ネットの人気女性漫画家にコラボを申し込まれた件
代官坂のぞむ
第一章 スタートライン
プロローグ
「もしかして、君が、よしのんさん?」
「まさか、あなたが水晶つばさ?」
どちらからともなく、笑い始めた。俺は花束を差し出して、用意していたセリフを口にする。
「ピンクのバラの花言葉を知っていますか? 『恋の誓い』です。これをあなたに捧げます」
よしのんさんは、ぷっと吹き出しながら、花束を受け取った。
「まさか、根本的に大嘘つきだったなんて思わなかった」
一-一 申し込み
「お、今朝は小説のフォロワーさんが三人も増えた。どんな人だろう」
俺は
西原は高校生としての仮の姿で、本業は、切なくて泣けるブルーライト文芸を書いているウェブ作家の水晶つばさだ。とは言っても、小説投稿サイトのフォロワーが十数人程度の、吹けば飛ぶような底辺作家だけど。
週に三回、投稿サイトに連載している小説『あの時、君に届けたかったこの想いを今も』を更新しては、読者さんの反応に一喜一憂している。
十月になって外はいい天気だけど、いつも昼休みは、売店で買ってきたサンドイッチを食べながら、教室で小説投稿サイトのチェックをしていた。
新規に作品をフォローしてたのは、どれも宣伝目的のアカウントだった。コメントも書いてないし、二千人もフォローしてるのじゃ、俺の小説なんてぜんぜん読んでないな。
がっかりだけど、前からのフォロワーさんのコメントが数件付いていた。
小鳩さんのコメント「水晶つばささん! とっても素敵です。これからの続きが楽しみ」
えるさんのコメント「いつもきゅんきゅんするお話をありがとうございます! 今日もこれで頑張れます」
暁の星さんのコメント「尊い! 尊い!」
ちゃんと読んでコメントをくれるのは、いつものフォロワーさん達だけだ。大事にしないと。一つひとつ、丁寧に返信コメントを書いていくと、初めて見るアカウントから、ずっと前に投稿した第一話にコメントが付いていた。新規の読者さん?
よしのんさんのコメント「初めまして。とってもキュンとするストーリーですね。続きが楽しみです」
よしのんさんから、コメント?!
よしのんさんはラブストーリー漫画をネットで公開している人気作家で、SNSのフォロワー数も十数万人。商業作家ではないけれど、毎週投稿される漫画のリポスト数は数万以上になっている。そんなすごい人が、畑違いの小説投稿サイトの俺なんかの作品にコメントをくれるなんて。
すぐに返事しなきゃ。
水晶の返信コメント「コメントどうもありがとうございます。楽しんでもらえるように頑張ります!」
よしのんさんのSNSの漫画投稿に、「毎週楽しみにしています。自分は小説を書いていますが、二次創作を書きたくなってきました」とリプライを書いたのは昨日のこと。まさか、そのお礼で読みに来てくれたのか?
アカウント情報を見に行くと、この小説投稿サイトには昨日新規に登録したことになっている。俺の小説を読むためにわざわざ登録したのか? 疑問がどんどん膨らんでくる。
でも、「続きが楽しみ」って気に入ってくれたってことだよな。俺の作品も結構自信持っていいのかも。
画面上の通知欄に赤マークが付いた。開いて見ると、よしのんさんが作品と俺をフォローしてくれたという通知だった。これは、本格的にファンになってくれたってことか。
内心でニンマリしていると、隣の席に集まって弁当を食べているギャル達が、ひときわうるさくなった。うちの学校は校則がゆるいのをいいことに、髪を染めて軽くメイクもしているこの連中は、いつも誰かの恋話で盛り上がっている。
「ねえ、ねえ、誕生日どうするの? 彼から何か言われた?」
「うん。デートに誘われた」
「きゃー! 今度こそ? 期待しちゃう?」
「えー、まだわかんないよ」
誕生日とか、特別なイベントでデートに誘われると、やっぱりときめくものなのかな。
やっぱりギャルは怖いから、直接話をすることはないが、恋愛小説のネタになりそうな会話をしている時は、さりげなく観察しながら聞くことにしている。何事も取材は大事。
「ちょっと
「うわ。キモい」
やばい。観察していたのが見つかった。
「何ジロジロこっち見てるのよ」
「いや、別に見てたわけじゃ……」
「こっち見んなよ」
「あっち行け。キモい」
「ごめん」
食べ終わったサンドイッチの袋を握りしめて立ち上がる。俺の小説に出てくる子は、みんなきらきら、きゅんきゅんしているのに、現実にいる女子は最悪なのばっかりだ。
教室の前にあるゴミ箱まで歩いて行き、袋を投げ捨てた。今日も一日、あんな連中の隣で授業を受けないといけないなんて。創作の世界を離れて現実世界で暮らすのは、本当に苦行でしかない。
***
放課後は、いつも学校の図書館か街のファーストフード店に行って、投稿サイトの小説を更新することにしていた。なんとか一日我慢を重ねた自分へのご褒美に、創作の世界でのびのびできる時間だ。今日は図書館に来て仕上げ中。
「よし。これで今日の分はできあがり。送信と」
公開ボタンを押し、ちゃんとサイト上で読めるようになったことを確認して、ほっと一息ついていると、すぐにコメントがついた。早い。誰だ?
よしのんさんのコメント「また素敵な展開ですね。主人公のセリフがたまりません」
この短時間に、ちゃんと読んだ上でコメントをくれるなんて。急いで返信を書かなきゃ。
水晶の返信コメント「よしのんさん。コメントどうもありがとうございます。とっても励みになります」
アマチュアとはいえ、よしのんさんみたいな人気漫画家が、俺の作品をフォローして何度もコメントをくれるなんて。嬉しくて、また顔が緩んでくる。これは結構いい線行っているのかもしれない。SNSの方でも頑張って宣伝したら、もっと人気が出るかもしれないぞ。
スマホの画面をSNSに切り替えた。
水晶のポスト「『あの時、君に届けたかったこの想いを今も』に、たくさんのコメントありがとうございます!」
水晶のポスト「今日も残業になりそうだけど、帰ったらまた続き書きます(上司が呼んでる」
ネットでは、高校二年生という年齢・立場は隠して、東京で働くビジネスマンのふりをしていた。その方が作品をちゃんと読んでもらえそうだったから。ネットには、若いというだけで、あれこれ説教めいたうるさいことを言ってくる奴もいるらしい。
えるさんのポスト「お仕事頑張って下さい! 私も今日は忙しいですが、続きを楽しみに頑張ります」
水晶つばさのポスト「えるさんも頑張って!」
暁の星さんのポスト「つばささん、無理はしないで下さいね」
水晶つばさのポスト「ありがとう」
創作界隈でフォローしてくれる人達はみんな優しいし、大人の女性は気遣いも細やかでいい。クラスの女子とは大違いだ。
いいねの数を確認してスマホを閉じようとした時、新着のダイレクトメッセージが来た。公開のポストではなく、個人的にダイレクトメッセージを送って来る人なんて初めてだけど、誰だろう?
よしのん: こんにちは。よしのんです。いきなりメッセージを送ってしまってすみません。
え、え、え。よしのんさんから直接メッセージ?! あり得ない。
あわてて返信を打つ。
水晶: こんにちは。コメントありがとうございました。
よしのん: とっても素敵なストーリーで、一話から最新まで一気読みしてしまいました。
水晶: ありがとうございます!
よしのん: 水晶つばささんに一つ提案、というより、お願いがあるのですが、よろしいでしょうか?
お願い? よしのんさんからお願いって、何だ?
水晶: はい。何でしょうか。
よしのん: 私の漫画の原作小説を書いていただけませんか?
よしのんさんの依頼があまりに意外だったので、図書館の机の上で、しばらく固まっていた。よしのんさんの漫画の原作小説? ネットで大人気の、あの胸きゅん恋愛漫画の原作を、俺が書く? フォロワーが十数万人の大人気漫画家よしのんさんから、泡沫底辺作家の俺に申し込みがあるなんて、絶対に詐欺だろう。
いや、でも、このアカウントは本物だ。よしのんさんは、漫画を投稿するメインのアカウントと、日常の報告やつぶやきを投稿するサブアカウントを持っているが、メッセージを送って来たのは、サブアカウントの方だった。
水晶: あの、なぜ自分に原作小説を書いてほしいと?
よしのん: 昨日、私の漫画に、二次創作をしたいというコメントをいただきましたよね。それで水晶さんの小説作品を読ませていただきました。水晶さんの書かれる登場人物、世界観は、自分の漫画とそっくりだなと思いました。
よしのん: ストーリー展開は、ヒロインが病弱ないわゆるブルーライト文芸で、ちょっと違いますけど。
確かに、よしのんさんの漫画が好きなのは、自分が書いている作品と雰囲気やキャラがよく似ているからというのもある。でも、基本的によしのんさんの漫画は、ヒロインが幸せになってエンドを迎える話だから、そこは俺の作風とは違う。
よしのん: お恥ずかしい話なのですが、ずっと漫画の連載を続けてきて、ストーリーやアイデアに詰まることが増えてきたのです。でも、水晶さんの作品を読んだら、あ、こんな絵が描いてみたい、こんなキャラを動かしてみたいと心から思えました。
よしのん: 二次創作をしたいと言っていただけたのは、とても嬉しかったです。ですが、それであればオリジナルとして、よしのんの作品として一緒に制作しませんか? いいえ。ぜひ一緒に作品作りをさせて下さい。
毎週、あのペースで描き続けているのは、確かに大変だと思う。アイデアに詰まることもあるだろう。だから、原作としてアイデア出しをしてほしいということか。それなら、なんとなく理解できる。ゴーストライターとして、アイデアがほしいだけってことだ。
水晶: つまり、よしのんさんの漫画の下敷きになるアイデア出しをしてほしいということですね。それで、書いた小説はよしのんさんに渡すだけで公開しないでほしいという条件ですか?
そういう条件なら、原稿料がほしいよな。よしのんさんは、SNSで有料会員の青バッチが付いているから、あれだけインプレッションがあれば相当な広告料収入があるに違いない。
よしのん: いいえ。水晶さんの小説は、水晶さんの作品として今のサイトで公開して下さい。私の漫画は、水晶さんの小説のコミカライズ、いいえ、漫画と小説のコラボレーションとして一緒に発表していきたいと思います。
あれ? 思ったのとちょっと違うぞ?
よしのん: 水晶さんの、きゅんきゅん来るストーリー。何度も読み返したくなる文体。とっても素敵で大好きです。これはこれで、小説として読者の皆さんにお届けし続けてほしいのです。私の漫画のポストからも、原作小説へのリンクを張りますし。
よしのん: 漫画と小説を同時に公開していったら、きっと素敵な化学反応が生まれてくるはず。
よしのん: ぜひ一緒に作品作りをしませんか。
これは、本気で俺の作品を気に入ってくれたと思っても良いのかな? こんなチャンス、もう二度とないかもしれないぞ。よしのんさんのポストで、原作小説はこちら、とリンクを張ってくれたら、すごい数の
水晶: わかりました。ぜひ一緒にやらせて下さい。
よしのん: ありがとうございます!!!! 今度、こんなシチュエーションのお話を描きたいというアイデアをまとめてきます。それを元にして、具体的なプロットの相談をさせて下さい。
水晶: わかりました。
よしのん: またご連絡します!
メッセージが来なくなったので、よしのんさんのサブアカウントのポストを開いた。最近、メインアカウントの漫画は読んでいたが、サブアカウントの方は見ていなかったから、近況はどうなっているのだろう。
よしのんさんのポスト「昨日まで準備してきたプレゼン、うまく行きました! 今日は青山で打ち上げ」
よしのんさんのポスト「でも、Rule and Sinの続き書かないといけないので、一次会で帰る予定(てへぺろ」
よしのんさんのポスト「今日のコーデは、勝負服のスーツです」
SNSに添付された写真は、顔以外の全身を鏡に映して自撮りしたもの。紺色のスーツに黒いヒールを履いた、大人っぽいスタイルだった。都内で働いている女性は、やっぱりかっこいい。見ていると、新しいポストが追加された。
よしのんさんのポスト「もひとつ温めているコラボ企画が、もうすぐ始動できそうです。準備ができたらお知らせします」
うわ! これってやっぱり俺に申し込んできた原作小説のことだよな。
スマホの画面を、さっきのメッセージに切り替えて、ふたたびまじまじと見つめた。
一-二 初めての投稿
「蓮、おはよっす!」
「あ、おはよう」
同級生の
「なんだ、なんだ、目に隈ができてるぞ。また夜中までえっち動画見てたのか」
「違うよ」
昨夜は、よしのんさんのメッセージを眺めながらあれこれ考えていたら、全然眠れなくなってしまい、すっかり寝不足だった。
「やり過ぎは体に毒だぞ。まあ、うちのクラスはえろい女子が多いから、ムラムラするのはわかるけどさ」
隣の席でいつものように集まっていたギャル達が、キッとこちらを睨んできた。
「サイテー。そこの二人キモいからこっち見るな」
「なになに? どうしたの?」
「西原と小坂が、スケベな目でこっち見てた」
「いや俺は関係ないから。変なこと言ってるのこいつだけだから」
「お前らなんかより、アニメの子の方がずっとかわいくて胸おっきいから。お前らなんて見るわけねえっての」
それ、火に油を注いでるって。
「キモオタ! サイテー!」
「西原も変なラノベとか読んでて、本当キモい」
カチンと来た。
『ラノベだって、作者は真剣に書いてるんだから馬鹿にするなよ』
そう大声で言えたら、どんなにスッキリするか。でもそんなことを言う勇気はない。
『俺が書いている女子向けラブストーリーで、きゅんきゅんしている大人女子がいっぱいいるんだぞ。お前らもそれ読んだら、俺に惚れちまうんじゃないか』
もっと言えない。絶対言えるわけがない。小説を書いていることは、恐ろしくて学校では誰にも言っていない。
「キモいんだよ。あっち行けよ」
「……小坂、俺、トイレ行ってくる」
「ええ? ここで敵前逃亡かよ」
「もう戻ってくんな。キモオタ」
俺の小説に出てくるような清純きらきら女子って、絶滅危惧種なのかな……
トイレから出てすぐの所にある自動販売機でパックのジュースを買い、横にしゃがんだ。教室に戻っても、ギャル達がうるさいだけだから、ここで小説投稿サイトとSNSをチェックすることにする。
スマホを開けると大量のメッセージが来ていた。SNSでメッセージを送って来るのは、よしのんさんしかいない。
よしのん: 昨夜大枠の設定を考えたので、コメントをいただけますか?
よしのん: 大学生の
よしのん: 誤解から別れるまでは、お互い好きなのにすれ違いが重なって、どんどん離れて行ってしまう切なさを出して。ここは、水晶さんの作風を見習って、二人の危機を入れてみました。
よしのん: でも、どうしても諦められない碧は、クリスマスに仲直りを申し入れる。
よしのん: 大きなクリスマスツリーの下で、ピンクのバラの花束を持って碧が駆けつける劇的な演出で。
よしのん: タイトルはシンプルに主人公の名前を取って『あおとあおい』
途中で、二人が別れそうになるという展開は、今までよしのんさんの漫画では見たことがない。そこは、俺のストーリーを参考にしているってことか、でもラストがハッピーエンドになるのは、よしのんさんらしい。
水晶: とってもいいと思います。よしのんさんらしい展開ですね。
すぐに返信が返ってくる。
よしのん: ありがとうございます! この大枠で、一話二千字、全二十四話くらいのボリュームで小説にしていただけますか。もちろん、書いているうちに変更したくなるところがあるでしょうから、そこは水晶さんの感性で変えていただいてもいいですし、ご相談いただければ一緒に考えます。
水晶: わかりました。やってみます。
とは返事したものの、俺に書けるかな。今まで高校生のカップルはいくつも書いてきたけど、大学生は書いたことがない。経験したことのない大学生の恋愛がうまく書けるかどうか。もっとも、高校生でも恋愛の経験が無いのは同じことだったけど。
「はあ……、できるかな」
「西原君、どうしたの? 最近よく溜息ついていて、元気ないみたいだけど」
目を上げると、
「なんでもない」
飲み終わったジュースのパックをクシャッと握り潰して立ち上がった。どうせこいつだって、内心では俺のことバカにしているんだろうし。パックをゴミ箱に突っ込むと、教室に向かって歩き始めた。
***
駅前のファーストフードは、学校帰りの高校生や小さな子供を連れたお母さん達で満席だった。俺は、窓際のカウンターに座り、よしのんさんの設定に沿った第一話の出会いのシーンの小説を書いている。
一時間ほどで予定の文字数を一気に書き上げて小説投稿サイトにアップし、非公開のまま、下書き共有の機能を使って、よしのんさんにリンクのメッセージを送ると、間もなく返信が来た。
よしのん: 素敵です。偶然の出会いから、二人がドキドキしている感覚がリアルに出ていて、とてもいいですね。
気に入ってもらえて良かった。最初の読者からすぐに反応が返ってくるのは、楽しい反面、緊張もする。
よしのん: 一つ質問していいですか?
水晶: はい。どうぞ。
よしのん: 碧が、最初の会話の後すぐに、次の約束のことを話し始めたのは、どういう流れを意図してでしょうか?
話の流れが不自然ってこと? 言われてみれば、確かに唐突かもしれない。
水晶: そうですね。ちょっと展開が急過ぎたかもしれません。一旦相手のことを聞く質問と会話を入れます。
よしのん: あ、お気にさわったら済みません。全体としてはとっても良い感じで、水晶さんらしくて好きです。
やっぱり大人の女性は素敵だ。すごく気をつかってくれている。「サイテー」しか言わない、うちのクラスの女子とは大違いだ。
水晶: 指摘してくれて、ありがとうございます。これからも気がついたことがあったら、どんどん言って下さい。
よしのん: 水晶さんも、いいアイデアがあったら遠慮せずにどんどん提案して下さいね。二人でいいものにしていきましょう。
うわっ! 何だ、このすごくいい感じ。コラボって楽しい。いつも小説では書いていたけれど、異性に優しくされてドキドキするってこういうことだったんだ。本当に心臓が動いているのを感じる。
よしのん: 水晶さんは、まだ仕事ですか?
何て返事しよう。もう六時だから、普通のサラリーマンなら帰る時間か。でもそれじゃヒマそうかな。
水晶: これからプロジェクトの会議があるので、もうちょっと残業ですね。
よしのん: 大変ですね。お体に気をつけて。私はもう上がるので、家に帰ってネームを作り始めます。できたら連絡しますね。
水晶: はい。楽しみにしています。
第二話以後も、よしのんさんの漫画のクオリティを活かせるような、いい小説を書かないと。さっきのメッセージを見ながら思わずニヤけてしまう。
「好きですとか、二人で、とかいいなあ」
隣の席の女子高生が振り向いた。しまった。声に出てた。
***
翌週の金曜日の朝、よしのんさんが新作漫画『あおとあおい』の第一話を、SNSで公開した。その少し前に、俺の方は小説投稿サイトで小説版の第一話を公開していたので、よしのんさんのポストから、原作小説はこちらですというコメントと共にリンクも張ってある。
小説を渡してから、よしのんさんは二日でネームを描き上げ、一応俺も見てから一週間で四ページの漫画を描き上げてきた。こちらも負けないように、一週間で第二話の小説を書き上げてリンクを渡すと、その次の日にはネームが返って来る。自分のペースで小説投稿サイトに出しているのとは違い、後ろに控えている人の作業があるのは、すごい緊張感だった。もしかして、締切に追われるプロの作家さんて、いつもこんな気分で書いているのかな?
朝のホームルーム前に、自分の席でスマホを開いてよしのんさんが投稿した第一話のポストを見ていると、瞬く間にいいねとリポストが積み上がり、すごい数のコメントが付いていた。やっぱりよしのんさんは固定読者の数がすごい。そのポストから張られたリンクを辿って、俺の原作小説も、今まで見たことがないような勢いでPVが増えていった。
よしのん: 今日の第一話、すごく評判が良くてよかった!
水晶: 見ました! さすがはよしのんさんです。
よしのん: いえいえ。原作を書いてくれた水晶さんのおかげです。
水晶: 締切を目指して原作を書いて、そこから漫画を描き始めて予定日に公開するまでが、まるで本当にプロジェクトをやっている感じがしますね。
よしのん: 本当にそうですね。水晶さんは、いつも仕事でやっていて慣れているから、安心してついていけます。
ドキッとした。本当は高校生で、プロジェクトなんてやったこと無いって知られたら、どう思われるだろう? ちょっと後ろめたくなり、背中に嫌な汗をかいてきた。
よしのん: そちらの小説の方の反応はどうですか?
水晶: ちょっと見てみます。
小説投稿サイトの方を開いてみると、見たことのないユーザーさんからのコメントが付いていた。俺の元々のフォロワーさんに加えて、よしのんさんのフォロワーが流れて来たようだった。
小鳩さんのコメント「よしのんさんと、水晶つばささんがコラボとか、神過ぎ!」
さくらん坊さんのコメント「はじめまして。よしのんさんの漫画のリンクから来ました。二人のきゅんが合わさってとっても素敵です」
ぴーさんのコメント「初見です。朝から何て尊いものを……鼻血が止まりません」
水晶: ものすごい数のPVが増えて、新規のフォロワーさんも増えてます。ほとんどが、よしのんさんのフォロワーだった人だと思います。
よしのん: 良かったです。
気が付くと、石沢さんが席の前に立ってこちらを見ていた。
「ねえ、西原君。今日はずいぶん機嫌が良さそうじゃない。何かいいことがあったの?」
「な、なんにも無いよ」
あわてて立ち上がる。
「そう? なんかスマホみてニヤニヤしてたから」
「なんでもないって。ト、トイレ行ってくる」
焦りながら教室を出た。危ないあぶない。小説を書いていることがバレたりしたら大変だ。あいつもきっと、内心では俺のことバカにしているんだろうし、何を言われるかわからない。
一-三 王子様失格
十一月も半ばを過ぎるとかなり風が冷たいが、今日は無理をしてグラウンドに出てきた。天気は良いので、あちこちにたむろしているグループがいる。
連載も第四話まで公開されていて、次に原作を書く第六話では、キャンパスを歩いている碧に別の女子が告白して来て、それを遠くで目撃した葵が誤解することになっている。しかし、女子から急に何か言われる時は、キモいとか、あっち行けと罵倒されることしかなく、告白されるという状況は想像がつかなかった。
ふと石沢さんの顔が浮かぶ。石沢さんには、キモいと言われたことはない。でも告白なんかには程遠いのは一緒だ。
グラウンドで楽しそうに話をしている男女のグループを観察していると、いきなり後ろから頭を叩かれた。こんなことをするのは小坂しかいない。
「おう、蓮。こんなとこで何一人でマスかいてるんだ?」
「だから、すぐ下ネタにするのやめろって」
「俺とお前の仲じゃないか。何照れてんだよ」
腕を頭に回して、ぐりぐり締められる。
「いててて。やめろって。お前相手に照れるわけないだろ」
輪になって話をしていた男女のグループから、一人の男子が離れて歩いて来た。同じクラスの
「モテない男どうし二人が、とうとう付き合い出したか」
「モテる美郷さんは、今日はどの子とヤリに行くのかね?」
「そうだな。決めてないけど、また校門で適当に見繕っていく感じかな」
「羨ましい限りだね。でも、そのうち刺されても知らないぜ」
笑いながら立ち去っていく美郷の後ろ姿を見送ると、急に小坂の表情が変わった。
「ケッ! ほんとあいつ最低だな」
「どうした?」
「あいつに遊ばれて、泣かされた女子がすげえ一杯いるの知ってるか?」
「知らない。そうなのか?」
怒りを含んだ小坂の言い方に、ちょっと驚いた。
「ああ、同級生でも後輩でも、すぐ手をつけてその気にさせといて、突然すげえ冷たくするらしいぜ」
「なんだそれ? ひどいな……」
俺の小説には、ちょっと出せないタイプの男だ。何が楽しくてそんなことするんだろう?
「そんなことして、楽しいのかな?」
「俺に聞くな」
小坂は、ムッとした顔で口をへの字にした。
「やっぱりあいつの場合、女子から告白してるのかな?」
「知らないけど、そういうのもいるんじゃないか」
「どういう風に告白してるんだろう。アニメだと校舎裏に呼び出して、お願いしますっとか頭下げてるけど、あんななのかな」
小坂は、冷たい視線で俺を見下ろしてきた。
「お前のところには、そんな呼び出し絶対来ねえから安心しろ」
「わかってるよ」
リアルな告白って、どんな風なんだろう。一度見てみたいけど、誰かやってないかな。放課後になったら、実際にありそうな場所に行って雰囲気を確かめるか。
***
放課後、いつものように図書館には行かず、校舎裏に来てみた。ここは、ゴミ捨て場につながる通路しかないので、滅多に人は通らない。しかし、校舎の角を曲がると通路の先の方に誰かが立っているのが見えた。男子と女子の二人。これはもしかして、告白タイム?
少し離れた物置の陰に隠れて、様子をうかがうことにした。
「どうして、急に冷たくなったの? 全然帰りも一緒に帰ってくれないし」
「ああ、なんか一緒にいても、もうつまんないというか」
「つまんない? ごめんなさい。もっと楽しいことするようにするね。カラオケとか?」
「いや、カラオケ行くのは、いくらでも友達いるからいいんだけど。なんか、もうドキドキしないんだよな」
「え……」
なんか雰囲気が違う。これ、告白じゃないぞ。
「手をつないでも、キスしても、なんも感じないっつうか」
「え、でも、あの時は好きだって……」
「ああ、ホテル行った時はそうだったな。すごくドキドキしたし、好きだった」
「どうすればいい……? なんでもする」
「なんか、飽きちゃったんだよね。君はぜんぜん悪くないんだけどさ」
「え……」
キスだけでなく、ホ、ホテル?
「もう、別れようぜ。その方がお互いのためだし」
「嘘! 嘘! なんで?」
「だから、もうドキドキしないから」
「なんでもするから。ドキドキするように、おしゃれもするし」
「そういうんじゃないんだよね。お前も、他にもいい奴見つかるだろうし。じゃ」
「待って! 待って!」
目の前を、美郷が歩いて行った。後に残された女子は、顔を両手で覆ってその場にしゃがみ込み、声を上げて泣き始めた。
やばいとこに来ちまった。よりによって、誰かがあの野郎に振られる現場を目撃しちまったぞ。小坂が言っていた通り、美郷は最低な奴だった。キスしてホテルまで行ってやることやっておきながら、飽きたってポイ捨てとは。
こんな時、俺の小説の主人公だったら? そっとあの子に近づいて『どうしたの?』って、知らないふりして声をかけるな。
でも現実の俺は? 物陰にしゃがんでいるので、寒くてだんだん足がしびれてきたが、勇気が無くて出るに出られない。
しゃがんでいた女子がゆっくり立ち上がり、手をどけたので顔が見えた。驚いたことに、石沢さんだった。
ふつふつと怒りがわいて来る。唯一、俺のことをサイテーとかキモいとか言わない子が、あんなひどい目に合わされた。どうする? どうする? 大丈夫って声をかけるか? 石沢さんなら、キモいとか言われないで話ができるはず。
でも踏ん切りがつかない。前に出る勇気が出ない。白馬に乗った王子様になれるかもしれないチャンスなのに。小説なら、こんな時に言うべきセリフもちゃんとわかるのに。俺にそんなことが言えるのか?
その時、教室掃除で出たゴミ袋を抱えた小坂がグラウンドから校舎の角を曲がってやって来た。通路の真ん中で涙を拭いている石沢さんを見ると、小坂はゆっくりと近づいて行く。
「どうした? 石沢。何かあったのか?」
「なんでもない」
「誰かにいじめられたか? そんな奴がいたら俺に言えよ。ぶっとばすのは無理だけど、上履きに画鋲入れるくらいの仕返しなら手伝ってやるぜ」
石沢さんが少し笑った。
「バカみたい」
「ちょっと待ってろ。これ捨ててすぐ戻ってくるから」
小坂はゴミ袋を持って走って行くと、すぐに手ぶらになって駆け戻って来た。
「待たせた。ジャンケン負けてゴミ捨て押し付けられたんだけどさ。ゴミを捨てるそして女子高生を拾うって、何かアニメのタイトルみたいだな」
「人のこと、ゴミと一緒の扱いとかひどくない?」
「そうか? わらしべ長者みたいな感じなんだけどな。わらが素敵な御殿になったみたいな」
「意味わかんない」
「あのさ……」
「もう、ほっといてくれる?」
石沢さんは強い口調で言うと、こちらに歩き始めた。しかし小坂も横に並んで歩き出す。
「腹へったからアイス食おうぜ。売店まだやってるだろ。おごってやる」
「……小坂君におごってもらう理由無いから」
「俺一人で食ってたら、悪いだろ」
「一緒に売店まで行く前提?」
「そう。決まってんじゃん。だってアイスおごるんだぜ?」
「ふふ。本当バカみたい」
つい二人の様子に見入っていて、近づいてきたところで目が合ってしまった。
「あ、蓮? 何やってんだ、そんなところに隠れて」
「あ、えっと、隠れてたわけじゃなくて……」
「そうか? じゃ、なんでしゃがんでるんだ?」
「……西原君、そこで見てたの?」
石沢さんの声が、少し震えている。
「えっと、見てたというか、その……」
「最低」
低い声で一言つぶやくと、石沢さんは走って行ってしまった。
「石沢! おーい!」
ああ、やっちゃった。また嫌われた。なんでこうなるんだろう。
小坂は、立ち上がった俺の隣にやってきた。
「蓮、何があったか見てたのか?」
「ああ。たまたま通りかかったら見えちまった。美郷にひどいこと言われて振られてた」
「やっぱり。そんな事だろうと思った」
「知ってたのか? 美郷と彼女が付き合ってるって」
「薄々はね。またいつものお手つきしてるな、とは思ってた」
寂しそうな顔をしている。
「お前、石沢さんのこと、好きなのか?」
「なんで?」
「さっき、すごく頑張って彼女を笑わせて、気を紛らわせようとしてたから」
「……そうだよ。好きだよ」
「悪かったな、邪魔して。もう少しで一緒にアイス食べられたのにな」
小坂は、くくっと笑った。
「そうだよな。一緒にアイス食って、なぐさめて、あわよくば仲良くなれたかもしれねーなー! ちくしょー」
また頭を抱え込んでぐりぐりされる。
「いてててて、やめろっての」
手を離した小坂は、寂しそうにつぶやいた。
「女子って、なんでああいう奴のこと好きになるんだろうな」
「わからん。わからないけど、俺も美郷の奴ぶん殴ってやりたくなった」
「だよな。やっちまうか」
「いや」
俺はグッと握った拳を見ながら言った。
「ぶん殴る役は俺がやるから、お前は石沢さんのところに行ってやれよ」
「なんでだ?」
「泣いてた彼女に、ちゃんと声をかけたのはお前だろ。俺は勇気がなくて行けなかった。王子様になる資格があるのはお前だ」
小坂は、じっと俺の顔を見ている。
「お前、本当にいいやつだな。よしっ、行ってくる」
「行ってこい白馬に乗った王子様」
行きかけた小坂は、思いついたように振り向いた。
「お前、本当に美郷を殴りに行くのか? 念のために言っておくと、あいつ空手の段位持ってるぞ」
「マジか?」
「マジだ。悪いことは言わん。やめとけ」
「……情報ありがとう」
「じゃ、行ってくる」
校舎の向こうに走っていく後ろ姿を見送りながら、ふと思いついた。振られて泣いている女の子にイケメン主人公が声をかけるという展開なら、「あおとあおい」のプロットに組み込めるかもしれない。よしのんさんに提案してみる価値はある。
早速メッセージを送ろうとスマホを取り出したところで、手を止めた。
俺って、やっぱり最低かもしれない。女の子がひどい目にあって泣いているのを放っておいただけじゃなくて、それを小説のネタにしようとしているなんて。
ちゅうちょしていると手元のスマホが振動した。よしのんさんからのメッセージだ。
よしのん: 碧に言い寄ってくる女性の回、どうですか? 書けそうですか?
水晶: あの、一つ提案があるんですが。
やっぱり今のアイデアをぶつけてみよう。
水晶: 元の案では、碧のことを好きな女性がもう一人登場して告白してくるというストーリーでしたけど、ここは、ひどい男に振られて泣いている女性を見かけた碧が、どうしたんですかと声をかけて、話を聞いている設定にしてはどうでしょう?
水晶: 碧の優しいキャラが際立つのと、女性が碧を好きになるきっかけとして、自然な展開になると思うのですが。
しばらく返信がない。変な提案したので、怒っているのかもしれない。
よしのん: それ、すごく良いです!
よかった、受け入れてもらえそうだ。
よしのん: 女性がひどい状況で泣いていたら、碧の優しさにきゅんときますし、後で葵の誤解が解けた時に、理解はするけど許せないというジレンマになるし。
よしのん: 水晶さん、さすがです! そんなプロット考えつくなんて。やっぱり人生経験のある人はすごいなあ。
まただ。俺が大人だと信じきっているメッセージにドキッとする。人生経験なんて全然ない高校生だと知ったら、どう思うだろう。今は社会人のふりをして、いいもの書いていくしかないけど。
水晶: では、その線で書いてみますね。
よしのん: はい。出来上がり楽しみにしています。今日はもう、お仕事は終わりですか?
何と答えようか。この間は残業にしたけど、いつもいつも残業ばかりでは『社畜』って感じだよな。しばらく考えてから返信する。
水晶: 今日はもう退社しました。たまには早く帰ってジムにでも行こうと思って。
よしのん: いいですね! 私も渋谷のジムに通ってたんですよ。最近全然行ってないですけど。
青山で働いている女性は、渋谷のジムに行くのか。SNSでよしのんさんのサブアカウントの方を開くと、また顔の映っていない自撮りファッション写真が上がっていた。黒いハイネックセーターにロングパンツ。セーターにくっきりと浮かび上がる体のラインは、とてもスリムでスタイリッシュだった。
一度、実際に会ってみたいな。もし、これを機会に付き合って下さい、と申し込んで交際が始まったら、それこそ胸きゅんラブストーリーだ。
週末に都内で、よしのんさんと会うところを想像する。肩までかかる長い髪。清楚なワンピース。年上のおしゃれなお姉様と青山でデート。
イチョウ並木の下、手をつないで歩くとか? うわああああ。
校舎裏の草むらの横でしゃがみ込んで悶えた。小説ではいくらでも書くけど、自分の身で想像するとたまらない。
一-四 ときめきと罪悪感
「おはようさん」
「うーす」
翌朝、教室に着いた時には、石沢さんはまだ来ていなかった。美郷のやつもまだだ。小坂は、自席で浮かない顔をしている。
「昨日、一緒にアイス食べられたのか?」
「ああ。チョコおごってやった」
「良かったな」
「良くねえよ。ずっと泣きながらアイス食べてる顔見てるとか、こっちも食ってる気がしねえ」
「お前、本当にいい奴だな」
「わかってくれるのは、お前だけだぜ」
また頭を掴んでぐりぐりされた。
「いててて。なんでほめてるのに絞められるんだよ」
「おはよう。小坂君」
見上げると、石沢さんが横に立っていた。ちらと俺の顔を見たが、明らかに冷たい表情で無視される。
「お、石沢、おはよう」
「ねえ、小坂君。ちょっと来て」
小坂と目が合うと、にこやかな顔になる。
「お、おう。蓮、悪いな」
「いいよ。王子様の出番だ」
石沢さんと小坂は、一緒に教室の後ろに歩いていくと、何やら楽しそうに話をし始めた。立ち直りが早くて良かった。でも、唯一ちゃんと相手をしてくれていた女子にガン無視されるようになるのは、正直つらい。
「あー美郷君、おはよー」
今度は美郷が教室に入って来たのを見て、隣のギャル達がざわめいている。
「おはよう」
軽く手をあげて歩いていく美郷を、憎しみを込めて睨みつけてやるが、全然こちらには気が付かない。あれだけひどいことしておきながら、よく平然と石沢さんの前に現れるな。罪悪感とか無いのかこいつは。
小坂と石沢さんは、そそくさと後ろのドアから出て行った。やはり顔を合わせたくはないのだろう。
「ねー、美郷くーん。今日帰りにカラオケ行くんだけど、一緒に行かなーい?」
「行かないよ」
「えー、いいじゃーん。行こうよ。由美も来るよ」
「お前らだけで行ってろよ」
「ちぇっ。今度は来てね」
「今度な」
美郷は自分の席に座って、側に寄って来た男子と話し始めた。
「美郷君て、なかなか付き合ってくれないよね」
「高嶺の花って感じ」
どこが。付き合ったら最低な野郎だぞ。グッと拳を握りしめたが、小坂の「空手の有段者」という言葉を思い出して躊躇する。こいつらみたいな、サイテーな女ならいくらでも泣かせてやればいいのに、なんでよりによってまじめな石沢さんを……
「こっち見んな、西原。朝からキモい」
目が合ったとたん、いきなり口調が変わった杏奈さんに凄まれた。メイクのせいで目元がやたらくっきりしているから、睨まれるとめちゃ怖い。
「ご、ごめん。見てないから」
「なんで美郷君以外は、こんな奴ばっかなんだろな、うちのクラス」
「ほんと。あっち行けよ」
授業が始まるまで、どこかへ行ってよう。スマホを持って立ち上がり、廊下に出たところでメッセージが来た。
よしのん: 私のフォロワーさんから、二人は付き合ってるんですかってコメントが来てました。違いますって書いても、また別な人が聞いて来るから笑っちゃいますね。
人気者のよしのんさんだと、男性ファンが多いから嫉妬してくるやつもいそうだ。いつもの自動販売機の横にしゃがんで返信を打つ。
水晶: 付き合っているのとは違いますよね。
よしのん: そうですよね! でも仲は抜群にいいですよね、私たち。
こんなに頻繁に連絡しているけど、まだ顔も見たことがないから、付き合っているとは言えない。でも、もし本当に付き合って下さいと申し込んだら、どんな返事をされるのだろう? 社会人の水晶つばさとしてなら、いいですと言ってくれるかもしれない。だけど、高校生の西原蓮では?
よしのん: 水晶さんは、お付き合いしている人がいますよね、きっと。あ、もう結婚されてたりして。
スマホを見ながら固まってしまった。付き合っている人がいるか、なんて質問して来るのは、気にしているからに決まっている。よしのんさんは俺のこと、いや水晶つばさのこと意識しているのかな。
この質問は、何て答えるのが正解だろう。
水晶: 今は付き合っている人はいません。結婚もしていないので大丈夫です。
あ、変な文章で送っちゃった。大丈夫って何だ?
しばらく時間がたってから返信が来た。
よしのん: そうですか。
よしのんさんらしくない、シンプルな返事だった。変な文章を送ったから戸惑ってるのかな? すぐに追いかけてメッセージが来る。
よしのん: 結婚もしていないので大丈夫です、なんて、ドキドキしてしまいました。水晶さんて本当に大人の余裕って感じで、かないません。
そういうつもりじゃなかったんだけどな。すごい罪悪感……
一-五 ターニングポイント
昼休みの教室で、いつものように売店で買って来た焼きそばパンをかじりながら小説投稿サイトの小説版「あおとあおい」のコメントをチェックしている。先週、泣いている女性を慰めていた碧を見て誤解した葵の一言から、お互いの気持ちがすれ違い出す話の漫画と小説を公開し、今週はその続きで、二人が別れ別れになるさらにつらい展開となっていた。
小鳩さんのコメント「水晶さん。どうして葵がいるのに、あんな女が出てくるんですか? おかしいです」
さくらん坊さんのコメント「碧がつらそう。それに葵が可哀想すぎます」
えるさんのコメント「読むのがつらいです。今日仕事休みます」
コメント欄は悲痛な文章であふれ、よしのんさん効果で増えていたフォロワーの数もどんどん減り始めた。
長編小説の書き方の教科書には、いいストーリーは必ず、後半で主人公が危機に陥って、それを頑張って克服するものだと書いてあった。だが、現実の読者は、厳しい展開になるとすぐに嫌がって離れてしまうようだった。いつものよしのんさんの漫画にはない展開だから、よしのんさんのフォロワーだった人たちは、戸惑っているのかもしれない。
SNSのよしのんさんの漫画の投稿の方を見てみると、リポストの数もインプレッションも、いつもに比べるとぜんぜん伸びが悪い。これはまずいかもしれないぞ。
SNSに新着のダイレクトメッセージが届いた。
よしのん: 次に公開する話のネームができました。見ていただけますか。
リンクを開くと、一番深刻な状況になった二人が、なんとか打開しようと悩み、考えているシーンが描かれていた。原作を書いたのは俺だから、これから二人がどう仲直りするか知っているけれど、そういう予見がないと絶望的にしか見えない。ラフのタッチも、いつものよしのんさんらしからぬ迷いがあって、描きながら悩んでいるように見えた。
よしのん: つらい展開になったとたん、フォロワーさんの評判もきつくなりましたね。漫画反応も、今回はイマイチです。コメントを読んでも、みなさんがっかりされているようで。
水晶: そうですね。読者さん達にはショックだったみたいですね。
よしのん: やっぱり、主人公が別れるようなプロットにしたのが、間違いだったんでしょうか……
ショックを受けているようだから、励ましてあげないと。
水晶: 大丈夫ですよ。これは一時的なものです。必ず読者は戻ってきます。
よしのん: そうでしょうか?
水晶: これが噂に聞く『鬱展開になるとブクマが剥げる』という現象ですね。大丈夫。予定通りちゃんと碧が困難を克服して、また葵と結ばれれば元に戻りますよ。
根拠の無い自信ではあるが、よしのんさんの実力があれば、必ず取り戻せるはず。
水晶: 次の原稿はもうほとんど書けていますから、今夜下書き共有のリンクを送ります。ピンクのバラの花束を持った碧が、葵の元に駆け寄って劇的に仲直りするシーンです。
よしのん: ああ! とっても楽しみです。
水晶: ここからは、邪魔は入っても、ことごとく二人が跳ね返して進んでいく爽快ストーリーになるから、また人気は戻ってくるはずです。
よしのん: きっとそうですよね。ありがとうございます。やっぱり経験豊富な水晶さんに言われると、すごく安心します。
全然、経験豊富なんかじゃない。俺のことを社会人の大人と信じているから、こんなメッセージを送ってくるのだと思うと、胸が痛んだ。俺は、よしのんさんを騙しているんだよな。
もし本当のことを彼女が知ったら、すごく傷つくかもしれない。
食べ終わったパンの袋を四つ折りにして持つと、教室の隅のゴミ箱に向かった。
廊下に出ると、ちょうど美郷が教室に戻ってくるところだった。横には、隣のクラスのとびきりかわいい女子が一緒に歩いている。隣のクラスの入口の前に来ると、一瞬だけ肩に手を回して抱き寄せ、スッと離れて一人でこちらにやって来た。後ろでは、真っ赤な顔になったその子が小さく手を振っている。
また新しい女子に手を出しているのを見て、ふつふつと怒りが湧いてきた。石沢さんにしたことは何とも思ってないのか、問いただしてやらないと気がすまない。手を出すと危なそうだが、話をするだけなら大丈夫だろう。
「美郷。ちょっといいかな」
「ん? 何か用か?」
「石沢さんのことだけど。なんであんなことしたんだ?」
「石沢さん? 何のことだ?」
ゾッとするような冷たい目で見られる。
「この間、ひどいことを言って捨てただろ」
「知らないなあ」
「知らないって、とぼけるなよ」
がっちりとした手で肩をつかまれた。
「僕は、コソコソのぞき見していたり、女の子のプライベートをペラペラしゃべるような、悪趣味なことはしないから」
言葉使いは優しいが、見られただけでビビりそうな鋭い目をしていた。でも、もうひとこと言ってやらないと気が済まない。
「女子をその気にさせて、ひどい振り方をして泣かせるのが、そんなに楽しいか」
美郷はニヤッと笑った。
「お前、女の子とヤったことあるか?」
「えっ」
思わぬ逆襲にたじろぐ。
「無いだろ。まず誰でもいいから女の子とヤってから、また出直してこい。話はそれからだ」
美郷は、ぽんぽんと俺の肩をたたくと、教室の中に入って行った。悔しくて涙がこぼれてきたが、完敗だ。
「おい、蓮。どうした?」
小坂がやって来た。
「なんでもない」
「なんだよ、最近一人で泣いてるのブームなのか?」
「ちげーよ」
涙を拭いて教室に入りながら、美郷に言われたことを何度も反芻していた。
「お前、女の子とヤったことあるか?」
俺は、恋愛小説を書いて、たくさんのフォロワーさんに「きゅんきゅんする」と言われている。女性と思われるフォロワーさんも何人もいる。でも美郷のいう通り、女の子とは、ヤルどころかキスもしたことがない。書いている内容は、他の小説やマンガを読んで仕入れた知識に、学校で観察している同級生達の会話を散りばめているだけで、何の実感も無かった。
どんなに胸きゅんな話を書いても、本当のところはわかってないんだよな。恋人になってキスをして、その先に何があるのか。想像で書いているだけで、何にもわかってない。
SNSのよしのんさんのサブアカウントの最新投稿は、レストランで食事をしているところだった。料理の写真には、グラスに添えたきれいな手が映っていた。すっと細くて華奢で。この手に触れたら、この手で触れられたら、どんな感触なんだろう。こういう人は、どんな声なんだろう? いろいろなアニメ声優の声が頭の中で思い浮かぶが、どれも違う気がする。
会いたいな。会って直接会話がしたい。
もし、会いましょうと申し込んだらどうなる? きっと、いいですよと言ってくれる。でも、会ったとたん『え、高校生? 今まで私を騙していたのですか?』と言われるだろう。女の子とキスしたこともなさそうな、ダサい高校生が何をやってるのですか、と。
自分の席に座ると、机の上で頭を抱えて背中を丸めた。
きっと、嘘つきと一緒にコラボ小説なんて書けません、と言われる。そうしたら、連載中止になってしまうだろう。せっかく仲直りしてこれから幸せになるはずの碧と葵が、バラバラのまま。
なぜか切なくなってきた。葵は幸せにならないといけないのに、それじゃ可哀想すぎる。よしのんさんとコラボしているうちに、いつもの作中人物以上に感情移入していたようだった。
碧と葵のためにも、連載が終わるまでは会えない。この関係は壊すわけにはいかない。
一-六 あと一話を待って
土曜の昼時のファーストフード店は家族連れで満席だった。俺と小坂は、どうにか店内のカウンター席を確保したが、凍えながら外のテラス席で食べている連中も大勢いる。どんより曇った十二月のオープンテラスは寒かろう。
学校は休みだというのに、急に小坂から大事な話があるからと呼び出されて、こんな所に男二人で来ていた。しかし俺は、今日中によしのんさんに渡さないといけない最終話の原稿の誤字脱字をチェックするため、ずっとスマホの画面に集中していたから、小坂の話は半分も聞いていなかった。漫画と小説のコラボ連載は、碧と葵の劇的な仲直りシーンが公開されて、最後のクライマックスに向かってラブラブシーンを続けている。よしのんさんも、こういうシーンは筆が乗るみたいで、原稿を渡すと、その日のうちに改善コメント付きでネームが返ってくるから気が抜けない。
「……付き合うことにした」
「ふーん。そうなんだ」
「お前、聞いてる?」
「え、何?」
改めて問い詰められたので顔を上げて小坂を見ると、いつになく真剣な表情をしている。
「もう一回だけ言うぞ。石沢と、付き合うことに、した」
「お、おおっ! そうか」
予想していたことと言うか、まだ付き合ってなかったんだという逆の意味で驚くが、改めて本人から言われたから驚いたふりをしてやる。
「マジか」
「マジだ」
「もうキスとかしたのか? まさかそれ以上も、いたしたのか?」
「真顔で聞くな。まだしてない。ていうか、してもお前なんかには言わん」
「なんでだよ」
これは、いい取材先ができた。新しく付き合い始める時って、どうやって話が始まるんだろう?
「どっちから告白したんだ?」
「石沢から告白された。慰めてくれてありがとう。優しいんだねって」
そうか。振られて落ち込んだ時に慰めてくれた人に惚れるって、本当にあるんだ。やっぱり勇気を持って行動した奴は幸せになるってことだよな。
「それで相談があるんだが」
「何だ?」
「付き合うって、どうしたらいいんだ?」
「……?」
「いや、俺、中学の時から彼女がいたことないからさ。女の子と付き合うって、どうしたらいいのかわかんねえんだよ」
「マジか?」
「だからマジだって言ってんだろ!」
また頭を掴んで締められた。いや、こっちが取材したいのに、逆に聞かれても困るんだが……
「いてててて。店の中で暴れるなっての」
「と言っても、お前も彼女なんかいたことないだろうから、相談しても無駄だよな」
小説の中では経験豊富だぞ。いろんなデートコースや口説き文句のストックも、数十本は持っているからな。そんなことは言えないが。
「あーあ、デートするたびに、内心で美郷と比較されるかと思うと気が重いぜ」
「それは気の毒だな。まあ、デートコースくらいは教えてやらなくもないぞ」
「なんで彼女もいないお前がそんなこと知ってるんだ? ははあ、バーチャル彼女と妄想デートだな」
鋭いな。当たらずとも遠からず。
「たとえばこんなコースとかどうだ」
以前小説を書く時に、デートコースの設定を調べたメモを見せてやろうとしたところで、メッセージが入った。
「あ、すまん。メッセージが来た」
よしのん: 水晶さん! ランキング見ました? もう少しで表紙のトップランキングに入りそうですよ!
「はあ!?」
「どうした?」
「いや、なんでもない」
あわてて小説投稿サイトのランキングを見ると、「あおとあおい」が恋愛ジャンルの十二位まで上がっていた。よしのんさんの漫画が万バズを続けていて、そのリンクから誘導されて、こっちのPVも爆上がりしているからだろう。
「うわマジか」
「だから、何がどうしたっての」
「いや、何でもない」
「いい加減にしろよな!」
小坂からスマホの画面を隠しながら、メッセージの返信を書く。
水晶: ありがとうございます。よしのんさんの漫画に引っ張ってもらっているおかげです。苦しい展開を抜けたら人気は戻って来るって。言っていた通りになりました。
よしのん: いいえ。ここまで挫折せずに続けてこられたのは、本当に水晶さんのおかげです。ありがとうございます。
小坂は、自分のスマホで何やらメッセージを送り始めた。大方、石沢さんと次のデートの約束でもやりとりしているのだろう。幸せそうに顔がにやけ切っている。
勇気を持って行動した奴だけが、幸せになれるってことだよな。
クリスマスイブは、再来週の金曜日。最終話を水曜日に公開した後の週末だ。
俺も、この最終話の原稿をよしのんさんに送ったら、「会いましょう」と申し込むんだ。そしてちゃんと告白しよう。たとえ関係が終わってしまっても、全てを明らかにして、好きだと伝える。勇気を持って行動しなければ、次には続かないから。
さて、どんなメッセージで申し込もうか。
水晶: 小説も終わったことだし、一度会いませんか?
いや、だめだ。軽すぎる。削除。
水晶: 今度、一緒に食事でも行きませんか?
いやいや、もっとダメだ。ナンパじゃないんだから。削除。
何て書いたらいい? どうすれば自然に会うことができる?
水晶: 小説の完成記念に、打ち上げをしませんか?
これならいいかも。
水晶: 小説の完成記念に、打ち上げをしませんか? クリスマスイブに、東京丸の内のクリスマスツリーの下で待ち合わせして。
向こうもこっちも顔がわからないから、何か目印がいるな。持っていても不自然じゃなくて、でもあんまり持っている人がいなくて、遠くから目立つ物。そうだ! 『あおとあおい』の完結記念なんだから、二人のキーアイテムのピンクのバラの花束がいい。
水晶: 小説の完成記念に、打ち上げをしませんか? クリスマスイブに、東京丸の内のクリスマスツリーの下で待ち合わせして。目印はピンクのバラを持って。
完璧だ。あとはこれを送信するだけ。ボタンを押すだけ。大したことはない。ちょっとクリックするだけ……。
……だめだ。勇気が出ない。会ったら何て言うんだ。それも一目見た瞬間に。
冷たく見下ろされた石沢さんの顔が思い浮かぶ。あんな風に、直接目の前で軽蔑されたら耐えられない。せっかく漫画家と原作者として、いい関係が続いているのに、全部ぶち壊してしまうんだぞ。二度とメッセージもできなくなってしまうかもしれないんだぞ。
ブルっと震えがきた。
今はまだ無理だ。最終話の漫画が公開されたら送ろう。
メッセージをコピーしてメモ帳に保存し、スマホを閉じた。
***
十二月二十二日水曜日。今日の終業式で三学期は終わり、明日から冬休みだ。そして『あおとあおい』の最終話公開日でもある。
通学中に、予定通り最終話がよしのんさんのアカウントからリリースされたのを確認していた。これで、長かったよしのんさんとのコラボ作品の第一弾は、全て完了した。
でも、まだクリスマスに会いたいというメッセージは送っていない。
講堂での終業式が終わって教室に戻って来ても、メモに残しておいたメッセージをコピーはしたものの、最後に送ることだけはとてもする勇気はなかった。トイレに行って来てからとか、ホームルームが終わってからとか、言い訳ばかりして引き延ばしている。
最後のホームルームが終わると、石沢さんが席の横にやって来た。きっと、小坂に一緒に帰ろうと言いに来たんだろう。
「ねえ、西原君」
「は、はうっ?」
俺に話しかけて来た? なんで? いつも俺は無視して小坂を連れて出て行くのに。
「あの、話したいことがあるの。
「俺と? 小坂と一緒に? 俺、何もしてないぞ」
あ、いま「湊君」って名前呼びになっていたな。
「ごめんね。謝りたくて」
「はあ?」
小坂にいきなり頭を殴られた。
「いてっ。殴るなよ」
「ゴタゴタ言わずに来いよ」
「湊君、乱暴しちゃだめだよ」
石沢さんは、優しく小坂をたしなめる。
「わかった。悪かった」
まったく、何なんだ?
そのまま帰れるようにカバンを持って、廊下の隅の理科準備室の前に三人で歩いて来た。下校時刻になれば、こんな所にはほとんど人が来ない。
「あの、西原君のこと誤解してたみたいで、ごめんなさい」
「だから何のことだ?」
「あの日、私が振られた時、こっそりのぞいて笑ってたんだと思ってたの」
ちらっと小坂を見る。
「でも湊君から、西原君も一緒になって怒ってくれて、しかも早く私のところに行けって背中を押してくれたって聞いて」
「そんなこと言ったのか、こいつ」
小坂の顔をにらむと、目をそらされた。
「冷たく当たって、ごめんなさい」
本当に申し訳なさそうに、深々と頭を下げている。
「湊君の親友だから、これから仲良くしてほしいの。許してくれる?」
「いや、そんな頭を下げられるようなことじゃないから。俺、クラスの女子にひどいこと言われるのは慣れてるし」
「私は西原君のこと、みんなが言うようなキモい人だなんて思ったこと、一度もないから。むしろかっこいいと思ってたし」
うかつにもドキッとした。
「彼氏の前で、そんなこと嘘でも言っちゃダメだろ」
「嘘じゃないよ」
確かに石沢さんには、一度もキモいと言われたことはない。もしかしたら、もしかして、本当に本心なのかも。女子からかっこいいなんて言われたのは、リアルの世界では生まれて初めてだ。
「ということだ。蓮も水に流してやってくれ」
「すっかり彼氏ヅラだな」
「彼氏なんだから、当然だろ」
頭をつかまれる。
「いててててて、わかったから、やめろって」
「湊君、乱暴しちゃだめだってば」
笑っている。
「じゃ、これからもよろしくな。結衣、帰りにワック寄って行こうぜ」
「うん。じゃ西原君、また後で」
仲良く階段を降りていく二人を見送った。『ワック寄って行こうぜ』なんて、すっかり彼氏彼女が板についてきたな。
それにしても、石沢さんにかっこいいって言われるなんて、俺も自信を持っていいのかな。年上でも、あんな風に仲良くなれるかな。
スマホを出して、下書きメッセージを表示する。
水晶: 小説の完成記念に、打ち上げをしませんか? クリスマスイブに、東京丸の内のクリスマスツリーの下で待ち合わせして。目印はピンクのバラを持って。
送信。
送っちゃった。本当に送ったぞ。本当によしのんさんに、会おうって申し込んだぞ。
すぐに返信が来た。
よしのん: ぜひ! 私も、直接会ってお話したいと思っていたところです。
本当に会うんだ。
思い切って進めてみると、胸の中のもやが晴れて清々しい気分でいっぱいになった。
一-七 ピンクのバラ
「忘年会に行くビジネスマンか、大人のカップルばっかりだな」
東京駅から歩いてすぐ、丸の内のオフィス街に立てられた大きなクリスマスツリーは、高級感のあるイルミネーションで飾られていて、さすがに大人の街にふさわしい立派なものだった。
雑誌を見て買ってきたタートルネックのセーターの上に、唯一持っていたジャケットを着て、精一杯大人っぽい格好をして来たが、どう見ても学生にしか見えない。周りに集まっている「デキるビジネスパーソン」の中では、完全に浮いているようで落ち着かなかった。
地下鉄の駅を降りて、オフィスビルを通り抜ける時に見つけた花屋で、ピンクのバラの花束を買ってきた。初めて顔合わせするための目印。『あおとあおい』の作中で、再会の時に使われたキーアイテムだ。
約束の時間まで、あと五分。落ち着かないので、よしのんさんのSNSのコメントを見てみる。
よしのんさんのポスト「『あおとあおい』が完結しました! ここまで来られたのは、応援してくれた読者様と、原作の水晶つばささんのおかげです! 本当にありがとうございました」
最後の数話は、公開するたびにインプレッションやリポストが増え続けて行き、最終話は、よしのんさんの漫画では最高記録になったらしい。結果を出せて本当に良かった。リプライ欄も、おめでとうメッセージがあふれている。
小鳩さんのリプライ「 よしのんさん! 水晶つばささん!完結おめでとうございます!! 素敵な碧と葵のストーリーをありがとうございました」
えるさんのリプライ「最後まできゅんとするお話をありがとうございました。これから何を支えに生きていけばいいのでしょう。お二人の次回作はいつですか?」
暁の星さんのリプライ「完結おめ!」
さくらん坊さんのリプライ「よしのんさんと水晶さんのラブラブ・コラボ完走、おめでとうございます。」
ぴーさんのリプライ「最終回まで、お二人の愛が詰まっていて、最高でした」
一時はどうなることかと思ったけど、終わりよければ全て良し。ツリーの下で花束を見ながら考える。よしのんさんが来たら、第一声でなんと言おう。
『僕が水晶つばさです。今まで嘘をついていてごめんなさい。立派な社会人なんかではなく、高校生です』
こんなことで、よしのんさんに、わかってもらえるかな。
時計を見ると、待ち合わせの六時ちょうどだった。
顔は見たことがないけれど、いつもSNSで見ていたスタイルとファッションはとても綺麗だった。そんな人がピンクのバラを持っていれば、すぐにわかるはず。きれいなスーツの女性やドレスを着た人が通りかかると、この人ではないかと思ってしまうが、誰もピンクのバラは持っていない。
だんだん動悸が激しくなってくる。俺の格好では釣り合わなかったらどうしよう。
約束の時間から五分過ぎたが、ピンクのバラを持った人は現れなかった。もしかして、場所を間違えているか?
改めてスマホで場所を確認するが、確かにレンガ作りの美術館の中庭にあるツリーの下。イタリアンレストランの正面で合っているはずだ。もしかして、よしのんさんの方が違う場所に行っているかも?
水晶: 待ち合わせのレンガ広場のツリーに来ています。よしのんさんは、今どちら?
反対側にいるかもしれないので、少し周りをぐるっと歩いてみることにする。花束を見えるように持ち、中庭の植え込みを一周回って元の場所に戻ってきても、それらしい人はいなかった。メッセージに既読も付かないし、もしかして仕事で突発的に何かあって、出られなくなっているのかもしれない。
夕食はレストランの席を予約していた。ここから歩いていく時間もあるから、待ち合わせから十五分余裕を持たせていたが、これでは間違いなく遅刻する。電話しておかないと。
「もしもし。あの、今日予約している西原ですが。ちょっと一緒に行く人が遅れていて、お店に着くのが三十分ぐらい遅れそうなんですが」
「ご連絡ありがとうございます。大丈夫ですので、お気をつけておいで下さい」
「どうも済みません」
良かった。遅れても大丈夫だと言ってもらえた。
じりじりとしながら待っていたが、二十分たってもよしのんさんは現れなかった。周りにいた人たちは、どんどん相手が現れて立ち去っていく。入れ替わりに、六時半に待ち合わせの人たちが集まり始めているようだった。
SNSのメッセージしか知らないから、直接電話をかけてみることもできない。一体どうしたんだろう?
その時、恐ろしい可能性に気がついた。もしかしたら、遠くから見てこちらが高校生だとわかった途端、帰ってしまったのかもしれない。
ショックで口の中がカラカラに乾いてきた。一言も話ができないまま、全て終わってしまった?
もう一度スマホを見るが、メッセージに既読はついていない。きっとそうだ。いつも瞬時に返信をくれるよしのんさんが、こんなにメッセージを放置するなんてあり得ない。もしかしたら、バラを持たないまま時間前にここに来て、俺のことを見てがっかりして帰ったのかもしれない。
唐突に『あおとあおい』の最終話ラストシーンを思い出した。
『こうして碧と葵の二人は手をつなぎ、見つめ合って口づけを交わした。それは永遠の幸せの約束だった』
こらえきれず、涙がこぼれてきた。こんなの嘘っぱちだ。本当の俺の恋愛なんて、うまくいかないのが当然だったんだ。
「かっこいい」と言ってくれた石沢さんの顔が浮かんでくる。君のお陰で頑張れたけど、結局ダメだったよ。いつまでも涙が止まらなかった。
今度は、いつも俺のことをキモいとかサイテーとか罵っているギャル達の憎々しい顔が浮かんできた。
お前らの言う通りだったよ。結局、俺はサイテーの嘘つき野郎だったってことだ。小説でありもしない夢物語を書いて、いい気になっていたけど、現実はこんなもんだ。
もう帰ろう。
ツリーを背にして、広場の出口に向かって歩き始めた。
広場の出口には、色とりどりの花が並ぶ花屋があった。
なんだ、ここで買えば良かったんだ、と思いながら歩いて行くと、その店先でピンクのバラを買っている女性がいる。包装もそこそこに、その女性は花束をつかんでこちらに向かって走って来たが、俺の手元のバラに気がつくと、少し離れたところで立ち止まった。
その女性は、SNSで見るよしのんさんのようなビジネスウーマンではなく、小柄な少女だった。それもピンクのバラが素晴らしく似合うショートカットの美少女。
上品なコートを着て、うっすらとメイクはしているものの、どう見ても中学生か、せいぜい高校一年生ぐらいにしか見えない。少女は大きな目を見開いて、俺の顔と手元のバラの間で、何度も視線を往復させていた。
「まさか、あなたが水晶つばさ?」
「もしかして、君が、よしのんさん?」
どちらからともなく、笑い始めた。俺は花束を差し出して、用意していたセリフを口にする。
「ピンクのバラの花言葉を知っていますか? 『恋の誓い』です。これをあなたに捧げます」
『あおとあおい』で、碧が葵に告白した時のセリフだ。少女は、ぷっと吹き出しながら、花束を受け取った。
「はい。確かにあなたの誠を受け取りました。これは私の誓いです」
少女が返してくれたのは葵のセリフ。セリフとともにお返しの花束を受け取ると、二人で爆笑した。
「漫画や小説なら読めるけど、リアルにやると小っ恥ずかしくて、バカみたいだな」
「まさか本当にここで言ってくるなんて。恥ずかしくて死にそう」
少女は思い出したように、急にペコリと頭を下げた。
「ごめんなさい。JRが人身事故で遅れちゃって」
「なんで遅れるって連絡して来ないんだよ」
「ほんとごめんなさい。昼間、SNSずっと見てたら、スマホの電池が切れちゃって」
見せてきたのは。真っ黒なスマホの画面。
「しょうがないな」
言いながら気がついた。
「JRって、なんで地下鉄で来ないんだ? 青山のデザイナー事務所で働いているんじゃないのか?」
わかっていて言っている俺の意地悪な質問に、少女はぺろっと舌を出して、悪びれずに答える。
「あれは、お姉ちゃんの写真。そっちこそ、丸の内でビジネスマンしてるんじゃなかったの?」
「ごめん。毎日高校に通ってる」
また大笑いした。
少女は、キラキラした目でこちらをのぞきこんできた。見た目は幼そうだが、その目には強い意思とイタズラっぽい輝きが見える。
「ね、水晶さん」
「あ、西原でいいよ。西原蓮」
「本名言っちゃうんだ」
「リアルで会ってるんだから、本名でいいだろ?」
「私のことは、よしのん、て呼んで」
プライベートには踏み込ませないってことか。
「ね、蓮君。次に何を書くか相談しようよ」
いきなりの名前呼びにドキっとした。
「大人をキュンキュンさせる話?」
「そうそう! 大人の二人が書く最高の胸キュンストーリーね」
よしのんさんは、いたずらっぽく笑った。
しかし、そのためには、やはり確認しておきたいことがある。
「ねえ、よしのんさんは本当は何歳なの?」
「……言わなきゃだめ?」
眉をひそめて、ちょっと嫌そうな表情になった。
「コラボレーションするパートナーなんだから、ちゃんと知っておかないと。俺は高校二年」
「今まで、知らなくてもうまくいってたじゃない」
「もうバレたからダメ」
嫌そうな顔のまま、渋々答える。
「中三。あ、でも先輩ヅラしたら即絶交だからね」
「わかってるよ。漫画の人気ではよしのんさんの方が圧倒的だから、先輩面なんてしないよ」
そう言うと、ちょっと安心したように笑顔に戻った。
「よしのんさんは、何で大人のふりをしているの?」
「最初はね、別なペンネームで、中学生ってこと隠さないで書いてたんだ」
プッと口を尖らせた。
「そしたら、可愛がってくれる人も多かったんだけど、『これはこういう描き方をしないといけない。僕が一から教えてあげるよ』って、うるさいおっさんが湧いてきてさ」
「そうなんだ」
若いというだけで、あれこれ説教めいたうるさいことを言ってくる奴もいる、という噂は本当だったんだ。
「だから、そっちのペンネームは捨てて、大人のよしのんで再出発したの」
「それで、なんで今日は正体を現すことにした?」
これが一番聞きたかったこと。
「それはね、水晶つばさのポストとかコメントを、ずっとさかのぼって見てみたら、相手によって態度を変えない人だなってわかったから」
「相手によって変えない?」
「そう。相手が学生でも大人でも、いつも丁寧で優しくて。この人なら信用できるって思ったから」
「そうなんだ」
意外なところを見られていたんだな。
「まさか、根本的に大嘘つきだったなんて思わなかったけど」
また大笑いした後で、付け加えた。
「今日はね、大人を騙してごめんなさいって謝るつもりで来たの」
「俺は、告白して振られるつもりで来た」
「大人のよしのんに? バカね」
またキラキラした瞳で、こちらの顔をのぞきこんできた。
「それよりさ、今日のディナーって予約してあるの?」
「大人のよしのんさんにも満足してもらえるような店を、頑張って予約してありますよ。ライトアップされた東京駅が見下ろせる洋食レストラン。さっき電話して三十分遅刻するって言ってあるし」
『あおとあおい』でデートシーンを書くために、クチコミサイトを検索しまくって見つけていた店だ。絶好のロケーションなのに、カツレツやビーフシチューのような洋食が、ライスとセットでも二千円ちょっとで食べられる。
「さすが丸の内ビジネスマン。じゃあさ、現地取材ってことで、登場人物になりきって行こう」
「いいね」
答えるなり、さっと横に並んで腕を組まれた。
「えっ?!」
「登場人物になりきるんだから、当然こうでしょ?」
ひじから伝わってくる、よしのんさんの体の柔らかい感触に心臓がドキドキしてくる。女の子と腕を組んで歩くなんて生まれて初めてだ。しかもこんな美少女と……
「こ、こ、このまま歩いてい、行くの?」
「ええ。早くお店に連れて行って!」
「わ、わかった」
広場を出て、イルミネーションがきらめく街路樹の下を歩き始めた。周りの人も特に気にしている風もなく、自然に街に溶け込めているような気がする。
俺、少しはイケてるかな?
と思った途端、石畳につまずいて足を取られ、転びそうになった。腕を組んだままなので、思いっきり手を引っ張って、よしのんさんもよろけてしまう。
「んもー。蓮君、何やってるの! せっかくいい雰囲気なのに台無しじゃない!」
「ご、ごめん」
「これも漫画のネタにするからね」
ふっ。さすがは、よしのん先生だ。
「ほら、行くよ!」
片膝をついていたところから、手を引いて立ち上がらせてもらいながら、心から思った。
コラボレーションって、最高だな。
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