仲直りとあらためての一歩

「学年別のインプレッションで一位、かあ。……正直、実感湧かないな」


 入学記念ライブの翌日は後片付けという名目で授業はお休み。

 万桜は昨日の疲れを部屋で癒しながら、奏音と一緒にみんなのライブ映像を見て過ごした。

 感想は、みんなそれぞれにすごい。

 自分たちが一年生で一番だったと言われても、素直に誇れないくらいに。


「実力なら美夜たちのほうが上だった。こんなの、時の運もかなり入るだろ。もう一回やったら三位にも入れないかもしれない」

「そうですね。例えばスポーツならばもっと明確な勝ち負けがつくでしょうけれど」


 映像を見るだけとはいえ、音と光を受け止め続けるのはなかなか疲れた。

 食事や入浴以外──勝負の結果が出る二十四時までほとんどそうしていたのだから尚更だ。

 奏音も手のひらで瞼を覆ってお疲れモードだ。


「目新しさ、親しみやすさ、知名度。……そうしたものが如実に影響してしまう。芸能の世界にはそうした側面が確かにあります」

「本当ならもっと活躍するはずの人がなかず飛ばず、なんてこともあったのかな」

「……きっと、あったでしょう」


 事務所選び。担当者との相性。良い仕事をつかめるかどうかの運。

 要素はいくらでもある。

 実力をつけるだけではままならない現実を、二人は実感した。

 万桜のエナジー上昇が注目を集めたのもそう。


 作戦自体は勝つために考えたわけだし、それが十二分に功を奏したわけではある。

 が、勝った者がいれば負けた者もいる。


 強い方が勝つわけではないというのは、ままならない。


「それでも、胸を張りましょう。わたくしたちが今回、勝利を収めたのは事実なのです」

「そうだな。……次の時に期待外れって言われないように全力でやらないと」


 一時的にでもチャンピオンになったわけで。

 追われる側としての責務を果たさなければならない。


「とはいえ、成績で一位になったわけではありません。……ライブにしても、あくまでも『歌姫ディーヴァ』としての活躍の一側面です」

「芸能活動一本で食ってるのは一握り、って話か」


 『歌姫』は能力のおかげでおよそなんでもできる。

 だからこそ活躍の幅は多岐にわたっており、みんながみんなライブやテレビ出演ばっかりしているわけではない。

 むしろ、そういうのは少数派。

 同じ『歌姫』同士で限られたパイを食い合うのは辛いし、人気商売は浮き沈みが激しい。だからこそみんな、副業というかむしろ本業を別分野に持とうとするわけだ。


「……俺のやりたいことに一番合った進路」


 もう少し、目の前のことに集中していたかったんだが。

 ぼんやり天井を見上げて呟くと、奏音は「考えすぎないでくださいませ」と言ってくれた。


「話が今から来ているからと言って、すぐに決断する必要はありません」

「そうか? あんまり待たせても相手だった困るだろ?」

「卒業時期は変わらないのですよ? 返答を急かすような相手は十中八九、お姉様を下に見ています」

「なるほどな」


 実生活でも、早く早く、などと言い立ててくるやつはたいていろくでもない。

 既に学院から転送されてきたいくつかの勧誘、依頼メッセージを一通り眺めた万桜は、いったん検討を保留にして画面を消した。


「美夜に連絡したほうがいいのかな」

「どうでしょう。この時間ですし、あの様子でしたから美夜さんも寝ているかもしれません」


 今日、美夜は食事の席に一度も現れなかった。

 ミアによると朝は「まだ帰ってきていない」、昼と夜は「寝てる」とのこと。

 体調が悪いわけではなく、姉──高峰真昼の部屋に一晩泊まった影響らしい。


「要するに夜通し話してたってことだよな」

「ええ。……上手くいったのか、それとも拗れてしまったのか。少々、気が急いてしまいますね」

「俺たちになにができるわけでもないのにな」


 ひとまず今日のところは寝てしまおうか。

 勝敗が決したことでなにかが大きく変わるわけじゃない。

 お互い真っ直ぐ勝負をして、あの日、嫌なことを言い合ったのは「言いっこなし」。

 後は美夜が真昼との関係をどう決着させるか。


 ──と、決めたところで。


『ね、起きてる?』


 ぱっ、と、視界の端にメッセージ。


『ぎりぎり』


 返すと、すぐにまた連絡が来て、


『そっち行ってもいい?』

『いいけど』

「夜這いですか?」

「んわけないだろ」


 程なく、来客を告げる通知ウィンドウが展開。

 ドア前のカメラから美夜であることを確認してから入室許可を出す。


「……その、こんな時間に悪いわね」


 少女はさっぱりとした部屋着姿だった。

 締め付けの少ないシンプルなコーデ。オフ感の「これでもか」とあるスタイルはあまり彼女らしくない。

 ミアには見せているのかもしれないが──要するに、友人でもできるだけ見せたくない姿ということ。

 髪もほんのり湿っている感じだが、


「寝起き?」

「そうね。起きたのが一時間前くらいかしら。……あたしらしくもないわ。必死にカロリー貪って、シャワー浴びて」


 カップ麺とポテチを暴食する少女を想像して「さすがにないな」と思い直した。食べるにしても冷凍ピザとかだろう。

 表情は、それほど重苦しくは見えない。


「お茶を淹れますね」


 皆まで聞かずに奏音が言ったので、万桜はお茶菓子でも出すことにした。


「羊羹でいい?」

「お構いなく。……っていうかチョイスが渋いわね?」

「小分けになってて日持ちもするから便利で、つい」


 適当に座ってもらって紅茶で一息。

 羊羹が紅茶に合うかと言ったら、万桜はわりと合うと思うが……美夜も特に文句は言わず小さく羊羹をかじっている。

 不思議な時間だ。

 同性同士、余計な気を遣わないやりとり……と言っていいんだろうか。


 やがて、ぽつりと。


「姉さんとね、話してきたの」

「うん」


 勝負の結果が出てからにするかと思ったら、ライブの夜にはもう真昼を誘ったらしい。


「疲れたのは、そのせい。いろいろ言いたいこと言ったせいで、ちょっと気が抜けちゃった」



    ◇    ◇    ◇



「姉さんの部屋は思ったより散らかってたわ。物はそんなに多くないのに下着が放りだしてあったり、化粧品がごちゃごちゃになってたり」

「カップ麺の容器が放置されてたり、シンクに食器が溜まってたり?」

「しないわよ。それは無精じゃなくて不衛生でしょ」


 じゃあズボラって言うほどでもなくないか? と思わなくもない。

 むしろ下着が散乱している程度なら男子的にはご褒美……もとい。


「まあ、冷蔵庫にお酒が大量にあったのはドン引きしたけど」

「あの方、お酒好きそうですよね」

「実際飲み始めたしね。……正直、あたしもそういうのアテにしたい気分だった」


 美夜はどこか遠い目をして、


「姉さんとちゃんと話すのは何年ぶりかしら。親が離婚したのは小学五年生の時だったわ」


 既に真昼がばんばんライブに出ていた頃だ。

 大学に通って教員免許を取りつつライブやって、人助けもやってたとすると……想像するだけで忙しい。


「最初はまめにやり取りとかしてたのよ。でも、だんだん間隔が空いていって。ママも姉さんと連絡取るの嫌がってて」


 両親にとってみれば別れた相手との繋がりなんて別に欲しくはないかもしれない。

 好きだった相手だからこそ、別れるにはよほどの経緯が必要だ。


「先生は、なんて?」

「忙しかったのもあるけど、あたしを巻き込みたくなかったから、って」


 『歌姫』は時に荒事に首を突っ込む。

 普段は普通に暮らしている『歌姫』でも、目の前で交通事故や強盗が起こればなんとかして止めようとする。

 発祥が戦争に介入して双方の鉾を収めさせたことだったように、彼女たちは根本的にそういう人種なのだ。


 真昼は、そんな中でも特に危険な立場。

 万桜の事故もテロ対策に従事していた時の小さなミスが原因だ。


「死ぬかもしれないから、あまり関わらないほうがいいと思ったって。忙しくなればなるほど、あたしまで『歌姫』にならなくてもいいって、そう思うようになったって」


 わからなくはない。

 万桜が真昼の立場なら、奏音には止めろと言ったかもしれない。

 しかし、どちらかと言えば万桜は美夜に近い。

 優秀な妹に置いて行かれそうになった兄としては、


「勝手だね」


 やりたくてやっているのだから好きにさせて欲しい。

 憧れて追いかけることさえ禁止されるなんて、そんなのはやりきれない。

 本心から呟くと「そうよ!」と美夜は深く頷いた。


「わかってくれる、万桜?」

「わかるよ、わかる」


 二人でわかり合っていると、奏音に微妙な顔をされた。


「お姉様。先生がすっかり悪者になっておりますが」

「それはそれ、これはこれ。というか、憧れてる人だからこそ不満じゃない?」

「……確かに、そうですね」


 何故かぷに、と、頬を突かれた。

 美夜は、はあ、とため息をついて。


「つい文句を言っちゃった。あたしがどんな思いでいたのかなんにも知らないくせに! って」

「わたしたちもそれは知らないけど」

「だいたいわかるでしょ?」


 わかるわけないだろ。

 いや、想像でわかった気にはなれるが。


「あたしはが大好きだった。お姉ちゃんみたいになりたいって思ってたし、お姉ちゃんも『頑張ればきっとなれるよ』って言ってくれてたの」


 なのに、急にはしごを外された。

 二人の歳はだいぶ離れている。

 大人と子供。真昼にもいろいろあったのだろうが、離れ離れになった途端にそれでは、まるで別人になってしまったように思えるかもしれない。

 万桜たちの場合は、二年以上も経っていてもちょっと話しただけですぐに打ち解けられたが。


「危険だからやるな、とか知らないわよ。ならそう言えって話じゃない。なんで勝手に思って勝手にあたしから距離を取ろうとするわけ?」

「言えなかったのではありませんか? 美夜さんの想いまでは否定したくない、と」

「姉さんもそんなこと言ってたわ。でも、それこそ知るかって話じゃない」


 苦笑と共に「で、大喧嘩」と美夜は続けた。


「姉さんも案外、普通の人間なんだって初めて知ったわ。酒飲みだし、整理整頓苦手だし、自分ひとりで思い詰めて人に相談してくれないし」

「美夜。夢が壊れるからやめて」

「あたしの夢が壊されたんだからあんたの夢も壊れなさいよ!」


 なに無茶言ってやがる。


「……ま、あたしも結局、本当の姉さんを見てなかったのかもね。憧ればっかりで、いつのまにかステージの上の姉さんばっかり追ってたのかも」

「真昼先生からもいろいろ聞いたんだ」

「ええ。自分勝手な言い訳も、あたしのこと、本気で心配してくれたんだってことも」


 少女の青い瞳に涙がにじむ。

 細い指がそれを拭って、


「泣いて、怒って、喧嘩して……しばらく涙なんて出ないつもりつもりだったんだけど」

「いいのではありませんか? 好きなだけ泣いて、気持ちを晴らせば」

「ん、ありがと。でも、本当に今はすっきりしてるのよ? あんたたちのおかげでね」


 万桜は奏音と顔を見合わせた。


「わたしたち、なにかした?」

「したでしょ。……こっちでできた初めての友達だし、プライドばっかりになってたあたしと勝負してくれたし。あたしの悩み、こうやっていろいろ聞いてくれたし」


 そう言われるいろいろやっているようにも聞こえるが、別に河原で殴り合いをしたわけでもビンタと罵りの応酬をしたわけでもない。

 劇的な手助けと言うには程遠いような。


「ありがとね、万桜、奏音。おかげで姉さんとも少し落ち着いたわ」

「仲直りできたのですか?」

「うん、まあ。昔に戻ったっていうか、『あ、この人言っても聞かないんだ』ってわかったというか」


 それは美夜も同じなのでは。

 ……姉妹とはそういうものなのかもしれない。血が繋がってはいても結局は他人なのだから。

 そういう意味では双子はまた特別なのだろうが。


 美夜は本当にすっきりしたような顔で「でね」と両手の指を絡めて、


「万桜、奏音? あたしとまた、勝負してくれる?」

「どこからどうその話に飛んだの」

「だって、あんたってあたしより格上じゃない」


 二回も勝っておいて認めないわけ? とでも言いたげに睨まれて。


「……まだ、実力で勝ったつもりはないんだけど」

「そりゃ、あたしだって技術で負けたつもりはないわよ。でも、あたしにはあんたや姉さんみたいな才能はない」

「そこまで言わなくても」

「いいの。同じような才能がなくたって、あたしはあたし。努力して追いかけてやるって決めたから」


 人は、なりたいものになれるとは限らない。

 かつての万桜が焦がれても絶対に、奏音のようにはなれなかったように。

 それでも、必死に求め続ければなにかは得られる。

 少なくとも美夜には戦う資格はあるのだから。


「そっか。それは、うん。もちろん。勝負するだけなら」

「わたくしも、まあ構いません。……大事なものをかけて戦うのはもう、できれば勘弁していただきたいですが」

「そうね。じゃあ、これからは普通に競争しましょ? 友達として、ライバルとして」


 言った美夜の顔には、今までの彼女にはなかった『余裕』が生まれていた。

 自信がついたというわけではない。

 逆、なのだろうか。

 彼我の差がどうだろうと、姉に追いつけないとしても戦い続けるという覚悟が焦りや不安を取り除いた。


 結果、今を楽しむ余裕が生まれた。


「……えへへ。あたし、あんたたちと友達で良かった。本当にありがとう」


 今までで一番きらきらとした彼女の笑顔は、思わず万桜たちが見とれてしまうほどで。

 これが本来、美夜が持っていた魅力なのかもしれない、と、思うと同時に。


「……デレた美夜は破壊力が高すぎる」

「これを外部に持ち込むのは慎重を期さなければなりませんね」

「もう、あんたたちあたしをなんだと思ってるのよ!?」


 うん、だから、前までの美夜ならそこで頬を膨らませて甘えてきたりはしないんだって。

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