7,星空と偽装
三年前だから、俺が十歳で、明路が――俺の妹が、三歳のときのこと。
「明路、透夜、遊園地どうだった? 楽しかったか?」
「うん、楽しかった!」
「たのしかったー!」
運転席にいる父さんからの問いかけに、俺と明路が答える。今は家族四人で遊園地に行って、車で帰っているところだ。ちなみに、母さんの名前が羽月で――父さんの名前が、睦月。
「羽月は? 楽しかった?」
「私はあなたが発作を起こさないか心配で気が気じゃなかった」
「あはは。ごめんねー、心配かけて」
「……昨日、絶叫系には絶対乗らないって約束してくれたよね?」
「あ、ごめん……僕が悪かったから、怒らないで……」
「最近は症状が軽くなったからって、調子に乗らないでよね」
夫婦の力の差がうかがえる会話だった。
「恋人に先立たれるのがどれだけ悲しいか、わかる? 私はわかるよ、経験者だから」
「僕にだって……、想像することは、できるよ」
「私を愛してるなら、私にそんな悲しい思いをさせないでね」
「アイアイサー」
「……なんで適当に流すの? あなたじゃなかったら殺してるよ?」
「い、いや、適当なのは表面だけだから……僕、本当は超マジメなんだよ? 羽月のことめちゃくちゃ愛してるし」
「じゃあ、次に信号で止まったら私にキスしてね」
「はぁ⁉ いや、それは……明路たちもいるし……」
「ふーん。してくれないんだー。悲しいなー」
「します。めっちゃします」
ケンカしているように見えるけれど、実際には愛し合っているのだから不思議なものだ。
「ねえ、おにいちゃん」
隣に座っている明路が、小さな声で言う。
「『ほっさ』って、なあに?」
明路は、言葉を知らないことを親に知られるのが恥ずかしいようだ。こういうときは、いつも俺に聞いてくる。
「発作っていうのは……、あれ……?」
意味はなんとなく分かるのに、説明がうまくできない……。明路の前で恥をかきたくないのに。頼れるお兄ちゃんでありたいのに。
俺が袋小路に追い込まれたそのとき――、運転席から、激しく咳き込む声が聞こえた。
父さんが、発作を起こした。うまく息ができなくなって、身体も痙攣している様子が、俺の席からはしっかりと見えてしまう。
父さんはもう、運転なんてできる状態じゃないし、母さんは……混乱してしまって、ハンドルを握りそうにはない。
「……っ、睦月! しっかりして!」
「あ……はは、大丈夫……っ」
無理に笑おうとする声が、痛々しい。聞いているこっちまで苦しくなる。
苦しくて、恐くて――身体が動かない。
「お、おにいちゃん!」
明路が両目に涙を溜めて、俺の右腕にしがみつく。
俺は――何もできない。
何もできないまま、車は道から逸れて――
車はコンビニに突っ込んだらしい。四人が死亡、一人が重症。死んだのは――、明路と、母さんと、父さんと、雑誌を立ち読みしていた男の人。
そして俺は、重症だったけど、家族で一人だけ、死ななかった。
目が覚めたのは事故の翌日だった。みんながもういなくなってしまったという現実を実感するのがいやで、なるべく何も考えないように、看護師さんたちに、全てを委ねていた。
何日か経って、知らない女の人がお見舞いに来た。俺の親戚でもないようで、最初は何をしに来たのか、全然分からなかった。天気の話とか、体調の話とか、他愛のない質問ばかりをされて、俺は適当に答えた。
そして唐突に、本題に入った。
「私の夫は、あなたの家族と一緒に死にました」
「…………え」
彼女は、俺たちが巻き込んだ男の人の、妻だった。
「あなたが死ねばよかったんです。あの人が死んで、代わりにあなたのような無価値な人間が生きるだなんて、間違っています」
「…………なんで」
なんで、そんなことを言うの?
「あなたが意識を取り戻したその日に、夫は息を引き取りました。なぜ、あなたはまだ生きていて、巻き込まれた夫は死んだのでしょうか」
「それは……っ、運の問題じゃないですか。俺はたまたま運がよくて、だから生きることができていて――」
彼女は静かに、平手で俺の頬を打った。一瞬遅れて、痛みが伝わってくる。
「なんで…………! なんで死ななかったの⁉ お前が死ねばよかったのに!」
「ち、ちょっと、落ち着いて――」
今度は拳で殴られた。もう話し合いはできなさそうだ。
「お前のせいでっ、夫は死んだ! 殺された! お前のせいで――っ、おまえのせいで!」
怒りのせいか、悲しみのせいか、顔を真っ赤に染めて、涙を流しながら、叫び続ける。
「おまえが……っ! おまえが、死ねばよかったんだ‼」
「……………………ごめんなさい」
俺にはただ、謝ることしかできなかった。
それから俺は怒鳴られ続けて、たまに殴られて、駆け付けてきた看護師さんが女の人を追い出して、事は終わりを迎えた。
俺は……生きていても、いいんだろうか。そう思うようになった。
状況からして、あの男の人が死ぬのはかなり理不尽なことで、彼の代わりに俺が生きているとも見て取れる。
俺は死んだ方がいい。
そう気づき、自殺を決意するまでは、そう時間はかからなかった。
夜が来るのを待った。院内の人通りがなくなってから、それでも見つからないように気を付けつつ、屋上に出た。その日は快晴で、しかも新月で、やけに星がきれいだった。
フェンスに近寄り、下を見下ろす。地面は意外と遠くて、死ぬには丁度いい距離だ。
片足を上げて、フェンスを跨ごうとした、その時……、声が聞こえた。
「待って!」
聞きなれた声だ。
約三年間、毎日聞き続けた声だ。
もう聞くことはできないと、思っていた声だった。
「――――、明路?」
そこにあるのは、確かに明路の、俺の妹の姿だった。
「だめだよ、死んじゃだめ!」
「え……? なんで、明路がここに…………」
「私、幽霊になって、お兄ちゃんに会いに来たの。自殺なんてしちゃだめ、って伝えたかったから」
「幽霊って……」
にわかには信じがたい。俺は霊感とかないし、オカルト否定派だし。
だけど明路は、ここにいて――。
本当に、幽霊なんだろうか?
「だけど、俺は……、俺たちは、無関係な人を巻き込んだんだから。罰を受けないと」
「やだ! 死んじゃだめ!」
明路のわがままな説得に、まだ明路が生きている頃のことを思い出して、少し泣きそうになった。
「私がいるから! 私が、事故のことなんて忘れちゃうくらい、幸せにしてあげる! だから、死なないで! 死んじゃだめ!」
「でも…………」
俺は死ななきゃいけない。そんなこと、分かってる。なのに――
なのに、明路との生活が、魅力的に思えてしまった。
「――わかった」
フェンスから離れて、明路の元へと向かう。すると突然、明路が俺に抱きついた。
「死なないでね」
「うん……わかった」
俺も明路を抱きしめる。何も触れることはできないけれど、たしかに、暖かかった。
「それで、病室で俺のことを殴ったのが雨夜の――俺のことをいじめてるやつの母親で、あと雨夜とは中学校が一緒になってからいじめられるようになった」
「ほうほう、そうか。幽霊とはなんだね?」
やはり信じてもらえてない……。だから話したくなかったのに。
「なんだね、って言われても、幽霊は幽霊だよ。そのまんま。ゴーストだよ」
「いやいや、そんな非現実的な……」
「でも、本当にいたんだよ」
「ふーん……じゃあ、質問なんだけど」
みぞれからの疑惑の目が、なんだか痛かった。
「明路ちゃんはどうして、自分のことを『幽霊』って言ったのかな?」
「……? どういう意味だ?」
「事故にあったとき、明路ちゃんはまだ三歳だったんだよね? だったら幽霊なんて言わずに、おばけって言いそうだけど」
「…………たしかに、そうかもだけど、」
「それに、『発作』の意味を知らないなら、三歳児だから当然なんだけど、明路ちゃんはボキャブラリーが豊富なわけではない。そんな子供が幽霊っていう言葉を知ってるかは、微妙なところじゃない? 透夜くんは、明路ちゃんが幽霊って言葉を使ってるのを聞いたことがあるの?」
「そ、それは……ないけどっ」
「ねえ、透夜くん」
みぞれは、いたずらっぽい顔で、俺に言う。
その行動は、残酷とも表現できそうだ。
「さっきから、どうしてそんなに必死なの?」
「…………!」
「気づきたくないだけ、なのかな?」
「い、いや……、何のことだよ。お前は何が――」
「幻、なんだよね」
淡々とそう言って、みぞれは立ち上がり、俺と間近で向かい合う。
「全部君の――幻想なんだよね」
「………………」
解っていたよ
終わりがくることなんて
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