入寮と、出会い

 この前のワンピースに再び袖を通して。

 大した意味はないと思いつつも、室内はできるだけ綺麗に整えて。


「忘れ物はありませんか?」

「ああ、大丈夫」


 万桜は、奏音の問いかけに振り返って答えた。

 彼女自身が持ち込んだ貴重品は耳のデバイスくらい。それでも念のため何度も確認した。

 と、妹は端正な顔を子供っぽい膨れ面に変えて、


「お姉様、口調を」

「……もう少し大目に見てくれてもいいと思う」

「だめです。外に出たら誰に見られるかわからないんですから」


 荷物を持ち、揃って病室を出た。


「お世話になりました」


 顔なじみになったスタッフたちに挨拶をして。

 外に出ると、吹き抜けた春風が髪を揺らした。


「少し、名残惜しい気もしますね」

「どうして奏音が言うの」

「あら。わたくしは何年もここに通っていたのですよ?」


 確かに、ここで過ごした体感時間は彼女のほうが長いのかもしれない。


「なるべく、ここのお世話にならないようにしよう」


 こうして、万桜は実質三年近く、体感でも約三ヶ月を過ごした病院を退院した。



    ◇    ◇    ◇



 病院から『国立心奏学院』まではそう遠くない。

 学院生と教師たち、それから『歌姫ディーヴァ』研究のための島。

 学院関連の施設があるのは島の中央だ。

 校舎や体育館などの他、少し離れた場所に生徒用の寮も建っている。


 寮は三つ。

 『歌姫養成科』専用寮、それから普通科用の男子寮と女子寮。


「わたしたちの寮だけ別なんだよね」

「ええ。部屋も綺麗ですし、設備も充実しているそうですよ」


 校舎からの距離も歌姫候補生用の寮が一番近い。


「やっぱりエリートだから?」

「それもありますけれど、朝早い生徒や夜遅い生徒が多いので、普通科の生徒を煩わせないためでもあるようです」

「それだけ聞いてもレッスン厳しそう」


 話しているうちに寮が見えてきた。

 薄桃色の、丸い大きな建物が陽光を反射しながら鎮座している。


「あれが歌姫養成科の全生徒三百人を一度に収容可能な専用寮──『エトワール』です」

「……おぉ」


 なにもここまで可愛くしなくても。

 男子──『元』男子としては気後れしてしまうが、少女たちが憧れる気持ちもよくわかる。

 入り口に向かって歩いていくと、万桜はふと、ぴくん、と身体が震えるのを感じた。

 首を傾げ周囲を見回しても特になにもない。

 奏音が微笑と共に「おそらく結界ですね」と教えてくれる。


「妙にマンガっぽい単語だな?」

「『歌姫』の力ですから似たようなものですね。不埒な部外者は近づくことさえできないようになっているとか」

「はあ。囲いもなにもないのはそういうわけか」

「外からは窓の中も覗けないそうですよ」


 確かに、さっきまではわからなかった人の気配を今は感じられる。

 生徒──おそらくは先輩なのだろう少女がこっちを見下ろしているのと目が合ったり。


「……不埒な『部外者』、ってことは、関係者なら撮影できるのか?」

「最悪退学になると思いますけれど」

「縛られてお仕置き、みたいなコースならまだ希望が持てるんだが」


 男子禁制の女の園。

 元男である万桜が立ち入るのは例外中の例外、か。

 もちろん、なにもやましいところはない。

 堂々としていればいい。

 荷物を持つ手につい力を入れつつ、入り口に到着して、


「ようこそ心奏学院、そして『星』寮へ」


 柔らかな笑顔と声に出迎えられた。

 大人の女性。

 ふわふわのロングヘア。包容力を感じさせる豊かな胸。

 春物のニットとパンツに猫柄エプロンを合わせた姿が良く似合っている。


「寮の管理人を務める榛名はるなななせです。三年間、よろしくお願いしますね?」

「……こちらこそ、よろしくお願いします」

「よろしくお願いいたします」


 奏音とあわせて頭を下げた万桜は、ふと疑問に思った。


「もしかして、ずっと出迎えをしているんですか?」


 入寮期間は長めに設けられているので何日も大変だと思うのだけれど。

 するとななせは「ふふっ、まさか」と笑って。


「結界に近づく方が入ればわかるようになっているんです。在校生さんか新入生さんかも、慣れるとわかるんですよ?」

「あ、それで」

「はい。もちろん、念のため確認はさせていただきますけど」


 奏音の差し出した証明書であっさり二人分の照合が終了。


「では、結界と、お二人のデバイスに登録を行っておきますね」


 短く紡がれた鼻歌のメロディが光を産み、寮と、万桜たちのデバイスに届く。


「これで、デバイスでも本人証明が可能です。もし落としてしまっても寮には入れますから安心してくださいね」

「ありがとうございます。……管理人さんも、『歌姫』なんですね」

「ええ。歌ったり踊ったりしていたのはずいぶん前のことですけど」


 それにしては若く見える。

 いったいいくつなのだろう、と真剣に悩み始めると、奏音が「失礼ですよ」と袖を引っ張ってきた。


「すみません、つい」

「お気になさらず。……事情は学院から聞いています。なにか困ったことがあればいつでも言ってくださいね、小鳥遊万桜さん?」

「……は、はい」


 『事情』がいろいろとバレているっぽい。

 女同士を口実に変なことをするのは絶対やめよう、と万桜はあらためて心に誓った。

 それからななせは部屋まで案内してくれたのだけれど──この広い寮を彼女が管理している? 一人で?

 つくづく謎が多い。



    ◇    ◇    ◇



「でも、本当にすごいな、この寮」

「ええ。これならなんの不自由もなく過ごせそうですね」


 寮の一階は共用スペースになっており、二階以降に生徒用の部屋がある。

 一学年につき一階。

 今年の一年生は『星の階』。……って、ただの四階なのだけれど。


『この方が縁起がいいでしょう?』


 ななせはそう言って微笑んでいた。


 さて。

 案内された二人部屋はまるでホテルの一室のように見栄えが良かった。

 開放感のある広い室内にふかふかのベッドが二つ。

 部屋に風呂とトイレ付き。しかも一体型ではなく別々。

 エアコンに、二口のコンロも備えられている。


「テレビはないか」

「デバイスがあれば見られますからね」


 ホテルと異なるのは長期滞在を前提としていること。

 冷蔵庫は大きめのものが置かれているし、クローゼットもたっぷり容量。

 勉強のための広い机もある。それでいて狭苦しく見えないのだからやっぱり豪華だ。


「ある程度の防音付きなので、大きな音を出しすぎなければ歌の練習もできるそうです」

「至れり尽くせりか」


 壁紙は暖色系。

 建物の外観ほどあからさまではないものの、家具がどこか少女趣味なのは仕方ないか。


「お姉様、ベッドは窓側と通路側、どちらが良いですか?」

「……迷うな」


 悩んだ末に窓側を希望すると奏音はあっさりと頷いた。


「いいのか?」

「ええ。早起きしてもお姉様を煩わせずにすみますので」

「待て。優等生おまえに早起きされたら俺が追いつけないだろ」

「ふふっ。いえいえ、目覚めの一杯を用意して待つのができる女というものでしょう?」

「それは……めちゃくちゃ嬉しいな?」


 なお、この後コーヒー派か紅茶派かでしばらく揉めた。



    ◇    ◇    ◇



 性転換と入院生活のせいで服が少ない。

 寝間着に偏った衣装をすべて収納し終えるのに大した時間はかからなかった。


「奏音、手伝おうか?」


 言って歩み寄れば、双子の妹はちょうど下着の整理をしていて。

 可愛く丁寧に収められたブラのカップサイズを視認し、しみじみと「大きくなったな」と感じてしまう。

 それから自分の胸に手を当てて、


「……ブラってのは、内側に収まる胸を想像できるかどうかでエロさが変わるんだな」

「お姉様? お暇でしたら下着の畳み方を練習してくださいませ」

「え? 下着なんて適当に……でも、ないか」


 適当に突っ込んだだけの万桜のやり方とは似ても似つかない。

 ……むしろそれどうやってるんだ、魔法か?

 落ち着いて把握すれば大したことではなくとも、全く馴染みがない分野というのはえてして難しく見えるもの。

 いったん収納した下着を取り出して「こうか?」と練習していると、その間に奏音は荷解きを完了。


「良いですか、お姉様? ここはこうして……」


 結局、手取り足取り畳み方を教わる羽目になって。







「なんか、どっと疲れた」

「慣れれば簡単ですから、面倒臭がらずに覚えましょうね?」


 言いながら部屋を出る。

 部屋のドアはオートロック。登録されている人間であれば触れるだけで開閉する仕組みだ。

 時刻はちょうどお昼頃。

 寮には食堂も併設されているので、見学がてら昼食を摂ろうという狙いだ。


 廊下に出たため万桜は口調を取り繕いつつ、


「食堂も一階だっけ」

「一度エレベーターを使わなければいけませんね」


 入寮可能日初日の一年生階は人気がなくがらんとしていた。

 場所によっては中学校の卒業式もまだかもなので無理もない。

 ここもすぐにたくさんの生徒で賑わうようになるのだろうけれど、


「あら、あの方も新入生でしょうか」


 エレベーターホールにちょうど一人の少女が立っていた。


「わたしたち以外にも人がいたんだ」


 近づいていくと向こうも気づいたようでこちらに視線を向けてくる。

 目が合った。

 万桜は、吸い寄せられたように彼女から目が離せなくなった。

 相手も同じなのか、硬直したように立ち尽くして。


 ──きらめくような金髪。


 澄んだ海のような蒼い瞳が映えている。

 色白なのは海外の血が入っているからだろうか。

 先の大戦が『歌姫』によって収められて以降、各国の交流は盛んになり、子世代、孫世代へと移った今となっては黒以外の髪の日本人も珍しくない。

 万桜と奏音の家も、母方の祖母が外国人とのハーフだ。


「お姉様」


 奏音の声で我に返ると、向こうも硬直から抜け出したようだった。

 にこり。

 初対面には似つかわしくない、万感の入り混じったような微笑の後で「こんにちは」と流暢な発声。


「あなたたちも新入生なのかしら?」

「はい。わたくしは小鳥遊奏音と申します」


 万桜たちがお見合いしている間に到着したエレベーターへ奏音が手を添えて。


「わたしは小鳥遊万桜。よろしく」

「二人とも小鳥遊? 双子なのかしら?」

「ええ。残念ながら二卵性なのですけれど」

「ふうん……? それにしてはそっくりね」


 ふわり。

 身を翻した少女から花のようないい香りがした。

 残念ながら胸は奏音には及ばないが、間違いなく美少女。

 ななせといい、心奏は容姿を審査基準に加えていたりするのか。

 一階に向かうエレベーターの中で、少女も万桜たちに自己紹介してくれた。


「あたしは美夜。松蔭しょういん美夜みやよ。よろしくね」

「松蔭……。思ったよりも渋い名前」

「良く言われるわ」


 思わず漏れた失礼な呟きを、美夜は苦笑と共に流してくれた。

 そのことに内心感謝しつつ、万桜は少女を見つめる。

 美夜。

 ハーフアップに結われた金髪は夜よりむしろ昼のイメージなのだけれど。

 それとも、綺麗な瞳のほうを元に名前をつけたのだろうか?


「あなたたちは二人とも可愛い名前ね」

「……良く言われる」


 奏音が口元を押さえながらくすりと笑った。

 嘘ではない。

 小さい頃は「真央ちゃん」と良くからかわれた。


「ね、奏音と万桜って呼んでいいかしら? あたしのことも美夜でいいわ」

「構いません」

「うん、わたしも」


 美夜も昼食のために降りるところだったらしい。

 せっかくなので一緒に食事をすることにして、エレベーターを降りた。


 ──普通に男子をしていたらこんな華やかな出会いはなかった気がする。


 寮生活だとしてもどうあがいても男子寮だ。

 ばったり遭遇しても「おう、よろしくな」で終わりそうである。

 趣味が合えば仲良くなるが、合わなければ顔を合わせた時に喋る程度。

 けれど、なんとなく美夜とは長い付き合いになる気がする。


 言葉遣い。座る時の仕草。歩き方。


 あらためて肝に銘じつつ、奏音の指導に今更ながら感謝した。

 寮の食堂には思ったよりも多くの生徒がいて。

 おそらくほとんど、下手したら全員が上級生なのだろうけれど──半分以上が興味津々といった目で万桜たちを見てくる。


 どこにも男がいない空間。


「……あの、奏音? どうやって注文するか知ってる?」

「はい。なんでもデバイスから注文すれば席まで運んでいただけるそうですが」


 緊張でいっぱいいっぱいになった万桜はなにも考えずカツ丼を注文した。

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