第6話 シルクハットの中身は知らない方がいい

 そして今、私は家に居る。


 「は?」と言う声が聞こえた。ああいや、その声は私だ。ただこの状況に面した人ならきっと猛烈に頭がおかしいとかでもない限り、同じように声を出してくれると思う。とはいえ、私は怪奇的な事柄でも、ましてや怪異に出会ったわけでもなかった。

 発端は、ミシェルの一声だ。

 彼は更なる地下への階段を見つけて早々、今からそこへ踏み込むのだろうと私は胸を膨らました時、言うに事欠いて、こう言ったのだ。


「じゃあ僕たちの仕事はこれで終わりね。あとはクライアントに任せよう」


 彼はこれだけ言うと、満足を覚えるでもなく、やれやれやっと終わったよといったラフな足取りで、さっさと部屋を出て行った。部屋を出て行くと言うのは一応言うとつまり、コレクションルームから図書室への階段を上って行った、ということだ。彼は出現した部屋の中身なんぞまるで興味が無いと言う風だった。

 その後、協調性の欠片も無いミシェルに代わり、部屋に残っていた亜門がその場の召使一人に声を掛け事情を説明、図書室でアクアリウムを眺めていたらしい瀬野婦人が地下室に降りてきて現場を目撃、私たちはお払い箱、そうしていつしか家に帰って来ていた。


 いや、いつしかってなんやねん。


 下手な関西弁で呟いてみても、既に帰宅していることに変わりはない。というか、あの家に関わることはもう二度と無いのかもしれない。亜門やミシェルに言わせればクライアントである彼らは、別に長い関係を築く相手ではなかった。ただの客だ。

 しかし、私と、そして二人の関係は、運命が許す限り末永く続くものだと思う。私はあの二人に、説明を請わねばならない。


 私が最初に声を掛けた相手は、亜門だった。何故彼なのかと言えば、意外にも彼の方が一日の内の遭遇率が高いからだ。せかせかと忙しく歩き回り家事や仕事など何かしらに従事している彼を捕まえるのは容易いことだ。それに、彼は私に一応の報告書を指示していた。一番最初だから大学一年生の書いたレポートか感想文程度でいいという指示だったが、それを書くためにはオチとなる真相を知らねばなるまい。

 彼は今、事務所の窓際のデスクでパソコンをカタカタしている。彼の自室と言うか、寝室はあるようだが、彼は仕事を部屋に持ち込みたくない性格のようだ。だからわざわざ、自室ではなく事務所である一階にパソコンを持って来て仕事をするのである。

「亜門さん亜門さん」

「パス」

 亜門は、顔も上げずにそれだけ言った。手元のタイピングがびっくりするほど滑らかに動き続けている。

「え、そうおっしゃらず……」

「俺はあいつみたいなびっくりパワーは持ってないが、お前の望みは何となく分かる。二度手間になるだろうから、先にあいつのところに行け」

「え、あ、……はい」

 そういうことで、私は早速ミシェルの方へ、たらい回しにされてしまった。


 さて、亜門に言わせればびっくりパワーの持ち主のミシェルは、何故だか亜門の部屋に居る。亜門の部屋とミシェルの部屋は事務所の二階にあって、それぞれ隣同士だ。どうしてわざわざ自室ではなく亜門の部屋に移動しているのか。それも彼のベッドの上でゴロゴロと寝転んでいるのか。ミシェルの不思議さを思えば、もはやその程度ではびっくりも出来ない。

「やあ、来ると思ってたよ」

 そして、こちらを一瞥もせずに放たれたその声にも、私はもはや、何の驚きも出来はしなかった。それは二度目だ。

「どうも」

「彼に言われて来たんでしょ」

「まあ。でも半分は私の意思ですよ」

「果たして半分と言えるかな……」

 言動全てがどこか意味深な雰囲気を纏っている彼がそう言うと、とても無視はできない。私の意識はこれまでの自らの行動言動を振り返り、なんとなく精査し始める。自由意思とはなんぞや……。

「君は考えなくていいと思うよ。無駄だから」

「あ、はい」

 そうして、今度は彼の言葉で思考から救い取られる。とても不思議な感覚だが、まるで催眠術にでもかかったようだ。それにしても無駄は、少し傷つく。

「無駄って言うのは答えの無い問いに思考を割くことがって意味で、君の頭を馬鹿にしているわけじゃないよ」

「……なるほど」

 こうして思考を読まれた挙句に会話を先取りされるのも、もはや驚くことではない。

 ミシェルは眠たげに目を細め、窓の外を見やっている。ベッドの上の体は相変わらず、大海に投げ出された人みたいな無防備さだった。細身とは言えかなりの身長の持ち主だから、そういう危機感が普段から薄いのだろう。女性的な美しさと柔和な雰囲気は油断すれば彼を男性だと忘れさせる。だが、こういうところはそっち側らしい。

 ミシェルは顎をしゃくって、亜門のものだろう昇降式のチェアを指し示す。座ってみると、私ではつま先が床に掠りもしないほどに高く、足がぶらぶらする。頭に来たので目に付いたハンドルを握り、下側にすーっと椅子を下げた。ミシェルのクスクス笑う声が、部屋の中で静謐に聞こえる。

「怒るだろうなあ……」

「ミシェルさんが私を座らせたのですから、一緒に怒られてください。同罪です」

「えぇ……」

 酷い、なんてクスクス笑いながら、ミシェルは大きな枕を抱きしめて、体を横向きにする。胎児のように丸まりながら、彼は抱きしめた枕に顔をうずめていた。抱き枕派らしい。人の枕でせんでも、というのは言わない。まあ、大好きなんだろう。

「質問方式にしよう。その方が僕は言いやすい」

 枕越しの、くぐもった声は少し聞き取りづらい。しかし、もしかしたら顔を見られながら話すのが恥ずかしいのかな、なんて思った。夜はまだしも、昼間の月はシャイなものだ。

 それにしても、何から聞けばいいだろう? 疑問は頭の中に散在し、体系的にまとまってはいない。ならば、パッと思いつくところから聞いてみればよいだろうか。

「じゃあ、まずは鍵と南京錠の話からしてもらえますか?」

「それかぁ。その話は既に完結していると思うけど……」

 まあいいか、なんてミシェルは言って、少し息を吐く。鍵と南京錠の話が完結しているなら、彼は何を聞かれると想定していたのだろう? 彼の口調には少し、予想外の趣が含まれていた。

「鍵って言うのは、文字通り、あの鍵のこと。対して南京錠が指しているのはあのふりこ時計のこと。あのふりこ時計は壁に固定されていて、部屋の外に出すことは出来なかった。要するに、あの鍵はあの部屋のあの振り子時計という限定的な状況でしか真の効果を発揮しないと言うこと。とてもセキュアだよね」

「セキュア?」

「セキュリティ性が高いっていうIT用語だよ。ごめん。一般的じゃないの忘れてた」

「IT系の知識があるんですね」

「いや、昔本で読んだことがあるってだけ。ちょっとした興味本位でさ」

 ミシェルはお世辞にもエンジニアには見えないし、エンジニアに適性があるようにも見えない。本で読んだだけなら、むしろ安心感さえある。この風体でパソコンが得意とか、なんか嫌だ。

「なら、表の二重のロックは内側の本当のロックを守り、隠すためのものだったんですね……」

「ついでに言うと、あの標本や食器もカモフラージュの意味合いが強かったんだろうね。元あったとされる絵画は……あれは、ちょっと分からないけど」

「分からない?」

「あ……いや、なんでもない」

 ミシェルのそれが、なんともまあ何かを隠しているのがバレバレなので、私は椅子に座ったまま、ベッドのへりをつま先で軽く蹴り飛ばす。これにはさすがのミシェルも予想外なのか、はわっとなんとも言えない声を上げた。

「絵画、観たんですか?」

 椅子の上から出来る限り見下ろすように、私は威圧的な声を出した。なかなかこの高身長の男を見下ろせる機会などなかなかないものだ。幸運は適切に使ってこそ、である。

「……実は、君が荷造りをしている時に……」

 ミシェルは頑なに私から目を逸らしつつも、そうして細々と白状した。

 だが分からないのは、何故彼がそうするのかだ。絵画を見たことに、何らかの罪を感じている? それも、私には言いたくないような?

「どうして教えてくれなかったんです?」

「それは……ええと、君は怖がると思って……」

「怖がる? 絵画をですか?」

 呪いの絵画か何かなのかと思ったが、だとしたら怖がるべきはミシェルであり、私ではない。絵画を見たのは私ではなくミシェルだ。

 ミシェルは尚も、私に対して、何かを言いづらそうにしている。

「あの地下室に保管されていたとする絵画……あれの出所だけど、よく分からないんだって。高価なものだと聞いていたけど、実際に見てみると、画家が誰なのかも僕にはわからなかった……これでも結構、有名どころは把握している自負があるからさ。こう言っちゃなんだけど、あの絵は世間的に評価された画家のそれじゃないと思う。もちろん、だから価値が低いと言うつもりは無いけど」

「無名の画家による無名の作品と言うことですか?」

「そこまで言うつもりは無いけど……」

 嘆くように唇を尖らせるミシェルを余所に、私は深く考えていた。確かあのコレクションルームへの入り口の周りにも絵画が何枚かあった。無名の絵画なら、そこに飾っても良かったはずだ。そうしない理由は、一体なんだろうか?

「金銭的価値以外に、あの絵画をコレクションルームに飾っておく理由があったのでしょうか」

「ああ、うん……」

 その声色に、思わず私の視線は彼にスライドする。

「ミシェルさん、あなた何かわかっていますね」

 のらりくらりと躱そうとして、曖昧な笑みを浮かべているミシェルを、私はもう一度鋭く睨んだ。案の定、彼はキュッと肩を縮こませる。

「君は、絵画において最も重要なことをまだ聞いていないよね……あれに、何が描かれていたのか」

 確かに聞いていなかった。図書室のあれらを観て、どうせ同じような風景画とかだろうと高を括っていた。元来、美術には造詣が深くない。

「なんの絵だったんです?」

「……女の子の、絵」

「女の子?」

 その単語に、思い当たる節が、あった。

「……あの女の子ですか? お人形みたいな」

「そう……花蓮ちゃんの絵だった」

 どういうことなのか、少し考える。

 普通に考えれば、祖父が孫の絵を画家に描かせた。それだけだ。お金持ちのやりそうなことだし、何より愛情を感じる。

 いや愛情なんか感じるか? あんな湿った地下室のコレクションルームに飾られて? もっと飾る場所あっただろう。

「それと……こればっかりは本当に、君は聞かないほうがいいかもしれないけど」

「……言ってください。気になり続けるのは嫌ですよ」

 きっと、絵画の話と関係がある。

 ミシェルは、思い出すのも嫌だと言う風に、麗しの顔を顰めている。

「あの家に、小さな女の子のお孫さんは、居ないそうなんだ。居ないというのはつまり、最初から実在しない」

「……え?」

 変な声が出た。彼が何を言っているのか、それが意図するところが、分からなくて。

「瀬野夫人に直接聞いたから間違いないと思う。年齢的にも、亡くなった瀬野のおじいさんが八十近くて、その子供が今は五〇から六〇代くらい。なら孫は……」

「……どんなに若くても、成人はしているはず」

「その通りだ」

 そう言えば結局、私たちは他の孫の姿を目撃していない。それは私たちが、館内の他の人間を孫と認識していなかったせいではないだろうか。遠目に見た大人が数人、あれがまさか孫たちだったのか。見た目的にはせいぜい大学生……そうか、大学生の夏休みは往々にして長い。少しの間に帰省することだって、あるか。

「……実を言うと、あの子を一目見た瞬間から――僕は違和感を覚えてた。どう言えばいいのか分からないけど……人ならざる感じ、というのが一番正しいのかもしれない」

「あの子は……人ではない、ということですか?」

「分からない……けど、瀬野家の戸籍上は存在するはずも無い、ナニカだ」

「何か、って……」

 まるで幽霊ですらない、とでも言わんばかりだ。

 まさか、絵画に描かれた謎の少女が、実体化して館内を歩き回っていた?

 そして、どうしてか探偵である私たちに接触してきた?

「……いや、さすがに、そんなわけ……」

 でも、……あの女の子が出現したのは、もしかして、絵画がコレクションルームから外に出たから、なのか?

 おじいさんは、あの絵をコレクションルームに閉じ込めていた?

 馬鹿げた空想ばかりが勢いよく回っていく。そのくせ、明確な答えが出そうにはない。

「絵画の女の子……犬、それにおじいさんの死……これらが、一直線につながることは、あるのでしょうか……」

「深く考えたりはしないほうがいいのかもね。ああいう家には、色々とあるものだから」

「それでいいんですか? あの女の子の正体だって……」

「うーん、僕たちの危害を加えてくるとかじゃない限り、気にしなくていいんじゃない? あの家とはもう関わらないんだし」

 ミシェルは枕をもふもふと抱きしめる。その姿から見るに、彼はもう、あの依頼には飽き飽きなのだろう。そもそも真実の追及自体、彼にはどうでも良さそうなのだ。亜門が受けた依頼を完遂する。それ以外の目的も興味も、有していないように見える。そういう意味では、彼の大事にしているのは亜門ただ一人である。

「じゃあ次……とっておきの質問なんですが」

「言ってごらん。まあ言わなくても分かるけど」

「ミシェルさんは時々、というか結構な頻度で、私の心を読んだり、それどころか未来予知みたいなこともしますよね。それに真相を当てる時だって、なんだか根拠も無く事象を持ってくると言うか、何もない虚空から情報を引き出す、みたいなことをするじゃないですか……あれは一体、なんなんですか?」

「そうだね、そうだね……それを疑問に感じるのは当然だ。彼は別としても、みんなそうだろう……」

 ミシェルは一層、枕に顔をうずめて笑った。

 それも、やや自嘲めいて。

「残念だけど、その疑問には答えられない」

「……え、それはどうして――」

「僕にも分からないんだ」

 ミシェルの声色は、一転して凪いでいる。

「考えると言うよりは、思い浮かぶという方が似てるかな。でももっと速い……気づいたらそこに居る? もしくは、ここにある?」

 ミシェルは片方の手を広げて、胸に触れた。

「いや、生き物なんだから頭にあるのかも……とにかく、僕には分からない……ずっと分からないままなんだ」

 沈むように、ミシェルの声が小さく溶ける。彼には本当に分からないのだろう。ある意味で、彼が真相を言い当てる時みたく、そういう力があるという結果だけが残っているのかもしれない。現代科学だって、時間の始まりとか宇宙の端っことか根源を分からないまま、結果と状態を享受させられている。それと同じだろうか。だが一個人の人の身が、そういう状況に置かれるのは、果たしてどうなんだろうか。

「まあでも彼は、僕のことを『物事の因果関係や共通点、あるいは差異、そういうのを分析統合するのが無意識レベルで得意なんだろう』って、時々言ってるよ。少なくとも彼は、そう言う風に僕を捉えてるみたいだね」

「亜門さんらしいですね」

「本当にね……」

 ミシェルのびっくり不思議パワーを科学的に説明するには、結局そういう風に落ち着くしかないのだろう。

 だがそうすると問題なのは、そこで飼い猫みたく身を丸めている彼が、まるで天才レベルで賢い可能性がある、ということである。自らの認識すら追いつかないほどの高度かつ高速な思考……まるでコンピューターだ。コンピューターには自らの計算能力を認識して自画自賛するような自意識は無いだろうし。

「僕としては、そう言う風に考えるのが既にまどろっこしいけどねぇ……分かるものは分かるんだし――ふわぁ――結果さえわかれば過程なんて、考えるだけで疲れるよ」

 途中で思いっきり欠伸を挟んだのはさておき、言うことには一理ある。過程も理屈も、究極的には無くても困らないものではあるからだ。私たちは宇宙の始まりなんか知らなくても死にはしないし、身の回りの物質のあれそれなんて研究者でもない限り疑問にすら浮かばない。私たちが日々享受する技術は全て結果であり、生きるにはそれで充分なのだ。

 だが……とは思う。だが、彼らは探偵だ。本当に、それで良いのかは分からない。

 あるいは、だからこそ、亜門が必要なのだろうか。

「それじゃ、最後は疑問と言うより、確認です」

「確認? なんだろう、分からないな」

 ミシェルはどこか楽し気に、声を弾ませて述べる。分からないと言うのは、彼にとって特別な価値を持つのかもしれない。

 何はともあれ、確認作業に手間を取るつもりは無い。

「探偵は、本当はあなたですね」

 ミシェルは長い体躯を強張らせて、困惑を滲ませる。掌のハムスター、ベッドの上のミシェルと言った感じだ。

「えぇ……? いや、別に……」

「でも推理だってほとんどあなたが主導していました」

「あんなのは推理じゃないよ……思うままに言葉を並べただけだもの」

「でも当たってるじゃないですか」

「当たってるのかなあ……神様でもない限り、ありのままの真相を知ることは出来ないと思うけど。観測者効果……的な」

 また訳の分からないことを。だが今回に限って言えば、彼の言い分は言い訳にしか聞こえない。

「どうして、探偵であることを否定するのですか? かっこいいですよ」

「僕は……かっこいい人間なんかじゃ……」

 そのツラで言うのかよと突っ込みたいところだが、彼の気にしているのは多分、容姿の問題じゃない。きっともっと精神的な部分だ。

 ミシェルにばかりかまけてしまったし、そろそろ亜門の方へ行くべきかもしれない。彼ならば、客観的な意見をくれるだろう。探偵と助手の関係性について。


 仕事スペースである一階に降りて、亜門は相変わらず真面目な仕事人間として仕事に従事している。傍らに立っても、彼はやはり顔も上げない。

「びっくり話は聞けたか?」

 端的に尋ねて来るのも、彼らしい。

「まあ……」

「だろうな。俺たちとは、生きている世界が違うらしい」

「私とあなたが同じ世界の住人だと?」

「おっと、間違えた」

 どこまでが本音かはさておき、亜門と居る時は、これまで蓄えてきた常識とか世界観とかがぐらつく奇妙な感覚が無い。亜門はぶっきらぼうだし、初対面からこちらを見下して敬語すら使ってこないが、それでも常識的な範疇には収まっている……言うなれば、私の定規で量っても問題はない人物だ。

 亜門はようやく手元の作業を止めて、回転式の椅子の背もたれにもたれかかる。疲れて溜息を吐く様は、まるで昼休憩に入ったサラリーマンだ。

「で、俺に聞きたいことって、あいつの後で何が残ってる?」

「そんな残り物みたいに言わなくても……」

「生憎と面白話は出来そうにないが」

 意外と下手に出ている彼を立ったまま見下ろして、私はさっそく、胸の内の疑問を晒す。少なくとも、亜門の考えだけは聞いてみたい。

「亜門さんって、助手ですか?」

「は?」

「ほら、古今東西あらゆる推理劇において探偵には助手がつきもので――」

「お前の頭は本当にお花畑か、もしくは小学生で発達が止まったんだろうな……」

「酷い!」

 何が酷いって、亜門の言い方が割とマジな点である。可哀想なものを見る目をするんじゃあないよ。

 彼は呆れ返った風にカブリを振りながら、退屈そうにこう続けた。

「役割分担なんて決めてねえよ……俺がここに居て、あいつがそこにいる。それで充分だろ……」

 なんだか、はたと気づかされそうな言葉だった。

「なるほど、二人で一つ的な」

「そんなこっぱずかしいこと誰が言ったんだボケ死ね」

 恥ずかしいと暴言を吐くタイプか……こうしていると、飄々としているミシェルよりもむしろ、分かりやすく、とっつきやすくもあるのかもしれない。

 今日の彼は眼鏡をかけていないので、いつもよりやや大きな瞳がそのまま空気に晒さ、時折ぱちくりと瞬いている。ミシェルにような妖艶さもないそれが、少し愛嬌を感じさせて可愛らしい。

「俺からも一つ、聞いていいか」

 亜音は襟元を広げて、首を掻きながらそう言った。どこか緊張感を覚えた自分を不思議に思いながら、私は頷く。

 彼は何でも無さそうに、こう言った。

「お前が拾われた経緯を知りたいんだが」

 私が拾われた経緯とはすなわち、あの月の眩しい夜を意味している。

「まだミシェルさんから聞いていないんですか?」

「聞きそびれてるんだよ……それに、お前からも聞いておいた方がいいだろ。証言は複数あるべきだ。人はわざとじゃなくても嘘を吐く時がある。勘違いとか」

 勘違いと言う単語を聞かされると、どうにも自信を無くしてしまう。何しろあの時の私は、まるで熱病にでもかかったかのような気が、今はしているのだ。月の眩しい夜は、なんだか心が浮世離れしてしまうのに、ましてや目の前に月と見紛う人物が立っていた。平常心ではいられなかったし、恐らく平常心でもなかったろう。

「うーん、もうあまり覚えてもいませんが……」

「記憶力ゴミだな」

「しかしそうですねぇ……カフェでバイトしてて、急にあの人がふらりと目の前に……」

「あいつがカフェなんぞに入ったのか? 一人で?」

 まるでミシェルが一人でカフェに来店するのが酷く驚くべきことみたいな言い方だ。

 尤も、亜門はすぐに気を取り直して、そういうこともあるか、と納得を見せる。

「あいつも最近は前向きに変わってきたからな……良い兆候と見ておこう」

 親みたいな仏顔を垣間見せ、亜門はどこか安心したように下を見る。

「ミシェルさん、昔はもっと暗かったんですか?」

「……いや、別に。お前には関係の無いことだ」

 突っぱねるように強く言われてしまった。急に壁でも作られたみたいで、少し傷つく。亜門はそっぽを向くように、私に視線を合わせない。昔のミシェルに、何かあった?

「まあいい。話を続けてくれ。カフェに入って、どうしたんだ?」

「あ、ええと……」

 いや、その後も何も、歩いてここに辿り着いただけだ。特に変わったことなど無い。その旨を伝えると、亜門は困り果てたように、天井を仰いだ。

「なんだよそれ……」

「なんかすみません……」

「お前に期待した俺が悪かったよ。すまんな」

「それ謝ってます……?」

 馬鹿にされている気しかしない。

 しかしそれで、亜門はミシェルに直接尋ねることに決めたようだ。よいしょと哀愁漂うリーマン風に立ち上がった……その時だ。

「呼ばれて飛び出て――なんだっけ? とにかく、僕だよ!」

 ミシェルの方が、後ろから現れた。それもやけに盛大かつハイテンションで。

「うわ、お前……」

「なんか必要とされている気がしたから来たよ。僕に用? あとついでに喉乾いた」

「飲みもの入れさせたいだけだろ……」

 それにしてはタイミングが良すぎる気がする。小言は言うくせに結局ミシェルのために冷蔵庫に向かったところも然り。

 ミシェルはさっそく、亜門が去った後の椅子を占領する。高さは大体同じくらいだからか、椅子はまるで最初から彼のためのものだったみたいに彼にぴったりと収まってしまう。手持無沙汰にか、横にグラグラと何度も椅子を動かすミシェルは、先ほどより幾分、機嫌が良さそうだ。だが帰ってきた亜門が椅子を取られたことに気が付いて声を上げると、ミシェルは途端に唇を尖らせて抗議する姿勢を見せる。うーん、三文芝居も大概にして欲しい。

 テーブルの上に水の入ったグラスを置きながら、亜門は仕方なさそうに脇の壁に立ったままもたれ掛かる。立っていると背の高さが強調されてやや威圧感が無くもない。

「そう言えば、あの会長さんとは連絡取れた?」

 先に切り出したのはミシェルの方だった。そう言えばそんな話も、あの屋敷ではあった。絵画と謎の地下室のインパクトのせいで忘れていた。

 しかし亜門の方はしっかりと覚えていたらしい。彼は首を横に振ると、困ったように肩をすくめた。

「一応メールは送ったんだが、見ているかすら分からん」

「ふぅん、忙しいの?」

「そうなんじゃないか? 前回が初対面だから分からん。それにプライベートでの連絡先を交換したわけじゃないんだ。メールは事務所に宛てた」

「そっか、じゃあしばらくは謎のままになってしまいそうだね」

 思うところがありそうに、ミシェルは俯き、顎に手をやる。その斜めの角度だと、長めの前髪が目にかかって、やや幻想的な光景になっていなくもない。仕草の一つ一つがキネマのワンシーンみたいになる人だ。こういうところだよなあ、なんて思う。こういうのを見せられると、人は後先も考えられずに、ほいほいとついて行ってしまう。あるいは時代さえ違えば、彼は卑弥呼みたいな、いわゆるシャーマン系の指導者にでも、なっていたのかもしれない。


 それから一週間は何もない日々が続いた。むしろ前のヘンテコ屋敷に赴くそれの方が珍しいそうで、ミシェルはともかく、亜門も後処理が終わると、少しリラックスした様子でいた。

 場合が変わったのは、その後だ。


 ミシェルが、突然失踪した。

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