第2話

「あ~痛てて」

もうあの男性の視界から自分の姿が見えなくなった頃を見計らって、私は走るのを止めた。止めた途端に痛みを感じて、私はどこかの店の壁にもたれる様にして体を休めた。


「もう……。今日はついてない」

誰に聞かせるわけでもなく、そう呟いた。



しかし、ここでゆっくりしている時間はない。余計な事に巻き込まれたせいで、食堂の夕方の営業時間が差し迫ってしまっていた。


「また怒られる……」

私は痛む足を引き摺りながら、目的の酒屋へと向かった。



「遅かったじゃないか!!」


ほら……怒られた。


「すみません……。ちょっと馬車にはねられかけて……」

なんて言い訳をしてみるも、


「はぁ?!こんな酒しかなかったのかい?チッ!あの酒屋も、もう役に立たないねぇ!」

と女将さんは私の買ってきた酒が気に入らないのか、大声で文句を言っており、私の言葉など耳に入っていない様だった。



「気にするな。思い通りに食材が手に入らずイライラしてるんだ」

アダンが厨房から顔を出して私に声を掛ける。


「別に気にしてないよ。女将さんに怒鳴られるのは慣れてる」


「そんなものに慣れるなよ。っと、足、どうした?」


無意識に片足を庇いながら歩く私に気づいたアダンは心配そうにそう訊いた。


「制御不能になった馬車が突っ込んできた」


「は?!大丈夫なのか?!」

顔色を変えたアダンが厨房から飛び出して来た。


「間一髪、助けてくれた人がいたの。その時に足を捻っただけ」


私はそう言ってからあの男性にお礼を言うのを忘れた事に気づいた。


「お礼……言わなかったな」

私の呟きは


「ほら!!さっさと準備に取り掛かりな!!油を売ってる暇はないんだよ!」

という女将さんの怒鳴り声にかき消された。





「いらっしゃい!」


「あれ?今日はレイラちゃん居ないの?」


「今日じゃなくて、今日だよ。レイラは結婚したから夜働かないって言ったじゃないか」


「あ~そうだったかぁ。チェッ、レイラちゃんに会うのが楽しみで此処に来てたのによ~」


「残念だったね」


「仕方ない、ニコで我慢するか」


常連客も最近はあまり顔を見せなくなった人が多い。この男性客も、だんだんとうちの店から足が遠のいている。それは何もレイラが結婚したから……だけではなく、


「おい!!酒を持って来いよ!」

と酒に酔って叫ぶ男の声が店中に響く。


先ほどまで私にレイラの事を訊いていた客も、


「今夜もあいつらがいるのか。チッ。今日は早めに退散するかな」

と私が今しがた持って来た酒を一気に飲み干すと、


「勘定はここへ置いとくよ」

とテーブルに小銭を置いて、さっさと店を出ていった。


「他の客の迷惑になるんで、少し静かにしてもらえますか」

渋い顔をしたアダンが酒を数人の男が囲むテーブルに置きながら、さっき大声を出した客にそう言った。


「はぁ?お前、俺達が誰か分かってるのか?この国の為に命を掛けて戦ってる、俺達に何だ、その態度は」


「別に俺はあんた達のお陰で楽になったり、幸せになったりって事はないんですけど?それに自分でその道を選んだだけで、俺は頼んでないけど?」


「な、何だと?!」

その男が立ち上がって、アダンの胸ぐらを掴む。アダンは相手から目を離さずに睨んだままだが、体格的にもアダンの方が分が悪い。私が仲裁に入ろうとする前に、


「まぁ、まぁすみませんね。うちの息子が。反乱軍が頑張ってくれているお陰で、この国の未来が明るい事はちゃーんと理解してますから。この酒を一本ご馳走するんで、今日の所は勘弁してやってくださいな」

と女将さんが、その場を宥める為に、少し値の張る酒を持って現れた。


「チッ!!息子の躾ぐらいちゃんとしろよ」

その男はアダンから手を離すと、どっかりと椅子に腰を下ろした。アダンは乱れた胸元を無表情のまま直すと、何も言わず厨房へと戻って行った。


「機嫌直して下さいな」

と女将が酒を注ごうとするのをその男は手で制し、


「お前みたいなババァじゃなくて、あの若い女に酌をさせろ」

とその男は私を指差した。同じテーブルの男達はニヤニヤとその様子を見守っている。


突然指名された私は思わず、眉間にシワが寄る。私もあの男達が苦手だ。最近良く顔を出すようになったあいつらは反乱軍のメンバーなんだと喚いているが、それを証明するものは何も無い。

だが、ああいった連中が町に増えて治安が悪くなっているのもまた真実なのだ。


女将さんが私を手招きする。……仕方ない。苦手だが、ここには私しか居ないのだ。



「はい」

だからといってこいつらに愛想良くするつもりはない。


「おい。可愛げがないな。もう少し笑顔で酌が出来ないのか?」

とさっきの男と同じテーブルで大きな顔をしていたもう一人の男がそう言った。



「すみませんね。可愛げは母親のお腹に置いてきました」

と顔も見たことがない母親のせいにする。


すると、さっき大声を出した男が私の尻を触る。


「ちょ……っ!!」

私は酌をしていた酒の瓶をドンと置くと、その手をひねり上げた。



「いててててて!!!」


「ここはそういう店じゃないんだ!触りたいなら、娼館にでも行くんだね!」

私が睨みながら言うと、他のテーブルに居た常連客達が、


「兄さん達、ルールは守るもんだ。今日は大人しく帰りなよ」

「さすがにそれは見過ごせないよ。ここには酒と食事をしに来てるんだ」

「そういう店は他にもある。そこに行くんだね」


彼らを取り囲む様に常連客が責め立てると、男は私の手を振りほどいて、


「クソッ!!こんな店、二度と来るか!!

と捨て台詞を吐いて、店を大股で後にした。


女将さんはさっさとそのテーブルに置かれた金を集めると、


「ニコル、さっさと片付けるんだ。他の客にもさっさと料理を出しな」

とエプロンのポケットに金をねじ込みながら、私にそう言った。

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