第三十話 蝿の王

「おいおい、マジか……」


 ハエの大群が形成したのは、まさしく「ハエ」自身だった。

 所狭しと密集し、気色の悪い羽音を立てるハエ……いや、『ベルゼブブ』は猛烈な風を起こし、辺りの建物を、さも積み木を崩すかのように吹き飛ばしている。



「さぁ、ベルゼブブよ!かの輩共を殲滅せよ!」


 しかし、ベルゼブブは一向に動く気配が無い。

 大聖堂の上空で、ひたすらにホバリングをしているだけだ。


「何をしている!?早く行け!さぁ────」



 不意に「グチャッ」という、トマトを潰したかのような音が響き渡る。


 見れば、大司教は一瞬にして、聖堂のと化していた。



「………え?」


 その場にいる僕を含め、騎士団全員が、異様な光景に声を上げる。

 少なく見積もっても、全長200mを超える蝿の王を前に、僕達はただ現状を受け止めることしか出来なかった。


 『無理だ』と。


 誰もが確信している。

 世界最強の騎士団である『白龍の紋章』を持ってしてでも、この敵は倒せない。


 それこそ、カイを殺した以上のバケモノだ。


「こんなの、勝てるはずが……」


「無理だよ……」


「挑んだとしても、死ぬだけだ……」


 上空に静止する王に対し、騎士団の空気は最悪の状態にあった。

 人間では越えられない壁が、残酷なほど明確に立ちはだかる。


「これ、俺たちの仕事じゃないし……」


 誰かがそう呟く。

 その言葉が、波紋のように広がり、何かにすがるように、口々に「そうだ」とか「だよな」とかいう言葉を言い合っている。


 実際、僕もそう思っていた。



 誰もが確信していた。『勝てない』と。



 たった一人を除いては─────。



「……あなた達、それでも本当にの騎士団なんですか?」


 下を向いていた団員達が、一斉に声の主の方を見る。


「今までだって、困難極まりない討伐対象ターゲットと、何十回、何百回と出逢ってきました。今回だってそうでしょう?なのに、我々の受け持つ仕事じゃないからと、逃げ腰になって……」


 僕たちよりも、かなり低い背丈の少女が、勇ましく口を開いている。

 その声には、力強さと、訴えかける「何か」があった。


「私は戦います。何があっても。たとえこの身が滅びようとも、前に進み続けます。───それが、『騎士』としての誇りですから」


 確かな自信、いや……「確信」が、そこにはあった。


「……そうだ、俺たちは『白龍の紋章』だ……。世界最強と謳われる騎士団。なのに、世界一がこんなんじゃ、格好が付かねえよな」


「副団長殿の言う通りです……年長である俺達が、もっとしっかりしてなくちゃいけないのに、逃れようとしてしまった……」


「相手がどんだけのバケモンだろうが、やれる分だけやってやろうぜ……!」


 騎士達の意欲が駆り立てられていく。

 僕の出来なかったことを平然とやってのける彼女に、僕は一種の憧れを抱いていた。


「もう、大丈夫なのか?ティナ」


「ええ、もう大丈夫です。……それに、『副団長』とお呼びください、『団長殿』」


「ああ、ごめん……。でも、なんか震えてない?」


「そ、そりゃ……怖いんですよ!私だって……でも、あんな大口叩いた手前、引くわけにもいかないんですよ。私は『騎士』なんですから」


 強風に揺れる彼女の茶髪が、『白龍の紋章』を象徴する白銀と深紅に染まるベルベットの外套マントと、絶妙に調和している。


 小さな、しかし大きな彼女の背中に、僕は不思議と「勝利」を確信していた。



「「「団長、ご指示を!」」」


「ええ、まずは相手の出方を探ります。どのような攻撃を繰り出して来るのかを見極め、その都度指示をします。それまで極力は体力の消耗を抑えた上で、反撃の隙があれば迎撃を!」


 整列した騎士団に、僕は指示を出す。

 それを受け、飛び散る火花を反射する白銀の鎧を身に纏う騎士達は、各々行動に移っていく。


「白龍の加護が、あらんことを───」



=====



 『ベルゼブブ』を形成するハエの大群を崩そうとすると、あちらも連携してこちらを仕留めに掛かってくる。


 それに……


 何より厄介なのは、「多属性魔法」だ。

 それぞれ単発で放たれ、精度こそ粗いものの、これ程の強敵とは遭ったことがない。


 火、水、風、雷、氷を使いこなす姿は、まさに『神』とも『悪魔』とも取れるだけある。


 燃やし尽くし、濁流を起こし、吹き飛ばし、迸り、凍てつかせる。

 ハエの数も、先程から全く減っている気配が無い。



 ───しかし、戦闘を通して、僕の頭に「一つの疑問」が生じていた。


「何故、ハエにが備わっているのだろうか……」


 視覚や記憶力が良いというのは、ハエの従来持つ能力として備わっている。

 だが、まるで「人間が役割を与えられている」かのような動きを、ハエが個体ごとに『ベルゼブブ』として機能している。


 巨大な一匹の蝿として、機能を果たしている。


 ……いや、もし巨大な一匹の蝿である『ベルゼブブ』では


 だが、それを確証づけるには、まだ足りない。

 何か、何かがあるはず……。


 煉獄の中を駆け抜け、凍てつく冷気を必死に避けながら、僕の頭の中には一つの仮説が立っていた。


 それを立証するには────



「全員に伝達!分散している騎士達は、一度陣形を組み直してください!」


「お?団長殿、何か思いついたっぽいな」


「ええ、しかし……これはあくまで仮説の範囲。皆さんのお力を借りてこそ、この仮説は確証へと繋がる……」


「とことんまで、付き合いますよ!」


 僕の号令と共に、各所に分散していた騎士達が集結し始める。

 集まる騎士達に僕は手短に事を伝える。


「半数は『剣術』ではなく、の準備を!もう半数は、彼らの詠唱を途切れさせないように援護を!」


 密集隊形に並び、詠唱を始める騎士達を前に、蝿の王が突然攻撃の密度を上げ始める。


 それも、確実に屠りに来ているであろう手を用いて───。


「『複合魔術』かよ………」


 火炎と旋風の入り混じった、燃え盛る竜巻───。


 文字通り、離れ業。

 人間の持つ魔力では不可能な、そして、何より洗練された魔法の塊が僕達を襲う。


 何故、突然蝿の王が攻撃頻度を上げたのか。

 まるで、「何か」を恐れているかのように、羽音を轟かせ、辺りに暴風を生んでいる。


 今、彼らが詠唱しているのは、歴代の騎士団に伝わる『聖属性の魔法』だ。


 火力こそ超高威力を誇るが、詠唱による大幅なタイムロスと、魔力消費量の大きさ故に、現在では全く使われなくなった魔法。


 戦闘において、単に魔法を「打つ」ではなく、剣に魔力を「乗せる」という効率的かつ持続的で、汎用性の高い戦い方にシフトチェンジした、という背景もあるためだ。


 『剣術』と『魔法』では、圧倒的な差が生じる。


 だから、誰も『魔法』を単発で打とうとする者はいない。


「───だからこそ、って言葉が、あるんだよな……」



 このには、二つの「意味」を持つ。


 一つ。「これが『聖属性の魔法』であること」


 もう一つ。「多量の魔力を瞬時に消費する術を、奴が───『ベルゼブブ』がこと」



「ずっと、勘違いをしていた……。『ベルゼブブ』と呼ばれるものが、あの巨大な蝿そのものを表すのではなく、あの大群の何処かで中枢として動いているハエ一匹こそが、本当の『ベルゼブブ』なんだって……」


 大量のハエをコントロールし、自身の弱点を知るその知性、それを持っているハエこそが、「蝿の王」だったのだ。


 そして、奴の名は、僕の世界では『悪魔』として言い伝えられていた。

 つまり、『聖属性』に弱いはず……。これに関しては、ほとんど賭けだったけど。



 これこそが、奴が人間と同等の───もしくはそれ以上の知能を持ったであるとして、立てた仮説だ。


 ……とまあ、何億匹いるか見当も付かない(しかも複合魔術を使う)大群相手に、随分と弱い確証を得たわけだが。



「ま、ここからが挽回ってとこかな………!」

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