2,死ぬことは

 人は、好かれるために努力する。

 人は、嫌われないために群れる。

 人は、苦しまないために生きる。

 なら人は――、何のために死ぬ?

「私と一緒に心中してよ」

 俺にはその言葉が、彼女の――曇坂 みぞれのことが、全く理解できない。

「私さぁ、死にたいって言っても、死ねたらなんでもいいってわけじゃないんだよね」

 誘いを断ったにも関わらず、自分のことについて語り始めた。

「私が『死』に求める条件は二つあってね、一つ目は、事故死であること。意図的ではなく、偶然であること」

 だから、橋から飛び降りるのではなく、欄干で踊っていたということか。

 あくまでも、運が悪かっただけ、自分のせいではないと言い訳ができて、さぞかし便利だろう。

 いや……、こいつにとって、死ぬことは幸運だったか。

「そして二つ目は――、男の子と、心中すること。そのどっちかが当てはまっていれば、私の自殺は幸せだよ」

「……男子なら誰でもいいなんて、言わないよな……?」

「いやいや、いくつか判断基準はあるよ。君は運のいいことに、その条件をクリアできたのさ」

 かなり大きめの不運なんだが。

「悪いが、他を当たってくれ。俺はまだ死にたくないんだ」

「ふぅん……でも、いいのかな?」

「…………? 何がだ?」

 みぞれが、またもやニヤリと不敵に笑う。

「『そしたら俺は、あいつを後悔させてやるんだ』」

「――――!」

 俺がさっき呟いた、独り言。決意の言葉。

 まさか、聞かれていたとは……、思わなかった。

 幽霊である明路の声はこいつには聞こえないはずだから、細かいことは分かっていないと思うが。

「バラされたらまずいんじゃない?」

「……どこから、聞いてたんだ?」

「ふふふ」

 含み笑いでごまかされてしまった。これが一番恐ろしい。

 まあ……、いいか。

「わかったよ。一緒に心中してやる」

 ということにしておく。どこか適当なところでばっくれてやろう。

「えっ、いいの⁉」

「まあ俺も、幸せな人生を送れているわけではないし、生きるのにはもう飽きたからな」

「やったぁ! ありがと!」

「ただし、条件がある」

 俺はみぞれの喜びの声に間髪入れずに、言う。

「俺にはまだ、やらなきゃいけないことがある。だから、心中するのはそれが終わってからだ」

「なーんだ、今すぐじゃないんだ」

 そんな風に、がっかりしたように言うみぞれ。それはとても、『死』について話しているとは思えないような、軽い口調だ。

「なんなの、やらなきゃいけないことって? あ、もしかして、さっき言ってたやつ?」

「ああ……お前が盗み聞きしていたあれだ」

「そんな言い方しないでよ。私だって、悪意があったわけじゃないんだから」

 そんなことは分かっているけど、だけどそれがきっかけで自殺志願者なんかと関わりを持ってしまったことを思えば、人のせいにもしたくなる。

「ねえ、それって具体的にどんなことなの? おねーさんがお手伝いしてあげてもいいけど」

「いや、いいよ」

 というか、余計なお世話だ。

「じゃあ、俺は帰るから」

「あ、ちょっと! 連絡先、交換しようよ!」

「カメラの準備、しなきゃだから!」

 正直、これで伝わるとは思っていないけれど、そんなことはどうでもいい。とりあえずみぞれから逃げ出したかった。俺の計画に介入されるなんて最悪の事態だし、無理やり心中させられようものなら、たまったもんじゃない。

 途中、明路がいないことに気が付いたけど、人見知りのあいつのことだから、先に家に帰ったんだろうと思って、俺はみぞれへの対処法について考えながら走って帰った。


「……おかえり、お兄ちゃん」

 予想通り、明路は家に帰ってソファでくつろいでいた。スマホをいじることもテレビをつけることもできないから、暇だっただろうに。

「ただいま……どうしたんだ、浮かない顔して」

「あ、えっと……、あのね」

 おぼつかない口調でそう言いながら、寝転がっていた体勢から体を起こし、正面から俺と向き合う。

「さっき、橋で踊ってた女の人、いたよね?」

「ああ……そうだな」

「それで、お兄ちゃん、あの人に……見惚れてた……」

「……まあ、うん」

 たしかに、きれいだとは思った。外面は。内面はかなりクレイジーだったけれど。

「――っ、ねえ、お兄ちゃん」

 すがるような視線で、上目遣いで、見つめられる。魔法にかけられたかのように……、思考が鈍る。

「お兄ちゃんは、私のこと、好き? 私のこと、一番に想ってくれるよね?」

 俺の鈍った脳みそでも、明路の言いたいことが、明確に理解できた。

 明路は、俺がみぞれを好きになることを、恐れている。

 俺は静かに、明路の身体を――幽体を、包み込む。

「大丈夫だよ、明路。俺は明路が、一番好きだから」

「…………ありがとう」

 消え入るような、小さい声が、たまらなく愛おしい。

 どんなにつらくても、どんなに苦しくても、どんなに不幸でも。

 明路と一緒なら、大丈夫だ。


 久しぶりに、家族の夢を見た。

 父さんと母さんと、明路と、俺。

 四人で一緒に、車に乗っている。

 みんなで笑いながら話していて――だけど、夢だからだろうか、話の内容は何もわからない。

 それでも、なぜだか幸せで――、いつまでも、この空間に身をゆだねていたいと思った。

 だけど、幸せな時間は、長くは続かない。

 身をゆだねるだけでは、幸せではいられない。

『おまえが……っ! おまえが、死ねばよかったんだ‼』

 誰かが怒鳴る声と、空を切り裂くような衝突音が。

 夢と幸福の、終わりを告げた。


 目が醒めて、現実に戻ってきても、自分が不幸だという自覚はなくて、幸せになりたいとも思えなくて。

 適当な自分に、嫌気が差した。

 まだ起き上がることもしていないというのに、今日は朝から嫌な気分だ。

 隣では、明路が寝息を立てている。……幽霊に睡眠が必要なのか、疑問ではあるが。

 それはともかく、俺は明路を起こさないように、静かに身体を起こす。

「おに……ちゃ……」

 明路が、俺を呼んだ。起こしてしまったかと思ったが、ただの寝言のようだ。

「すき、だよ……おにいちゃん」

「…………っ」

 こみ上げてくる感情を抑え込んで、今はただ、頭を撫でてやることにした。

 手ごたえのない感触と、お互いへの想いだけが、俺と明路の全てだ。


 朝八時、明路と並んで道を歩く。通学路は相変わらず代り映えがなく、退屈な風景が整列している。

 俺と明路の間に会話はなく、黙々と歩いている。俺と明路が話していると、周りの人には俺が独り言を言っているようにしか見えないからだ。だから、昨日のように人がいない場合を除いて、家の外では話さない。その代わり、明路と俺は腕を組んでいる。

 右隣、機嫌のよさそうな横顔を見て、今日もかわいいな、と思う。

 この感情は、異常だろうか。

 そのとき――束の間の幸せを感じていたそのとき、声をかけられた。

「ヘイヘイ、そこの男子。今から私と心中しない?」

 死神にナンパされた。

「私、いい感じの崖知ってるからさ、連れてってあげるよ」

「……あいにく、海は嫌いなんだ。子供の頃にクラゲに刺されて以来な」

「ふうん。だったら、うちに来なよ。練炭焚いてあげるからさ」

「あたかもお菓子をごちそうするかのようなノリで俺に死を提供しようとするな」

 俺はまだ死ねないと、言ったはずだろうに。

「お、お兄ちゃん、私先に行くね」

「え、ちょっと……」

 昨日に引き続き、またもやみぞれを避けようとする明路。そんなに苦手なんだろうか。自分が話すわけでもないのに。

 みぞれと二人きりになるというのは、何か気まずいものがある。できればずっと、明路には俺と腕を組んでいてほしかった。

「ところで透夜くん、教えるくらいしてくれてもいいんじゃない? 君の、『やらなきゃいけないこと』を」

「ああ、それは――」

 知られたくない。

「先に、みぞれがどこまで把握しているのか、教えてくれないか?」

「ふむ。構わないよ」

 自信ありげな態度……まさか全部見透かされているのか……⁉

「私の考察によるとね、君には嫌いな人がいる」

「………………」

「その子は恐らく女の子だね」

「……………?」

「そして君は、その子をカメラで盗撮し、それをネットに――」

「黙れ」

「なんでよ!」

「不快だからだ」

「私はこの答えにたどり着いたとき、『復讐心と性欲をどちらも満たすなんて! さっすが透夜くん!』って心の中で褒めてあげたのに⁉ それに対して『黙れ』だなんて! 『不快』だなんて!」

「知るかよ。勝手に俺を盗撮魔にするな」

「ぐぬぬ……」

 何も分かってないじゃないか。こんなことなら、あんな適当な口約束なんてするんじゃなかった。

 それにしてもこいつ、とんでもない仮説を立てやがった。確かに『後悔させてやる』とか、『カメラの準備』とか言ったけれど。大した想像力だ。

「まあともかく、学校行こうよ。遅刻しちゃう」

「ああ、そうだな……って、おいっ」

 左腕と胴体の間に、みぞれの腕が差し込まれる。

 さっきまで明路としていたように、腕を組む形になってしまった。

「な、なにしてるんだよ、お前」

「なにって……腕を組んでるんだよ」

「そんなことは分かってるよ……」

「私たち、心中する約束をした仲なんだから、これくらい普通でしょ?」

 普通……? 普通なのか?

 いやそもそも、心中を約束するのが普通じゃない。

『中学の先輩女子(初対面)と心中を約束した男、東雲 透夜』

 …………笑えないな。

「あれれー? もしかして透夜くん、女の子と腕を組むのが恥ずかしいのかなー? 照れちゃってるのかなー?」

「っ、そんなわけないだろ」

 そんなわけない、けど――、だけど。

 明路と違って、胸が腕に当たって……そこにばかり、意識が集中してしまう。

 腕に少し当たっているだけでも分かるくらい、柔らかくて……ていうかこいつ、意外と大き――

 ダメだ、気を逸らそう! 何か話そう!

「そ、そういえばみぞれって、何でそんなに死にたいんだ?」

「えー、自分のことは教えないくせに、人のことは聞くんだ?」

「あ……いやなら別に、いいんだけど」

「ううん、いいよ。教えてあげる」

 どう伝えればいいかなー? と、みぞれが首をかしげる。それによって俺の方に体重がかかって、更に胸が――

「簡単に言うなら、生きるのは性に合わない、って感じなのかな?」

 みぞれから返ってきた答えに、我に返る。危ないところだった。

「性に合わない――って、どういうことだ?」

「そのまんまの意味だよ。人生って、なんか私に似合わないなーって、思って」

「…………」

 意味は伝わってくるのに、理解も共感も、できそうにない。次元、だろうか? そういうのが違う気がする。

「でも……、そんな洋服選びみたいな観点で切り捨ててもいいもんなのか? 人生って」

「んー、いいんじゃない? したいようにするもんでしょ、こういうのって。だから、終わらせるのも自由でしょ」

「そうかもしれないけど……でも、家族とか友達とか、人間関係のこともあるんだから、あんまり自分勝手にしていいもんでもないだろ」

「そういうのは、私は気にしなくて大丈夫かな。知り合いは少ないし」

 まあ確かに、友達は少なそうだ。

「じゃあ私、学校行く前に寄り道して行くから。先に行ってて」

 みぞれがそう言ったのは、コンビニの前。ジュースでも買うのか、それとも朝ごはんか……マンガの立ち読みか?

「また今度、私のこと、詳しく教えてあげるから。透夜くんのことも教えてね」

「ああ、まあ……そのうちな」

 曖昧な返事ではぐらかす。みぞれが、手を振りながら離れていく。俺も手を振ってやる。みぞれはそのまま、コンビニに――入らなかった。

「…………?」

 コンビニには入らず、その奥の道を進んで行って、そのまま見えなくなった。

 確かあの道の先には――住宅地と、墓地くらいしかなかったはずだ。

「……まあ、どうでもいいか」

 俺には関係ないことだ。

 どちらの腕も誰とも組まず、一人で通学路を歩む。

 その目的地は、地獄に等しい。

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