ぼっちとモデル

はるはる

ぼっちとモデル

「……はぁ」


 もそもそと食べていたチョコチップ入りスナックパンをリュックにしまって、早見はやみ翔子しょうこは今日何度目かというため息を吐いた。


(みんなは楽しんでるのかなぁ)


 今日は通っている大学で学園祭が行われている。

 翔子の同級生をはじめとして、先輩や後輩、それに外部の人たちも含めてキラキラとした青春の一ページが刻まれているのだろう。


(でも、私みたいな陰キャには居場所がないしなぁ……)


 友達、親友、恋人、仲間、サークルや同好会、研究室。

 そういったものとは一切の縁もゆかりもない翔子はお祭り騒ぎの大学ではなく、のんびりと穏やかな雰囲気の公園にいた。大学の最寄り駅から二駅離れた駅の近くにある大きな公園である。


 大学には行けないので、翔子とて可能であるのなら家にいたかった。

 作りかけのブレスレットの続きもしたいし、新しいアクセサリーのハンドメイドにも取り掛かるつもりだった。

 しかし。


(この時間だと、まだ帰るわけにもいかないし……)


 家族には大学では友達がたくさんいて毎日ハッピーと嘘を吐いているので、今日は友達と学園祭を楽しんでいる……ということになっていた。

 そうである以上は今、帰宅すると家族――特に母親に不思議がられてしまう。故にこの時間に帰ることは許されず、こうして公園で夕方になるのを待っているのだった。


(作業の道具、持ってきたらよかったかも……)


 そんなことを思いながらもう一度ため息を吐く。ご飯を食べると、ぼぅっとするくらいしか、やることがなかった。

 昼下がりの公園には翔子の他にもたくさんの人の姿がある。

 別のベンチで日向ぼっこや会話を楽しんでいる人や散歩をする人、お昼ご飯を食べてから集合したであろう小学生たち。特に日向を無邪気に駆けまわっている子供たちと日陰で一人パンを食べている翔子の図は、まさに陽と陰の対比のようで翔子をさらに落ち込ませる。


 ガクッとうなだれていると、


「あのぅ?」

「ひっ」


 突然、声をかけられて翔子は思わず悲鳴のような声を上げてしまった。


「だ、大丈夫ですか?」

「あっ、わっ、えっと」


 若干パニックになりながら、翔子は恐る恐る声をかけてきた方向へ俯き加減で顔を向ける。


 オフホワイトのロゴ入りロングTシャツに黒色のジャンパースカート、足元は黒のハイカットスニーカー。黒のキャップにサングラス、マスクをしているので顔はよくわからないが自分と同じくらいの年齢と思われる女性が膝に手を付いて心配そうにこちらを見ていた。


 まるで変装している芸能人のような姿に、ただならぬ華やかな陽の気配を感じ取って、翔子の喉はさらに細く細く閉まって言葉が出ない。もはや人間とは思えない謎の動物の鳴き声と言われたほうが納得できそうな、か細い声が漏れ出るばかりだった。


「お姉さん、なんか死にそ――じゃなくて、調子が悪そうだったので声かけちゃったんですけど……」


 言い直しされたが、どうやら翔子が死にそうな顔をしていたように見えたらしい。

 正直、翔子本人としては至って普通にベンチに座ってパンを食べてボケっとしていただけなのだが、死にかけていると勘違いされたようだった。


(そっか、でも仕方ないか……。こんな華やかな子にとって見れば私は死んでるも同然か……)


 と、虚無っている翔子の心情が伝わったのか、焦った様子で彼女が胸の前で両手をあわあわと振りながら否定する。


「わわ、違います違います。じょーだんですって」

「あっ、いいんです。死んでるような人生なので」


 ははっと乾いた笑いを浮かべる彼女は困惑したように返事に迷っているようだった。が、急に「あ」と何かに気づいたように短く言葉を零した。


「てかごめんなさい。お話しているのに」


 慌てた様子でサングラスとマスクを取る。

 そして現れた顔に翔子は息を呑んだ。


 まず目が奪われたのは青空のように透き通った瞳。日本人のものとは思えないのでハーフかクォーターなのかもしれない。それに綺麗な顔立ち、きめの細かくハリもあって白い肌。長い睫毛。ポニーテールに結われた栗色のミディアムヘア。将来、美人になることが確約された顔である。


(……冗談みたいにめっちゃ可愛い)


 もちろん口には出さず心の中でだけつぶやく。

 しかし、大人びた雰囲気の中にどことなくアンバランスとも言えるようなあどけなさ、幼さを感じて首をかしげた。


(もしかして……いや、もしかしなくても、この子って私より年下じゃない?)


 顔が隠れていたときは自分と同じか少し下と思っていたが、もう少し年下に見える。

 高校生くらいだろうか? だとしたら、これから友人と遊びに行く途中なのかもしれない。いや、もしかするとデートかも。ティックトックとか好きなんだろうなぁ、などと勝手に想像して、勝手に苦手意識を覚える。

 両手の人差し指同士をツンツンとさせて、いじいじしていると、


「それで、体調大丈夫ですか?」


 改めて尋ねられ、翔子ははっと我に返った。得意の愛想笑いをして返答する。


「だ、大丈夫です。それじゃあ、私はこれで……」


 ベンチから立ち上がって立ち去ろうとするが、「待ってください」と呼び止められてしまった。


「ほんとに平気ですか?」

「あっ、はい。あの、その、サボってるだけなので……」

「サボり?」

「あっ、えっと、ごめんなさい」


 とりあえず謝りながら、翔子はしょんぼりと改めてベンチに座り込む。

 項垂れる翔子に女の子は気を遣いながら優しい口調で言う。


「別に謝らなくてもいいですけど……あたしもそんな日もありますし」

「そ、そう?」

「はい。あたしも学校に行きたくないなぁ、とか。お仕事ちょっと辛いなぁ、とかありますし」

「え? お仕事?」

「ちょっとだけモデル? 的なお仕事をしてて」

「え、え?」

「あ、信じてない顔してるー」


 と言って、彼女はスマホの画面を見せてきた。

 SNSアプリのようで、そこには目の前にいる女の子と同じ女の子が映し出されており、様々な服を着て様々なポーズを取っていた。画面に出ているプロフィールによると名前は姫花ひめかと言うらしい。


(ほ、ほんとにモデルさんなんだ……)


 そりゃあ、そうかと改めて姫花を見る。

 顔も可愛いし、すらりとスタイルもいい。隣に並んで立ったわけではないが、翔子よりも背が高いのがすぐにわかった。まさに「可愛くてごめん」を体現したような可憐な女の子である。


 と、プロフィールを見ていた翔子は目を大きくさせた。


(――えっ)


 プロフィール欄によると目の前の女の子は翔子と同じ年齢でもなければ高校生でもない。なんなら中学生でもなく。


「しょ、小学生なの?」

「はい。見えませんか?」

「う、うん」

「……よく言われます。ランドセル背負ってないと特にわかんないって」


 唇を尖らせるようにして姫花が言う。

 それは姫花の小学生らしからぬ大人びた雰囲気と同年代と比べて高い身長のせいもあるのだろう。先ほど、ベンチを離れようと立ち上がったときにわかったことだが、姫花は翔子よりも身長が随分と高い。百五十センチの翔子よりも十センチは高そうだった。

 それもあって、似合わない、という表現が適切かはわからないが、姫花のランドセル姿を上手く想像することができなかった。それよりもセーラーやブレザーのほうがぴったり似合う。


(あ、セーラー服いいかも……)


 一瞬、そんなことを思って頭の中でつい姫花を着せ替えしてしまった。

 ぼっち女のくせにキモい妄想をしてごめんなさい、と翔子は罪悪感と申し訳なさで首をブンブンと横に振る。突然の奇行に姫花が「わわっ」と驚きの声を零したので冷静に戻った。


「えーっと、おサボりって部活か何かですか?」

「あっ、えっと大学の学園祭で」

「へぇ! てことは、お姉さんって大学生なんですか!」

「う、うん」

「若く見えますね! 高校生くらいかと思ってました」


 逆に言えば、翔子は大人っぽくない、年相応の雰囲気でないということだろう。

 もちろん、姫花の言葉が表裏なく純粋なものだというのは、にこやかな笑みを見ればすぐにわかる。自分に大人びた印象や色気がないことは翔子自身が一番理解していた。


「でも、学園祭って楽しそうなのになんで行かないんですか?」

「あっ、ほら、私は友達がいなくて……」

「お姉さん……」


 あはは、と努めて明るく笑って見せる翔子だが、対してこちらを見つめる姫花の表情は何とも言えない困ったような色を滲ませていた。当たり前である。小学生を相手に返答に困る自虐してしまった自分が情けなくなる。


「あっ、それじゃあ私はこれで……」


 気まずさと姫花から逃れるように立ち上がろうとすると、「待ってください!」と、また呼び止められてしまった。


「…………」


 再びベンチから離れることができず、ガックリと腰を下ろす。

 今度はなんだろう、と姫花の言葉を待っていると、その姫花の視線は翔子のリュックに向けられていた。


「そのクマちゃんカワイイですね☆」

「あ、ありがとう……?」

「めっちゃカワイイですね! どこで買ったんですか?」


 純粋な疑問をぶつけられたのだろうが翔子は返答に迷ってすぐに返事ができなかった。

 答えを言うと、これも翔子の手作りなのだが、そう答えると大体面倒なことになる。早くこの場を去りたい翔子の対人センサーがピコンピコンとエマージェンシーアラートを出していた。

 忘れました、と嘘を吐けばすぐにでも離れられるだろう。

 しかし、自分なんかを心配して声をかけてくれた姫花に嘘を吐くのもなんだか憚られる。ということで決して自慢やマウントではないんだよぉ、と気を付けながら白状する。


「わ、私が作った、的な……」

「まじですか!?」


 ぬいぐるみと翔子とを見比べて、姫花が大げさなほどに驚く。


「え! こんなカワイイの自分で作れるんですか!?」

「う、うん。コツを掴めばけっこう」

「すご! めっちゃすごいですね! いいなぁ」

「そ、そんなに褒めてくれるなら、えと、あげよっか?」

「いいんですか!?」

「う、うん」


 あげるから早く一人になりてぇ……と翔子は素早くリュックからクマのぬいぐるみを外した。姫花に手渡す。


「ありがとうございます。でも、あたしお返しできるものが」

「え、いいよいいよ。また作ればいいし」

「そんなわけにも……」


 うーん、と姫花は腕組みをして眉間にしわを寄せる。数秒ののちに「あ」と何か閃いたような声を上げた。


「良いこと思いつきました」

「へ?」


 嫌な予感しかしない。

 首をかしげた翔子に姫花は自信満々な表情とともに口を開く。


「あたしが友達になってあげます」

「えっ」

「なってあげます!」


 胸に手を当てて「ふふん」とドヤ顔を作られる。この表情をされてもウザさを微塵も感じないのは天賦の才ともいえる。


「い、いやいいよ。気を遣ってくれなくても」

「でもお姉さん、友達いなくて可哀想だから……」

「ぐはっ」


 これが漫画やアニメだったら、翔子は血を吐いて倒れていたに違いない。そのくらいのダメージを心に食らった。優しさは時として残酷である。


「ダメですか?」

「いや、だってほら私たち歳が離れてるし」


 冷静に考えると大学二年生の小学六年生の姫花では年齢が倍近く違う。友達の定義に年齢は関係ないはずだが、微妙に犯罪の香りがしないでもない。

 渋る翔子にダメを押すように姫花は膝を折って屈むと翔子の顔を覗き込むように上目遣いでじっと見つめてくる。キラキラ、うるうると綺麗な空色の瞳が訴えてくる。


「ダメ、ですかぁ?」


 もう一歩、姫花が迫ってくる。

 姫花の顔が文字通り目と鼻の先にまで近づいたことで甘い香りが鼻孔に届く。

 友達になること以上に、まさに今この状況こそが警察官に見られたら逮捕されそうな現場であった。


「い、いい、です」

「やったぁ」


 ついに折れた翔子に姫花が小さな花のような笑みを浮かべた。そして「そういえば」と問いかけてくる。


「お姉さん、名前はなんて言うんですか?」

「あっ、えっ、は、早見です」

「名前です」

「しょ、翔子」

「しょしょうこさん?」

「いや、あの、翔子です」

「翔子さんですね!」


 そして、その流れのまま翔子に拒否権などなくラインを交換させられてしまった。もちろん、姫花のアイコンは自撮りである。めちゃくちゃ盛れていた。


(マジか……)


 中学、高校とクラスのグループラインにすら招待されなかった翔子にとって親族以外で初めての友達である。故にラインの新しい友達の欄に表示されている姫花のアイコンに軽く感動を覚えてしまった。


「……翔子さん?」

「は、はい」

「なんで敬語なんですかぁ?」


 小さく笑みを浮かべる姫花は「ん?」と翔子の顔を見てしばし停止する。まじまじと可愛すぎる顔に見つめられて翔子は目を泳がせるしかなかった。


「てか、よく見たらっていうと失礼かもですけど、翔子さんって普通にかなりカワイイですよね?」

「へっ!? いやっ、そんなことは」

「いやいやありますあります」

「全然全然」

「ありますって」


 翔子の顔をじっと見つめたまま、姫花は小さな声で独り言のようにつぶやく。

 髪がどうやら化粧がどうやら、服がどうやら発している姫花の視線から逃れるように翔子は身をよじる。


「あの、全然ほんとにお世辞とかは」

「違いますよぉ。言っときますけど、誰が何と言おうとカワイイものはカワイイんです。これは絶対ですから。アタシのざ、ざ? ざゆーの、えっと」

「あっ、座右の銘?」

「それです。ですから」


 自信満々な姫花にはっきりと言い切られてしまうと勘違いをしてしまいそうだ。

 だが、翔子とてぼっちを長年務めている自負がある。ここで痛い勘違いを起こすような女ではない。

 首を横に振って否定していると、姫花のスマホに着信音が鳴った。画面を見て、「あ」と姫花が声を零す。


「ごめんなさい。ママが心配しているので今日はもう帰りますね」

「あ、うん」

「そうだ、これは今日のお礼です!」


 そう言って姫花は「ちゅ」と慣れた仕草で投げキッスをしてきた。


「……へ?」

「また遊びましょうね!」


 混乱する翔子のことなど気にも留めていない様子でマスクとサングラスを再び顔につけて、姫花は大きく手を振りながら駆け足で去っていった。

 小さくなっていく背中を見届けながら、翔子の脳裏では何度も姫花の投げキッスの映像が繰り返されていた。姫花のような女の子にされて意識するなというほうが難しいだろう。


 だが、もちろん。


(惚れたら犯罪、惚れたら犯罪、惚れたら犯罪、惚れたら犯罪、惚れたら犯罪……)


 自身を戒める翔子。

 だが、追い打ちをかけるように、


「ぐはっ」


 姫花から初めてのラインが届いたのだった。

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