式後の決意と新入生ガイダンス

「……凄かった」


 式とライブを合わせると二時間以上。

 終わった頃には気力と体力をかなり消費していて、すぐには立ち上がる気になれなかった。

 不可能を可能にし、人々に希望と平和を与える。

 『歌姫ディーヴァ』の凄さと可能性をあらためて感じた。


 同じように呆けている新入生は、周りを見ても少なくない。

 奏音と美夜は。

 見ると、奏音は妙に真剣な表情をしていた。


「っ」


 考えているのだ。

 自分にも同じことができるかどうか。いや、どうすればあの領域に到れるかを。


 一方、美夜は。

 左手を胸に当てて、きゅっと握りしめている。

 唇もきつく結ばれ、瞳は真っ直ぐステージの上。


 ──絶対に、たどり着いてみせる。


 決意の表情に、またしても息を詰まらされる。

 覚悟が違う。

 想いの量が、万桜とは違う。

 遥か高みへとようやく手を伸ばし始めたばかりの万桜とは。


 ──俺だって。


 来たからには適当にやり過ごす気はない。

 明日はクラス別のガイダンス。

 入学式を終え、万桜たちの学院生活が始まった。



    ◇    ◇    ◇



 『エトワール』寮に戻ると、上級生──主に三年生が新入生に取り囲まれていた。

 ライブの主役は三年生。

 二年間の努力の成果として晴れ姿を披露するのも彼女たちの役目のひとつ。


「そっか。二年後には、あそこに」


 三年後、ではない。

 卒業するまでに『あれ』をできるようになるのではなく、三年目の最初までにたどり着かなくてはならない。


「毎年、進級するには課題があるからね。それを達成しないと上がれないから」

「それって、大変じゃないんですか?」

「めちゃくちゃ大変だよー。みんな必死に練習したんだから」


 あっけらかんと答える先輩たちだが、その裏には並々ならぬ努力がある。


「みんなには全員揃って進級して欲しいなあ」


 ある三年生の何気ない呟きが胸に刺さった。


 今年の新入生は百名と少し。

 今の三年生の人数は八十名を割っている。

 努力が実らなかった者、あるいは限界を感じた者は、この場で笑顔を浮かべてはいないのだろう。


 名門、最高峰の学び舎は、決して甘くはない。



    ◇    ◇    ◇



 デバイスは待機モードならかなり長い間、エナジーの補充なしでも稼働できる。

 寝る時は外して脇のボードに置いているが、リンクは機能しているので目覚まし代わりのアラームも鳴らせる。


「頭に直接音が響くってのも便利だよなあ」


 お気に入りの曲がちょうどいい音量で自分にだけ聞こえてきて、気持ちの良い目覚めを演出してくれる。


「おはようございます、お姉様」

「おはよう、奏音」


 洗顔と手洗いを済ませた万桜は、奏音の淹れてくれた紅茶を二人で楽しんだ。


「俺はコーヒー派だけど、紅茶も悪くないな」

「そうでしょう? お姉様もこの良さがわかるようになったのですね」


 昔はどうも独特の風味が苦手で、できる限り避けていた。

 当然のように蒸し返してくる双子の妹をむっと睨んで、


「俺だって成長してるんだよ」

「確かに、お姉様は成長著しいですね」


 どこを見て言っているのか。


「……というか、味覚も変わった気がするんだよな。甘いものとか妙に美味く感じるし」

「ホルモンバランスが変われば体調も変化しますし、特におかしなことではないかと」


 朝食を制服で摂るか、朝食を摂ってから制服に着替えるかはなかなか悩ましい問題だ。

 後者だとパジャマ→私服→制服とワンクッション挟まなくてはならないが、万桜たちはその手間をなるべく惜しまないことにした。


「せっかくの制服を汚したらもったいないもんな」

「気をつけていても失敗はあるものですからね」


 なお、パジャマのまま食堂に出てくる生徒は希少種である。

 美人が多いのでわりと様にはなるものの、他人にはなるべくしっかりした姿を見せたいのが『歌姫』志望者多くの共通項である。


 朝食を済ませたら部屋に戻って着替え。


「さあお姉様、こちらにどうぞ」

「くっ……。いつか一人で完璧に着こなしてやるからな」

「それはそれで寂しいので無理をなさらなくても良いのですよ?」


 美夜と合流して、三人で校舎へと向かった。






 心奏の学校設備は校舎を中心として配置されている。

 島の中核を成すと言っても過言ではない建物、それが学院のメイン校舎だ。


 教会や城などの伝統的なデザインと現代的な建築方法を融合、『歌姫』の働きによって生まれた新素材を用いて建築された白の学び舎。

 中央のエントランスホールから放射状に通路が伸び、通路と通路の間に部屋が配置される、どこか宮殿めいた少女たちの箱庭。


 入り口へと向かう並木道は寮からの道、そして港からの道の二つ用意されており、それが合流する地点に大きな掲示板がある。


「あれがクラス分けね」

「さすがに人が多いですね」


 既に掲示板前は多くの新入生で賑わっていた。


「……デバイスで個人に通知してもいいような気がするけど?」

「それじゃ面白くないじゃない。どきどきしながら確認するのがいいのよ」


 実利主義かと思ったら、美夜は意外とロマンチストなところもあるらしい。

 万桜は猫かぶりモードでこくんと頷いて、


「たしか、クラスは五つなんだっけ」

「そうよ。最初のクラス分けは暫定だけど、大まかな学校内でのランク分けだと思っていいわ」


 AクラスからEクラスまで、一クラスは二十人と少し。

 たとえEに配置されたとしても、あくまでも「上澄みの中で伸び悩んでいる」だけの話で、十分羨まれる立場であるのは間違いないが。

 美夜の目は、最初からAクラスの割り振り表にのみ向けられていた。


「トップランカーの多くは入学当初からAクラスを維持し続けてる。『歌姫』として輝き続けたいなら、上位20%に入り続けなくちゃいけない」


 さすがにそこまで気負わなくても。

 崖っぷちからのサクセスストーリーだってマンガとかじゃよくあるだろ。

 というか、俺は試験受けてさえいないんだが、どこに振り分けられるんだ?


 万桜は内心の呟きをさすがに黙って呑み込んで、


「やった。あたしたち全員Aクラスよ! 奏音も万桜もやるじゃない」

「マジか」

「マジか、って万桜? 驚いたからってその言葉遣いは可愛くないわよ?」


 いや、だって、体調戻すのさえギリギリだった生徒を最上位クラスに入れるなと。

 奏音たちと離れずに済んだのは嬉しいものの、いっそEクラスからのほうがやりやすかったかもしれない、と思う万桜だった。



    ◇    ◇    ◇



 クラスルームは学年ごとではなくランクごとに固まって配置されている。

 3−A、2−A、1−Aときて3−B、2−B……と続くわけだ。

 奥まった場所に行くほど高ランクのクラスルームになっており、手前でとどまることになった生徒は奥に行く生徒を羨望の眼差しで見つめることになる。


 視線を感じながら1−Aの前に到着した万桜は、公立中学の引き戸とは全く違う、高級感と遮音性に溢れたお洒落なドアに驚いた。

 ここもノブのない自動開閉式だ。


「……この学校、すごくお金かかってない?」

「なにを当たり前のことを言っているのですか、お姉様」

「国からお金が出てるし、高給取りの『歌姫』がたくさん寄付してくれてるんだから当然でしょ?」


 前に立って手をかざすだけでドアが開き、中の空間が視界に入る。


「……えっ?」


 暖色系の壁紙。

 床は入り口より一段高くなっており、絨毯が敷かれている。

 入ったところで靴を脱いで靴下のまま上がれる仕組みだ。

 絨毯の上には多数のクッション。

 既に到着している新入生たちは思い思いのクッションを抱いたり尻に敷いて座っている。


「これ、教室?」

「教室じゃなくてクラスルーム。クラス単位で集まる時に使う部屋であって、勉強するところじゃないわ」

「心奏は単位制ですからね」


 美夜は「去年の1−Aの部屋を利用したレイアウトらしいわよ」と言いながらさっさと靴を脱いで絨毯に上がっていく。


「これを気に入ればそのままでいいし、変えたいところがあればみんなで相談して変えられるわ。クッションよりソファがいいとか」

「厳しいのか優しいのかよくわからなくなってきた……」


 ともあれ靴を脱いでクッションの上に腰を下ろす。

 スカートを尻に敷いて、奏音たちや他のクラスメートがしているように──。


 ──これ、みんなすごいリラックスしてるな?


 左右に足をつけてぺたん、と座っている者。

 片側に両足を下ろして座る者。

 クッションを抱いて体育座りする者。


 男子の目があったらやらないんじゃないか。

 さすがに下着が見えたりはしていないものの、ソックスやタイツとスカートの間、生の足を当たり前のように覗けてしまう。

 目の毒以上に悪いことをしている気分になる。

 慌てて目を逸らし、とりあえずぺたんと座ってみた。


「……できた」

「そういえばお姉様、ずっと椅子生活でしたものね」

「うん」


 男だった頃に奏音の真似して座ろうとして足が痛くなったのを思い出す。

 骨格も変わったからか、今はなんの支障もなくできた。

 感動するべきか嘆くべきか迷っていると、美夜が「はい」ともうひとつクッションを渡してくれる。


「どうせいっぱいあるから、これでも抱いてなさいよ」

「ありがとう」


 クッション抱いて女の子座りとか初めてなんだが?



    ◇    ◇    ◇



 初体験の驚きが覚めやらぬうちに新しい驚きがやってきた。

 21名。

 1−Aの全員が揃った後、ドアを開けてやってきた大人の女性。

 ブラウスにタイトなパンツを合わせた彼女は、万桜に良く似た色合いの髪と瞳を持っていた。


「初めまして。この1−Aの担任を務めることになりました、高峰たかみね──」

高峰たかみね真昼まひるっ!?」


 他の新入生と一緒に万桜も声を上げていた。

 間違いない。

 昔見た彼女とは髪型が変わっているし、表情もずいぶん落ち着いたように見える。

 しかし、間違いなく本人だ。


 クッションを抱いた胸の奥で心臓が高鳴る。

 まさか、と、息を吐いて驚きを表していると、美夜がどこか不機嫌そうな表情で「なによ」と肘を当ててきた。


「知ってるの?」

「知ってるもなにも、すごく有名人でしょ? わたしもすごく憧れてる」


 好きな『歌姫』を一人挙げろと言われたら、万桜は迷わず彼女を挙げる。

 この身体になって初めて歌った歌も彼女のものだし、今の髪と瞳に彼女と近しいものを感じて密かに嬉しくも思っていた。


「間違いなくトップ層の歌姫の一人。歴史に残るかもしれないレベル」

「でも、一線を退いて先生になった」


 美夜が呟いたその頃には生徒たちのざわめきも収まった。

 真昼は柔和な笑みを崩さないまま「みなさんも知っているかもしれませんが」と前置きして。


「私は、『歌姫』としての能力をほとんど失いました」

「っ」

「心奏に戻ってきたのは、みなさんの夢を応援するためです。能力がなくなってもできることはあると思ったからです」


 基本的に『歌姫』が『歌姫』でなくなることはない。

 しかし極稀に、大怪我や重い精神的ショックなどから力が使えなくなることがある。

 誰もが言葉を失う中、真昼は笑って、


「後悔はしていません。それに、まったく力が使えなくなったわけでもありません。みなさんにはまだまだ負けないつもりですし、なにか困ったことがあったらいつでも言ってください」


 みんなと一緒に万桜も拍手をした。

 そんな中、美夜は唇を噛んでただ俯いていた。



    ◇    ◇    ◇



 ガイダンスで説明されたのは主に心奏学院のシステムについてだ。


 授業は必修を除き、生徒が希望に応じて選択し履修する形式。

 希望進路に応じて──例えば座学を中心にしてもいいし、基礎レッスンを重視してもいいし、能力のコントロールに時間を割いてもいい。

 なんならほとんどの時間を自主トレに費やすこともできる。


 二ヶ月に一度、進度を見るための試験が行われる。

 ここで各試験に合格すれば、それに応じた単位が与えられる。

 その気になれば必修以外なにも履修しなくても卒業が可能だ。


 ただし、寮で先輩方が言っていた通り、進級に際して必須の課題がある。


「一年次の課題は『歌い、踊りながら飛べるようになること』です」


 1−A担任、高峰真昼は万桜たち新入生にそう告げた。


「二月末に行われる一年生の最終試験までに合格を得られなければ、他の単位をすべて取っていても進級することはできません」


 『歌姫』は決して、飛行しながらのライブがすべてではない。

 ならば、


「あの。他の分野に進みたい場合でも、どうしてもその課題をクリアしないといけないんですか?」

「そうです。それは、心奏学院がみなさんに求める使命、そして歌姫全体の使命のためです」

「使命、って」


 そもそもの成り立ち、というか、『歌姫』が現れたきっかけを思い返してみればわかる。

 万桜たちにとっては生まれる前、どころか、祖父母世代レベルの話だが。


「国防。そして、自国を他国に攻め込ませないこと。『歌姫』は世界を平和に保ち、人々に希望を与えるためにいるんです」

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