第2話 犬と死体と絵画と

 その家では数週間前に、最年長であり一族で一番の力を持っていたおじいさんが亡くなった。心臓発作とのことで、その死自体に特段の謎は存在していない。人があるいは生き物が生まれては死ぬことは全く不思議ではないし、不思議と呼ぶには、この世界には死が頻発しすぎている。

 だから何がおかしかったのかと言えば、死んでいる場所と状況だったろう。

 おじいさんは、犬の死骸と共に死んでいた。それも、外からは鍵がかかった状態で。

 なんでも絵画などをコレクションしている地下室だったそうで、犬が死んでいるのはもちろん、どうして外鍵がかかっているのかも、親族は皆首を傾げたらしい。おじいさんは金と権威のある人物だったから、中には他殺を疑う者だっていたが、かかった数名の医者や解剖医が全員間抜けか金にがめついのでなければ、その可能性は低いそうだ。もともと心臓が弱かったのと、歳も相まって、完全な老衰だとされている。

 犬と密室、それだけが今回の謎であり、どうしてそんな状況に陥ったのか、誰かのせいだとすれば何故そんなことをしたのかも、全てが謎である。


「田舎にしてもデカいな」

「高台だしね」

 ミシェルがすーっと息を吸い、目を瞑る。高台を通り越して、標高が高いと言ったほうが正しそうだ。市街地を離れた名も知らぬ山の中腹で、虫の声が騒々しく響いている。気温は少し下がっただろうか。その代わり、陽射しが頭部に強く照り付ける。目を開けるのも少しつらい。

「田舎で高台なことが何かあるんですか?」

 疑問に思って尋ねると、ミシェルの方が答えてくれた。

「田舎は土地が余ってるから、そこそこの家庭でも畑やガレージを備えていることがほとんどでさ、家も都会と比べて大きいんだよ。高台って言うのは、水害に遭いづらいから安全な土地の可能性が高いってこと」

「成金は海沿いに家を建てたがるが、代々続く名家とか、それなりに古くから続いてるものほんは、むしろこういうところに家を構えてる」

 言いながら、亜門は顔を顰めて前方に顎をしゃくった。これから向かう依頼主なのに、既に悪感情を抱いているようだ。こう言っては何だが、あまり誠実な性格とは言えない。

「金なんていくらでもある連中が、この探偵に依頼なんてな。金払いが良くなければ断ってる」

「いくらなんです?」

「とりあえず前金が百万」

「百万⁈」

「破格だよなあ」

 皮肉っぽい亜門に、ミシェルは窘めるような素振りを見せる。

「くれぐれも気をつけよう。いくらお金持ちの綺麗な豪邸でも、庭木の栄養にされるのは御免だ」

「池の鯉の餌かもしれないしな。生きたままフードプロセッサーに掛けられるとか」

「亜門」

「冗談だよ。人体をミンチにする機械なんて、そうそうあって堪るか」

 冗談であってほしいと思う。もし本当にそんなものがあったとして、二人は大きいからまだ機械が詰まる可能性もある。

「お二人とも、もし私が襲われたりしたら、助けてくれますよね?」

 果たして、両者の返答は決定的に異なっていた。

「もちろん」

「は? 知るか」

 なるほど、私がついて行くべきはミシェルの方みたいだ。実際に強そうなのは亜門の方だが、何もしてくれないなら、でくの坊でしかない。私はちょちょっとミシェルの側に寄る。ミシェルは薄い苦笑を仄かに浮かべて私を見降ろす。

「僕はあんまり運動神経とか良くないんだけど……」

「でもデッカいじゃないですか。何とかなりますよ」

「おいホントに役に立つのかよこの女。他力本願の非力な奴の面倒なんざ、見てる余裕ないだろ俺たち」

 悪口のオンパレードだ。思わず亜門を睨むと、彼はおどけた様子で肩をすくめる。本当に性格の悪い探偵だ……。

 何はともあれ、そろそろ時間だ。ミシェルが身長の割に細すぎる手首を見て、眉を顰めている。数時間過ごして分かったが、彼はその月のような佇まいに反し存外、心配性なのだ。

「行こう」

「ああ、お前はいつも通り、俺もいつも通り、それでいい」

「私は?」

「……初仕事だ。見てるだけでいい」

 そこは意外と優しいものだな、なんて思ったのも束の間だった。

 亜門が、ぼそりと呟く。

「それで理解すんだろ」

 果たして、何のことだろう?

 足の長い二人について行くのは結構大変だ。つかつかと進む二人に、尋ねることもできなかった。


 出迎えてくれたのは、中年くらいの男性だ。玄関でインターホンを押してすぐ扉を開いてくれたところから窺うに、時間前から待機していたのだろう。燕尾服を着こなしているところからも、なるほどプロの使用人である。

 一般的な家と比較して広い玄関は、外観と同じく木造建築で、昔通っていた小学校を思い起こさせた。一歩踏み出した途端にひんやりと肌を舐める冷たい空気と、木の匂い。音も無く、まるで異界である。

「お待ちしておりました」

 男性はそう言って、恭しく首を垂れる。

 それを見て思う。なるほど、危険はつきものかもしれないが、確かに面白い。こんなのは今までの人生で無かった。今までの人生とはつまり、カフェでラテアートを覚えるとか、居酒屋でピッチャーを運ぶとか、テスト勉強をするだとか、だ。あれらと比べると、これは酷く――ゾクゾクする。

「遠路はるばるご足労いただき、感謝申し上げます。直ちに、家主をお呼びいたします。それまでどうか、御一行様、ごゆるりとお待ちくださいませ。お荷物はわたくしどもの方でお預かりいたします」

 今まで聞いたことも無い丁寧な物言いだ。静謐な空気に身を当てられながら、場の行く末を見守る。どうやら、亜門が先陣を切って応対してくれるようだ。

「いえ、こちらこそ私たちのような者を信頼していただき、感謝申し上げます。それと荷物も、場所をお教えいただければ自分たちで運びますので。お気遣いいただきありがとうございます」

「ですが御一行様、お客様へのご奉仕こそわたくしどもの仕事ですので……」

「お気持ちだけ、ありがたく受け取らせていただきます」

 亜門の様子に、私は少し違和感を覚える。いつものぶっきらぼうさに反し、丁寧な物腰であることだけではない。

「……そうでございますか。では、まず部屋へご案内いたしましょう……」

 違和感があるのは、執事風の男性の方もそうだ。何やら、語調が固い気がする。

「……ふふ」

 突然、小さく笑ったのはミシェルだった。

 亜門の後方、私の隣に立っていた彼が、本当に微かに、空気を揺らすように笑った。

 驚いて彼を見上げてしまう。彼は、やってしまったとばかりに、口元を抑える。無意識だったみたいだ。目が合うと、悪戯っぽい面持ちで少し小首を傾げる。不思議な人だ。

 そうしていると、どこからか女性が現れた。こちらも燕尾服を着こなしている。メイド服では無いみたいなのが、一周回って予想外だ。柔らかな物腰の女性は、これまた恭しく一礼をした。この人が案内人なのだろう。

「わたくしめがご案内させていただきます」

「そうですか。お世話になります。よろしくお願いいたします」

 呼応するようにぺこりと頭を下げ合いながら、ふと、ミシェルが口を開いた。

「荷物なら僕が君の分も持とう。良ければだけど、君は先に契約内容の確認をしてくれば? ダメならいい」

「あ? ああ……確かに、その方が効率的ではあるな……」

 迷う様子の亜門が、燕尾服の男に向き直る。

「私だけでも、瀬野さんに先にお話しさせていただくことは可能でしょうか。依頼をお受けする前に、契約内容について協議させていただきたいのですが……」

「……そうですね。では、主人の元までわたくしがご案内いたしましょう。お連れの方々は、お部屋まで」

「よろしくお願いいたします」

 燕尾服の男について行く形で、右手の廊下を亜門が行く。私たちは反対側の客室へ案内されるようだ。重そうに荷物を抱えるミシェルが、燕尾服の女性の手助けを軽く腕で制して立ち上がる。少しよろけるが、その顔には微笑が滲んでいる。


 私たちが使って良い部屋は三部屋だ。尤も、私の存在は亜門が伝えていなかったから、急遽割り当ててくれたらしい。

「申し訳ございませんが、不手際がありましたら、なんなりとお申し付けください」

「あ、いえいえ、とんでもない……」

 実を言うと修学旅行を除けばビジネスホテルにしか泊まったことのない私だ。仕事であることを考慮しても、ただ同然で泊まるにしては、ここは綺麗で豪勢すぎる。

 部屋の真ん中天上のシャンデリア、ダークブラウンの家具にカーペット、チラリと見えた浴室、ふかふかの白いベッドは天蓋付きである。それになんだか、古いが重厚な家屋の匂いがする。アンティークっぽい。自分自身が、ドールハウスの住人になったみたいな感覚だ。

 白いレースカーテンと、光の差す窓辺、じゅわっと身が沈む腰掛から、窓の外を見やる。裏庭に面している。森のそれとは異なる温かな木々が生い茂り、伝統的な日本庭園の景観を作り出しているようだ。何かの絵画で見たことがあるような睡蓮の葉が浮かぶ泉が印象的だ。

 どこでも眠れるのが特技だ。そのまま椅子で寝ても良かったし、きっと心地良いだろう。だがそうするには、分かっていないことが多すぎる。

 編み物でもしている老婆みたいに、私はゆっくりと立ち上がった。向かうのは、隣の隣、ミシェルの部屋だ。


 ミシェルはベッドに仰向けで横たわっていた。大海に身を投げ出すような無防備な姿に、一瞬死んでいるんじゃないかと思って、ドキリとする。眠ってはいないようで、ただ天蓋を眺めているような、もっと遠くの虚空を見つめているような、不思議な姿だ。

「あのー……ミシェルさん」

「……来ると思ってた」

 ミシェルは静かにそう言うと、のっそりと体を起こして、そのままベッド端に座り込んだ。ダウナーな眼差しは、ほとんど徹夜明けなのを隠そうともしない。僅かでも一人になったことで、糸が切れたのだろうか。

 彼は私に、近くの椅子を指示した。そこに座れば良いと言うことだろう。素直に従い、私は彼に尋ねる。

「来ると思ってた、ですか?」

 まるで私の行動を読んでいたみたいな物言いで、少し不思議だった。

 彼は眠たそうなまま、答えた。

「慣れないことばかりでしょ?」

「まあ……」

「誰だってそうだろう」

 特別なことなど何もないとでも言いたげな、つまらなそうな感じだ。それで私も、それ以上の追及ができなくなる。頭の働いていない人に、グイグイ突っ込んでいっても可哀想だ。

 当たり障りの無いことの方が良いのかもしれない。例えば、先ほどのこととか。

「亜門さんと別れたのって、何か理由があるんですか?」

「亜門と別れたこと? ああ、さっきのね。別にないよ。強いて言うなら、そういう仕事の話はどうせ亜門一人で事足りるんだから、僕が居る必要はないし」

 まあ君は居ても良かったかもしれないけど、なんて今更なことを彼は言う。今から亜門の下に向かうのは、さすがに邪魔をしてしまいそうだ。それに、ミシェル抜きで、私が亜門と会うのはハードルが高い。亜門の三白眼が目に浮かぶ。

「契約内容の協議……でしたっけ。どんなことを話すのですか?」

「依頼内容の確認とか、調査概要とか、あとはお金の話かな……調査前に確定させておかないと、面倒なことになったりするんだよね」

「確かに、前金が百万とか言ってましたもんね……」

「そうそう。今回に限らず、探偵ってサービス業みたいなものだから、人によっては結果に不満を持ったりもするんだけど、亜門はそういうの嫌うんだよ」

 後から揉めるのは確かに嫌だし、そういうのを気にして事前に詰めておくあたり、亜門は事務的な処理を怠らない真面目なタイプだ。

 しかし、私にそれを見たほうが良いと言うのは、いずれそういう業務も私の仕事になるからだろうか。まあ探偵の仕事っぽくはないし。どちらかというと、助手の管轄だ。

 それにしても、ならばミシェルの仕事とは一体何なんだろうか? 書類作りも亜門、交渉も亜門では、助手の仕事が無くないか?

 今のところのミシェルと言えば、私をスカウトした以外の何かを成し遂げることも無く、車に揺られ、今はベッドに腰掛けている。あれか? ビジュアル担当か?

 いや……にしては、彼は時々……。

「聞きたいことがあるなら今の内だと思うよ」

「……ですよね」

 今みたいに、勘が良すぎるところがある。

「あ、でもちょっと僕眠いかも。質問閉め切ってもいい?」

「待ってください」

 あとちょっと自由人過ぎるところもある。自由人と言うか、気まぐれか。

 突っ込むべき点は幾つもある。だが敢えて、平易に述べるならば――。

 ミシェルは、助手と呼ぶには浮世離れしすぎている。

「あ、そう言えばなんですけど」

 先ほどのやり取りで、一つ思い出したことがあった。

「さっき、ミシェルさん笑ってましたよね。あれ、なんだったんですか?」

「ああ……」

 思い出すように、ミシェルはまた笑い出した。疲れたような湿った笑い方だ。

「大したことじゃないんだけどさ、なんか似た者同士で押し合いへし合いしてるの、ちょっと面白いなあって」

「似た者同士で押し合いへし合い?」

 言葉の意味は分かるのに、内容が全く頭に入ってこない。

 ミシェルはへらりとした微笑みを浮かべながら、下手な身振りで示し始める。

「なんかさぁ……拮抗した力と正反対のベクトルで綱引きをしてる感じって言うか……」

「ものすごく何も伝わってきませんね……綱引きって言うのは、亜門さんと執事さんのことですか?」

「そうそう。あの二人似てると思うんだよね。そう思わない?」

「まだ分からないと思いますけど」

 あの短いやり取りの、しかも社交辞令的な会話で、一体何を推し量れというのか。

「いや似てるね。あの二人は根っこが同じだよ。生真面目で、ロジカルに物事を対処する感じ。でも最後の最後の判断が感情的になってしまう」

 だがミシェルは、やけに確信した様子で、そう言い切った。

 それから、急に扉の方に顔を向ける。

「僕の予想では、そろそろ話も終わって、彼が帰って来る。話なら、僕よりも彼に聞いたほうがいいかもね」

 その言葉が一つの合図だったんだろうか。

 ガチャリと扉が開く。ノックもせずにいきなりドアを開けるなんて無礼極まりないが、気心知れた相棒なら分かるというものだ。

「よう、話、終わったぞ」

 亜門が、開いた扉の前に立っていた。


 ミシェルと私が二人で居るのが嫌なのか、亜門は登場して早々、顔を顰めて部屋入り口に突っ立っていた。尤も、すぐに気を取り直して、中まで入って来たけれど。彼は座る椅子が無いことに気が付いてか、やや逡巡したのち、ミシェルのすぐ隣に腰掛けた。ミシェルのベッドに二人して並んで座る様は、身長が同程度なこともあって、酷く仲良しに見える。というか、実際彼らの心理的距離はかなり近い。

「俺が一生懸命に職務を全うしている中、お前はバイトの女とお喋りか」

 せっかく自己紹介をしたのに、亜門はまだ私をバイトの女扱いしている。というか、私の雇用形態はバイトなのか?

「彼女に色々と質問をされてね。まあお喋りと言えばお喋りだけど……ちょうどいい。君が答えたほうが正確だろう」

「おいおい勘弁しろよ。俺は今お偉いさんと話してきて疲れてるんだぜ。それにお前が連れて来たペットだ。お前が面倒を見ろ。俺はママじゃない」

「ママでしょ」

「……ママかも」

「ママなんですか?」

 確かに今朝から今にかけての面倒見を見ていると、亜門がミシェルのママというのも、あながち否定できない……いや、問題はそこではない。

「お偉いさんって、私たちを雇った人のことですか?」

「死んだ爺さんの奥さん、つまりは婆さんだ」

 何を今さら、とでも言うような調子で、亜門は肩をすくめる。それから足を組んで、何やら眉を顰めた。

「依頼内容はメールに書いてあったのと何ひとつ変わらん。だが、この家に滞在するにあたって、注意してほしいことを何点か言われた。守れなかったら契約違反だともな」

「契約違反?」

 これまでの私の人生では、聞きなれない言葉だ。二人は事も無げにしている。特にミシェルは、私の質問が聞こえなかったのか、被せるように真面目な顔で口を開いた。

「注意してほしいことって?」

「細かく言ったらキリが無い。歳もあるだろうが、どうやら結構神経質なタイプみたいだ……厄介だな」

「それって僕より?」

「いや」

 短く答えた亜門は、ふざける様子も無く話を続ける。

「注意事項は今晩中に俺が文章にまとめてお前らにも共有する。それまではあまり部屋から出るな。初日からやらかされても困るからな」

「何日くらいここに居る予定なんです?」

「それは俺たちの問題解決能力による」

「無能なほどここに居る時間が伸びるってことだ」

 ミシェルが面白がるように言う。呼応して、亜門もまたニヒルに笑った。

 ここは綺麗だし、長く居たとしてきっと快適だろう。しかも滞在費がかかるわけでもない……私たちにとって、少し都合が良すぎやしないだろうか。

 いや、もしかして逆なんだろうか。逆に言えば、問題を解決しない限り、私たちはここから離れられないとか。ここは山の中腹で、かつ市街地からも車で一時間はかかった。避暑地と言えばそうだが、田舎と言えば田舎だ。人里離れた山林に、長く留め置かれる。こういう状況、何か言葉があった気がする。

「ああそうだ。それで特に念を押されたことなんだが、どうやら孫たちも夏休みを利用して、滞在してるらしくてな。不安にしたくないから、できる限り接触は避けろとのことだ」

「孫ですか。なるほど、そういう時期ですね」

 今は八月の中旬だ。宿題に追われていた頃さえ懐かしく思わないほど、私は大人になったが……そうか、この館には、子供たちが居るのか。

「でも、この館内で接触しないようにって、結構な難易度な気がしますが」

「いや大丈夫だ。俺たちの居るのが東側の客室なわけだが、どうやら孫含む依頼人の息子家族たちは、玄関を挟んで西側の棟に泊まってるらしい。玄関はさておき、トイレも浴室も各部屋備え付けだろ? 談話室とか図書室もあるそうだが、俺たちが使わなきゃいいだけだ」

「要するに部屋から出るなってことですね……」

「別に歩き回る必要なんて無いだろ? 用があるのは例の部屋だけだ。まあ息子家族が滞在してるのも数日だし、ずっとこの館には籠ってるわけでもないらしい。森に遊びに行ったりして、俺たちが出歩ける時も来るかもしれない」

 亜門はフォローするように言うが、相も変わらず少し窮屈そうなのは否めない。じっとしているのは私の性格上、結構苦手なのだ。頑張ればこっそり出歩けたりしないだろうか。抜き足差し足忍び足とかで。

「さて、今日のところは来たばかりだし、ゆっくり休めとのことだった。夕飯は部屋まで運んでくれるらしい。それまで自由に過ごしていいぞ」

 亜門は指示を出し終えたからか、やや満足げに息を吐いた。自由時間と言っても、部屋から出るなとか何とか言って、ほとんど自由ではないだろうに……やっぱりこっそり探索とかしちゃおうか。いや、それで見つかってクビになったらな……さすがに困る。

 とりあえずわかったふりをして、私はうんうんと頷いておく。ミシェルはともかく亜門は私を認めていない雰囲気がプンプンするので、機嫌を損ねるのはまずい。というか、隙あらば機嫌を取っておいたほうがいいかもしれない。有能アピールでもできたら、更にグッドだ。

「変なことしちゃダメだよ」

「えっ」

 ミシェルが私を見て、にっこりと微笑んでいる。それはどこか、硬く威圧感を伴って。言外で「君、勝手に出歩こうとしてるみたいだけどダメだよ」なんて念を押されている気がする。

 私は、そんなにも顔に出やすいタイプではないし、今までの人生で分かりやすいと指摘されたことは無い。むしろ、突拍子が無いだとか、変わっているとかの方がまだ聞いたことがある。

 ミシェルはまだ私を見て微笑んでいる。私はその微笑みをじっと見返す。この人は、本当に――。

「おい、何見つめ合ってんだ。殺すぞ」

 亜門が怒りだしたので、私はミシェルからようやっと視線を外す。有能アピールどころか、こんなにも簡単にまた粒の逆鱗に触れてしまった。亜門が怒りっぽいのか、私と彼の相性が最悪なのかはさておき、亜門はしっしと腕を振って来た。さすがに空気を読んだ方が良さそうだ。

 二人を置いて、私はさっさとミシェルの部屋を出て行く。私の後ろでは、背中越しに二人の人間の談話が、早速聞こえ始めていた。

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