恩人
先の大戦を『
すべて、大きな争いになる前に歌姫が阻止しているからだ。
「歌姫はとても強い力を持っています。みなさんは、将来自分の身の回りで危険なことが起こった時、もしくは国全体が危険に晒された時、率先してそれに対処しなくてはいけません」
世界にその存在が知られた時から変わらない、歌姫の使命。
クラスメートの一人が恐る恐る手を挙げて、
「真昼先生も、そのせいで能力を失ったんですよね……?」
「はい、その通りです」
真昼は、穏やかな表情で頷いた。
「さっきも言った通り、私はそのことを後悔していません。もっとうまくできたかもしれない、と、反省はしていますけど」
彼女の目が一瞬、万桜を見た。
「歌姫は、別に軍人でもなんでもありません。でも、戦える力があるのだから、それは大切なものを守るために使うべきだと私は思います」
「だから、課題を?」
「はい。最低限、空を飛んだり、近くに瞬間移動するくらいできないと困りますからね」
飛行や瞬間移動は言うほど簡単じゃないと思うが……?
当たり前みたいに言うなあ、と万桜が苦笑していると、真昼は指をぴっと立てて、
「それに空を飛べると、遅刻しそうな時とか便利ですよ?」
新入生が馴染むまではみんな自重しているものの、そのうち上空をぽんぽん人が飛んでいくようになるらしい。
本土でも飛んでる歌姫はたくさんいたものの、少々「ここは本当に現実世界の日本か?」と首を傾げたくなってしまった。
◇ ◇ ◇
真昼はガイダンスが終わると1−Aの生徒たちと連絡先を交換したいと言い出した。
「交換したくない人は手を挙げてくださーい」
「先生、それ挙げにくいでーす」
「あはは、ごめんなさーい」
ガイダンス中は真面目に説明していたけれど、素の彼女は明るくノリの良い性格らしい。
軽い謝罪の言葉と同時に、万桜の目の前に連絡先追加の確認メッセージが表示された。
ピアス型デバイスが万桜にだけ見えるように作り出したものだ。
慣れれば『考えるだけで』操作できるらしいが、今はとりあえず指でOKボタンを押す。これで真昼とも電話やメッセージの送り合いができるようになった。
これ、試験で降格したら気まずいな?
五つあるクラスの担任全員と連絡先交換する羽目にならないように気をつけよう……と。
確認メッセージが消えてからほとんど間を置かず、万桜の視界に新しい通知。
いま連絡先を交換したばかりの真昼からメッセージだ。
『今日の夕食、一緒にどうですか?』
瞬きを一回。
首を横に動かすと、奏音と目が合った。
妹は制服の袖をめくってデバイスを確認していたようだ。
静かな漆黒の瞳が問題ない、と意を伝えてきたので、頷きを返して。
『妹も一緒でいいですか?』
仮想キーボードに文字を打ち込むのはちょっと手間取ったが。
返事を送って一秒も経たない間に、真昼からはOKのメッセージが送られてきた。
彼女のデバイスはチョーカー型。
万桜のものと同じく思考による操作が可能なタイプなのだろう。
今更ながら、慣れたらめちゃくちゃ便利そうである。
◇ ◇ ◇
真昼から追って送られてきたのは島内にあるレストランの地図と待ち合わせ時間だった。
島には食事を摂れるところがかなりたくさんある。
寮の食堂。
別に心奏の学食、カフェテリア、購買部があるし、一般客も利用できるレストランやファーストフード店も豊富だ。
さすがに昼休みにレストランまで歩くのは大変だが。
「……空を飛べば行って帰って来られるのかも?」
「お姉様? もし飛べるようになっても『急に牛丼が食べたくなった』とか言って一人で飛んで行かないでくださいね?」
「わかってる。その時は奏音たちも誘う」
ガイダンス日の昼食はカフェテリアを利用してみた。
学食に比べると軽食系とデザート、ドリンクが充実しているらしく、女子生徒の姿が多く見られた。
……って、そもそも学院の生徒は圧倒的に女子多数なのだが。
ともあれ、美夜と一緒に授業の履修計画について話しあって。
一度寮に戻り、私服に着替えたり受け取った資料を確認したりしてから、適当な時間に寮を出た。
「これ、いちおう密会ってことになるの、かな?」
「そうですね。あまり他の方には知られないほうがいいかと」
デバイスで本人確認が行えるのか、レストランに着くとダイレクトに個室スペースへと案内された。
生徒にはそうそう会わないだろうが、三人だけで話すため、ということだろう。
「こんばんは」
微笑む真昼は化粧を落としてさっぱりした顔になっていた。
もちろん素顔も美人だが、歌姫としての彼女しか知らない万桜には新鮮に映る。
一瞬、反応が遅れた間に奏音が「ご無沙汰しております」と頭を下げて。
「奏音。先生と会ったことあるの?」
「ええ、もちろんです。お姉様? わたくしは三年近くお姉様のお見舞いに通っていたのですよ?」
「そっか。そういえば、そうだっけ」
頷く万桜に真昼は飾らない口調で、
「ここでは無理して喋らなくてもいいよ、《真央くん》」
「────っ」
万感の思いが胸を打った。
立ち尽くす万桜。
真昼は自分から立ち上がると、万桜のところまで歩いてきてくれた。
憧れ、何度となく画面越しに見つめた両腕に身体を包みこまれる。
押し付け合う形になった互いの胸。サイズはだいぶ、万桜のほうが大きい。
「会いたかった。……目覚めてくれてよかった。それから、ごめんなさい」
「そんな」
涙声。
真昼の気持ちが伝染したように涙が浮かび、万桜の声まで上ずってしまう。
いい匂いがする、とか。
中学時代の友人に自慢したら刺されかねないな、とか。
どうせなら頬をつねったり、平手で打って欲しかった、とか。
どうでもいい感情はこの際置いておくとして。
「謝らないでください。……むしろ、俺、余計なことをしたんじゃないかって」
「ううん、そんなことない。あの日、あの事故で、あなたは私を助けてくれた。本当に、ありがとう」
万桜にとって、真昼は二つの意味で特別な人だ。
ひとつは憧れの女性、憧れの歌姫として。
ひとつはあの日、真央の身体を尻で押し潰した張本人として。
◇ ◇ ◇
「あの日のことはどれくらい知ってる?」
「いえ、大したことは。機密もあって詳しいことは話せないんですよね?」
「うん。そうだけど、ここなら大丈夫。盗聴盗撮その他、対策はばっちりだから」
再会を喜びあった後、少し気恥ずかしい空気になりつつもテーブルについて。
真昼は「好きなだけ頼んで」と万桜たちに言ってくれた。
「今日は嬉しい日だから」
そういう彼女はメニューのアルコールページを真剣に眺めた後、「未成年と一緒だもんね」と残念そうに呟いていたが。
ファミレスよりはお高めとはいえ、学生でも通えるレベルの価格設定である。
せっかくなので好きなものを注文させてもらった。
この場ならステーキを頼もうがライスを大盛りにしようが咎める者はいない。
美夜も「もっと肉をつけなさい」と言っていたし、太るとか美容だとかはまた今度考えればいい。
そうして注文が終わって料理の到着を待つ間に、本題が始まって。
「あの時、私はね。テロの対策に追われていたの」
「テロ」
「そう、テロ。国レベルの軍事行動はここ数十年、大きな動きがないけど、その代わりテロは毎年かなりの数が計画されてるの」
「計画されてる、っていうのは……」
「ほとんどは実行する前に潰してるから」
万桜が目指してるのも、真昼がやってたのも、スパーヒーローじゃなくて歌って踊れるヒロインだよな?
歌って踊れる『スーパー』ヒロインだと思えばそんなものなのか。
真昼は懐かしそうに、悔しそうに目を細めて。
「ただね。……あの日は失敗しちゃったの。未然に防ごうと思ってたのに、始まってから止めるしかなかった」
「でも、被害は出なかったんですよね?」
「出ましたよ。被害を食い止める代わりに高速で落下した『歌姫』の下敷きになり、一人の男の子が重傷を負いました」
口を挟んだ奏音の口調は、どこか硬い。
「お前、真昼さ──先生と仲悪いのか?」
「まさか。とっくに和解しています」
「昔は仲悪かったってことじゃないか」
「お姉様がこうなったのはあの事故のせいなんですから、仕方ないではありませんか」
咎めるような視線に「ごめん」と謝る。
深く息を吐き出して、
「……でも、あの時はああするのが一番だと思ったんだよ」
湯気の立つ料理が次々と運ばれてきた。
三人で「いただきます」をしてから話を再開して、
「実際、私はすごく助かったよ。真央くん──万桜ちゃんが助けてくれなかったらたぶん死んでた」
「……えっと、その。人間一人分のクッションで足りましたか?」
「人にぶつかるってわかったおかげで、全力で勢いを殺せたからね」
あ、死ぬな、で諦めていたら結果的に助からなかったと。
「でも、そのせいであなたにひどいことをしてしまった」
「でも、助けてくれたんですよね?」
できる限りのことをしてくれたのなんて聞かなくてもわかる。
その想像通り、真昼は目を細めながら「足りなかったけどね」。
「全力で治療に参加した。治療費も全額負担した。……それでも、あなたを元通りにすることはできなかった」
「むしろ、申し訳ないのは俺のほうです」
高峰真昼は、間違いなくあの時は現役だった。
大きな出来事があって、彼女は『歌姫』の力をほとんど失った。
万桜がいま『歌姫』の素質を持っているのは、事故で負った傷を特別な方法で治療されたからだ。
導き出される結論はひとつ。
「いま、俺が持っている力は、先生のものなんですよね?」
「うん。研究者の間でも、今のところそういう見解になってる」
◇ ◇ ◇
真昼はかつて伝説的と言っていい『歌姫』だった。
失敗したと本人は言うが、大被害をもたらしてもおかしくなかったテロを負傷者一名で食い止めたのだ。
他にも水面下で幾つもの事件を未然に防いでいたのなら、控えめに言っても『英雄』だ。
「俺がこうならなかったら、先生みたいなすごい人が引退しなくても済んだのに」
「そんなこと言わないで」
一般人男子の身体と、英雄の進退。
比べるまでもないと思うのだが、真昼は真剣な目でそれを否定した。
「私は生きてる。あなたも生きていてくれた。この世界に人の命より大事なものなんてないよ」
「じゃあ、先生も気にしないでください。俺は俺なりに楽しくやってますから」
「……そう言ってくれると、嬉しいな」
万桜が目覚めてからお見舞いに来なかったのは、彼女の進路を強制することになりかねないから、だったらしい。
確かに、当時真昼と会っていたら悩むことなく心奏を志していただろう。
代わりになんてなれなくても、真昼のいなくなった穴を少しでも埋められたらと。
まあ、結局奏音から誘われて一晩で決めたのだから、関係ないと言えば関係ないのだが。
「私は後悔してない。やるべきことはやったから、その力は万桜ちゃんが使って。有望な若い『歌姫』が増えるほうがこれからのためだし」
「いや、先生も十分若いですよね?」
「ふふっ。覚えておいたほうがいいよ? 五歳刻みくらいでどんどん、身体の自由がきかなくなっていくから」
遠い目をする彼女は、たしか今年で二十五歳だったか。
「むしろ大人の女性って感じでめちゃくちゃエロいと思います」
「真顔でなにを言っているんですかお姉様」
「あははっ。じゃあ、行き遅れたらもらってくれる?」
「男のままだったら俺からお願いしたいくらいでした。……むしろ俺が婿に行きたかったです」
「うーん、それは妹が嫌がりそうだから無理かなあ」
隣に座っている奏音が万桜の袖をぎゅっと掴んできた。
「お姉様はわたくしのものですから」
「おい。声と顔が合ってないからな。人殺しそうな目をするんじゃない」
「あはははははは」
笑い事じゃないんですよ、こいつに関しては。
幸い、奏音もすぐに怒りを引っ込めてくれたので事なきを得たものの。
普通に話をするだけならともかく、込み入った話をするには奏音と真昼の相性はあまり良くなさそうである。
しばし笑った後、「あー、お腹痛い」と呼吸を整えた真昼は、ふと真剣な表情になって。
「万桜ちゃん。あなたはあの時、間違いなく私を助けてくれた。それはなかなかできることじゃないよ」
「いや、あの時は夢中だっただけで」
「なら、尚更だよ。それは間違いなく、あなたが人の命を大切にできる人だっていう証」
万桜は、恩人にして憧れの人から、かけがえのない言葉をもらった。
「能力なんかじゃない、『歌姫』にいちばん大切なもの。あなたは女の子になる前から持ってたんだよ」
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