第7話
侍女長は一礼すると、私に顔を向け
「ついて来なさい」
と声を掛けた。
私はコクンと頷いて公爵に背を向けた。扉へ向かう侍女長の後に付いて部屋を出ようとする私に、公爵が声を掛ける。
「そうだ。君の名前はなんというの?」
私は振り返り
「ニコル……です」
そう答えた。
公爵はフッと微笑むと
「そうか……。良い名だ」
と言って、私に背を向けた。また窓の外を見ている様だ。
「さぁ」
侍女長に促された私はその後について部屋から一歩踏み出した。その私の耳に
「もう二度と呼ばれぬ名だが」
という公爵の呟きが届いたが、私には全くその意味が理解出来なかった。
部屋へ着くと侍女長は、
「何かあったらそのベルを鳴らしなさい。勝手に部屋の外へ出歩かない事。食事は直ぐに用意します」
そう言って、私の返事を待たずに部屋を出て行こうとする。私が彼女を呼び止めようとした瞬間、彼女はクルリと振り返り、
「ここに誰か来ても何も喋らないように」
と最後に釘を刺して部屋を出て行った。私は結局何も言えず、その背中を見送った。
「なんなのこれ……」
私はそう独りごちる。
使用人として連れて来られたはずなのに、仕事の話は一切なし。着せられたのはお仕着せではなく、高級なワンピース。
使用人の部屋ではなく、客間の様な場所へと案内され、極めつけは部屋から出るな、何も喋るなとと言う。
私は困惑しながらも、長椅子へとポスンと腰掛けた。そして大きくため息を吐く。
これならまだ女将さんに怒鳴られながら、食堂で働いている方が全然マシだと、今の私はそう考えていた。
部屋を見回す。この部屋だけでもうちの食堂より随分と広い。私達の全世界がこのひと部屋ですっぽりと収まってしまいそうだ。
私はもう一度立ち上がり、部屋の中をウロウロと見て回る。……やっぱりない。
私のあの小さなくたびれたカバンは何処にも見当たらなかった。本当に捨てられてしまったのだろうか……あの中には……。そう考えていると、扉をノックする音が聞こえた。
しかし何故か私がどうぞ……と返事をする前に、部屋の扉が開かれてしまった。
そこには先ほど湯浴みをさせられた時に居たメイドの一人が立っている。癖の強い赤毛をお下げに結ったその女性は私より少し歳上に見えた。
そばかすが特徴的なその顔は、何故かワクワクした様子が見て取れる。
彼女の手元にはワゴンが押されていて、どうやら私の食事を運んで来てくれた様だ。
彼女は私の顔を見て、開口一番、
「ねぇ、あなたって何者?」
と好奇心でその瞳を輝かせて私へと尋ねた。
「私は……」
口を開きかけて、直ぐ様黙る。何も言うなと言われたばかりだ。
彼女はそんな様子の私を気にするでもなく、畳みかける。
「ねぇ、もしかしてご主人様の……情人とか?」
「……!!違います!!」
誤解されたくない気持ちから、強めに否定してしまった。私は不味いと思い、口を手で防ぐ。これ以上話したくないというジェスチャーのつもりだったのだが、彼女はそんな事、お構いなしだ。
「へぇ~。でも……貴族って訳じゃなさそうよね。じゃあ、愛人?」
言葉を変えただけで意味は同じじゃないか!!私は口を手で塞いだまま、首を横にブンブンと振った。
「ふーん……じゃあ恋人?綺麗な顔してるもんね。化粧したら見違えたもん」
公爵家に勤めるメイドって、もっと……こう……お高くとまっているものだと思っていたが、こんな調子で良いのかと私は疑問に思った。
私は改めて首を横に振って否定する。何も喋っていないのだからセーフだろう。
「チェッ!ハズレかぁ。これじゃ賭けが成立しないじゃん」
その赤毛の彼女は大袈裟に肩を竦めた。
「賭け?」
思わず口に出して尋ねる。
「私はあなたがご主人のお相手だって思って、それに賭けてたんだよねぇ」
「賭け……」
「そう。さっきあなたを湯浴みさせた連中でね、賭けてたの。だって、あなたの事は他言無用!なんて箝口令が敷かれちゃったから、間違いなく訳ありだって予想していたんだけどな」
「貴女は何に賭けたの?」
「私?私は情人。あなたって身体つきも良かったし、色気もあるし。ご主人様のお気に入りで水揚げでもされたのかと思ったの。……でも身体で籠絡したって割には裸を見られるの嫌がってたから、そこはちょっと引っかかってたんだよね」
あっけらかんと言う彼女に私は目を丸くした。私が地獄の様な恥ずかしさを味わっていた時、周りのメイドは私をそんな目で見ていたのか……と。
「私は娼婦じゃありません!」
「うーん……そうみたいね。じゃあ誰なの?」
そう改めて尋ねられて、私はまた口をつぐんだ。
「やっぱり訳ありって事ね。まぁ、ご主人様に女の影か?って皆物珍しくて浮足立っちゃったの。なんか、ごめんなさい」
彼女はそう言って私に謝ると、
「あ!夕飯。テーブルに並べるね。冷めちゃったらお料理に申し訳ないし」
とテーブルへと料理を並べ始めた。
「手伝うわ」
私も彼女と一緒に皿を並べる。
「へぇ~手際良いね」
「……食堂で働いてたから」
私はそれだけ答えて、黙々と自分の食事の用意を手伝った。
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