第4話

「私はそんなご立派なお家で働ける様な能力も無いし、立ち振舞いも出来ません。そんな所で働いていく自信はありません。ご遠慮いたします」


きっぱりと断った私に、女将さんも


「すみませんねぇ。この娘もこう言っていますから、この話は無かったって事で」

と私達の間に入ってくれたのだが、


「ん?女将。ではいくら出せば良いのだ?」

とその男性は飄々とした表情でそう言った。


「いくら……って言ってもねぇ。今はお金があっても流通している品物自体が少ないからねぇ。こちとら、商売にならずに困ってる所ですよ。それにこんな娘でも貴重な人手なんでね」


『こんな娘』と言われたのには少しムカつくいたが、ここは女将さんに任せたい。……どうもこのケビンって男は好きになれない。



「ふむ……なるほど。では我が公爵家に置いてある取っておきの酒を持ってきましょう。それに備蓄として置いてある小麦や、野菜も提供しますよ。人手ならお任せ下さい。うちの使用人の一人をあてがいましょう。それでどうです?そっちには利益しかないでしょう?その上に謝礼も払いましょう」

にこやかにケビンという男性は笑っている様に見えるが、目が笑っていない。『断るな』という圧が半端ない。正直怖い。だって、そんな好条件を並べてまで、何故私なんだ?その理由は全く教えて貰えない。……まるではぐらかされている様だ。


女将さんも私と同じ様に圧を感じたのか、半歩ほど後ろに後ずさる。そしてチラリと私を見た。


「あの……申し訳ないんですけど、この娘にそんな価値があるとは思えませんよ。逆にそんな好条件……信じられません」

女将さんもあまりにも納得出来ない話しのオンパレードに疑う気持ちが強くなったようだ。


「ふん。馬鹿な女だ。……私にはここを潰す力もある。優しくしている内に賢い選択をした方が良い。でなければ、明日から路頭に迷う事になるがいいのかな?」


「……脅しですかい?」


「そう受け取って貰ったって構わない。どうする?この娘を差し出すか、それとも明日から仕事も住む場所も無くすか」


女将さんとケビンという男性は睨み合ったまま動かない。


今の今まで、女将さんに優しくされた事もなければ、褒められた事もなく、怒られるばかりの人生を面白くないと感じる事もしばしばだった。

女将さんには感謝はしている。だけど、女将さんから愛を感じた事はなかった。


だが、今は違う。私を守ろうとしている女将さんの気持ちが嬉しかった。しかし、ここで女将さんが折れなければ、本当にこの店を潰される事になるかもしれない。……それは兄であるアダンまでも巻き込む事になるのだ。


「女将さん。私、此処で働くのはもう懲り懲り。このオッサンについて行った方が、金にも食事にも困らないだろうし、人生楽しく過ごせそうだからさ、だからもうやーめた!!」

私は女将さんに向かってそう言うと、次はケビンという男性に向かって、


「ねぇ、いつからその……ベイカーさん?家に行けば良いの?」

と笑顔を見せた。


「なんなら今からでも」

ケビンという男性は私にまた胡散臭い笑顔を見せた。


「い、今から?」


それは困る。アダンやレイラとお別れすら出来やしない。


「逃げられても困りますから」


その答えに思わず恐怖を感じる。こんな好条件なのに、私が逃げるのでは……とこの男は思っているのだ。


「……お金と酒、野菜や小麦はちゃんと持って来てくれるの?」

と言った私に


「もちろんです。貴女がベイカー家に来たら直ぐにでも」

とケビンという男は頷いた。


「……わかった!じゃあちょっと荷物だけ持って来ても良いでしょう?」


「ふむ。まぁいいでしょう。私は忙しいので、なるべく早くお願いしますよ」


そう言われた私は彼に背を向けた途端に、見えない様に舌を出した。


女将さんは何とも言えない顔をしている。……きっと私の本心はわかっているのだろう。


私はそれ以上女将さんの顔を見ていられなくて、急いで自分の部屋へと駆け戻った。


ほんの少ししかない着替えや持ち物を小さなカバンに詰めていく。

すると慌てた様にアダンが私の部屋の扉をノックもなしに開けた。


「おい!お前、ここを出ていくって本当か?!」


「うん。なんかここより待遇良いみたいなんだぁ。だから、心配しないでよ。高い給金貰ったら、アダンにも新しい洋服でも買ってあげるからさ!」

私はアダンに背を向けたまま、そう言った。

本当は顔を見るのが怖い。声色で分かる、アダンが怒っている事を。


小さな頃、冬の凍てつく様な冷たい水で洗濯をさせられて泣いていた私のかじかむ指先を自分の両手で包み込みながら、アダンは言った。

『絶対にここを二人で出ていこう。それまでの我慢だ。俺がニコを守るから』


その約束を、私は果たせなかった。


「ニコ!こっちを向けよ!!」

アダンは強引に私の肩を掴んで、自分の方へと私を向かせた。


「……!」


きっと、私の頬を流れる涙を見て、何も言えなくなってしまったんだろう。アダンはそのまま言葉を飲み込んだ。


「アダン……これしか選べる道がないの。約束……守れなくてごめん」


「……ニコ……」


私はアダンの顔をまともに見れなくなって、小さなカバンを胸に抱える様にして立ち上がると、アダンの横を走り抜ける。


「おい!」


アダンの声から逃げる様に、私は部屋を後にした。

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