第二章 意外な彼女


二-一 本当にいます


 クリスマスにお互いの正体を明かして、LINEのIDを交換してから、ちょくちょく、よしのんさんの方から電話がかかってくるようになった。次の漫画原作の構想を話したり、たわいもない雑談をしたり。こんなに頻繁に電話で話をする女子は、生まれて初めてかもしれない。

 今日も、自分の部屋のベッドの上に仰向けになって、年末年始の近況報告中。


「蓮君さ、正月ってどこか行ったの? 初詣とか」

「いや。どこも行かなかった。ずっと家でゴロゴロしてるか、『あの時、君に届けたかったこの想いを今も』の続き書いてたな」

「そっか。蓮君らしいね。そのぼっち感」

「ほっとけ」

 頻繁に電話で話すとは言っても、仲のいい友達というよりは、いつもイジられている感が否めない。こっちの方が年上とは思えない扱われようだ。


「よしのんさんは、どうしてた?」

「『あおとあおい』をまとめて、ジンドルインディーズマンガに登録してた。ちょこちょこ直したい所もあって、手を入れてたら結構かかっちゃったかな」

「なんだ。俺と同じじゃないか」

「同じにするなー!」

 素のままのよしのんさんは、まったく普通の中三女子だ。でも、描いた漫画をジンドルインディーズマンガで無料公開していて、かつそれが相当数ダウンロードされている所は、そこらの普通の中学生とは違う。具体的な金額は教えてもらえてないけれど、読者には無料公開していても、ダウンロード数に応じて作者に分配金が出るらしい。よしのんさんが言うには、「毎月ちょっとしたアクセサリーが買えるくらい」のお小遣いになるらしい。


「SNSで上げてた、明治神宮で初詣のあと、青山三丁目でカフェ行ってラテ飲んでたってのは?」

「あんなの、お姉ちゃんが行ってたのに決まってるでしょ」

「なんだ、いつもの偽物写真か」

「うるさい。演出と言いなさい、演出と。ところで、新しい漫画原作のプロット考えた?」

「一応ね」

「よし。どんなものを考えてきたのかな。お姉さんに聞かせてご覧なさい」

 いつものことながら、すごい高飛車。SNSで演出している素敵なビジネスウーマンは、どこに行っちゃったんだ。

「あのさ。お姉さんは違うだろ」

「そう? でもそういうの好きなんでしょ。お姉様に可愛がられるの」

「うぐっ……」

 否定できないだけに、余計もやもやする。ずっと年上だと思い込んでいたよしのんさんに、告白しようとしていたのは事実だ。でも、ここは受け流して淡々とアイデアを説明することにする。


「今度は、碧と葵の友達の芽依めいを主人公にして、新しく後輩の男性キャラのわかを登場させようと思うんだ」

「ふむふむ」

「芽依と後輩君は、アルバイト先とか学校の外で出会って、お互いの日常のことはよく知らない。そこが謎めいていて、お互いに惹かれる。徐々にわかってくる相手の素顔」

「なるほど」

「でも、実は芽依には秘密があって、若がそれを知ろうとすると逃げ出してしまう。謎解きメロドラマ」

「で、その秘密って何?」

「それは……」

 一呼吸置いて続けた。

「後で考える」


「おーい! 肝心なところが決まってないんかー!」

「なんかいいアイデアが浮かんだら作り込むから。よしのんさんも考えてよ」

「わかった。まあ、謎解きも面白そうで、いいんじゃない。さすが水晶先生」

 本名の西原蓮と、ペンネームの水晶つばさを呼び分けているのは、どういうルールだろう。ちょっとからかわれている時は、水晶と言われる気もするけど。

「で、タイトルは?」

 もっともな質問だ。それも一応考えてはある。

「えっと、『わかとめいを巡る迷推理』ってどうかな? めいは迷うで、最後は三点リーダーとクエスチョンマークを付ける感じで」

「『わかとめいを巡る迷推理……?』って。まあ仮のタイトルとしてはいいんじゃない。とりあえず第一話を書いたら、いつものように下書き共有してね」

「わかった」


***


 一月の下旬になって、『わかとめいを巡る迷推理……?』の第一話が公開された。俺が原作小説を共有すると、すぐによしのんさんのネームが上がり、一週間で作品が完成するサイクルが完全に出来上がっていた。

 第二話の原作はもう渡してあるので、今日は教室で次の第三話を考えている。

 しかし教室では、隣のギャル達がバレンタインデーの作戦で盛り上がっていて、うるさくて仕方ない。まだ半月も先の話なのに、気合の入り方がすごい。


「ねえ杏奈。かわいい手作りチョコって、どうやったら簡単に作れるの?」

「チョコの会社のサイトにレシピが出てるよ。簡単なのから上級者向けまで、いろいろあるし」

「へえ、検索してみよ。これか!」

「彼にプレゼントするの?」

「そう!」

「いいなあ。かれぴがいて。美郷君にあげるつもりだけど、競争率高そうだからなー」

「ガンバレ! ファイトだよっ」


 黙って聞いているだけで、口出しすることは絶対にないが、美郷のような最低な奴がどうしてモテるのか、一度聞いてみたい。本当に顔しか見てないんだろうな。


「おはよう。蓮」

「おはよう」

 教室に入ってきた小坂は、席に座るなり、隣でギャル達の様子を見ながらつぶやいた。

「バレンタインデーか。みんな大変そうだな」

「なんか、今年は余裕かましてるな」

「何のことかな? 泰然自若として平常心で迎えていたのは、毎年変わらないがな」

「去年は、絶対もらえる当てがなかったからだろ。それが今年は、本命ステディの石沢さんだからな」

「ふふん。うらやましいか。まあ、君も努力することだね」

 偉そうにふんぞり返っている。


「大体だな、キミは男を磨く努力が足りない。そんなことでは、いつまでたっても進歩しないぞ」

「何だよ偉そうに。俺だってチョコくらいもらえるガールフレンドならいるし」

 つい見栄を張ってしまった。ま、いいか。どうせ信じやしないし。

「はあ? お前に? ガールフレンド?」

「ああ」

「わかった。バーチャル彼女なら、自分の家で好きなだけ画面撫でてろよ。食い物は出てこないだろうけどな」

「いや、リアルの子だから」

「マジか?」

「マジだ」

「いや、あり得ない。毎日ギャル達にいじめられて、とうとう妄想と現実の区別がつかなくなったか」

「違うんだけどなあ」

「わかった、わかった。病院に行く時は付き添ってやるぞ」


 いつの間にか、石沢さんが横にいて心配そうに聞いてきた。

「湊君、何の話してたの? 病院って? 体調悪いの?」

「おお、結衣。おはよう。いや、蓮の奴がさ、バレンタインにチョコもらえるガールフレンドがいる、とか妄想をほざくから」

「えっ! 本当? すごい」

 え、石沢さんに真に受けられると、ちょっとまずいぞ。

「どうせ、こいつの言ってるのはバーチャル彼女だから」

 石沢さんが期待を込めた大きな目でこっちを見ている。いまさら嘘でしたとは言えないぞ。

「い、いや、本当にいるから」


「会いたい! 西原君の彼女さんて、どんな人? 今度ダブルデートしようよ!」

「え、ええ?」

 小坂は、ニヤニヤしている。

「ね、湊君、いいよね?」

「いいよ。蓮が良ければ。どうせ来ないだろうけど」

「わ、わかったよ。会った時に、びっくりしてぶっ倒れるなよ」

「すごい、楽しみ!」

 まずいな。石沢さんにまで言っちゃった。目がキラキラしている。これは……

 よしのんさんに頼むしかないか?


***


 家に帰ると、いつもとは逆に、俺の方からよしのんさんに電話をかけた。

「なんか珍しいね。蓮君の方からかけて来るなんて。もしかして、もう第三話ができたの?」

「いや、ごめん。それはまだなんだけど、ちょっと相談があって」

「何?」

 相談、とは言ったけれど、いきなり彼女のフリをしてくれとは頼みにくいな。まずは、作品の方で相談して気分をほぐしてからにしよう。

「あのさ、芽衣と若のキャラクター設定なんだけど、血液型とか家族関係とか設定しておきたくて」

「血液型? 家族関係ならわかるけど、そんなの必要?」

「いや、性格とかあるだろ。芽衣は感情を表に現さず神秘的だからAB型にしようかなと思って。若は積極的だからO型で、芽衣のお父さんと似ているという裏設定があるから、お父さんもO型でどうかな?」

 少し沈黙があってから、低い声が返ってきた。

「もしかして、血液型によって性格が違うみたいな、下らないこと信じてる?」

「あ、うん。女子ってよくそんなこと言ってるだろ」

 一般的な女子というか、隣のギャル達がよく恋話で、相性がいいとか悪いとかの話題にしている。

「蓮くん、そんなバッカみたいなこと信じてるんだ。意外―!」

「え、女子って、そういうの好きじゃない?」

「あのねえ。人の性格が、たった四つに分類できるわけないでしょ? しかも、それが血液型で決まるとかありえないし。AB型は神秘的とか勝手に決めつけるなんて、どこの昭和のおっさんよ。」

「そ、そうか」

 キャラ設定としては、そういう目安というかテンプレがあると便利なんだけどな。

「今時だったら、せめてMBTI診断とかにしなさいよ」

「何それ?」

「ユングの理論に基づいて性格を分類する心理分析のツール。アンケートみたいなテストに答えていくと、外向的か内向的かとか、感覚的か直感的かとか、4つの軸で分類してくれるの。ENFPみたいな四文字アルファベット見たことない? マッチングアプリの自己紹介とかで最近よく使われてるけど、」

「いや、マッチングアプリなんて使ってないから……」

 そもそも、未成年じゃ使えないだろう。まして、中学生のよしのんさんがなんで知ってる?

「ネットで16パーソナリティって検索すると出てくるから」

「わかった。今度調べとく」

「まあ、蓮君がそういう設定にしたいって言うならいいわよ。芽衣がAB型なら私と同じだし。若とお父さんがO型ね」

「じゃ、そんな感じのセリフを入れとくから」


 さて、ここからが本題。

「あと、もう一つ頼みがあって」

「頼み?」

「あのさ……、今度、デートしてくれないかな」

「ふ、ふぇっ!?」

 素っ頓狂な大声で、耳がキンとなる。

「いやいやいや、あの、本当のデートじゃなくて、フリをしてくれるだけでいいんだ。友達と友達の彼女と一緒に遊びに行くから、その時に彼女のフリをしてくれるだけでいい」

「……」

 しばらく沈黙が続いた後で、ドスの効いた静かな声が返ってきた。

「なにふざけたこと言ってるの? ありえないでしょ」

「ごめん。そこをなんとか。頼む!」

「なんで私が蓮君の彼女役になって、グループデートに付き合わなきゃいけないの? 冗談じゃない」

 やっぱり断られるよな。でも、ここで引き下がるわけにはいかない。

「ごめん。迷惑だよな。でも頼める人は、よしのんさんしかいないんだよ」

「ほんと、ボッチ小僧なんだから。普通のデートに誘うならともかく、グループとかあり得ないでしょ」

「だよな……。って普通のデートならいいのか?」

「ひ、比較の問題だって!」


 なんとか説得しないと。石沢さんにも期待させてしまったから、いまさら後には引けない。

「一日だけでいいから。なにか交換条件があれば呑む」

「交換条件? そうねえ。どんな条件なら、そんなふざけた話に釣り合うかしら」

 なんか、すごい条件を出されそうだぞ。

「で、できることと、できないことがあるけど。できることならやるから」


「まず、よしのんという名前は、他の人に言わない。仮名を使うからそれで呼んで」

「わかった」

「漫画を書いていることも秘密。絶対に言わないで」

「わかった。言わない」

「食事代、お茶代、入場料とか現地でかかるお金は、全部蓮君持ち」

「そ、そうだな」

「以上」

「え? 条件って、それだけ?」

 なんだ、全然大したことない条件ばっかりじゃないか。もっとすごいこと言われるかと思ったけど。


「うん。これが条件」

「そんなので、本当にいいのか? スイーツ食べ放題に連れて行けとかじゃなくて?」

「食べ放題なんて太っちゃうじゃない。いらないわよ」

「えっと、他に……」

「嫌ならいいんだよ。一人で行けば?」

「いやいや、わかった。条件は全部のむ。で、仮名って、なんて呼べばいいんだ?」

百合 良子ゆり りょうこ。百合さんにしておいて」

「わかった。百合さんね」

 良かった。これで石沢さんにも面目が立つ。


「で、いつ行くの?」

「これから決めるけど、よしのんさんの都合の悪い週末は避けるから、先に教えてくれるかな」

「別に、週末ならいつでも。特にこの日はダメってのはないから」

「そうか……。いつでもいいか……」

「いま、やっぱりお前もボッチだろとか思ったな?」

「思ってない。ぜんぜん思ってない。かけらもそんなこと思ってないから」

 思ったけど。機嫌を損ねるわけにはいかないから言わない。


二-二 違いのわからない男


「おっす! 蓮。来るの早いな」

「おす」

 よしのんさんが来たときに困らないように、待ち合わせ場所には、約束より三十分前に来ていた。今日は遊園地で一日遊ぶ計画なので、遊園地の最寄り駅改札前が集合場所だ。

 しかし、よりによってバレンタインデー当日を合同デートにするとは。石沢さんは、きっと張り切ってすごいチョコレートを準備して来るだろう。よしのんさんに日程を連絡した時に、きっと向こうの二人はそうするはずと話しておいたが、わかったと言われただけだった。

「楽しみだな。どんなバーチャル彼女か。あ、そのスマホにいるのか?」

「違うよ」


「おはよう。湊君。西原君」

「おっはよう、結衣!」

 石沢さんは、シンプルなブラウスとスカートに、ふんわりとしたショールを巻いたスタイルでやって来た。制服の時のまじめそうな雰囲気と違って、結構かわいい。もしかすると、ちょっとメイクもしているかもしれない。

「西原君の彼女さん、どんな人かな。楽しみだな」

「本当に来るのか?」

「大丈夫だよ」

 大遅刻の前科はあるけど。今日は大丈夫だよな。

 電車が到着し、ホームにつながる階段からどっと降りて来る人の中に、ひときわ目立つよしのんさんの姿が見えた。白地に水色のストライプのワンピースに、淡いピンクのベレー帽。細いストラップの小さなバッグを斜め掛けにしているという、実に少女チックなスタイルだ。


「おはよう! 蓮君」

 改札を出ると、にこやかな笑顔で近づいてきた。

「お、おう」

「何それ。おはようって言ってるんだから、返事は、おはようでしょ。もう、あいさつしてあげないよっ」

 よしのんさんは、ぷっと口を尖らせた。

「ごめん。お、おはよう」


「え、え、え」

 目を丸くしてうろたえている小坂の声で、よしのんさんは他の二人がすぐ近くにいることに気が付いたようだった。その途端、俺の後ろにさっと隠れて袖をつまみながら、小声でささやいて来た。

「ね、蓮君。……お友達に紹介してもらえる?」

 お、お前、その態度の変わり方。あざといっ! あざと過ぎるぞ!

 冷や汗をかきながら、つままれた袖を前に引っ張り出して紹介する。

「えっと、彼女が百合良子さん」

「初めまして。百合です。よろしくお願いします」

 おずおずと前に出てきて自己紹介するが、いつもと全然様子が違う。こいつ天才子役か?

「初めまして。石沢結衣です。よろしくね」

 にっこり微笑むよしのんさん。いや、百合さん。

「こ、小坂湊です。よろしく」

「いつも蓮君から、お話を聞いています。先輩達にお会いできるのを、楽しみにしていました」

 上目遣いで、にっこり微笑む百合さん。

「先輩って、百合さんは何年生なの?」

「中学三年です」

「ちゅ、中学生!?」


 小坂に、いきなりがっと頭を掴まれた。

「おい! 蓮! こんなツンデレ・妹キャラ・美少女の完璧トリプルコンボ決めた彼女を、なんで隠してた」

「いててて。隠してたんじゃなくて、最近できたんだって」


***


 駅前から、遊園地入口につながるゴンドラに乗り込んで移動し始めると、石沢さんが興味津々でよしのんさん、じゃない百合さんに話しかけてきた。

「百合さんは、西原君とどこで知り合ったの?」

「あ、えっと……」

「お、俺の中学の同級生の知り合いで。そいつの妹と百合さんが同級生だったから、たまたま」

「そうなんだ。じゃ家も近くなの?」

「うーんと、そう、かも?」

 石沢さんに見えない側の背中を、拳でど突かれた。

「うがっ」


「最近、引っ越したので、今は蓮君の家とは、ちょっと離れているんです」

「そうなのね。でも二つ年上の先輩と付き合うとか、いいなあ。私も憧れるな」

「ぜんぜん、先輩らしいところは無いですけどね」

「そんなことないだろ」

「なんかあったっけ?」

 ニヤニヤしているけど、先輩ヅラしたら絶交って言ったの、お前だろ。


「中三と高二でしょ。そんなに年が離れていて、いつもどんな話してるの? 趣味が一緒とか?」

「えっ」

 心臓がドキリとして顔が固まった。百合さんの笑顔もひきつっている。

 条件その二、漫画を書いていることは秘密。

 秘密の代わりに何を趣味にしているか、あらかじめ決めておけばよかった。電話やメッセージは頻繁にしているが、いつも漫画とその原作小説の事しか話していない。

「蓮の趣味って言ったら、ラノベかアニメくらいだろ? そんなのに付き合ってくれるのか?」

「え、いや、趣味に付き合わせたりは、してないかな。な?」

「そ、そうですね。私は小説とか全然読まないので」

「ふうん。じゃあ、いつもはどこでデートしてるの?」

「えっ」

 また二人で固まった。何しろクリスマスに初めて会って以来、直接会うのは今日で二度目だ。


「え、えっと、デートでって言うと……」

「と、東京に行ったかな」

「東京のどこ? 原宿とか?」

「ま、丸の内……」

「まるのうち? 何かあるんだっけ?」

 今度は背中を、ギュッとつねられた。

「うぎっ」

「クリスマスのイルミネーションを見に行ったんです」

「ああ、イルミネーションね! すごくきれいなんでしょ? いいなあ。ねえ、湊君。今年は私たちも見に行こうよ」

「ああ、いいよ。お、着いたぞ」


 ゴンドラの終点、遊園地入口に着いたようだった。やれやれ。まだ始まってもいないのに、こんなに疲れるとは。今日一日こんな会話の綱渡りを続けていたら、心臓と背中が持たない。

 百合さんも、ちょっと疲れた表情をしていたが、俺と目が合うと小さく舌を出してニヤリとした。うまくやっているでしょ? 内心でそう言っているのがわかる。

 ありがとう。百二十点の彼女を演じてくれているよ。


***


「ねえ、湊君。あそこのテラスでちょっと休憩しようよ」

「そうだな」

 ジェットコースターにティーカップ、巨大海賊船にバーチャルシューティングと、散々遊びまわって疲れてきたところだった。スタンドでそれぞれの飲み物を買って、テラスのテーブルに座る。条件三に従って、百合さんのジュースは俺のおごり。

 さいわい、アトラクションで遊んでいる間は、きゃーきゃー大騒ぎするのに忙しく、石沢さんの興味津々の質問攻撃も無かったから、ぼろは出さすに済んでいた。


「ねえ、湊君。おやつ出していい?」

 テーブルに座るなり、石沢さんがバッグの口を開けて何が出し始めた。

「良いんじゃね」

「あのね。せっかくのバレンタインデーだから、チョコレート作ってきたの。これは湊君にプレゼント」

「おお、ありがとう。手作りチョコか」

 お約束通り、石沢さんからチョコレートのプレゼント。百合さんにも、きっとこうなると事前に言っておいたけど大丈夫かな。

「いっぱいできちゃったから、こっちの箱は、西原君と百合さんも一緒に食べて」

「すごいな。ありがとう」

 テーブルの上に置かれたもう一つの箱には、手作り感あふれるトリュフが六つ並んでいた。


「あのね。私も、蓮君にプレゼント持って来たよ」

「おおっ」

 えらいぞ、百合さん。条件三は、現地でかかるお金は全部俺持ちだったけど、このチョコレート代も含むんだよな、きっと。

「はい。これ」

 きれいにパッケージされてリボンのかかった箱。リボンを取って、金箔を押したような箱のフタを開くと、見るからに高級そうなチョコレートが六つ入っていた。


「買ってきたやつか」

「ええっ? 文句があるなら返して!」

 しまった、失言した! 百合さんはムッとした顔になり、俺に渡した箱を取り戻そうと手を出してきたので、もみ合いになる。

「これ高かったんだよ! 日比谷のコレゾの地下で一番人気のパティシエの! 昨日も、すごい列に並んで買ってきたんだから」

「わ、わかったよ。ごめん。ごめんてば」

 箱を持った手を反対側に伸ばしてよけるが、背中から抱きつくようにして取りにくる。


「返せ、こら〜。私だって食べたかったんだから」

「悪かった。一個あげるから」

 箱の中から一粒つまんで、百合さんの口元に渡すと、ぱくっと食いついてきた。

「むぐむぐ。うーん美味しい。このありがたみのわからない人からは、全部没収します!」

 チョコの箱を持っている俺の手首をつかんで、後ろから抱きついている百合さんを見て、小坂と石沢さんは大笑いしている。

「ほんと仲良いな、お前ら」

「え?」

 肩越しに百合さんと目が合う。お互いの顔が、十センチもないくらいに接近しているのに気がつくと、百合さんは真っ赤になって手を離し、飛びのいた。

 俺も、こんなに女の子の顔を間近に見たのは、生まれて初めてだった。しかも紛れもなく美少女の百合さん。心臓がドキドキして止まらなくなっていた。

 小説で書いていた「胸の鼓動が止まらない」って、こういうことだったんだ。


***


 なんだかんだあったけれど、バレンタイン・ダブルデートは、なんとかごまかし切って無事に終わった。チョコレートのやりとりで多少ドタバタしたが、その後はまた、百二十点の彼女の役を演じながら夕方まで遊んで周ったので、小坂も石沢さんも、百合さんが本当に俺の彼女だと信じてくれたようだった。

 夜になり、電車に乗って新宿駅まで帰って来て改札でバイバイとなったが、そこまでのよしのんさんの演技力は大したものだった。俺から見ても、デートを楽しんでいる彼女にしか見えなかった。


二-三 意外な彼女


 週が明けて月曜日。今朝は予定通り『わかとめいを巡る迷推理……?』の第二話の漫画が公開されていた。よしのんさんは、昨日は一日中、遊園地に付き合ってくれて疲れていただろうに、その前に仕上げまで終わっていたんだろうか。

 新作も、順調にインプレッションとリポストが伸びていて、いつものフォロワーさんのコメントも好評なようだった。


小鳩さんのコメント「待ってました! よしのんさんと水晶つばささんの名コラボ」

さくらん坊さんのコメント「また二人のきゅんが読めるのが楽しみです」

ぴーさんのコメント「また、尊いものをありがとうございます」


「よう、蓮、おはよう。昨日はお疲れ」

 小坂がニヤニヤしながら近づいて来て、俺の頭をこづいてから席に座った。

「おう、おはよう」

「まさか、本当だったとはな」

 小坂は、よしのんさんの演技をすっかり信じている様子でホッとする。


 コメント画面を見ていたスマホの画面に、メッセージの着信通知がかぶさってきた。よしのんさんだ。


よしのん: 昨日はお疲れさまー。

水晶: 昨日はどうもありがとう。一日中付き合ってもらって、疲れただろ?

よしのん: 大したこと無いわよ。それよりどう? 今朝出した第二話、最高の出来でしょ?

水晶: うん。ネームからだいぶ手を入れたんだね。フォロワーさんからも、いい反応が来てるし。

よしのん: 当然よ。で、第四話はできた?

水晶: 待て待て待て。まだプロット組立中だ。

よしのん: 謎が深まっていく大事なとこだから。私の足を引っ張らないように、よろしくね。

水晶: 大丈夫だよ。


 調子のいい時は、本当に自信満々というか、高飛車というか……

 今回の作品は、謎解きの伏線を張りながら、きゅんな描写も入れないといけないから、プロットだけでなく描写もかなり細かく設計しないといけない。今までのように、勢いだけで書いていたら破綻してしまう。だから、書き始める前にじっくり考えて文章を組み立てないと。

 スマホから目をあげて、男性主人公の若のセリフを小声でつぶやきながら考えていると、隣の席の杏奈さんと目が合った。

 まずい。


「こっち見るなよ。キモいから」

「いや、見てたわけじゃないから」

「また? こいつ、杏奈に気があるんじゃない?」

「やめて! 背筋がゾッとする」

 ギャル達が騒ぎ出したのを聞きつけた小坂が、首を突っ込んできた。

「おいおい。こいつがお前なんかに、気があるわけないぞ」

 お願いだから火に油を注ぐのはやめてくれ。

「当たり前だろ。あっち行けよキモオタ」

「お前らなんかより、百倍かわいい彼女がいるんだぞ、こいつ」

 やめろ。ギャルに向かって、なに言い出すんだよ。


「はあ?! こいつに彼女? んなわけないだろ」

「ないない。なぜか石沢ちゃんがお気に入りの小坂はともかく、こんなキモオタにいるわけない」

「じゃあ、見せてやるよ」

 小坂はスマートフォンを取り出すと、一枚の写真を表示してグッと引き伸ばした。百合さんこと、よしのんさんが俺に抱きついている写真。チョコレートの箱を取り戻そうと襲って来た時のだ。


「ウソ! ありえない!」

「誰これー?」

「すっげえ可愛いし、ツンデレだし、年下で妹キャラだし。お前らなんて、逆立ちしたって敵わねえぞ」

「おい! なに見せてるんだよ。やめろよ」

「おっと、可愛い彼女を見せびらかしちまって悪かった」

「う、嘘だこんな写真……」

 杏奈さんたちには、相当ショックだったようだ。


「もう一枚あるぞ」

 今度は、俺がチョコレートを一つつまんで、よしのんさんの口の前にあーんしている写真。「返せこら」と言っているのを黙らせるために、一個返したところ。それ以上でも以下でもない。

 写真で見ると、妙にニコニコしているから、よっぽどこの高級チョコが好きだったに違いない。

「げえー」

「バレンタインデーの、こいつらのいちゃつきっぷり、見せてやりたかったな。いいか。美少女の方が、男を見る目があるんだよ」

「うぐぐぐ……」

 杏奈さんたちは、それ以上罵倒してくることはなく、ぷいっと向こうを向いてしまった。


「おい小坂。お前、いつの間に盗撮してたんだよ?」

「いいじゃん。美少女は国の宝。みんなで愛でないと」

「まったく、油断もスキも無いヤツだな」


二-四 感想を聞かせて


 昼休みになると、いつものように石沢さんが小坂の席にやってきた。二人でランチに行くのだろう。俺もいつものように、小説投稿サイトのフォロワーさんたちの作品をスマホで読みながら、焼きそばパンをかじっている。昼休みは売店が混むので、前の休み時間に買っておいたやつだ。

 いつもと違ったのは、じっとスマホに見入っている俺の顔を見て、石沢さんが何かを思いついて話しかけてきたこと。


「ねえ、西原君て、結構本読んでるよね」

「え? そんなに言うほど読んでないけど」

「そう? いつも文庫本を持ち歩いてるか、スマホでなにか読んでる印象だけど」

 よく見ているな。買った本を読んでいるよりは、投稿サイトを読んでいる方が多いけど。


「あのね、西原君にちょっと相談があるんだけど」

「相談?」

「そう。私ね、ナルちゃんから頼まれていることがあって」

「ナルちゃんって誰?」

成瀬 桜なるせ さくらさん。ほら、一番後ろの席の」

 確かに成瀬さんという子はクラスにいるけれど、全く話をしたことがなかった。


「ナルちゃんてね、文芸部で小説を書いてるんだって。で、その作品を読んで感想を聞かせてほしいと頼まれたの。部誌に発表する前に」

「ふうん。文芸部ね」

 文芸部の子がうちのクラスにもいたんだ。知らなかった。まあ、小説を書いたら、公開前に知っている人に読ませて、感想を聞きたいってのはよくわかる。


「でも私、あんまり小説とか読まないから、役に立つ感想なんて言えそうになくて」

「別に、気にしなくていいんじゃないのか?」

「ううん。やっぱり、ちゃんとわかる人に読んでもらった方がいいと思うの」

 石沢さんは、俺の前の席に横向きに座って、こちらに身を乗り出して来た。


「で、読書家の西原君を見込んでお願いなんだけど、彼女の小説を読んで感想を言ってあげてくれないかな?」

「ええ!? いや、ぜんぜん話もしたことない奴に読まれて、感想言われるなんて嫌だろう」

「そんなことないよ。西原君みたいに、たくさん本を読んでる人の感想の方が、ずっとためになると思うから」

 いやいやいや、口もきいたことない同級生の作品読んで、感想を言うなんて、そんな怖ろしいこととてもできない。


「ナルちゃん! ちょっと来て」

 石沢さんは、俺の抵抗はお構いなしに、教室の後ろにいる成瀬さんに声をかけた。振り向くと、成瀬さんは弁当箱を広げようとしているところだったが、黙って立ち上がりこちらに歩いて来る。

「ね、ナルちゃん。このあいだ言ってた、部誌に載せる作品を読んでほしいって件、西原君にも頼んでいい?」


 おいおい、強引過ぎるだろ。こっち見ている成瀬さんの目が冷たい。それはそうだろう。まったく口もきいたことがない同級生に、作品を読ませて感想を聞くなんて、ちょっとあり得ない。


「西原さんに?」

「そう! 西原君って、すごくたくさん本読んでるから、適任だと思うんだよね」

「いや、ちょっと待て……」

「どんな本を読んでいるんですか?」

 冷たい口調で詰問される。警戒しているのがありありだった。それはそうだ。俺だって逆の立場だったらものすごく警戒する。


「これだろ」

 気が付かないうちに、小坂が勝手に俺のカバンを開けて文庫本を取り出していた。

「おい、何してんだよ。勝手に開けるなよ」

「『残り四日のしあわせ』。それから……」

 泣けると評判で売れているので、純愛ものの参考にしようとして読んでいるやつだ。

「こんなのもあるぞ。『君といる美しい世界の話』」

「だから、やめろって」

 カバンを取り戻したが、文庫本は二冊とも成瀬さんの手に渡っている。


「これ、どうでした?」

 文庫本を手に質問して来たが、表情がまるで変わっていた。さっきまでは冷たい半目だったのが、大きく見開いて、食いついて来ているのがありありだった。

「私も、これ二冊とも読みました。西原さんはどう感じましたか?」

「『四日のしあわせ』は、まだ途中までしか読んでないから結論がわからないけど、『美しい世界』の方は泣けたな」

「どこが、ですか?」

 前のめりになっている。何か言わないと勘弁してもらえそうにないな。


「うん。愛していたけど亡くなってしまった彼女が、生前に何を意図していたのか、最後までわからないままになっていて、でもラストシーンで彼女が残していった重い宿題が突きつけられるんだよな。命をかけるか、生きるかという選択を迫られた主人公が、彼女の仕掛けた謎は『幸せになって生き続けてほしい』という願いを込めたものだった、と気づいた時の感動がすごかった」

 なんか、くどくどしてわかりにくい言い方になったけど、ま、いいか。めんどくさい奴だと思ってくれれば、断られるだろう。


「西原さん。私も同じです。ラストシーンで、彼女の本当の願いを知った時、心の底から感動しました」

 両手を胸の前でぐっと握りしめている。

「あ、そ、そうなんだ」

「お願いします! 私の作品を読んで、率直な感想を聞かせて下さい!」

「ええっ」

 なんか藪蛇になったかも。

「『君といる美しい世界の話』を読んでいて、同じ感動を共有できる人に、私の作品がどう受け止められるか、ぜひ知りたいです」


 石沢さんは、思った通りでしょと、ドヤ顔をしている。

 やられたな。


***


 成瀬さんから依頼されてから一週間後、放課後の文芸部の部室に、成瀬さん、石沢さん、俺と小坂が集まっている。先週、成瀬さんからプリントした作品をもらって読んできたので、その感想を言うための会だ。小坂は読んでいないが、石沢さんが「一緒に来て」と連れてきていた。


「まず、石沢さんから」

「うん、面白かったよ。主人公と、相手の何ちゃんだっけ? 華ちゃんか。彼女と仲良くなるのが良かった」

「なんか、ざっくりした感想だな」

 小坂が容赦なく突っ込む。

「えー。ナルちゃん、ごめんね。こんなことぐらいしか言えなくて」

 普段から小説なんてあまり読まない普通の人なら、こんなものだろうな。


「ううん、ありがとう。面白いって言ってもらえると、また頑張ろうって思えるから」

 成瀬さんは俺の方に向き直ると、真剣な表情で聞いてきた。

「西原さんは、どうでしたか?」


 ふむ。どこまで話すべきかな。あんまりキツイこと言うのも良くないし。でも石沢さんのように面白いと言うだけだと、逆にがっかりされそうだし。

 まあ、まずはほめることからかな。

「すごく良かったと思うよ。主人公と相手の華さんの悲しい恋の話、というテーマはグッとくる」

 成瀬さんは、黙ってこちらの目を見ている。もっと何か言えという圧力がすごい。


「ちょっとひっかかったのは、最初に華さんが出てきた時に、なぜ主人公のことが気になったのか。それと、彼女は何を目的にして行動しているのかが、最後まで読み取れなかったところかな」

「え、そうだった? すぐ好きになっちゃうのって、よくあるよね? 特にわからないことはなかったけどな」

 石沢さんが、あわててフォローしてきた。自分が紹介した手前、あんまり厳しいことを言われても困ると思ったのだろう。ちょっと言いすぎたかな。


「そうですよね。彼女の動機と目的がぼんやりしてますよね。自分でも足りないな、と思ってました」

 成瀬さんの声は冷静だった。良かった。気分を悪くしてはいないようだ。


「他には、気になる点はありませんでしたか?」

「誤字脱字はぜんぜん見当たらなかったから、そこはさすがだね。ただ、すごく細かいところで、言葉を途切れさせる時の点々。三点リーダーっていう字があって、それを使った方がいいよ。今は句点を三つ置いているでしょ」

「三点リーダー?」

「そう。これ。出版する小説の原稿ではこれを使うことになってる」

 スマホで、投稿サイトの作品を見せた。……が目立つところに使われている。


「これ、一文字で点が三つになってるだろ。これを二つ並べるお約束になってるから」

「ありがとうございます。まだまだ、全然勉強が足りないことが、よくわかりました」

「いや、そんなことないよ。良いストーリーだなと思ったし、面白いよ」

 こんなぐらいで満足してくれたかな。これでお役御免だ。


「ところで西原さん。水晶つばささんの作品を読んでいるんですか?」

「え? え? なんで? 水晶って、どうして?」

「さっき見せていただいた投稿サイト、水晶つばささんの作品ですよね。新作の『わかとめいを巡る迷推理……?』」


 しまった! いつもの癖で、うっかりホームグラウンドの投稿サイトを見せちゃった。

 しかも、よしのんさんと俺のコラボ作品のページだ!


「西原さんは、水晶つばささんの作品も読んでいたんですね」

「あ、まあ、一応読んだことはあるぐらいで」

「『あおとあおい』は読みましたか?」

 あー、そっちの名前も出てくるよな。どんどんハマっていく。


「う、うん。読んだ、かな」

「私、昔からよしのんさんの漫画の大ファンで、この作品がきっかけで、水晶つばささんもフォローするようになりました」

 うわぁ、俺のフォロワーさんか……。ますますうかつなこと、学校じゃ言えないぞ。


「それ、どんな話なの? ナルちゃんがそこまで気に入るなんて、興味ある」

「男性作家の水晶つばささんが原作小説を書いて、女性漫画家のよしのんさんがそれを漫画にしてネットで発表するんです。碧君と葵さんという二人のラブストーリー」

「へえ。小説とコミカライズを同時にやってるんだ。面白いね」

「碧君は、ひどい男に振られて泣いている女性を見つけると、声をかけて慰めてあげたり、優しいんです」

 そ、その話は……

「でも、慰められた女性が碧君を好きになってしまって、大変なことになるとか、ストーリー展開が読めなくて」

「……なんか、自分のことみたいでドキッとする」

 石沢さんは小声でつぶやきながら小坂の顔を見たが、小坂も目をそらしている。

 すみません! 黙って書いちゃったけど、君たちがモデルです。


「よしのんさんと水晶さんには、連載中ずっとコメントを書いていました」

「ど、どんなコメント?」

「最終回がアップされた時は、『よしのんさんと水晶さんのラブラブ・コラボ完走、おめでとうございます』と書きました」

 最終回のコメントに確かにあった。あれは……、さくらん坊さんだったか? 「あおとあおい」の最初から応援してくれている人。そうか! 成瀬桜さんだから、名前そのままなんだ。


「新作の『わかとめいを巡る迷推理……?』も面白いですよね。今度は謎解きの要素も入っていて、どんな展開になるのかドキドキしています」

「ありが……、いや、なんでもない。そうだね。新しい趣向だね」

 危うく、コメント返しのようなことを口走りそうになってしまったが、成瀬さんには気づかれなかったよな?


「まさか学校で、よしのんさんと水晶さんの作品の話ができるなんて思いませんでした。石沢さん、紹介してくれてありがとう」

「う、うん。話が合ったみたいでよかったね」

「西原さん。また書き直したら、読んでいただいてもいいですか?」

 真っ直ぐにこちらの目を見ながら頼まれると、とても断れない。

「い、いいよ。小説を書いたことはないけれど、読んで面白いかどうかぐらいの感想なら言えると思うから」

「ありがとうございます。ぜひ、お願いします」


 明日から、教室でスマホ見る時は気をつけないとな。


二-五 絶対にダメ


 日曜日の昼間、駅前のファーストフード店でよしのんさんと待ち合わせて、プロットの打ち合わせをすることになった。今までは小説投稿サイトにアップした原稿を見ながら、電話やメッセージで打ち合わせしていたが、ちょっと面倒なことになったので会って話をすることにしたのだ。

 元はと言えば、最初に決めていたプロットと少し違う展開を俺が提案したのが発端。その案にどうしても納得できないよしのんさんが、直接会って話をしたいと言ってきた。


「ねえ、なんであんなに言ったのに直してくれないの? 芽依が二股とか絶対ダメだから」

「謎解きに比重がかかるのは、いいと思うんだけど、若と芽依の間にも危機がないと、ちょっと展開がダレてくるというか」

「ターニングポイントね。それはわかる。確かに何もないままだと、ちょっと間延びするかもとは思ってた。けど、芽依が浮気するとか、絶対にあり得ないから」


 前の『あおとあおい』は、男の碧が他の女性に言い寄られてトラブルになったから、今度は女性の方が他の男に気移りしてトラブルになるのはどうか、と提案したのだが、よしのんさんは絶対に反対らしい。


「どうしてそんなにこだわるんだ? 若が他の女性に浮気してたら、その後もなぜ芽依を追いかけるのか納得感がないだろう」

「芽依は一途でないといけないの。そうじゃないと読者が感情移入できなくなるでしょ」

「そうかな? 謎めいた女性だから、なかなか思うようにならない方がハラハラして感情移入できると思うんだけど」

 なんとなく話が合わない理由がわかってきたような気がする。よしのんさんは女性の芽依に感情移入させるつもりで、俺は男の若に感情移入している前提なんだ。これは困ったぞ。前提が食い違っている。


「何を言おうとダメなものはダメ。芽依は浮気なんてしない。他に選択の余地なし」

「少し頭を冷やそうか。この小説の前提になっている読者って誰だ?」

「読者?」

「そう。男女どちらの主人公に感情移入する読者を想定しているんだろう、俺たち」

「二人とも主人公よ。どっちも主役」


 コラボの前提が、そもそも間違っていたのかもしれない。『あおとあおい』の時はたまたま表面化しなかっただけで。

「男性と女性では、視点も受け取り方も違うから、両方というのは無理があるんじゃないか」

「でも、それじゃコラボしてる意味がなくなっちゃうじゃない」

「……」

「女性視点の漫画を私が書いて、男性視点の小説を蓮君が書いて、両方が展開するからコラボなんでしょ? 女性視点だけでいいなら、蓮君の小説はいらなくなっちゃうじゃない」

「それもそうだ。なんか、すごく難しいことに挑戦しちゃってるのかもしれないな」

「難しくなんてない」

「ちょっと時間を置いて考え直さないか? 無理に書いてもうまく行かなそうだし」

「何でそんなこと言うの? できるよ、私たちなら。蓮君が変なこと思いついて入れようとするから、おかしくなってるだけで」

「いや、基本的なところが合ってない気がする」


 よしのんさんの表情が険しくなった。ぐっと唇を噛み締めて睨みつけてくる。

「なんでわかってくれないの? 芽依は一途でなきゃダメなの。ぐすっ。ヒロインが浮気するとか、ぜったいにダメだから。ぐすっ」

「でもさ」

「もう、いいっ。ぐすっ。あんたが書く気ないんなら、勝手にすれば!」

 よしのんさんは立ち上がって、店の出口にズカズカと歩き始めた。

「ちょっと、待って、よしのんさん……」


 店の入口で振り向いたよしのんさんの目は、涙でいっぱいだった。大きく見開いた目で俺を睨みつけながら、ありったけの大声で叫んだ。


「芽依は、絶対に浮気なんかしないから! 蓮くんのバカヤロー!!」


 よしのんさんは、開いたドアから飛び出して走って行ってしまった。

 店内のお客さんは、突然の大声に驚いて一瞬静まり返ったが、一呼吸おくと一斉にひそひそ話を始めた。

「浮気だって」

「あの男の子が浮気したのかな?」

「いやさっきの子に、浮気しろよって誘惑したんじゃない?」

「見た目おとなしそうだけど、最低だな」

「女の敵よ」


 え、え、えっ。ちょっと待って。

 小説のプロットを提案しただけで、なんで俺が極悪人みたいに指さされることになるわけ? 勘弁してよー。


***


 昨日の昼間、ハンバーガーショップから走って行ってしまったきり、よしのんさんから連絡はない。こちらから連絡しなければ、と思っているが、まだできないでいる。今朝は教室についてからずっと、スマホは机の上に置いたまま腕を組んで考えているが、仲直りするためのアイデアは何も浮かんでこなかった。


「はあぁ」

「なにさっきから、私の顔見てため息ばっかりついてんの? ほんとキモいからやめて」

 また隣の席の杏奈さんに絡まれてしまった。

「あ、いや、そんなつもりはないから」

「あー、もしかして、例の彼女に振られたんじゃない? いっつもスマホばっかり見てるのに、今日は全然見てないし。連絡こなくなったんでしょ」

「そういうこと? 思った通りだ。絶対、キモオタには似合わなかったからなー」

 振られたわけじゃないけど、連絡が来なくなったのは図星だ。

「やっぱりキモかったー、とか言われてたりして」

「キャハハハハ! ありそー! キモキモー」


 すると、成瀬さんが教室の後ろからやって来て、キモキモ言っている彼女たちと俺の間に立ちふさがった。

「西原さん。話したいことがあるのですが」

「え、なに?」


 成瀬さんは、くるりと杏奈さん達の方に振り向くと、静かだが威圧するような冷たい声で宣告した。

「あなたたち、西原さんになにか用があるんですか? ありませんよね」

「べ、別にないけど」

「それならいいですね。西原さん、一緒に行きましょう」

 もう一人のギャルが、嫌悪感をあらわにして反撃に出た。

「えー、成瀬ちゃん、このキモオタに気があるの? やだー」

 成瀬さんは、言われたギャルの方に向き直って、きっと睨みつけた。

「西原さんは、知識もあるし感受性も豊かだし、とても頼りになる友達です。あなた方には、ぜんぜん理解できないようですけれど。可哀想に」

「か、可哀想って、なによ……」

「行きましょう」

 怒りのこもった視線を背中に感じながら、廊下に出た。


 人の少ない自動販売機の横まで行くと、成瀬さんは立ち止まり、心配そうな表情で口をひらいた。

「今朝のよしのんさんのポスト、見ましたか?」

「いや、見てない」

 よしのんさんからのメッセージの通知ばかり気にしていて、ポストは見ていなかった。成瀬さんはスマホを取り出すと、SNSの画面を開いた。


よしのんのポスト「好評連載中の『わかとめいを巡る迷推理……?』ですが、事情によりしばらく休止することになりました。再開の予定は未定です。もし万が一再開することになりましたら、また応援して下さい」


 まだ書き溜めている分はあるのに、早々に休止宣言してしまったのか。


「どうしたんでしょう? 漫画の続きが読めなくなることも残念ですが、二人の間に何かあったのではないかと心配です」

「そ、そうだな。これだけだと中止した理由がわからないけど」

「水晶つばささんの方は、まだ何もポストしてなくて。こんな重要なことなのに、沈黙を守っているのが不安です」

 こんな急に中断するなんて、こっちも知らなかったから。なんかコメントしないといけないのかな?


「そ、そんなに心配することは、ないんじゃないかな。きっとすぐに再開するよ、たぶん」

「そうだといいのですが……。済みません、こんなことで引っ張り出して。誰かに話したかったのですが、よしのんさんと水晶さんの話をわかってもらえるのは、西原さんしかいなくて」

 そうだよな。ネット漫画や小説のことなんて、クラスの誰も話題にしてないもんな。


「俺も、キモキモうるさい連中から脱出させてくれて、助かったよ」

「西原さんも、逃げてばっかりいないで、もっと毅然として言い返してやればいんですよ」

「そ、そうだね」

「私も石沢さんも、西原さんの味方ですから」

 グッと両手を包んで握りしめられた。激励のつもりかもしれないけど、手を握ってくれるのはちょっとやばい。

 たまたま横を通りかかった生徒がこっち見ているし、顔が熱くなってきた。


「ね、成瀬さん。手ははなそう」

「え、え、あ、ごめんなさい」


二-六 立ち向かう勇気


 昼休みになり、小坂がいつものように石沢さんのところに行ったが、今日は様子が変だった。

「結衣。お昼食べに行こうぜ」

「う、うん」

「どうした? 朝から元気ないけど。今朝は遅刻ギリギリで駆け込んでくるし、体調悪いのか?」

「ううん。大丈夫。でも今日はお腹空いてないから、お昼はいいや」

「お腹空いてないって、大丈夫か?」

「大丈夫だよ」

 小坂は石沢さんの隣に座って、額に手を当てている。


「熱は無さそうだけど。気分悪いのか? お腹痛いとか?」

「大丈夫」

「お前、絶対変だって。保健室行こうぜ。一緒について行ってやるから」

 石沢さんは、ぽろぽろと涙をこぼし始めた。

「ど、どうした急に。そんなに痛いのか? 背中におぶって行ってやろうか?」

「違うの。なんでもないから、大丈夫。ちょっとお手洗い行ってくる」

 石沢さんは、急いで教室から出て行った。

「おい、結衣。ちょっと待て、大丈夫か本当に?」


 小坂も後を追って出て行こうとすると、いつものように隣に集まっていた女子の中から、杏奈さんが声をかけた。

「小坂。あれ男子が口出しちゃいけないやつだろ」

「え? なにそれ?」

「いいから。私がついて行ってやるから、お前はここにいろ」

「な、なんで?」

 杏奈さんは、カバンから小さなポーチを出して、石沢さんの後を追って教室から出て行った。


「蓮。大丈夫かな? 男子が口出しちゃいけないやつって、なんのことだ?」

「さあ? よくわからないけど」

 杏奈さんの向かいに座っていた女子が、あきれたように小坂に言った。

「お前ら、アニメばっか見てないで、女子の体のことちゃんと勉強しろよな。杏奈に任せておけば大丈夫だって」


 結局、トイレに行った石沢さんと杏奈さんは、昼休みが終わるギリギリまで帰ってこなかった。帰ってきた時、石沢さんの目と鼻は真っ赤で、ずっと泣いていたように見えた。杏奈さんは、教室に戻って来てから、むっとした表情のままずっと黙り込んでいる。どうしたのか聞いてみたかったが、また「うるさい、あっち行け」と怒鳴られそうだったので、何も聞かなかった。


***


「結衣。帰ろうぜ」

「う、うん」

 五時間目が終わると、小坂はすぐに石沢さんのところに行って声をかけた。石沢さんは、にっこりと笑って立ち上がったが、小坂の後ろについて歩いている姿は、やはりどこか力なさげだ。


「どうしちゃったんだろな。そんなに体調悪いのかな」

 ちらりと隣の杏奈さんの顔を見ると、彼女は机の上に両手で頬杖をつき、口をへの字に結んで石沢さんと小坂の後ろ姿を見ていた。


「なあ、西原」

「え、な、なにか?」

 キモオタと言われず、名前で呼ばれるのは滅多にないから、逆に怖くなる。

「お前、小坂とも石沢ちゃんとも仲良いよな」

「う、うん」

「じゃ、ちょっと来いよ。話したいことがある」


「えー。杏奈、どーしたのー? キモオタに何の話?」

「ごめんね。ちょっとこいつに話があるから。下駄箱で待ってて」

「わかったー。めっずらしー、キモオタに話なんて。興味津々」

「ついて来るなよ」

「わかったよー。けち」


「来いよ。西原」

「わかった」

 石沢さんの話だよな、きっと。どんな話が出て来るんだ?


 廊下の隅の人気のないところに来ると、杏奈さんはこちらを向いて腕を組み、真剣な表情で話し始めた。

「さっき、石沢ちゃんについて行った時、てっきり生理痛がひどくてつらいんだと思ったんだよ」

「そ、そういうことだったんだ」

 生理とか、あけすけに女子に言われると、どう反応していいのかわからない。


「でも、話を聞いたら違ってた」

「え?」

「お前、石沢ちゃんが付き合ってた元彼のこと知ってるよな? 彼女自身がそう言ってたけど」

「あ、ああ。知ってる。美郷だろ」

「そう、美郷」

 なんなら、振られた時のひどいセリフまで知っている。

 あれ? こないだまで美郷君ってキャーキャー言っていたのが、呼び捨てになったぞ?


「あいつが、また石沢ちゃんに言い寄ってきたんだって。また付き合わないかって」

「なんだそれ?! あんなひどい振り方したのに」

「そこまで知ってるのか」

 一呼吸置いた。

「あいつ、イケメンでモテるのは知ってたけど、そこまでクズだとは知らなかった」

「……」

「で、石沢ちゃんは、言い寄られた時に一瞬グラッときたんだって。まあ、それはわかる。あのイケメン、イケボに迫られたら、ドキドキするよな」


「で、でもそれじゃ小坂はどうなる?」

「今は大丈夫。石沢ちゃんは小坂と別れるつもりはないって。でも一瞬でも、また美郷に心が動いたのが、自分自身で許せないんだって。だからめちゃくちゃ落ち込んでるんだってさ」

「そういうことだったんだ」

 まじめな石沢さんだったら、ありそうなことだ。

「でも、あのままじゃ良くないと思うんだよ。石沢ちゃんはマジメだから、絶対に自分から本当のことは小坂に言わないだろうし、小坂もわかんないままでフラストしてるだろうし。また美郷がちょっかい出してきたら、今度は本当にダメになっちゃうかもしれない」

「じゃあ、どうすればいい?」

「わかんない。だから両方と仲のいい、お前に話してるんだよ」

「そ、そんな」


「石沢ちゃんも、私にしか話してないって言ってるから、ほかの奴にペラペラしゃべるなよ」

「わ、わかってるよ」

「じゃ、先に帰るわ」

「え、投げるだけ投げてといて、帰っちゃうのか?」


 杏奈さんは、バイバイ、と後ろ手に手を振って歩いて行ってしまった。

 どうしよう。予想外に重い話だったぞ。


***


 杏奈さんさんから重い宿題を投げかけられた翌日の金曜日。小坂と石沢さんの様子をうかがっていたが、状況はまったく改善していないようだった。


「結衣、お昼食べようぜ」

「ありがとう。でも、お腹空いてないから。湊君が食べてるの横で見てる」

「なんか食べなきゃダメだろう。ちょっと待ってろ」

 小坂は財布をつかむと、教室を出て行った。何か買ってくるつもりなのだろう。

 小坂がいなくなるのと同時に、美郷が石沢さんの横を通りかかった。傍目には、偶然教室の後ろから歩いてきただけに見えるだろうが、昨日の杏奈さんさんの話を聞いていた俺には、狙って近づいて来たようにしか見えなかった。


「今日は元気がないみたいだな。食欲がないなら、これでも飲んだら」

 女性用のビタミンドリンクを机の上に置く。一見親切そうに見えるが、わざわざ用意してきているのが不自然過ぎる。

「いらない」

「いらなきゃ捨てておいて。僕も飲まないし」

 美郷はそのまま教室の前に歩いて行ったが、石沢さんは、置かれたビンには手も触れないまま、じっと座っていた。


 やがて小坂が売店のパンを持って戻って来た。

「これ一緒に食べよう。な」

 石沢さんの正面に座ると、小坂は、机の上にドリンクがあることに気が付き、手に取った。

「なんだ。こんなの持ってきてたんだ」

「ち、違うの。これは持ってきたとかじゃなくて」

 焦って小坂の手からビンを取り返し、机の中にしまう石沢さん。

「それでも栄養になりそうだから、飲めばいいのに」

「ダメなの」

 また石沢さんは、ぽろぽろと泣き始めた。

「どうしたんだよ」

 事情のわからない小坂が、イライラしているのが手にとるようにわかる。

 美郷の方を見ると、素知らぬ顔で黒板の横に立ち、数人の女子に囲まれながら話をしていた。これからどこで昼を食べようという相談のようだった。

 隣の杏奈さんさんの様子をうかがうと、いつもの女子グループで話をしていたが、俺の方を向いて口をへの字にした。何も言わないが、相当怒っている。


 もう我慢の限界だ。俺は立ち上がり、黒板に向かって歩き始めた。

 

「ち、ちょっと、いいかな」

「なんだ?」

 美郷は不思議そうな顔でこちらを振り向いた。

「い、石沢さんのことだけど……」

「石沢さん?」

 美郷の目つきが急に鋭くなった。背中に寒気が走り、足が震えてくる。なんだよ、めちゃくちゃ怖いぞ。

「石沢さんがどうかしたか?」

 周りにいた女子達が、異常に気がついて遠巻きに囲み始めた。さらに席を立って人が集まってくる。

「い、石沢さんをからかうのは、や、やめにしないか……」

「はあ? なんで僕が、石沢さんをからかったりするかな。言いがかりはやめてくれよ」


 言葉使いは丁寧なままだが、目付きは獲物に襲いかかる猛獣のようだった。前に、女の子を泣かせて何が楽しい、と迫ってあしらわれた時の顔とは全然違う。

「い、言いがかりだって言うのなら、か、彼女に二度と変なことは、い、言わないな?」

「人に強要されて、何かさせられるのは大嫌いでね。いい加減にしろよ」

 とうとう美郷は、凄みのある声で威圧しながら寄って来た。俺は両手を後ろに組んだまま、絶対に引くまいと立っている。でも、足がブルブル震えてきて、今にも押し戻されそうだった。


 ふと気が付くと、周りを囲んでいる女子達の反応が、はっきりと二つに分かれていた。どうしたんだろうと心配そうに見ているほとんどの子たポスト、真剣な目で美郷を睨んでいる数人の子たポスト。杏奈さんさんもいつの間にか俺の隣にきて、腕を組んで睨んでいる。

 あの数人は、きっと美郷にひどい目にあわされた子たちだ。

 囲んでいる人の輪の後ろには、石沢さんと小坂の心配そうな顔が見えた。校舎裏で、しゃがんで泣いていた彼女の姿がありありと思い浮かぶ。


 大きく息を吸い込み、美郷の目を見返した。

「石沢さんをからかうのはやめろ! 変なちょっかいを出すな!」

 ふいに大声を出した俺に、美郷はびっくりしたようだった。

「二度と彼女に、変なことは言わないと誓え!」

 美郷は何か言いかけたが、まわりを囲んでいる同級生を見渡してから、落ち着いた声で返事をした。

「わかったよ。もともと何でもなかったし、これからも何もしないよ」

「本当だな」

「しつこい」

 俺は、美郷の前から離れた。教壇を降りて、周りを取り囲んでいる同級生の輪から出て行こうとすると、一斉に正面を開けて通してくれた。映画でよく見るシーンみたいだな。


「蓮、お前、一体何がどうした?」

「西原君……」

 輪の後ろにいた石沢さんと小坂が、俺について廊下に出てきた。


 自動販売機の横までは、なんとか歩いて行ったが、そこで腰が抜けて、がくがくと廊下に座り込んでしまった。


「おい、蓮。大丈夫か?」

「西原君?」

「ああー、怖かったー。殺されるかと思ったー」

「蓮?」


「あいつの目、すげえ怖いな。間近で見るもんじゃない」

「実はビビってたのか? 全然そんな風には見えなかったけど」

「小便ちびりそうだった」

「マジか?」

「マジだ」

 小坂が吹き出した。


「おい、美郷が結衣のことをからかうって、何のことだ?」

「あのね、湊君……」

 石沢さんが何か言いかけたが、俺はさえぎって続けた。


「なんかな、石沢さんが絶対に嫌だって言ってるのに、もう一度付き合えって、うるさかったらしいんだよ」

「えっ、なんだそれ!」

「顔も見たくないって拒否ってるのに、しつこいから迷惑してるみたいって聞いてさ」

「誰から?」

「杏奈さんから」

「ええっ? そうだったのか? 結衣?」

「あ、あのね、聞いて……」

「杏奈さんから、美郷の奴うざいから、お前なんとかしろよって言われてさ」

「お前、いつの間にギャルと仲良くなってんだ? さん付けで呼ぶとか、信じられん」

「俺も、ちょっと信じられないけど」


「西原君……」

 石沢さんは、涙をこぼし始めた。

「小坂と石沢さんの前で、かっこ悪いとこ見せられないからさ。必死に小便我慢してたんだよ」

「ばか」

 石沢さんも涙をこぼしながら笑い始めた。


「しかし、空手をやってる美郷に、よく素手で向かって行ったな。すげえな、お前」

「あれだけ周りに人がいれば、さすがに手は出さないだろうって計算はしてたけどな」

「そうか? 今にも殴りかかってきそうな感じだったぜ」

「有段者なら、下手なケンカで空手は使えないって。先に手を出したりすれば、厳しい道場なら破門だし。それに、女子がいっぱいいる所では、やらないだろうと思ったからさ」

「そんな計算までしてたのか」

「ああ。でもマジ怖かったー」


「西原」

 声のした方を見上げると、杏奈さんがやってきた。こっちは床に座り込んでいるから、短いスカートの下から真っ直ぐに伸びた足が、目の前に近づいてきて眩しい。そ、それ以上近づくと、中も見えちゃいそうなんですけど……


「よくやったな。いまのお前、ぜんぜんキモくないぞ」

「そ、そうか?」

 杏奈さんは、右手の握り拳を俺の顔の方に近づけてきた。

「?」

「お前も手を出せよ」

 よくわからないが、俺も手を握りしめて差し出すと、拳同志をコツっとぶつけられた。


「杏奈さん、どうもありがとう」

「石沢ちゃん、大丈夫?」

「うん。杏奈さんが西原君に言ってくれたの?」

「美郷の奴がうざいって言っただけだよ」

「……ありがとう」

 石沢さんの方を向いて立っている杏奈さんの、ふくらはぎから太ももが、いやでも目に入る。ピンと引き締まっていて、本当にかっこいい脚だな。

 いやいやいや、そんな目で見てちゃいけない。


「おい、西原」

「はいっ」

 見上げると、杏奈さんが冷たい目でこちらを見下ろしていた。

「なにジロジロ見てんだよ。このむっつりスケベ」

「い、いや、見てたわけじゃなくて……」

「お前、やっぱりキモオタだな」

「え、ええー」

「まあ、今日だけは勘弁してやる。おっと、購買のメロンパンが売り切れちゃうから、もう行くわ」

 杏奈さんは、頭の上で手をひらひらさせながら、階段を降りて行ってしまった。


「やっぱりキモオタだってさ」

「そんなこと、ないよねー」

 久しぶりに笑っている小坂と石沢さんの様子を見ていて、ふと思いついた。昔振られた相手に、また言い寄られて心が揺らぐ、か。このストーリーなら使えるな。芽依が一途だという前提は崩さないで、二人の危機になるし。

 またこの二人から、いいヒントがもらえた。


 これで、前に送ったやつを書き直して、よしのんさんに送ってみよう。



二-七 やり直し


「よし。書けた」

 自宅の机から離れ、ベッドの上に寝転んだ。


 『わかとめいを巡る迷推理……?』で、決裂の原因になった章の書き直しができた。芽依が元彼にヨリを戻そうと言われて悩むシーンを加え、二人のすれ違いを描きながら、芽依自身の一途さは残す展開にする。これで、よしのんさんの希望は守りながら、後半のドラマチックな盛り上がりポイントにすることができる。

 ハンバーガーショップで別れてから、メッセージのやりとりも電話もないまま、一週間が過ぎてしまった。様子をうかがえる手がかりは、サブアカウントのポストしかないが、青山で働く女性を演じているから、どこまで本当のことかわからない。


よしのんさんのポスト「最近仕事がうまくいってないから、ちょっとストレス。特に今日は気分が良くないから、仕事早退しちゃいました」

よしのんさんのポスト「特に熱とかないから大丈夫だと思うけど、Rule and Sinの次の投稿は、ちょっと遅れて明日になります。楽しみにして下さっている読者様、ごめんなさい」


 会社を早退したと書いてあるが、実際に学校を早退したのか、ただのフリなのかはわからない。ただ、小説の連載も遅らせるということは、本当に調子が悪いのかもしれない。

 思い切ってスマホでLINEを開き、よしのんさんの連絡先を表示したが、気まずくてすぐには掛けられなかった。何と言って話を始めようか?

 べつに別れた彼女に電話するわけじゃなし。元気なさそうだけど、大丈夫か? と、シンプルに聞けばいいか。


「もしもし」

 通話ボタンをクリックすると、よしのんさんはすぐに出た。少し声が疲れ気味のようだ。

「あ、よしのんさん? どうしてた?」

「どうもしてない。好きなイラスト描いてた」

「学校、早退したのか?」

「何でわかるの?」

「いや、ポストで会社早退したって書いてたの、リアルに学校早退したのかなと思って」

 返事まで、少し間が空いた。


「そうよ。学校はお昼で帰ってきちゃった」

「気分が悪いって、大丈夫か?」

「まったく、誰のせいだと思ってるの」

「えっ?」

「なんでもない。独り言。熱まではないから大丈夫。ところで、なんか用?」

「いや、どうしてるのかなと思って。原作小説書いてないと、メッセージもないし」

「ははーん。お姉さまが相手してくれないと寂しいのね」

「そうかも」

「えっ」

 あっさり認めたので、驚いたようだった。


「よしのんさんの声を聞いてないと、寂しいかも」

「ばか。ばかばかばか。なにイケメン主人公みたいなセリフはいてるのよ」

 ちょっと声が元気になってきた。


「なあ、今度、相談したいことがあるんだ。『わかとめい』のことで」

「いまさら何よ。考えを改めたの?」

「うん。完全に元に戻すわけじゃないけど、ちょっと考えたことがあって」

「またロクでもないアイデア考えついたんでしょ。変なプロット持ってきても、聞く耳持たないからね」

「大丈夫、だと、思う……」

 このアイデアなら、一途な芽依というよしのんさんのこだわりポイントは、問題ないはず。


「今度の日曜に、会わないか?」

「え」

「この間みたいに直接会って話した方が、相談しやすいと思うんだけど」

「今度の日曜日? 本当に?」

 なんでそんなに驚いているんだ……?


「うん。今週末。で、場所はどこがいい?」

「丸の内ビジネスマンの水晶先生にまかせるわよ。いい会議場所なら得意でしょ」

「いじわる言うなよ。じゃ、渋谷で待ち合わせして適当なカフェに入ることで」

「OK」

「一時にキュービルの地下の改札口でいいか?」

「りょーかい! 期待してないけど、楽しみにしてるわよ」

「はいはい」

 話しているうちに、どんどん声が元気になってきた。やれやれ。

 電話を切ってから、約束時間を忘れないようにカレンダーアプリを開いて気が付いた。


 今度の日曜日って、ホワイトデーじゃないか!


 顔からどっと汗が吹き出てきた。まるで、ホワイトデーにデートしようって申し込んだみたいになっている。だから、何度も聞き返してたんだ。ということは、この間のチョコレートのお返しも用意しておかないといけないぞ。結局、あのチョコレートはプレゼントだからと言って、お金は受け取ってくれなかった。

 高級チョコレートに対して、何をお返しにすればいいんだ?

 考えなしに、大変な申し込みをしてしまったかもしれない……


***


「という展開ではどうだろう」

 芽依が、昔振られた相手にまた言い寄られて心が揺らぐ。しかし一途な芽依は、すぐに反省して若の元に行く。でも若の心にはわだかまりが残ってしまい、亀裂が広がるというストーリー。

 待ち合わせたキュービルの隣にあるコーヒーショップで、書き直した原稿を見せながら説明すると、よしのんさんは腕を組んでふん、とうなずいた。

「これなら芽依は一途な子という設定は崩れないわね」


 今日のよしのんさんは、バレンタインデーの時とはまた違って、少し大人っぽい薄緑色のブラウスを着ていた。中学生にはちょっと見えない。

「そう。芽依の設定は変わらないけど、二人の危機が演出できる」

「さて、どうしようかな」

 少し口を尖らせ、首をかしげている。もう一押しだな。


「あのさ。これプレゼント」

「なにこれ?」

 手提げから、リボンでラッピングしたケースを取り出す。キュービルの地下にあるスイーツコーナーで買ってきた、高級マカロンの詰め合わせ。


「前に小坂たポストグループデートした時に、高級チョコをプレゼントしてくれたろ? そのお返しという意味と、もう一つ」

 よしのんさんは、ろくに話も聞かずに早速リボンを取って箱を開けている。

「あー、ピピノエールのマカロン! これ食べたかったんだー」

「聞いてる?」

「そっか、そっか。お姉様に貢ぎ物持って来たから、また遊んで下さいって?」

 決裂する前の調子が戻ってきた。


「俺やっぱり、よしのんさんとコラボ小説書きたいんだよ。一緒にプロット考えて、お互いに書いたものの感想言い合って、漫画と小説を同時に発表して結果が出ると、一緒に喜ぶっていうのが、すごく楽しくてさ」

「……」

「だから、また一緒にやろうぜ」

 よしのんさんは、マカロンの箱を両手で持ったまま、俺の目をじっと見ている。


「ぐすっ。お姉様が相手してくれないと、寂しかった?」

「ああ。つまんなかった」

「ぐすっ。ぐすっ。本当に、私と一緒に書きたいと思ってた?」

「思ってた」

「私が必要?」

「ああ。コラボするには、よしのんさんが絶対に必要だよ」

 よしのんさんは、ぼろぼろ涙をこぼし始めた。


「ぐすっ。ぐすっ。うん、いいよ。ずずっ。そのプロットなら描けるから……ずずっ」

「お、おい。泣くなよ。まわりの人が見てる」

「バカ! ここは花粉がひどいのよ! 花粉症の薬くらい持ってきてよ!」

「え、ええー?」

 駅前でもらったティッシュを取り出して一枚渡すと、ずずっと鼻をかんで、またすぐに手を出してくる。二枚目で涙を拭き取ると、すっきりしたような笑顔になって宣言した。


「よーし。また書くぞ。大人たちをきゅんきゅんさせる素敵なストーリー」

「おう」


 よかった。これでまた、再開できる。



二-八 バレた


よしのんさんのポスト「お待たせしました。しばらくお休みしていた『わかとめいを巡る迷推理……?』ですが、今日から再開します!」


 修正プロットを受け入れてくれると、よしのんさんは、共有した原稿を元にその夜のうちにネームを起こし、翌日、俺と確認すると二日間で完成稿を仕上げて来た。その次の原稿を送ると、一時間でラフなネームが返って来る。やる気にあふれているようで、とんでもないスピードで描くようになっていたから、俺の原稿待ちの時間がどんどん長くなってきた。


よしのん: 早く続き書きなさいよ! こっちは次の次まで頭の中にイメージがあるんだから。

水晶: わかった、わかった。できるだけ早く上げるから。

よしのん: 今まで二週間サボってたんだから、その分取り戻しなさいよね。


 サボっていたわけじゃないし。勝手に休載にしたの、そっちだろ、と内心ツッコミながら、またコラボしながら書けるのは想像していた以上に楽しかった。

 週明け月曜日に連載を再開すると、いつものフォロワーさん達が一斉に歓迎コメントを書いてくれた。


小鳩さんのコメント「よしのんさん、水晶つばささん、またお二人のコラボ作品が読めるようになって、本当に嬉しいです。頑張って下さい!」

えるさんのコメント「謎が深まってきてドキドキしています。これで今日も頑張れます」

ぴーさんのコメント「お二人の協同作業自体が尊いです。」

さくらん坊さんのコメント「待ってました! 連載再開、ありがとうございます!」


 さくらん坊さんか。

 教室の後ろを見ると、ちょうど、スマホを熱心に見ながら成瀬さんが教室に入って来るところだった。歩きながらコメントを書いていたのかもしれない。まさか作者が、さくらん坊さんが誰だか知っているなんて、ぜんぜん考えてないだろうな。


よしのんさん: どう? すごい反応でしょ。

水晶: ああ。忘れられてなかったみたいで良かったよ。

よしのん: ふん。忘れられてるわけないでしょ!


「ねえ、西原さん」

「おわっ!」

 あわててスマホを裏返す。いつの間にか、成瀬さんがすぐ横に来ていた。


「よしのんさんと水晶さんのコラボ漫画! 再開しましたね!」

「そ、そうだね」

「ああ。本当に良かった。二人がケンカでもしていて、永遠に再開しなかったらどうしようと思っていました」

「大丈夫だろうって言っただろ?」

「西原さんの言う通りでした」

 成瀬さんは言いたいことを言うと、満足そうに席に戻って行った。危ないあぶない。よしのんさんとのメッセージ画面を見られたら大変なことになる。


***


さくらん坊さんのコメント「また今日の展開はハラハラしますね。芽依に付き合っていた元彼がいたなんて。この先の展開が楽しみです」

水晶の返信コメント「コメントどうもありがとうございます。どうぞ期待していて下さい。もっと謎が深まっていきますよ」


 小説投稿サイトの俺の小説の方に付けられた、全部のコメントに返信した時には、三時間目の休み時間も終わりそうになっていた。常連さんたちのコメント一つ一つに、丁寧に返信を書いていると、あっと言う間に時間が過ぎてしまう。今日は朝からずっと机に座ったままで、トイレにも行っていなかった。

 さくらん坊さんも、休み時間のたびに、よしのんさんの漫画のポストと、俺の小説のそれぞれにコメントを書いてくれていた。いや、コメントのタイムスタンプを見ると、俺の作品へのコメントは授業中に書いたようだった。授業を聞かないでスマホで小説を読んでいるなんて、教室の後ろの方だとは言え、結構大胆だ。


 朝のうちにもらったコメントには、休み時間に全部返信しておいたが、昼休みになるとまた増えていた。昼休みにネット小説を読んでいる人は、やはり多いと見える。いつものように、売店で買ってきたサンドイッチを食べながら返信を書いていると、メッセージが着信した。


さくらん坊: こんにちは。さくらん坊です。いきなりダイレクトメッセージを送ってしまってごめんなさい。


 え、ええっ?

 さくらん坊さんからダイレクトメッセージ?

 SNSのメッセージは、特に拒否設定をしていないから誰でも送ってくることはできる。でも、今までダイレクトメッセージを送ってきたのは、よしのんさんだけだった。


水晶: こんにちは。大丈夫ですよ。

さくらん坊: あの、聞きたいことがあるのですが、SNSでオープンに聞くのは良くないと思ったので、ダイレクトメッセージにしました。

水晶: 聞きたいことって、何ですか?

さくらん坊: 重要な事ですので、落ち着いてよく聞いて下さい。

水晶: はい。


 な、なんだ重要なことって?


さくらん坊: 今、あなたの後ろにいる女性は、誰ですか?


 えっ? 後ろ? 思わず後ろを振り向くと、成瀬さんと目が合った。その瞬間、大失敗したことに気がついた。


さくらん坊: やっぱり。水晶つばささんは、西原さんだったんですね?


 ば、バレた!


さくらん坊: 水晶さん。屋上に来てください。


 成瀬さんは、立ち上がって教室を出て行った。俺も仕方なく後を追って屋上へ行く。階段の一番上からドアを開けて外に出ると、フェンスの横に立つ成瀬さんが静かにこちらを見ていた。目線を合わせては話しずらかったので、隣に並んで立つ。

 遠くには何人か、たむろしている生徒がいるが、話し声までは聞こえなさそうだ。


「あ、あのさ。俺が水晶つばさってペンネームで小説を書いていることは、クラスでは黙っててほしいんだ」

「どうして隠しているんですか?」

「恋愛小説書いているなんて知られたら、なんて言われるかわからないし」

「あれだけフォロワーがいて、人気なんですから、もっと堂々とすればいいのに」


 隣の杏奈さんたちに知られたりしたら、なんと言われるか。せっかく攻撃されないようになって来たのに、またキモいと罵倒されるかもしれない。美郷にもなんと言われるか、想像するだけで恐ろしい。

「いや、やっぱり無理だ」

「あんなに素敵なストーリーを書けるのに、何を怖がっているんですか」

「それより、何で俺が水晶だってわかったんだ? 最後にメッセージを送ってきた時は、わかってて罠にかけたんだろう?」

「はい。最後は、確信を得るために送りました。最初に気が付いたのは、西原さんがスマホをいじっている時間と、水晶さんの返信コメントが付くタイミングがビッタリ一致していて、あれ、と思ったことからです」

「よく気がついたな」

「今日は、朝と昼休みだけでなく、業間の休み時間にも返信をくれましたよね? 私が授業中にこっそりコメントを書いても、しばらく返信がないのに、休み時間になるとすぐに返ってきたので」

「そういうことか……」


「そう思うと、三点リーダーのことを教えてくれた時の投稿サイトの画面。最初に表示していたのはコメントの返信欄でしたよね。本文ではなくて」

「そこまで見られてたのか!」

「西原さんが水晶つばさだと考えれば、『コラボ連載は再開するから大丈夫』と断言していたのも、つじつまが合いますし」

「ううむ」

 あまりに脇が甘かった。まさか、こんなにしっかり観察されていたなんて。


「西原さんは、付き合っている彼女さんがいるんですよね? すごくかわいいって石沢さんが言ってましたけど。彼女さんは、西原さんが小説を書いていることを知っているんですか?」

 よしのんさんのことまでバレたら大変だ。知らないことにしておかないと。

「いや、彼女にも秘密にしている」

「そうなんですか? 付き合っている彼女にも秘密だなんて」

「やっぱり恥ずかしくて、言えないよ」


 成瀬さんは、くるりと向きを変えて、正面から俺の顔を見上げた。

「私と一緒に文芸部に入りませんか? そうすれば、堂々と小説を書いていても、誰も何も言いませんよ」

「え、そ、それは」

「今月で先輩達が卒業してしまうと、あとは後輩二人と私しかいなくて。部誌に載せる原稿を書ける部員が少なくて困っていたんです。西原さんが参加してくれたら、とても助かります」

「ごめん。部活だとは言っても、やっぱりオープンにするのは無理だ」

「そうですか。残念です」

 がっかりしたようで、うつむいてしまった。


「なんとか、秘密にしておいてくれないかな」

 ゆっくり顔を上げると、まっすぐに俺の目を見て言った。

「では取引をしましょう。西原さんが水晶つばさであることは内緒にする替わりに、小説の書き方を教えて下さい」

「え? 小説の書き方?」

「今度、全国オンライン学生文芸コンテストに応募するつもりです。そこで上位入賞するために、プロットの起こし方やキャラクターの作り方のコツを教えて下さい。コラボ小説でトップランキング入りした、水晶つばさのノウハウを教えて欲しいんです」


 全国オンライン学生文芸コンテスト。略して全オン文は、新型コロナウイルスの感染症が大流行して緊急事態宣言が出ていた年に始まった、高校生対象の小説コンテストだ。第一回大賞受賞者のあすなろさんは、女子高生のままデビューし、今や文庫本十冊以上を出す売れっ子になっている。


「小説を書くコツなら、ハウツー本がいっぱい出ているよ」

「テキストは読んでいるんですが、自分で書いたものが、それに沿ってうまくできているのかどうか自分ではわからなくて。客観的に読んで指摘して欲しいんです」

「そんな指摘とか、教えるとか、俺には無理だよ」

「このあいだ作品の感想を聞かせてもらった時、とてもロジカルにわかりやすく欠点を指摘してもらえて、すごく参考になりました。ぜひお願いします」

「そうだとしても、俺は公募とか出したことないし」


 目をそらすと、両手の指を絡めて落ち着かなげに動かし始めた。

「……そうですか。こんなことは言いたくないんですが、もし引き受けてくれないのであれば、取引は不成立ですね。西原さんのペンネームと活動は……」

「わかった、わかった。わかったから。引き受けるよ。読んで感想を言ってあげればいいんだろ?」

「はい。ありがとうございます」

 成瀬さんは、また俺の顔を見ると、屋上に来てから初めてにっこり笑った。


***


「で、水晶つばさの秘密を守るために、さくらん坊さんだっけ? その子に小説の書き方指導することにしたの?」

「そう。バラされたら大変だから」

「バッカじゃない」

「まあ、読んで感想言ってあげるだけなら、前にもやったことあるし。大したことないと思うよ」


 夜になって、一応よしのんさんにも電話で、今日の成瀬さんとの一件を報告しておいた。この先、どこで絡んでくることになるかわからないので、注意しておいてもらった方がいい。


「引き受けた理由は他の人には秘密ってことは、もしかして、その子と二人きりでやるつもり?」

「そうなるのかな。確かに、他に人がいると余計なこと言えないかもしれないな」

「うー。作家先生とそのフォロワーさんがずっと二人きりとか、なんか変な気起こしたりして」

「いや、そんなこと無いって。ただ作品読んで感想言うだけだから」

 あれ、顔が熱くなってきた。額に汗が……


「すぐ横に座って、『ここはね』とか、指さしてすり寄ったりするんでしょ。あー想像すると、なんかムカついてきた」

「いやいやいや。勝手に妄想をふくらまさないで。そんなことしないし。大丈夫だから」

 なんで俺が、こんなに気をつかってフォローしなきゃいけないんだ?


「ところで、次の原稿できた?」

「ああ。できてるよ。これから下書きサイトにアップする」

「オーケー。お姉さんが読んで、じっくり指さしながら感想言ってあげる。覚悟しておきなさいよ」

「だから、何のプレイなの、それ?」


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