再びの挑戦

 鏡に真面目に向かうようになったのは、正直この寮に来てからだ。

 広く、だいたいの設備が整った二人部屋。

 洗面所の鏡はもちろん、リビング兼ベッドルームにも姿見が二つも置かれている。


 ひとつで良いだろと言ったら「朝の忙しい時間はどうするんですか」と言い返された。


 男子中学生だった頃は鏡なんて朝、寝癖を直す程度で十分だったのだが。

 あの頃も双子の妹から「ちゃんとしてください」と窘められていたように、女子というのは身だしなみをとても気にするらしい。


 今の万桜は、プラチナブロンドにピングゴールドの瞳を持った美少女だ。

 薄くが海外の血が入っているせいか、それとも『歌姫ディーヴァ』になった時になにかあったか、肌は白く滑らかな質感。

 指は細く、筋肉はしなやかになり、それでいて(年齢の差もあるとはいえ)身体能力はあの頃よりもむしろ向上している。

 胸は、昔の自分が見たら「でっか……」と目で追いそうなくらいに目立つサイズ。


 心奏の黒い通常制服を纏ってもなお、鏡の中の美少女は身体の起伏をこれでもかと主張している。

 白い裏地とフリルのついたスカートを一回転して翻らせてから、黒いリボンタイを結ぶ。


「奏音、どうだ?」


 さっさとリボンを結び終えた妹に尋ねると、彼女は万桜に良く似た──それでいて、髪と瞳は漆黒の容貌を笑顔に変えて。


「……そうですね、ギリギリ合格としましょう」

「おお」


 リボンタイとはいえタイはタイ。

 昔、制服のネクタイを締めていた経験が少しは役に立ったか。


「この分ならそのうち一人で完璧にできるようになるな」

「期待しております。……さあ、修正いたしますのでこちらへ」

「って、結局直されるのか」


 文句を言いつつもう一度姿見を振り返ると、耳で桜色のピアスが揺れているのが見えた。


 『歌姫』にのみ許された携帯端末──スマホとPCを合わせてさらに高性能化したようなスペックの、通称デバイス。

 万桜のは超がつく高級品であり、銀製の本体も先の宝石(?)も見た目以上の強度を有している。

 本体に施された雪の結晶の模様も美しく、万桜の容姿と合わせると、どこか妖精のような幻想的な美しさを発揮する。


 『歌姫』候補生、小鳥遊万桜。

 思えば遠くに来たものである。



    ◇    ◇    ◇



「〜〜〜♪」


 通学路。

 入学から約二ヶ月が経ったいま、寮から校舎までの道は入学当時よりもさらに賑やかになった。

 新入生に配慮して自重していた上級生たちが遠慮しなくなったのが主な原因だ。


 歌いながら空を舞い、文字通り飛んでいく生徒。

 指を絡めたまま小さな声でデュエットし、お互いのエフェクトを周囲に飛び交わせている歌姫二人。

 などなど、他ではまずお目にかかれないような光景が当たり前のように広がっている。


 万桜たち新入生にしても先輩たちのノリにあてられてだんだんと、その、自重がなくなってきたというか、恥ずかしさを吹き飛ばせるようになってきたというか。

 人前で歌うことは変じゃない、と、自然に自覚できるという意味でも心奏の環境は貴重なのかもしれない。


 さて。


 出掛けに美夜、ミアのペアと再び一緒になった万桜と奏音だったのだが。

 美夜のルームメイトにして、今日から万桜のBクラス仲間となったミアがやけに上機嫌だった。

 万桜と手を繋いで鼻歌まで歌っている。


 彼女のエフェクトは火の粉。

 と言っても熱くはないし火傷したりもしない。火の粉を模した光なのかもしれない。

 髪色にも合っているし、万桜的には格好いいので好きである。


「……なんか、万桜ってミアには甘いわよね」


 ミアには化け物退治とかしてみて欲しい。

 その場合、武器は斧か、あるいは日本刀か──と、どうでもいいことを考えていると、美夜からジト目で睨まれた。

 いちおう「そう?」と首を傾げてみたものの、まあ、万桜にもその自覚はある。


「なんか、ミアって放っておけなくて」

「えへへー。ミアも万桜ちゃんのこと大好きだよー?」


 にへー、と笑って見上げてくる少女。

 可愛い。頭を撫でたい。

 妹である奏音はともかく、他の女の子にそういうことをするのはあまりよくない……という知識くらいはあるので自重するが。

 明るく人懐っこい性格のミアはにこにこしたまま、


「万桜ちゃんも美夜ちゃんも、奏音ちゃんも、ミアを変な目で見ないから好き」


 明星あけほしミアは万桜とはまた別の意味で特殊な生徒だ。

 彼女は現在──《十二歳》。

 飛び級で、中学入学をすっ飛ばして心奏に入学してきた生徒である。


 身体が小さいのはそのせいもある。

 言動が幼く思えるのは──まあ、本人の気質もあるかもだが。


「ミア、あんたエナジーいくつになったの?」

「26000。まだまだ美夜ちゃんには敵わないねー」


 彼女が心奏に入れた一番の理由は、このエナジー量だ。


 現在、一年生のトップは万桜の約15万。

 これは正真正銘の外れ値。なにしろ真昼のエナジーをほとんど受け継いでいるのだから学生のレベルではない。

 二位の美夜が55000程度。

 三位は奏音で、約42000。


「……だからあんたとは仲良くしたくないのよ」


 一般的に、エナジー量は『鍛錬』と『身体的成熟』によって増加する。

 最も伸びるのは高校生の時期と言われており、卒業後は曲線を描きつつ大きく増加量が落ちていく。

 同じように、幼い頃から高いエナジーを誇る者もそうそういない。


 美夜たちも二ヶ月で4000前後伸ばしてこの数値なわけで。

 猶予を持ってエナジー量26000は──。


「天才にあたしの気持ちがわかるわけないじゃない」


 めちゃくちゃ特別扱いしてるじゃねえか。

 ……と、ツッコミを入れたくなるような美夜の言動だが、彼女は『歳不相応な才能』に嫉妬しているのであって『ミアが幼いこと』自体はなんとも思っていない。

 だから気にしない、と、ミアは思っているらしい。


「まあまあ、そう言わずに仲良くしよ?」


 むしろ「嫌なものは嫌」とはっきり言うタイプには好感が持てるそうで、こうしてことあるごとに美夜にちょっかいをかけている。

 万桜たちもこの少女の明るさには助けられており、


「仲良くすればいいのに、パートナーなんだから」

「ミアさんがかわいそうですよ」

「ほら、万桜ちゃんたちもこう言ってるし」


 天才。

 天性のエナジー量を持ち、物怖じせず人と関わることができ、技術評価込みでBクラスを維持できている彼女は、確かにそう呼ばれるに相応しい。

 トップを維持することに執念を燃やす美夜にとってはいろいろと複雑なのだろうが──。


「……そうね。言い過ぎてごめんなさい。もう少しあんたのことも考えるわ、ミア」


 ほらやっぱり取り付く島もない……あれ?


「美夜が、デレた?」

「今日は雪でも降るのではありませんか……?」

「あんたたちほんと、あたしをなんだと思ってるのよ!?」


 面倒くさいツンデレである。



    ◇    ◇    ◇



 さて。


 一日の授業を終えた後、美夜が万桜たちの部屋にやってきた。

 奏音に紅茶を淹れてもらい(万桜はあまり上手くない)、三人で一息ついて。


「昨日の話なんだけどさ」

「うん」


 心奏に入ってから、こういう込み入った話が増えた。

 大人になるとはこういうことなのか。


 美夜はティーカップを手にしたまま、言葉を選ぶようにゆっくりと続けて、


「……あたし、やっぱり気持ち的にはあんたを許せない」


 青色の瞳にきっ、と見つめられる。


「なんでかわかる、万桜?」

「わたしが、真昼先生の力を奪ったから」

「うん、そう」


 視線が、揺れる紅茶、そして天井へと移されて。


「あたしにとって姉さん──高峰真昼は憧れなの。小さい頃からずっと」


 姉妹。

 血が繋がっていて、昔は一緒に住んでいたのなら……それは、いろいろあっただろう。


「姉さんは昔から天才だった。飛び級まではしなかったけど、エナジーも地域で一番多かったし、飲み込みもよくてなんでもできて……みんなからも好かれてた」


 その評価は、万桜にとっての奏音に近い。


「姉さんはあたしの憧れで、自慢だった。姉さんが大好きだった。あたしも姉さんみたいになりたいと思った」


 再びカップの中へと向けられる瞳。


「だから、姉さんを追いかけるようになってからは──姉さんに嫉妬ばかりするようになった」

「美夜は、自分がすごくないと思ってるんだ」

「じゃあ、あんたはあたしと姉さんを比べても『すごい』なんて言える?」

「……実力だけを比べたら、言えない」


 自嘲するような微笑と共に「でしょ?」と美夜は言った。


「だからあたしは努力した。してもしても追いつけない、追いつける気がしないから、努力し続けてきた。大して頑張ってもいないくせにのほほんとしてる奴らが許せなかった」


 まるで、自分のことを言われたような気分になった。


 きっと、途中で離れ離れになったのも良くなかったのだろう。

 その時点で美夜の中の真昼が神格化されてしまった。

 万桜の中で『あのライブ』がすべての原点であるように。


 美夜は残った紅茶をぐいっと飲み干して──「気持ちが変わったわけじゃない」と言った。


「あたしは姉さんを追いかけないといけないの。立ち止まってるあの人を追っても意味ないのよ。あの人には、あたしを突き放し続けて欲しいの」


 ウサギとカメの童話で、カメは努力し続けることでウサギに勝利した。

 しかし、言わば「舐めプ」された結果の勝利でカメは本当に満足できたのだろうか。


「だから、わたしを?」

「そう。……あたしは、万桜、あんたが憎い。あんたがいなければ姉さんはもっと活躍できたのに。もっと上に行けたのに」


 その言葉は、万桜の胸に深く突き刺さった。


 万桜自身が既に打ち込んでいる楔と同じ形。

 真昼からは「あなたが私を助けた」と言ってもらえた。

 あの時の事故が無駄じゃなかったという思いは、万桜を前に進ませる原動力となっている。

 しかし同時に、真昼の人生を歪めてしまったという後悔もまだ残っている。


 だから、万桜にはなにも言えなかった。

 代わりに奏音が口を開いて。


「美夜さん。それは逆恨みです。お姉様は根本的な原因ではありません。むしろあの事故に関しては被害者です」

「わかってるわよ、そんなこと。だから気持ちの問題だって言ってるじゃない」


 理屈がどうだろうと関係ない。

 自分の根幹を成す部分に触れられたから「とにかく気に食わない」。

 誰にだってそういうことはある。


「返しなさいよ、万桜。姉さんにその力を返して。あれだけ努力してエナジーがぜんぜん上がらないとか、あんたには才能がないんだから」


 我が儘だと、言いがかりだと理解したうえで言っているだけ、まだ美夜は理性的だ。

 なら、


「美夜がそう言うなら、わたしも我が儘を言う。……絶対嫌。というか、できるならそうしてる」


 万桜が、罪の意識を感じなかったとでも思っているのか。


「わたしに才能がないなんて、わたしが一番よくわかってる。美夜にどうこう言われたくない」

「………っ」


 すると、美夜はなぜかとても辛そうな顔をした。

 悲しそうな、苦しそうな表情に虚を突かれた思いは、万桜だけでなく奏音をも硬直させて。

 深呼吸。

 恨みつらみを吐き出した美夜は、表情をだいぶ穏やかなものに戻して。


「もう一回勝負しましょう、万桜」


 彼女なりの落とし所を突きつけてきた。


「あんたが姉さんの代わりになるって言うなら、その覚悟を見せなさい。今度は陸上競技なんかじゃない、ちゃんとしたライブで」

「……ライブで」


 万桜が圧倒的に不利なレギュレーション。

 奏音ですら勝てなかった美夜を相手に勝利できるとはとても思えないが──。


「いつ、どこで?」

「一ヶ月後──入学記念ライブで」


 それは、次の大きな学校行事だ。

 年に何度かある、学校を挙げてのライブイベント──その一回目。

 今回は新一年生のお披露目と、新しい二年生・三年生の実力をみんなに見てもらう意図で行われる。


 この学校は月一ペースででかいイベントをしないと気がすまないのか、と言いたくなるが……ぶっちゃけおそらく答えはイエスだ。


「バトルじゃないけど、ちゃんとポイントもつくわ。……ある意味、全校生徒でやるライブバトル。それであんたの実力をあたしに見せなさい」


 本気の目だ。

 これには、奏音は深いため息を吐いて。


「美夜さんは本当に勝負がお好きなのですね」

「好きよ。あたしの努力の結果が、ライバルとの力の差がはっきりわかるから」

「……ユニットは、どうなさるおつもりですか?」

「解散よ。あたしは今回、あんたたちとは組まない。万桜がソロで参加するか、ユニットを組むかは好きにすればいいわ」


 学年トップの少女は、真っ向から万桜に勝負を挑んできた。

 憎み合うためではなく、お互いにすっきりするために。


「叩き潰してあげる。だから、本気で向かってきなさい、万桜」

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