二日目
参 白い水、赤い水
昨日と同じ、窓のない小部屋。
机に向かい、
「狼ですか」
「あゝ。あの毛を詳しく調べたところ判明した」
「もう、絶滅したものと思っておりました」
「
「もし、狼の生き残りがまだ潜んでいたら恐ろしいです」
「恐ろしいだなんて、嘘をつけ」
ふふ、と
「やっぱり、バレてしまいました。ねえ、絶滅したはずの狼が、なんて、探偵小説みたいではありませんか」
「
「前に、健康証明なし密入港者の取締りを手伝ったことがあるでしょう。私、結構楽しんでやっていたのですよ」
「探偵みたいで、ということかね」
ええ、と答えて
「最初の警官二人が殺された場所を覚えてらっしゃいますか」
「中島公園だったかな」
「はい」
「ちょっと、札幌郡の南部に寄っているでしょう。ですから、狼が潜むなら、
二つの点の南西に、三つ目の丸が付けられ、丁度正三角形に近い形になった。
「
「サンプル数が二つだけでは、なんとも言い難いように思われるが」
「
「
「只の噂だ」
「そうですけれども……他には、同期たちと噂していた、中島公園の見世物小屋から、怪力男が抜け出して、
「女性狙撃部隊では、探偵小説、
「だって、せっかく訓練を終えたのに、実戦投入前に終戦、はい解散、でしょう。刺激に飢えているんです」
さらりと言ってのけた玉の声は、しゃらん、猫の鈴が鳴るかのよう。
「物騒だな。そんなに刺激が足りなければ、また洋酒を呑みにバーでも行こうか」
「先日は潰れてしまって、失礼しました」
「
「と、とにかく、私たちが事件解決に貢献できたら、
「まあ、
「本当に刺激が足りないかな」
「最近合成されたばかりのカロン香料を使った香水だ。珍しい香りだから、お気に召すか不安だったが、気に入ってくれたかな」
「えゝ……とても爽やかな香り」俯いたまま、
「それは良かった。君に似合うと思ったんだ。リスブランから取り寄せた
*****
部屋を出ていく
「もう出てきて
書棚がごとりと揺れ、下半分にある鉄の引き戸が開き、メカクレが這い出してきた。くあぁ、と欠伸をする。
「
『一日目』と筆文字が映し出された。
スクリーンには、椅子に縛り付けられた女が映る。先の女と同様、腹は大きく膨れている。見たところ傷もない。画面が切り替わる。『二日目』、『三日目』――――
『四日目』女の全身が震えている。
『五日目』鼻血を流しだす。
『六日目』目と口からも、血がだらりと流れている。
「ロブランシュ劇症出血熱だ。君も南洋で散々見て、今更説明する必要もないだろうが」
メカクレは横目でちらりと銀幕を見たが、すぐ手元に視線を戻した。
「目、鼻、歯茎、全身の粘膜からの出血……教科書通りの症例だ」
『七日目』胸に二つの大きな血染み。
「思春期以降の女性では乳頭から出血する例は多いが、妊婦はそもそも乳頭が肥大し充血する傾向があるからか、より
『八日目』下半身の服は血で染まり、裾から
「妊婦だと子宮からの出血は特に多いな。南洋では妊婦は
「水が、なんと」
「
『九日目』耳と手の指先からも出血。腕には点滴。
「映像が荒いが、耳と、おそらく爪と肉の間から出血している。他の出血熱――
『十日目』床の血溜まりに、黒い肉塊。それは、黒い涙を流しているように見える。
「通常、妊婦がロブラを発症すると自然流産する。胎内で母子感染した上で、だ。この血も、母親のものか胎児自身の血か分からないな」
「見ていると、やはり南洋を思い出す」
「折角生きて北海道に帰って来れたというのに、またロブラとは。最近は札幌郡での感染報告はほゞ無かったのだ。
「軍から応援という話になったとき、当然最初は憲兵が、という流れになり、彼らも最初は
メカクレは首を傾げた。彼の口の
「あゝ……終戦直前、ロブラに
たしかこのあたりに、などと呟きながら、
昨日正午頃、下院審議中の議事堂に
議事堂内は至る所に血肉が飛び散り、阿鼻叫喚の
遺書全文は
ロブラ
政府は、先に
ロブラ
昨日、衆議院議員のうち最後の入院患者であつた
降伏文書受諾の
「憲兵は前線に出る兵科と比べて
「結局、正式には警察が捜査を続けるが、憲兵も少人数で捜査する。伝染病調査班も医学的観点から資料分析などに協力する、ということになった」
スクリーンの上で、女はぴくりとも動かなくなっていた。
しかしまだ温もりが残るであろう身の
そしてそれは身体の外側とて同様で、彼女を覆う血模様は、その
フィルムは終わり、画面は暗転した。
「いっそ
「はて」
「元々はこのフィルムだけが流出したのを、偽装の
次のフィルムが廻り出した。スクリーンが再び白く光り、「社会に仇なす違法妊婦へ罰を」と同じ筆文字を映した。
場面はすぐ医務室に変わった。
ベッドに横たわる、腹の膨れた女を横から撮っている。女の患者衣は前がはだけ、手脚はそれぞれベッドの柱に縛り付けられて広げた状態で固定されている。腰の下には台か何かが置かれているようで、腰が高く上がっている。
「この膨らみ具合だと大方、六ヶ月か七ヶ月辺りだろう。服越しでも目立って来る時期だ」
スクリーンを眺めながら、
ペスト医者が画面に現れ、鉄パイプのを女の脚の間に差入れはじめた。服の陰で何処に
「
「
皮膚はゴムのように伸び続け、パイプの形がわかるほど。そのうち伸び切ったのか、花開く様に皮は裂け、血と軟組織を
「それに、今見た通り、人間の皮膚というのは存外弾力に富んでいて、
ペスト医者が立ち去り、スクリーンから消えた。
「それほど
「たしかに君からすれば簡単かもしれないが。とにかく、喉を握り潰された警官にせよ、今のフィルムにせよ、真っ当な人間の仕業とは思われない。万が一、軍の人体実験としても、まさか怪力の人造人間を作っていた訳でもあるまいし」
ペスト医者はすぐに画面へ戻って来た。
手に持つ
鉄パイプの先端では、鉄棒に押されて、内部に詰まっていた血や軟組織が
また燃焼反応は、外から見えずとも、皮膚の下で同時進行しているはずだった。筋肉は高温で一気に収縮し、羊水は煮立ち、串刺しの
「本当は、こんなことをしている余裕はないのだがな。
話す間に鉄棒は進み、下から顔を出していた。女は激しく
しゅる、か細い断末魔と共に、フィルムの終端がリールに巻き取られて行った。
「押収したスナッフ・フィルムは他にもあるが、どれも似たり寄ったりで、もう十分だろう」
メカクレがくぁ、と
*****
「こら。食べ物じゃないんだ」
「メカクレも
メカクレの視線の先、
「あゝ、隠れてしまったではないか」
二人は、カフェ・テーブルを挟んで向かい合っている。皿の上には食べさしの巻き寿司。室内には
「大人にして、
「
「大違いだ。
「やまねは触るなと、南洋では
「当然だ。ロブランシュ・ヤマネはロブラを媒介する。君は感染しないかもしれないが、ぼくに
「たしかに、見ぬ」
「ロブランシュ・ヤマネは寒さに弱いからな。その点ソウギョクモモンガの原産地は北極圏にも近い高緯度帯で、寒さに強い。その分、暑さには弱いが、北海道で飼うには問題ない。やはり大違いではないか」
メカクレは首を傾げ、モモンガと二十日鼠を見比べた。ミドリも袖から顔だけ出して同じ仕草をした。ザフィアは再びポケットに潜り込み、
「とは云え、可愛らしいのと、人に良く
そう語った
「ふゝ、くすぐったいな」
ザフィアが
「危ないから、もうお家にお帰り」
「とにかく、この後は札幌警察署の刑事とやらが、スナッフ・フィルムの調査報告書を取りに来るんだ。だから、ぼくは一度司令部に戻るが、君たちは
背の高い三面鏡に整った横顔が映る。ツンと尖った鼻先に、くるりと山形に反り返る上唇と、艶のある薄い下唇。歯に海苔が残っていないことの確認も
軍帽がアッシュ・ブロンドの上に載ったところで、黒電話が鳴った。
「お嬢様、課長さんからお電話が……その、
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