身代わり王妃の最後の100日間

初瀬 叶

第1話

「ニコル!!掃除が終わったら買い物に行けと言っただろう?!」


あ~また、煩いのが来た、来た。


「女将さん、さっきは買い物の前に洗濯物を取り込めっていったじゃないか」


「ニコル!口答えすんのかい?あんた、誰のお陰でご飯が食べられてると思ってるんだい?!」


「はい、はい。女将さんのお陰ですよ。じゃあ、このシーツを取り込んだら買い物に行きますから」


「さっさとしとくれよ!客に出す酒が底を尽きそうなんだから」


……ならば、もう少し余裕をもって……いや計画性を持てよ……と言いたくなるが言わない。孤児だった私を拾って育ててくれたのは間違いなく女将さんだ。逆らうことは許されない。


昼は食堂、夜は飲み屋を営む女将さんは私の他にも、もう二人孤児を引き取って育てた。一人はアダン、この食堂の料理を担当している。もう一人は給仕担当のレイラだ。ちなみに私は裏方担当。……そう雑務係ってわけ。


最後のシーツをたたみ終わると、私は財布を握って勝手口へと向かう。料理の仕込みをしながら、アダンが、


「町は今、物騒だ。気をつけろよ」

と私に声をかけた。


我が国のレインズ王国は今や王国軍と反乱軍の紛争があちこちで起こっていた。王を始めとする王族や宮廷貴族の横暴に反旗を翻した下級貴族や、商工業者、金融業者を中心とした反乱軍は、どんどんとその勢力は大きくしていった。

地方にも続々と小規模な反乱軍が増え、それに参加する若者が後を絶たなかった。


しかし……たとえ王政が倒れ、宮廷貴族が解体となったとて、私達庶民の暮らしが急に楽になるのかと言われれば、そうではない。残念ながら支配者が変わるだけだ。強いて言うなら身分制度は無くなるようなので、可能性は広がるのかもしれない。だが私みたいななんの取り柄もない二十歳の女にはそのチャンスを掴み取ろうとするガッツもないので、私にはなんの変化もないだろう。

朝起きて、食堂の仕事をする。終われば眠ってまた朝が来る。その繰り返し。

王や貴族の無駄遣いのお陰で国の金は随分とカツカツらしい。そのお陰で税金が高く、皆が苦しんでいた。それが少しでも楽になるなら、反乱軍バンザイと大声で叫んでも良いが、私には今のところ何の恩恵も見当たらない気がする。



ただ、反乱軍の下っ端どもが、町ではばをきかせており、なんとも治安が悪くなってしまった。

自警団も反乱軍に加担する者が多く、犠牲になった若者も多い。自警団の人数はぐっと減り、年寄ばかりの自警団には、街の治安を良くする術はない。

流石に夜出歩く事が出来なくなってきた。私は住み込みで働いているので良いが、最近結婚したレイラは夜の帰宅が危ないから……という理由で昼間の食堂でしか働かなくなってしまった……必然的に私の仕事が増える。最近は疲れが溜まって、寝台にたどり着くと気絶する様に眠る毎日だ。



「危ない!!!」

疲れからか、或いは最近ろくな食べ物を食べていないからか、少しボーッとなっていた私に制御の効かなくなっていた馬車が突っ込んで来ている事に全く気付けなかった。


その声に我に返った時には既に馬車に繋がれた馬が直ぐ側まで近づいて来ており、私は『ああ、終わったな』という考えが頭を過った。……が、その一瞬後には私は誰かに抱えられる様にして、道端に転がっていた。


「何をボーッとしている!!死にたいのか!!」

私を抱えていた誰かが私の体を離しながらそう怒鳴る。『死にたいのか』と訊かれれば『否』と答えるが、今、私が死んだからといって誰も困らないだろうな……と虚しい気持ちに襲われた。


道に転がったまま、私を助けてくれたであろう男性を見上げた。彼は太陽を背にしており、顔は良く見えない。私を立たせようと手を伸ばしてくれている様だったので、私はその手に向かって自分の手を伸ばした。


「ノア!不味い!」

その瞬間、他の誰かの声が聞こえる。その声はとても焦っている様だった。私の手が空を泳ぐ。

私を助けてくれた誰かさん……いやノアと呼ばれたその男性の視線は馬車から降りて来ようとしていた男性へと注がれる。そして、


「気をつけろよ」

そう私に言い残すと、そのノアと呼ばれた男性はもう一人の男性と共に、走ってその場を去る。私はその背中を上半身を何とか起こして見送っていた。



「大丈夫ですか?」

額に尋常ではないほどの汗を滲ませた御者が、走り去ったノアと入れ替わる様に、私に手を伸ばした。私はその手に掴まる事なく、立ち上がってスカートに付いた砂埃を払う。

御者の格好から見るに、かなりの上級貴族に仕えている事が伺える。チラリと後ろを見ると、馬車も随分と豪華だ。その馬車から降りてきた人物もこれまた立派な格好をしている。


……関わっちゃいけない。そう本能的に私は察した。


「大丈夫です。お気になさらず」

私はそう言って御者に背を向け歩き出そうとするも、左足首の痛みに顔を歪めた。


「痛っ!」

思わず蹲る。どうもさっき足を捻ったみたいだ。


「大丈夫か?!うちの馬が申し訳なかった」

その声の主の足元が私の視界に入る。私が一生あくせく働いても買えそうにないほどのピカピカの革靴が目に入った。


私はその男性を見上げる様に顔を上げた。またもや日を背にした男性の顔は逆光でよく見えないが、綺麗な金髪が日にキラキラと輝いている。


私はやはり関わってはいけないという本能に従って、痛みを堪えて立ち上がった。


「大丈夫です」


すると、その男性はこともあろうか、私の足首を確かめる為に蹲った。

明らかに高貴な立場の男性を跪かせるなど、あってはならない。不敬で罰せられる!そう思った私は慌てて自分もしゃがみ込んだ。


「本当に大丈夫ですから!!」

私は彼を自分の足首から引き剥がすべく、その男性の肩を押した。


「あぁ、すまない。女性の足をジロジロと見るものではなかったな」

その男性は頭を掻きながら私の顔を真正面から見た。私も逆光でないその男性の、その美しい青色の瞳を真っ直ぐに見つめる。


「き、君は……」

その男性はそう言ったっきり絶句した。

私は一瞬の沈黙に気まずくなり、直ぐ様立ち上がると、


「すみませんが急いでますので」

とその場から逃げるように走り出した。後ろで先ほどの男性が


「あ!待って!!」

と私を呼び止める様な声が聞こえる。

私は足の痛みも忘れて、振り返らずにその場を後にした。

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