第3話
私は男達が食べ散らかした皿とグラスをお盆に乗せる。他の客には、
「どうも皆ありがとう」
と軽く礼を言った。
あいつらが威張り散らすのはいつもの事だが、流石に身体を触られたのは初めてだ。……まぁ、私で良かった。気の弱いレイラなら泣いてしまっていた事だろう。
厨房に下げた皿を持って行くと
「大丈夫か?」
とアダンが心配そうにそう言った。
「大丈夫、大丈夫。お客さん達に助けてもらっちゃった」
「ごめんな。俺が先にあいつらの機嫌を損ねちまったから」
「アダンのせいじゃないよ。……レイラじゃなくて良かった」
「ニコ……お前だって嫌だろ?助けてやれなくてごめん」
「いいよ。痛い目にはあわせたから」
私がニッと笑うと、アダンは苦笑した。
「あんまり無茶はすんな。兄として心配なんだ」
……そう。アダンは本当の私の兄だ……多分。四歳のアダンは生まれたばかりの私を抱いて、道端で蹲っていた所を女将さんに拾われた。
アダンの朧げな記憶には、母の顔しかないと言う。父親は分からない。母親は私とアダンを置いて家を出て行った……らしい。
アダン曰く『お前が日に日に弱っていって怖くて誰かに助けを求めたかったんだと思う。家に居ても誰も助けてくれなかったから』という事だ。
レイラは私達より先に女将さんの所に居た。レイラは女将さんの知り合いの娼婦の子どもだと言う。その娼婦がレイラを置いていなくなって為に、女将さんが代わりに育てたのだそうだ。
女将さんがどうして私達を拾い育てたのかは分からない。本当は心優しい女性なのか、それともタダ働きの従業員が欲しかっただけなのか。どちらにしろ、私達は女将さんに命を助けられた。それについてはとてつもない恩を感じている。……だが怒鳴られるのは正直嫌気がさしている。
いつもと変わらぬ毎日。街の雰囲気は何となく暗く、活気がない。気を吐いているのは反乱軍に加担している者だけ。街の多くの人達はその状況に疲弊していた。
俯くな、前を向けと言われても、ついつい足元を見てしまう……そんな生活。
そんな生活がいつまでも続くのだと思っていた。……あの日までは。
「ニコル、あんたにお客さんだよ」
裏庭で洗濯物を洗っていた私に、女将さんが声を掛けた。
「客?」
私を尋ねてくる人間なんて、見当もつかない。……何かしたっけ?酒屋で支払いを忘れたとか?いや、そんなはずはない。
私は手荒れの激しい手をエプロンで拭きながら
、店の方へと向かった。
私が店の方へと顔を覗かせると、
「ほら。こちらの方があんたに用があるんだとさ」
と女将さんが手のひらで指し示した人物をマジマジと見る。誰だ?このオッサン。
「こ、こんにちは……」
誰だか分からないそのオッサンに私はペコリと頭を下げた。
そのオッサンはとても上質なジャケットに対になったトラウザーを履いており、一目で金持ちだとわかる風貌だ。白髪交じりの髪をキッチリと撫でつけ、銀色の口髭を蓄えてほんの少しの笑みを湛えたそのオッサンは、私を見て、少し目を丸くした。
……変なの。私を訪ねて来たくせに、私を見て驚くとは。
直ぐ様そのオッサンは元の貼り付けた様な微笑に戻ると、
「はじめまして。私はベイカー公爵家で執事をしております。名をケビン・フェアマンと申します」
と私に自己紹介をし、手を差し出した。
「は、はじめまして」
私はもう一度自分の手をエプロンでゴシゴシと拭いて、その手をおずおずと取って握手した。
しかし、そのケビンと名乗った男性は直ぐに私の手を離した。……まるで時間が経つと貧乏が伝染るとでも思っているかのように。
もう一度その男性の顔を見るが、全く見覚えがない。さっき、向こうも『はじめまして』と言っていたし……。で、金持ちの上級貴族に仕える人が私に何の用があると言うのだろう。
「こちらの女将さんにも、先ほどお話させていただいたのですが、貴女……ええっと……」
「ニコル、です」
「あぁ、そう。ニコルさん。貴女を我がベイカー公爵家で雇いたいと思いましてね」
「へ?今、なんと?」
私は自分が聞いた今の言葉が全く理解出来ずに、もう一度聞き返していた。
「我がベイカー家で使用人として働いていただきたいのです」
私としては『何故?』という理由を教えて貰った方が、この理由の分からない状況をもう少し納得出来る材料になるのだが、ケビンという初老の男性は『働け』と繰り返すばかりだ。
「あの……何故私がその……ベイカー家?でしたっけ。そのお屋敷で働かなければならないのですか?……嫌なんですけど」
そう理由を訊いた私に、そのケビンいう男性は驚いた様な表情で、
「は?まさか断るのですか?我がベイカー家は公爵ですよ?それを聞いて断る理由の方がしりたいぐらいです」
『何故』の問いの答えは分からないが、そんな好条件を聞いてどうして断るという選択肢があるのかと、彼が心底驚いた……というのはわかった。
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