適応可能な異常
「――正常値が異常の証拠と見做されるのもおかしな話ね」
く、と眉間に皺を寄せて呟いたのはブロンドの女だった。タイトなワンピースの上から白衣を羽織り、革張りの一人掛けソファに座っている。見せびらかすように組まれた長い脚を辿れば黒いオープントゥのハイヒールに行き着いて、光沢のあるエナメルの隙間からは赤いペディキュアの施された指が覗いていた。
膝の上に表示されたホロディスプレイを物憂げに見つめる彼女が、ほんの少しだけ視線を上げる。その先には対面するように置かれたソファと、そこに座る溯春の姿。女が「どう思う?」と尋ねれば、溯春はうんざりしたように溜息を吐き出した。
「別におかしくはないんじゃないですか? 連中は俺を異常者って言いたいんでしょうから」
「それは否定はしないけど……これは少し良くないと思うの」
女がホロディスプレイを指でつつけば、溯春の前にも同じ画面が現れた。そこに映っていたのは複数のグラフのようなもので、端にはどれも同じ日時が表示されている。
溯春の目の動きで彼がグラフを見たと悟ると、女は「私はあなたが心配なのよ、溯春くん」と眉尻を下げた。
「あなたはレベル
「社会性が足りませんか」
「上はそう見てる。私は……ゴーストクリーナーの仕事のせいで、あなたの心が疲れているんじゃないかと」
女が苦しげに目を伏せる。「どんなゴーストも元は人間だもの」言いながら一つ瞬きをして、ゆっくりと溯春を見つめた。
「あなた達
「ゴーストはゴーストですよ。人間とは違う」
「本当にそう思ってる?」
女が鋭い眼差しで溯春を見つめる。しかし溯春は涼しい顔のまま、「ええ」と迷いなく頷いた。
「だったらどうしてあの状況で落ち着いていたか説明してもらえる? 普通は多少なりとも動揺するはずだもの」
「自分の身に危険はなかったからですかね」
「あったじゃない。遺体の一部が飛んできたのよ? 骨だったら怪我をしてた」
「脳みそで良かったと喜ぶべきですか」
「それは……なんとも言いかねるわ」
無表情で淡々と答える溯春に、女は首を振りながら額に手を当てた。苦しげだった顔には疲れが浮かび、言葉を探すように一点を見つめる。
そんな女の様子に溯春は肩を竦めると、「骨でも多分変わりませんでしたよ」と続けた。
「臓物を浴びるのは初めてじゃない。巻き込まれて怪我をするのも」
「……フラッシュバックは?」
「ありません。ああ、でも過去の体験との比較は状況の把握に役立ちました。確かに突然何かが降ってきたことには驚きましたが、その後すぐに自分とは無関係だと分かったので落ち着いていられたんだと思います」
「全部異常な経験なのよ?」
女が心配そうに目元に力を入れる。しかし溯春は表情を変えず、「それも最初だけですよ」と自嘲するように笑った。
「どんなに異常なことも、何度も体験すれば日常です。要は慣れだと思いますよ。ゴーストっていうのはいろんな奴がいますから」
「慣れるほどゴーストに知り合いを殺されたの?」
「いいえ? 幸い知人に被害者はいません」
「でも今回は……」
「自殺でしょう、ゴーストは関係ありませんよ」
きっぱりと言い切った溯春を見て、女は小さく溜息を吐いた。そっと視線をホロディスプレイに移し、何度か操作する。そうして画面が切り替わったのを確認すると、「もし――」と真剣な目を溯春に向けた。
「――もしも飛び降りたのが朱禰支部長だったら、冷静でいられたと思う?」
女の視界の端で、ホロディスプレイに表示されたグラフが一瞬だけ跳ねた。溯春の方からは見えないそれはバイタル情報。少しだけ上がった心拍はすぐに落ち着いていき、元と同じリズムを刻む。
だが、その持ち主の表情に変化はない。相変わらず冷たい目で女を見つめ返し、それまでと変わらない調子で口を開く。
「その場合は犯人を探しますね。彼女は自分から死を選ぶタイプじゃない」
「……犯人を見つけたらどうするの?」
「放り投げるだけですよ、同じところから」
そう答える溯春のバイタルに変化はない。犯人の殺害を示唆しているというのに、先程のようなゆらぎすらなかった。
女は大きく息を吸うと、ホロディスプレイに触れて画面を切り替えた。
「ここが刑務所だって忘れないで欲しいわね」
女が指を動かせば、その軌跡は〝
申請者の名前は溯春。そして承認者の欄には、先程のサインがしっかりと書かれている。
「説得力がないですよ」
犯罪行為を仄めかした自分を咎めた相手の言葉を指し、溯春が苦笑する。すると女――烏丸は「ん?」と首を傾けて、「罰するのは私の仕事じゃないもの」と妖艶に微笑んだ。
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