二章

セカンドステップ

 この世界には、歌が溢れている。


 人類の中に出現した『歌姫ディーヴァ』と呼ばれる異能者たちは世界の争いを止め、そして多くの技術を齎した。

 今、世界は『歌姫』によって治安を維持し、エネルギーを確保し、娯楽を提供されている。


 戦い、空を舞い、歌う存在──それが『歌姫』。


 黎明期にはごく少数だった彼女たちはその数を大きく増やし、今や若い少女たちのほぼすべてが多かれ少なかれ『歌姫』の素質を持っているとも言われている。

 その中でも高い素質を持つ者たちは専門の学校に通い、正規の『歌姫』として任命されて様々な活動へと広がっていく。


 テロ対策や戦争防止に関わる者もいる。

 研究や医療の分野に進む者もいる。

 アーティストに専念し、ライブ活動に邁進する者もいる。


 彼女たちが能力を行使する時、そこには歌がある。


 約三年前──『歌姫』高峰真昼から力を譲渡され、『歌姫』の素質を得ると共に少女となった少年、小鳥遊真央。

 彼は、かつて一度だけ生で『歌姫』のライブを見たことがある。


 あくまでも路上ライブやゲリラライブ等を含まない、正規のライブに限っての話だが。


 それは奇しくも、いや、ある意味では当然──『歌姫』として全盛期にあった高峰真昼のライブだった。

 双子の妹である奏音と二人揃って。

 母に連れられて訪れたライブ会場には満員。圧倒的な数の人で賑わっていた。


 クリアな大音量。

 スピーカーから聞こえる声、デバイスが拡大した声、その裏から、他でもない真昼自身の肉声さえ聞こえる気がした。

 天井のない会場を、華やかな衣装を纏った『歌姫』が文字通りに舞い、色とりどりの光を纏いながら笑顔と歌を会場いっぱいに届けてくれた。


 『歌姫』のライブは一般のアイドル的なそれに留まらない。

 必死に目で追わなければ最高の一瞬を見逃してしまいそうな臨場感と爽快感。

 空を目まぐるしく動き回り、光を放ち、空中でダンスまで披露してみせる。

 それは、ある意味では真央たち男子の好むロボットアニメにも通じる格好良さ、美しささえも備えているように見えた。


 ──思えば、あれがきっかけだったのかもしれない。


 少女として活動するにあたり『小鳥遊万桜』と名前を変えた真央が、『歌姫』に対して強いこだわりを持つようになったのは。

 もちろん、それ以前も彼女たちに憧れてはいたのだが。

 隔絶された高嶺の花と。

 見上げ、崇め、踏み台になるべき、文字通りの『姫』と認識するようになったのには、あの時の経験が大きく影響している。


 残念なことに、母がライブへ連れていってくれたのはその一度きり。


『男の子の真央を連れていっても、なんにもならないでしょう?』


 以来、万桜の胸には強烈な憧れと拘りが残り続けた。

 胸の奥には、『歌姫』に跪き奉仕したいという欲求に隠れて「ああなりたい」という想いが常にあった。


 だから、小鳥遊万桜は奏音と共に『歌姫』育成機関の最高峰、国立心奏学院に入学した。


 あの日の憧れに手を伸ばし、掴み取るために。


 そして。

 あの輝きに憧れ、焦がれた者は、万桜一人ではなかった。



    ◇    ◇    ◇



「……本当に、どうなるかと思いました」


 試験結果発表の日は、小鳥遊万桜にとって激動の一日になった。


 クラスメートたちと一緒に結果を待って。

 『28位』という結果を受け止め、消沈する友人たちを励まして。

 万桜の代わりに担任──真昼に食ってかかった美夜と話をすることになって。

 彼女をなんとか宥めたものの、その過程で万桜が『高峰真昼から力を与えられた張本人』だと美夜に知られてしまった。


 夜。

 食事を済ませて部屋に戻ってきた万桜は、照明もつけないまま奏音と言葉を交わしあった。


「ああ。自業自得と言われたらどうしようもないけどな」


 入寮の日に知り合った友人──金髪碧眼の美少女、松蔭しょういん美夜みやは万桜の憧れである高峰真昼の実の妹だった。

 両親の離婚により姉と離れて暮らしてはいるものの──姉妹である美夜はあの事故について一般人より遥かに詳しい情報を持っていた。

 その結果が、


『ねえ、万桜? ……姉さんとぶつかって死にかけた中学生って、もしかしてあんた?』


 ──入院。真昼の全盛期に等しいエナジー量。素人同然の技術。歌唱時のエフェクトが真昼と同じであること。


 断片的な手がかりでもこれだけ揃えばたどり着かれて当然だ。

 当然であっても、もちろん衝撃は大きかった。

 だから万桜はすぐには返答できなかった。


 タイミングが悪すぎる。


 いろいろあって精神的にも疲れている。

 しかも、美夜の過去について多少なりとも詮索した直後で、その過去と万桜の事情が無関係でもないとくれば。

 隣に立つ奏音が迷うように視線を彷徨わせ、万桜を見つめてくる。

 そうだ。

 妹に庇われるわけにはいかない。これはあくまで、万桜自身の問題なのだから。


 迷いながらも、万桜はゆっくりと口を開いた。


『……お願い、誰にも言わないで。誰にも話すなって言われてるから』


 言えない、と答えることもできただろう。

 言いたくないだけではなく口止めされているのだ。むしろ言うほうがまずい。

 それでも、彼女にだけは不義理をしたくないと思った。


「お姉様の判断は間違っていなかったと思います。……美夜さんのことですから、思い詰めて騒ぎを起こす可能性もゼロではありませんでした」


 半端に誤魔化して周囲にまで広まるよりは、美夜一人でとどめてもらうほうがいい。


 幸い──万桜の目をまっすぐに見据えた美夜は深く頷いてこう答えた。


『……わかったわ。そういうことなら、誰にも言わない』

『いい、の?』


 薄情な話だが、万桜も奏音も、美夜を「直情的なところがあり、思い詰めるとすぐ変なことを言い出す子」だと認識していた。

 だからこそ、すんなり頷いてくれたのは意外だったのだが。


 金髪碧眼の少女は「あのねえ」とため息をついて、


『あたしだって我が儘ばっかり言ってるわけじゃないのよ。……あんたたちに勝負ふっかけたのだって、少しは反省してるんだから』


 これまでのやりとりが良い影響を与えてくれたのか。


『……あんたも運がいいんだか悪いんだかわからないわよね。姉さんにぶつかられて助けられて、それで急にめちゃくちゃなエナジー手に入れちゃったんだから』


 エナジーとは、『歌姫』が異能を行使する際に消費するエネルギーだ。

 個人ごとにその総量は異なっており──万桜のエナジー量は、将来を嘱望される優等生の美夜を比べて三倍近くも多い。

 とんでもない才能の持ち主が三年間たゆまぬ努力を続けても到達できるかわからない、そんな完成された力を譲渡された結果だ。


『あんたのエナジーが成長しないのって、きっとそのせいなんでしょ?』

『……たぶん、わたしはそうだと思ってる』


 そう、通常なら訓練によって増加するはずのエナジーの上限値が、万桜に関しては入学時の測定からまったく変化していない。

 これに原因を求めるならば当然、そこが怪しい。

 正規の『歌姫』でないため、与えられた力を行使することはできても、そこからさらに鍛えることはできない……そう考えれば辻褄が合う。


 それは万桜が当然負うべき、


『ある意味じゃ良かったじゃない。……一回くらい、心奏ここに憧れたことあったでしょ?』


 ………………うん?


 万桜は一瞬硬直し、奏音と顔を見合わせた。

 ある意味、事故の件がバレた時よりも動揺している二人に美夜は気づいていない。

 きょとんとして「どうしたの?」と尋ねてくるので、


『う、うん。もちろん。わたしもここに憧れてた』

『わたくしよりもむしろ、お姉様のほうが「歌姫」への思い入れは強かったくらいです』


 ここぞとばかりに二人で誤魔化した。


 美夜は、万桜が「事故にあった中学生」だということには気付いた。

 しかし、その中学生が


「あんな勘違いもあるもんなんだな」

「と、言いますか、被害者の性別は伏せられているのでしょう。わざわざ『男子生徒』だと広める必要がありません」


 奏音も「兄が事故に遭った」とは周囲に伝えたものの、それがどんな事故だったのかまでは広めていない。


「思い返せば、報道の中でお姉様の名前も、性別も、見た記憶はありません」

「まあ、中学生だもんな。普通に考えても伏せるか」


 おかげで、一番知られてはいけないところは知られずに済んだ。

 万桜が元男だという事実こそ伏せられるのであれば、今回の件はむしろ幸いだったのかもしれない。


 知らせたことで、美夜がそれ以上詮索するのを防げる。


「まだ、どうなるかはわからないけど」

「……そうですね。こればかりは美夜さんの結論を待つしかありません」


 ひとまず落とし所の見つかった話し合いだったが、終わり際に美夜はこうも言った。


『ねえ、万桜。明日の放課後あたり少し時間を作ってくれない?』

『いいけど、どうして?』

『今日のこと、もう一回ちゃんと考えてみたいのよ。……いろいろありすぎて頭の中ぐちゃぐちゃ。整理しないとやってられない』


 無理もない。それは万桜だって同じだった。


『あんたが黙ってたのは仕方ない。騒いでみんなに知らせる気もない。……でも、気持ちとしては全部納得したわけじゃないわ』


 一件落着かと思ったのだが。

 さすがに、そう上手くはいかなかったらしい。


 万桜は、見方によっては「高峰真昼から力を奪った存在」なのだから。

 実の妹であれば憤ってもおかしくない。


『モヤモヤした気持ち、今日のうちにまとめるから──明日、三人で話させて』

『……わかった』


 これは、万桜が受け止めなければいけない想いだ。


 真昼には文章の形でメッセージを送ることにした。

 通話で説明するのは難しいし、まだ全部解決したわけじゃない。

 真昼としても美夜が関わっている以上は平静ではいられないかもしれない。なら、整理した内容を送るほうがいい。


 万桜たちにできるのは、自分の気持ちを見つめ直しながら夜を明かすことだけで。



    ◇    ◇    ◇



 翌朝。

 朝食に出ようとしたところで、デバイスが来客を伝えてきた。


「……おはよ」

「美夜」


 若干気まずそうな友人の姿。

 呼びに来てくれるのも珍しい。それともいま、ここで話をするつもりか。

 思ったものの、彼女は首を小さく振って、


「話は放課後にしましょ。時間がかかるかもしれないし──それに」


 困ったように視線が横に向けられたかと思うと、頭ひとつ分は小さな身体がにゅっと視界に入ってきた。


「もう、美夜ちゃんってばミアをのけ者にするんだから」

「ミア」

「ミアさん」


 特徴的な赤系の髪色と小柄な体格は、他でもない美夜のルームメイトだ。

 名前は、明星あけほしミア。

 ストイックで一匹狼な美夜と対照的な人懐っこい性格で、所属するBクラス内ではムードメーカーを務めているらしい。


「どうしたの?」


 尋ねると、髪色に良く似た色の目をきらきらと輝かせて、


「別にどうもしないよ? みんなと一緒にご飯食べたいなーって」

「別にあんたとは友達じゃないんだけど」

「ひど! ひどいと思わない、万桜ちゃん、奏音ちゃん!?」

「うん、ひどい」

「ひどいですね、さすが美夜さん」

「あんたたちもあたしに対してひどいわよね!?」


 いや、大事な話に割って入られてイラっとするのはわかるけど、ルームメイトとは仲良くしろよ。


「別にいいじゃない。ミアとは今までもたまに一緒にあ食べてたし」

「そうだけど……。なんで今日に限って」

「え? だって、万桜ちゃんともこれからもっと仲良くしたいし。ねえ?」

「ああ。わたし、一学期後半はBクラスだから」


 ミアとは同じクラスということになる。

 選択科目で一緒になるとは限らないが、月曜日の必修科目はこれからミアたちと一緒に受けることになるわけだ。

 ぎゅっ、と、万桜の手を小さなミアの手が握って、


「万桜ちゃんはミアがもらっていくからね、二人とも?」


 まあ冗談だろう。

 この子に関してはなんか妹みたいな感覚で、純粋に微笑ましくはある。

 が、実の妹は見るからにむっとして、


「お姉様はわたくしのものです!」

「奏音が言うと本気っぽくて怖いからやめて」

「お姉様はどっちの味方ですか!」


 別にどっちの味方でもない、というか、被害を受けそうという意味ではミアの味方だが?

 なんとかしろ、とばかりに美夜を見ると、


「まあ、別に万桜はあげるけど」

「やったー!」

「ちょっと話を収める努力をして欲しい」


 言われた少女は「はいはい、わかってるわよ」と肩をすくめて、


「さっさとご飯食べに行きましょ。……あたしたちにはのんびりしてる暇なんてないんだから」


 入学式二ヶ月、いろいろなことがあったし、随分成長したような気もするが──まだまだ、『歌姫』になるための道のりは始まったばかりなのである。

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