第3話 幽霊とビジネスパートナー
やけにぼんやりとしたとしたまなこだ。それでいて、閉じることは無い。
それを見て、これは重傷だな、と思った。
「……元気無いな」
ミシェルは、それには答えない。
ただ、珍しく少し冷たい目をチラリと一瞥だけくれて、すぐ元に戻した。虚ろではないが、何かがあるわけでもなさそうな目だ。
「交渉は、上手く行ったようだね」
「ああ……できれば、お前にも居て欲しかったんだがな。お前の目で見て、確かめて欲しかった」
あの時、ミシェルが役割分担をそれとなく示唆したのが、亜門としては少し意外だった。とはいえ、正しい判断だったと言える。この館の主は、言うなれば富に目が無く、そう言った輩をミシェルは好かない。
「僕の目なんて必ずしも必要な代物じゃないさ……それに今はきっと、もっと役立たずだ」
そんなことはない、それだけ言うなら簡単だ。
ずっと前からそうだ。言葉ごときで語れる想いなら、とうの昔に届いている。
だからこそ、だろうか。真っ直ぐ伝えるのはやめてしまった。
「精神より肉体が先だろ? 寝てない食べてないじゃ、まともな思考は育たない」
「真っ当な意見をありがとう」
「皮肉はよせ。俺は……」
「眠れないし、食欲もないんだ。君の言うことは正しいけど、だからなんだって言うんだ」
ミシェルは少しいらだった様子で、語調を荒げる。
正しいことですら無価値だと改めて突き付けられると、もはや何を言っていいのかも分からない。
ミシェルが、その重い瞼をはらりと伏せる。彼は申し訳なさそうに「ごめん」と小さく呟いた。
「ごめん……ごめんね」
「お前、」
「ごめん……はぁ、やめるよ」
「別に、つらいならそれでもいいんだぞ」
「いや……こんなの、生産性もないし……この家の話でもしよう」
ミシェルがそう言ってしまうと、亜門はもうそうする他無い。柔和そうな見た目をしているし、大体は確かにそうだが、時折非常に頑固なのがミシェルなのだ。そう言う時のミシェルは誰がどう論理的に説得しようが、聞く耳を持ちやしない。
亜門は、今のミシェルがまさしくそうであることを敏感に感じ取った。なるほど、ならば、彼の望む通りにしてやろう。それだけが、今彼にしてやれることなのだろうから。
ああいや、一つ思い出して、亜門はポケットに手をやる。
中に入っているのは、飴玉だ。キャラメル味の飴玉を取り出すと、亜門は袋を開けて、ミシェルの前に差し出す。
「飴ぐらいなら舐められるだろ?」
「……まあ」
「なら口開けろ」
若干不満そうだが、口を開いたミシェルに飴玉を放り込む。キャラメル味なんて甘ったるいものだが、ミシェルは昔から甘党だ。ポケットに入っていたのは、こう言う時のために亜門が備えていたからである。
「じゃあ、話を始めるか」
「……そうだね」
ミシェルが微かに、くすりと笑う。それでいい、なんて思う。それでいい。
「さて、じゃあいつも通りに行くぞ――まず、お前には何が分かってる?」
「何も分かってなんかいないさ……」
思わず、亜門は反論しようとした。そんなことはないはずだ。
だがその前に、ミシェルはなんでもない口ぶりで続けた。
「
「今夜俺が動くとして……明日には帰れちまうな。それだとちょっと早すぎる。もう少し間を持たせるか」
「待ってる間にクローズドサークルになったりしない? 早く帰ろうよ」
「殺人なんて起こんねえよ」
これまでに殺人事件の解決を依頼されたことは無い。そして、これからも無いだろう。そんな出来事はフィクションだけで充分だ。
ミシェルが、ベッドを二分するように体を投げ出す。うんと伸びをするには足りない横幅で、彼は眠たそうに、まあ、なんて口を開いた。
「まあ、それが目的だったんだろうしね、君は」
「目的?」
何を言いたいのかは、既に察しがついている。だが分かっていたとは思わなかった。
「ここには休暇に来たんでしょ?」
「……そうだが……」
いつ気が付いたんだ、とは聞くまでもない。そんな問いには意味が無い。
つまらなそうな横顔は、寝転んだ姿勢で天井を仰いでいる。
「僕の耳にまで入ってるんだ。君なら尚更だろうね。だけど僕が気になってるのは、君がどうやってこんな依頼を受けたかだよ。僕らにとって都合が良すぎる」
その言い草に、思わず笑ってしまう。これは言うほど都合が良いわけでもないはずだ。何しろ普通に難しくはあるのだから。
其れでも簡単だと言うのなら、それは単純に、そう言う人間が優秀なだけである。それを露ほども信じない隣の男は、賢いのか阿保なのか――昔から分からない。
ニヤケ顔をして、亜門はミシェルの横に並ぶように寝転ぶ。二人分の男の体重を乗せたベッドは、予測範囲外だとばかりに低い悲鳴をあげて軋む。
「普通の依頼じゃないと思ったわけだな、お前は」
「違うのかい」
「いや正しい……実を言うと、これは譲り受けたんだ、同業者からな」
「……同業者?」
さすがに驚いたのか、ミシェルがこちらを向く。それが、少し愉快じゃないこともない。綺麗だなんだと称されるその顔が、思いのほか世間に晒されないことを亜門は知っている。ましてや、こんな近くで。
「先週の日曜日のことだ。俺、家に居なかったろ」
「ああ……確かあれでしょ、日曜なんとかクラブの……」
「日曜探偵俱楽部な」
そこ忘れる奴居るんだ、という突っ込みどころはさておき、亜門は真面目な横顔に話を続けた。
「その会長と話す機会があって――いけ好かない女だったんだが――そいつが、今回の依頼を相談してきた。本当なら自分で受ける手はずだったんだが、忙しくて行けそうになくなったとか」
「最近は事件が多いものね」
「治安が悪くて恐ろしいもんだよ。会長は改善に乗り気だったけどな。それで、ぬるい依頼は俺たちに回してきたってことだ。相手が相手だから、断わるわけにもいかなかったんだろう」
「僕たちじゃなくてもいい気がするけど……その日曜なんとかクラブの他の人とかさ」
「日曜探偵俱楽部な」
何故頑なに言いたがらないのか不思議だが、ミシェルの不思議さに今さらケチをつける亜門ではない。こういうのを適切に流してこそだ。
「そもそも先週は全然人が集まらなくてな……確か俺を入れて、会長、エイブラハム……」
「エイブラハム?」
「横顔がリンカーンに似てるんだ。だけどリンカーンって呼ぶのは、リンカーンに失礼だろ?」
「エイブラハムでも同じでしょ……酔狂な人たちだ」
自らミシェルを名乗った人間にだけは言われたくないだろうな、なんてエイブラハムの濃い顔を思い出す。というか、亜門の人生で最も数奇な人物こそ、隣のミシェルだ。こんなに涼やかな表情と顔立ちからは、想像もつかないほどに。
「ともかくとして、俺を含め、五人くらいしか来て無かったんだ。更に言うと、その中でちょうど手が空いてるのが俺だけだった」
「なるほどね……」
とある研究によれば、人生とは才能でも努力でもなく、運らしい。今回の一件も、突き詰めてしまえば運が良かった。巡り合わせとは奇妙なものだ。
だが、それにしてはミシェルの顔は憂いを帯びている。まるで、何か懸念があるみたいだ。
これは以前にあった出来事だが、ミシェルに対して亜門が「心配事の九割は起こらないらしい」と告げた時、ミシェルは「一割も起こるんだ」と悲観を露わにして、また何かを悩み始めた。
亜門としては、不安なんて行動によって解消できることだし、だからこそ行動あるのみだ。部屋の片隅でじっと座り込むかベッドに横たわるかして考え続けるミシェルは、時折常軌を逸しているとしか思えない。
だが――それはミシェルを、常識に当て嵌めてしまっているからこそかもしれない。例えば常軌を逸した精神――凡人には想像もつかないほどに目まぐるしく回転し、飛躍する、高度で深遠な思考は――時に肉体を凌駕するのだと。
だとすれば、今の顔も納得だ。
「なんかあるなら言えよ。俺たちの仲だろ」
「……別に、何も無いけど」
ギョッとした顔で言うミシェルを肩でどつく。嘘ならもう少し完成度を上げていただきたいところだ。
ややあって観念したらしいミシェルは、おどおどした様子で口を開いた。
「別に……大したことじゃないよ。ただ君が……また僕に気を遣ったんじゃないかって、思って……」
「……思って?」
「でも違ったみたいだから、それは良かった」
「”は”?」
まるで、その他には悪いことが、まだあるみたいだ。
ミシェルは、今度こそ本気で嫌そうに、頬を引き攣らせる。
「いや、単なる言葉の綾だよ」
「へえ……で?」
「でって……君たまに強引だよねえ……」
「その方がお好みかと」
「好みなもんか……」
心底困った様子で明後日の方を見るミシェルの顔が、亜門には分かっていた。いや、亜門にしか分からない顔だ。
それでも、その先の言葉だけは、予想できていなかった。
「別に大したことじゃないよ……ただ――ずるいよ。僕が一人でいて、君を待っている間……君は誰かと一緒に居るんだ」
目をぱちぱちと瞬いてしまう。何も言えず、言葉が思い浮かばない。
「僕ばっかり……」
大きいはずの背中が小さくなる。純白のシーツの上で、アルマジロみたいな体が丸まっている。
ほとんどいつも寡黙で、何を考えているかも分からなくて、人前では格好つけて余裕気に笑っている。そのくせ、時々口を開いて本音を言ったかと思えば、こうだ。
置いてけぼりにするのは、むしろ彼の方なのだ。
「……やっぱり嘘。忘れて」
ややあって、ミシェルがぽつりと言う。
彼はベッドから身を起こすと、立ち上がって荷物を開けた。中から自身のノートパソコンを取り出し、起動する。彼の最近の趣味はゲーム作りであり、依頼以外の時間をほとんどプログラミングに費やしていた。今からそれをまた始めるのだろう。言外で出て行けと言われているみたいだ。
亜門はその様子を注意深く見つめる。
それにしても忘れろなんて! この流れを忘れろと言われて本当に忘れる人間が居たとしたなら、そんな人間は何を優先しても病院に担ぎ込まれたほうがいい。ましてや、ミシェルが最も信頼しているであろう自分に言うことではない。
ふつふつと呆れが湧き出て来る。
ミシェルは確かに賢いし、物事の趨勢を見極めることができる。だが、ネガティブになった時のそれは全く当てにならない。そのよく回る思考力全てを使って、バカげた答えばかりに傾倒するのだから!
メンヘラなんて女でさえ可愛いか瀬戸際なものなんだから、ましてや男が発動でしていいものじゃない、なんて言葉はさすがに言わなかった。
代わりに、ゆっくりと立ち上がってミシェルの横に行く。ノートパソコンを取り出したは良いが、ミシェルはずっとタイピングさえしていなかった。
「俺は、お前が喜ぶと思って依頼を受けたんだぞ。こういうの好きだろ」
「……こういうのって?」
そんなの、今聞きたいことじゃないだろうに。
そうは思いつつも、亜門は答える。近道だけが正解じゃない。
「ここは静かだ」
それでいて休んでいるわけじゃない。休みを与えようが、ミシェルは考えるのをやめない。ならば仕事の体をとるしかない。それはミシェルもきっと察している。
「……無駄だよ。場所がどこだろうが、僕がここに居る限り……」
亜門が何かを言う前に、それに、とミシェルは続ける。
「それに、やっぱり君は僕に気を遣ってるじゃないか」
「それは……それは、……そうかもしれないが、だったら何が悪いんだよ」
「悪いなんて言ってないさ」
「言ってなくても思ってるだろ……頼むから溜め込まないでくれ」
ミシェルは恨みがましく横目で見てきた。
あるいは彼は、もはや半泣きだった。
心臓が止まりそうになる。
「……ごめん。ただ僕は、いつも君に気遣わせてしまって……ごめん」
彼はただ謝りたいだけなのだ。
「優しい君も、そろそろ愛想をつかすでしょ。別にいい。僕のことは放ってもいいんだ。君は自由だ」
「お前、何を言って……」
簡単なことだ、なんてミシェルはわざと一呼吸置いた。
「――僕の隣に居る必要はない」
何かの気の迷いなら良かった。
そうではないと分かるのは、隣にいる月日のせいだ。
ありきたりな言葉が脳裏を揺蕩う。走馬灯のように。
ややあって口を開いたのは、変わらない心のせいだった。
「お前は俺に優しいと言うが、それはお前だからだぞ。俺はお前と違って、誰彼かまわず気を遣ったりはしない。優しくする相手も、気を遣う相手も選んでいるつもりだ」
「……君は、そのつもりだろうけど」
「違うって言うのか」
「違うって言うか……でも、結局君は、……お人好しだから」
「お人好し?」
ミシェルの口以外からは聞いたことも無い単語だ。
「俺でお人好しなら、人類の六割はお人好しになるぞ……ともかくとして、俺はお前の言い分を呑むつもりは無い。特に必要とかなんとかは」
「……君は、本当に」
ミシェルの目が、可哀想な物でも見るみたいに細くなる。蜘蛛の巣に引っかかった蝶でも見るみたいに。
それが心底気に喰わないから、亜門は言葉を続けた。
「誰がなんと言おうが、俺は俺の人生をチップとして、お前に賭ける覚悟くらいはとっくの昔にできてるんだからな」
「……チップ……」
「そこは気にするところじゃねえよ」
ボケているのか本気なのか、いまいち分かりづらいのが、この男だ。ただ話の流れからして、ふざけているわけが無い。純粋に気にかかったんだろうか。国語が得意じゃない人間の陳腐な例えなんて、どうだっていいのに。
差し当たって言うべきことは言った。伝えるべきことは伝えたはずだ。
亜門は再度ポケットに手を突っ込み、中の飴玉を数個、ミシェルの前に置いた。それから、あっけないほどに背を向ける。精神より肉体が先決なのは、まだ信じている。
だが去り際、その袖が後ろ手に捕まれた。ミシェルだ。
「……君はさ……」
その先がいつまでも聞こえない。亜門が振り向くと、ミシェルは拗ね切った様子で唇を尖らせていた。飴玉はまだ減っていない。
「部屋に行くだけだ。用があるならお前が来ればいい」
「……用なんて無いよ。だけど……」
「さっさと言え」
どうせ、何を言ったところで受け止めるだけだ。今までもそうしてきたつもりだし、これからだってきっとそうする。
「……君がそんなことを言うと、僕は一人に耐えられなくなる」
なんだそんなことか、なんて思った。だから、亜門はわざとあっけらかんと答えてやる。
「一人にならなきゃいいだろ。俱楽部だって、一緒に行けば良いんだ」
「僕には無理だよ……怖いもん、変な人ばっかりじゃないか」
お前が一番変だぞ、とは口の中に溶かしておく。本人も恐らく分かっている。
「大丈夫だ。みんなお前に興味津々だったぞ……いざと言う時は俺が居るし。嫌なら途中で帰ることもできる」
そうだ、それだけのことだ。ただそれだけのことを、ミシェルは一事が万事みたいに考える。
ミシェルは、気の晴れない顔をしている。
こんなのは日常だ。深刻に捉えたって意味が無い。亜門は今度こそ自分の部屋に戻ることにして、振り返らない。一時間もすれば飴玉の糖分が効いて、ミシェルもまともな精神状態に戻るだろう。そうすれば、少し前の自分が如何に愚かしかったか理解するはずだ。
――だが、そうはならなかった。
開けた扉の前に、誰かが立っていた。
端的に言ってしまえば、それは偶然の産物だった。
開ける直前、ドアノブに手をかけた瞬間に向こうから開かれた部屋の境界線の向こう側で、見上げるような長身の男が立っていた。昨日の今日で見慣れたその姿は、私を見てアッと固まる。だが気のせいでなければ、そのさらに直前には怒っているように見えた。喧嘩だろうか、なんて不思議に思う。仲は良さそうだと思っていたのに。
「あっ……ちょ、お前……」
「そんなに驚かれると少し傷つきますね」
こう言っては何だが、亜門があたふたとしているのを見るのは。少し愉快だ。もう少しからかってやろうか。
そう思ったのも束の間のことだ。
「どうしたんだい」
亜門の後ろから、ぬるっとミシェルが現れた。彼の部屋なのだから当然ではあるが……それによってさらに亜門は硬直する。ミシェルは意に返す様子も無く、私を見降ろした。
が、それも長くは続かない。
彼はすぐに、私の後ろに目をやった。
「あれ? その子は……」
私が説明する間もなく、ミシェルは理解してしまったらしかった。
「ああ、なるほど……こんにちは」
「こ。こんにちは」
女の子が答えた。
亜門はますます慌てる。らしくもなくギョッとした顔は、ミシェルの穏やかさとは正反対だ。
「お、お前、子供とは接触するなって。その娘は――」
「大丈夫だよ」
亜門を遮ったのは、私ではなくミシェルだった。彼は長い体を屈みこませて、女の子よりも低い場所にその顔を位置する。
「僕たちにご用かな――お嬢さん」
見られたらまずいらしく、亜門はすぐさまその娘をミシェルの部屋に連れ込んだ。私たちも後に続く。中は私が出て行ったあとと少し変わっていた。机上には飴が数個とノートパソコンが開かれた状態で置いてある。パソコン画面は明るいが、どうやらデスクトップが表示されているようだ。綺麗にフォルダが整理整頓されているのが、少し意外である。なんとなく整理整頓は苦手なのかと思っていた。先入観だ。
いや、そんなことは今どうでもいい。
客室には、ダイニングテーブルの椅子が二つしか無い。窓際の腰掛もカウントすれば三つだ。子どもとは言え、立たせるわけにはいかない。にわかに困った私たちは、ひとまず椅子足りない問題を考える。
「私の膝に乗っけます?」
「いや、僕でいいよ。女性にそんな力仕事をさせるわけにはいかないさ」
ということで、ミシェルの膝に、女の子を乗せることとなった。椅子足りない問題はこれで解決だ。
とは言え、珍しく黙りこんでいる亜門は、やけに紅潮した頬がピクピクと引きつり、そろそろ限界みたいだ。それを見たミシェルが困ったように微笑む。予想外な展開には、どうやらミシェルの方が強いらしい。
「……どういうことだ。説明しろ」
怒り心頭と言った様子だ。子どもの前でそんなに怒った様を見せないでほしいものである。気持ちは分からないでもないので、すぐに説明はするけれども。
「五分くらい前ですかね。この子が訪ねてきて。探偵を探しているようですよ」
この子、とはつまり、ミシェルの膝の上の少女のことだ。大きな男性の上に乗っかっていると、まるでお人形さんのように見える――というか、本当にお人形じみた容姿をしている。
肩より少し長いセミロングのふわふわとした毛髪は、先に行くに従いカールが強く、くるくると巻いている。自分で巻いたのか、はたまた誰かがやったのか、あるいは元からそういう髪質なのか……定かではないが、とても愛らしい。ぱっちりとした目鼻立ちの中でも、特に目は自然と二重がぱっちりしているタイプだ。大人しい性格に反し、顔立ちだけならフレッシュでキュートな部類に入るだろう。身長は多分一二〇センチメートルくらい。小学校低学年から中学年くらいだろうか。至る所にリボンのついたブラウスにフレアスカートと、フリルの強めな、いわゆるロリィタファッションをしている。ロリィタにも色々と種類があることを、その昔友人から聞いたものだが、この娘はなんて言うロリィタなんだろうか……。
「探偵を探しているって、つまりは僕たちのことだよね」
ミシェルが穏やかに、女の子に声を掛ける。なんだか子供扱いが上手いみたいだ。保育園の先生みたいな包容力を感じさせている。女の子も、ずっと緊張気味だったのが幾分やわらいだ様子で、ほっと頬を緩めた。
「えっと、パパから聞いて……」
「パパ?」
「パパって誰だ」
ミシェルとは対照的に、亜門は子供の相手が下手みたいだ。口を挟んだ瞬間、女の子が委縮した様子で肩をびくりと動かした。ミシェルが頭を撫でて宥め始める。
「僕たちは君の求める探偵だよ。君は?」
女の子は、恥じらいを隠すように俯く。
「……花蓮」
「カレンちゃんか、よろしくね。じゃあお話、聞かせてもらえる?」
幼い子供というのは、得てしてみずみずしい愛らしさを全身に表しているものだ。花蓮ちゃんは、やわらかそうなほっぺをうんと揺らして頷く。
果たして、その第一声はこうだった。
「この家には……おばけが居るんです」
そして、それに対する三者のリアクションは、こうだった。
「お化けか」
「お化けねえ……」
「お、お化け……⁇」
どれがどれかはさておき、少なくとも私は、お化けが大嫌いだ。だって怖い。それに、こんな小さな子供が、悪戯や悪意でもって、嘘を吐くとも思えない。この子は本気で、お化けの存在を訴えている。
「お、おお、お化けって、例えば……」
「正しくはお化けじゃないっておじいちゃんが……昔、おじいちゃんが言ってました。それで、じゃあなんなのって聞いたら、『それは代々憑りついて、時々表に出てくるんだ』って……」
「的を射ない話だな。何が出てくるのかさっぱりだ」
ぼそっと呟いた亜門の脇腹を、ミシェルが肘で軽く小突く。なるほど、そういう関係性でもあるわけだ。デリカシーっていうのはあるところにはあるし、無いところにはとことん無いものである。そしてない人は、何が悪いのか皆目見当もつかせられない。困ったものだ。
「わたしも分かんなくて……聞いても、怒られちゃいますし……」
「話すのも躊躇われるほどの怪異ってことでしょうか……? ひっ」
自分で言っておいてなんだが、ぶるっと怖気が走って、背筋を突き向ける。今もこうして、私たちの会話をどこからか、その謎の怪異が聞きつけていたらどうしよう――。
「怪異なんて、バカバカしい」
「でもおじいちゃんが死んじゃったのだって、もしかしたらお化けが……」
「お嬢さん、二十数年生きた俺に言わせてもらえば、お化けなんて見たこともないですよ」
「ううっ……でも……」
花蓮ちゃんはしゅんと肩を落とした。正直に言って亜門の物言いには、お化け嫌いとしてちょっと見過ごせないものがある。
「でも亜門さん、それは亜門さんに、『幽霊を見る才能が無いから』に尽きるんじゃないですか? 見えないだけで今隣に居るかもしれないです。見えないからって無いとは限りませんよ。ほら、原子とか分子だって見えないじゃないですか」
我ながらいい例えを持ち出したつもりだった。だが亜門はあっけらかんと反撃する。
「電子顕微鏡通せばそれらは見える」
「幽霊顕微鏡がまだ開発されていないだけかもしれません。その何とか顕微鏡だって、人類史じゃあ随分と最近の話でしょう知らんけど。その顕微鏡が無かった時代には分子も原子も存在しなかったと言い張るつもりですか」
「可能性の話をしだしたらキリが無い。俺は論理的じゃない人間と話をするつもりは無いぞ」
一方的に会話を切られた。まったく、これだからロマンの無い人間は。
何か反論をしよう。そう思った時だ。
ミシェルがずうっと口を開いた。
「二人とも、無駄話はやめて」
私はおろか、亜門も黙り込む。なんだか、空気が変わったようだ。
ミシェルは、その怜悧な月然とした顔を、うんざりとした様子にくたびれさせていた。
「議論なら意味のあるものだけにしてくれないかな。聞いてるだけで疲れてしまう」
「……あ、ああ、悪い」
「すみません……」
亜門がチラリと、「お前が悪いんだぞ」みたいな横目で睨んできた。私は本当に、この人とうまくやっていけるんだろうか……。
「幽霊がどうこうは、今の段階じゃ分からない。だけど、もしかしたら何らかの比喩で、おじいさんはそれを恐れていた、と言う可能性はある」
ミシェルが意外なほど理路整然と述べるので、私は少し驚いてしまった。確かに、幽霊の皮を被った何か別の存在、または現象と言うのは、よくある話である。よく子供が死ぬ洞窟を調査した結果、子供の背丈まで毒ガスが充満していた洞窟だった、なんて怪異を科学が暴いた例を聞いたことがあるのだ。今回も、そういうたぐいの話かもしれない。
だが代々憑りつく……となると、少なくとも一代限りのそれではない。何か単一の存在を指しているのではないのか……?
「ひゆ?」
「例え話のことだよ」
ミシェルが説明するも、花蓮ちゃんにはまだ理解できていなさそうだ。尤も、私も結局、怪異の正体は分からなそうである。
---
「――ああ! 休暇の! 予定! だったのに!」
花蓮が居なくなって、すぐさま叫んだのは亜門だった。
ドン引きして見つめる私とは逆に、ミシェルが微笑ましく彼を見ている。なんだか親と子供みたいなビジネスパートナーだ。あるいは、それはビジネスなんて形容が似合わない。
ていうか休暇の予定ってどういうことだ。依頼じゃないのか。
「こうなることを見越していたのかもしれないね、君の言う会長は」
「あ? まさかだろ」
「でも会長って言うくらいだから優秀なんだろう? 君の能力を測るつもりなのかも」
「……それは……可能性としては、あるかもしれないが……あの女」
私には分からない会話が繰り広げられている。だがどうやら、今回の依頼は会長という女性から賜ったもののようだ。亜門は休暇のつもりで来ていたが、事情が変わったと、そういうことか。
「だが測るとしたら、どちらかというとお前の方だと思うぞ。みんな、お前のことを気になってる」
「うわぁ、怖い」
全く怖くはなさそうな無邪気な笑顔だ。亜門もさぞ呆れ顔……と思いきや、彼は少々腑に落ちない面持ちである。
「お前……もう大丈夫なのか?」
車酔いのことだろうか? ミシェルの顔色に、悪いところは見えない。それを裏付けるように、彼はむしろいつもより元気なくらいの明るい微笑みを浮かべた。
「仕事とプライベートは分ける質だから」
「いやほとんどずっとプライベートだろ……まあいいか」
へらりと笑い合っている二人は、同じ空間をさらに分かつような独特の空気感があった。私のいないところでやってくれないだろうか。まあ男女とかじゃないからまだマシか。ビジネスパートナーの絆ってことにしておこう。
「亜門さんは心配性ですね。まあ大丈夫ならお仕事の話にしましょうよ」
先ほどの花蓮を思い出す。ロリィタっぽい不思議な服装、パパから聞かされた話、一族のきな臭い事情……人里離れた堅牢なる館。まさしく、探偵映えのいい事件である。
「仕事か……厄介なことになってきたな。困った」
「そうかい? むしろなかなか面白そうだけど」
亜門とミシェルの反応はこれまた対照的だ。なんと言うか、ミシェルは突発的な出来事に強く、面白がっている節さえある。
もしかしたら、ミシェルなら何かもう分かっているのかもしれない。
――ミシェルは、きっと只者じゃない。
私は未知の興奮にワクワクしながら、ニッコリ破顔してミシェルに向き直った。
「ミシェルさん、何か分かってるんじゃないですか?」
果たして、ミシェルは答える。
「えっ、なんで? 全然何も分かってないけど」
「え」
「え?」
ミシェルは、どうして自分が、とでも言うような困惑を顔中に広げていた。
おいちょっと待て。
なら彼は、一体何なんだ。助手にしては役立たずだし、探偵なら分かっていないのがおかしい。
いや、まだ証拠が足りないだけかもしれない。まだ話を聞いただけなのだから、分かっていないのも納得か。
「じゃあまずは証拠とか証言とか集めるパートに入るんですかね。ほら、推理ゲームだとまず探索をするじゃないですか」
果たして、今度は亜門が口を開く。
「は? しねえよ。推理ゲームとかやったことねえし」
「え……」
ちょっと待てよ。
推理はまだ、探索もしない、ならこれから何をして、どう依頼を完遂すると言うのだろう?
「俺たちのすべきことは何一つ変わってない。あの子供がなんと言おうと、依頼人は娘ではなく、その祖父の家主の方だ。クライアントの意向に逆らうことはできない」
「じゃ、じゃあ無視するんですか? 花蓮ちゃんの話」
「そうする他無いだろう……面倒ごとに巻き込まれるのは御免だ。こんな場所には一秒だって居られない。さっさと日常へ帰るんだ」
凄まじくフラグっぽいことを言いながら、亜門は窮屈そうなシャツの襟もとを無駄に正した。何故か分からないが、彼はやや神経質になっているみたいだ。思っていたことと違うのが、よほど堪えていると見える。
「ねえ亜門……ちょっと気になっていることがあるんだけど」
不意に、ミシェルが口を挟んだ。顎に手をやり、何か遠くを訝し気に見つめる彼の瞳は、何かの予感を憶えさせるには充分すぎる。
「どうした」
「その……もしかしたら、この状況も君の言う女性……会長の、思惑通りなんじゃないかと思って」
「接触禁止の孫が新たに依頼を持ってくる? だとしたらあの女は予言者だな。お前じゃあるまいし」
「僕は予言者ではないよ……けど、可能性は消えない」
「俺に言わなかった事情を、あの女が知っていればだが……だとするならなぜ隠す?」
「正確なことは分からないけど、例えば僕たちを試す目的があるとか。力量なりメンタリティなり、類推する他無いけど」
なるほどと呟き、亜門は小難しい顔で俯く。
「確かに、意地の悪そうな女だったからな……あり得るかもしれない」
「意地悪って、何か言われたりしたの?」
「いや別に……ねちっこく仕事ぶりとか暮らしぶりとか聞いて来たんだ。探偵なんてみんな知りたがりみたいなところあるし、そんなものではあるが……」
みんなそんなものと言うか、知りたがらない探偵なんて存在しないだろう。他人の事情を詮索するのは探偵の必要十分条件みたいなものだ。知らんけど。
「いずれにせよ、お前は会長が何かしらの思惑を俺らに向けていて、だからこそあのガキのお願いも聞くべきだと言うんだな?」
「べきまでは言って無いけど……僕は君に従うよ」
「俺はお前に従うんだが……まあいいか、とりあえず、様子を見よう」
そういうわけだ。一先ず、無視はしない方針で行くらしい。とはいえ、具体的に行動を起こす風でも無いのだろう。亜門は相変わらず乗り気じゃないし、かと言ってミシェルも、亜門の心情を慮る姿勢を見せている。困っている依頼人より、いつも顔を見ているビジネスパートナーの方が、互いに大事というわけだ。それは果たして、探偵という仕事においていいことなのか、あるいは。
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