすると、とぐろを巻き、また身体を伸ばした。すると、身体は短く、太くなっていき、ついにはツチノコのような形になった。それから獲物を丸呑みするときのように大きく顎を開いた。あわや裂けるとも見えたが、顎はどんどん開き、喉の奥から青磁色の毛が覗いた。ずるり。蛇が毛玉を吐き出した。毛玉には胴と手足がついていた。赤子だった。
「人の姿に戻るのだろうとは思っていたが、子供になるのは想定外だ。それに、その尻尾はなんだ」
メカクレは舌を数度出し入れし、後ろを向いて尻尾を見た。確かめるように尻尾を上下左右に動かす。顔を正面に戻して
「もしかして、尻尾は予定外なのか」
「もう二、三度脱皮すれば、元の背丈に戻る」その声は、高い子供の声だった。
「だから、尻尾は…………まあいい、これからすぐ脱皮するのか」
「
「着物は持ってきたが、その身体では持て余すな。何か着れる物を見繕わねば」
「宴会に来ていただろう。あまり目立つなよ。今は特にその姿だ」
「うむ」
「ところで。先程お主らが騒いでいた占いというもの、聞いたことはあるがどういったものかようわからぬ」
「占いか。説明するのが難しいな。そうだな……なにやらまじないのようなもので、先の出来事を見透かそうとするもの、といったところか」
「なんと。これから何が起こるかなぞ、まじないで判るわけなかろうに」
「もちろんだ。だから上官たちが問題視している。非合理的で、まったくもって前近代的な風習だ……まるで時代小説のような」
「お主は占いとやらが好きではなさそうだの」
「当たり前だ。ぼくは医者だ。科学者だ。占いなぞは信じない」
シャツの裾は床を引き摺る丈で、袖も余っていた。
「こんなところか。当面はこれでも着ていてくれ。しかし」
「普段は中にしまっている、ということか」
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