初めて?のお出かけ

 退院前、最後の日曜日。

 万桜は奏音と共に外出することになった。

 目覚めて以来、初めての外である。

 退院後の予行演習というわけではないが、同じ新入生に会う前に人目に慣れておくのは悪くない。


 午前中から病室にやってきた奏音は制服ではなく黒のワンピース姿で、


「お待たせいたしました、お姉様」

「ああ。今日はずいぶん可愛い格好してるな」

「ふふっ。ちゃんとお姉様の分もありますよ」


 カートから取り出された『白の』ワンピースに、万桜は硬直した。


「……俺、なるべく地味なやつって頼んだよな?」

「はい♡ ですのでロングスカートのワンピースを」

「パンツルックっていう選択肢はないのか……!?」

「ですがお姉様、制服はどうせスカートですよ?」


 あっさり論破されてしまったのでしぶしぶ納得。

 にっこり笑った奏音はさらに下着やらなにやらを取り出しながら、


「では、脱いでくださいませ♡」

「絶対楽しんでるだろお前」

「それはもう。恥ずかしがる必要もないでしょう? お姉様の身体はもう隅から隅まで知っているわけですし」

「エロい言い方するなよ!?」


 単に身体を拭いてもらっただけである。

 はあ、とため息をつきつつパジャマを脱いだ。

 汚れたショーツも奏音に持ち帰って洗濯してもらっているわけで、そういう意味では確かに今さら恥ずかしがっても仕方ない。

 穿いていた下着もついでに脱いで、手渡された新品に穿き替えた。


「っていうか金は大丈夫なのか?」

「ご心配なく。お姉様は学院からのスカウトですので、学費・学用品代・寮費・当面の生活費すべて学院持ちです。このワンピースもそこから出ております」

「至れり尽くせりすぎて怖いんだが」

「研究材料にされているんですから妥当な対価ではないかと。さ、次はこちらのブラを」


 と、手渡されたのは大きなカップが二つついた下着。

 なんとなく気恥ずかしさからつまむように受け取り──万桜はいま自分のつけているキャミソールを見下ろした。

 入院中は疲れないように、という意図もあってキャミで統一していたのだが。


「なあ、ブラじゃないとだめか?」

「駄目です。せっかくの形とサイズですのに体型が崩れたらもったいないでしょう?」

「マジか。これ、いかにも女の子って感じで抵抗あるんだよな……」

「ご心配なく。付け方はわたくしがお教えいたします」


 大丈夫、と言いたいところだったが、手順は思ったよりも複雑だった。

 いや。

 着けるだけなら着けられるが、『正しく』着けようとするとすぐには難しい、と言ったほうが良いか。

 寄せて上げる動作を経て装着されたブラの着心地は、男子だった頃には味わったことのない「上半身を締め付けられる」もので。


「なんか余計に大きくなったような気がする」

「お姉様のポテンシャルと下着の性能ですね。さ、次はこちらのワンピースを」


 背中のファスナーを下ろした状態で身につけ、その後上げることで女子の体型に合わせた服を無理なく身に着けられる。

 ウェストを絞ったデザインが無理なく入ったことに感心しつつ、足元がすーすーすることに言いようのない不安を覚えた。


「っていうかこれ、エロくないか……?」

「確かに生脚白ワンピは……っと、いけない、こちらを忘れていました」


 荷物から取り出されたのは白の長靴下。


「ああ、タイツか。それ穿いても胸のエロさは変わらないけど──」

「お姉様、これはオーバーニーソックスです。タイツではありません」

「……うん、わからん」


 ともあれ、ベッドの端に座らされ、足を持ち上げさせられ、一足ずつタイ──オーバーニーソックスを足に通してもらって。

 邪魔なので適当にゴムでまとめていた髪に櫛を通してもらうと、


「とっても素敵です、お姉様♡」

「……う。確かに、これは可愛いな」


 手渡されたスマホ(ミラーモード)にはプラチナブロンドの美少女が着飾って、戸惑いの表情を浮かべる様が映っていた。

 ちなみに胸はかなりでかい。

 それでいて露出度は低いのがガードの固さを表していてポイント高い。

 万桜は思わず目を細めると「跪きなさい」と口に出して、


「跪いて足を舐めればよろしいですか?」

「やめい」


 すぐ悪ノリする妹の傍でやることではなかった。



    ◇    ◇    ◇



 病院のスタッフとはほぼ顔見知りだ。

 見舞いに来ていた奏音も同じで、歩いていると揃って声をかけられる。

 中には「可愛い」と言ってくれる人もいて、万桜は嬉しいような恥ずかしいような複雑な気持ちになった。


 外出許可はもらっているので出るのは問題ない。


 近代的な──『歌姫』技術の粋を集めて作られた特殊素材の建物を出ると、万桜たちを陽光が出迎えた。


「久しぶりの外はいかがですか?」

「ああ、気持ちいいよ。……っても、中庭に出るくらいはしてたけどな」

「ふふっ。それは良かったです。ですがお姉様、口調に気をつけてくださいね?」

「っと。……わかった、気をつける」


 意識的に抑揚をおさえて頷き、奏音の半歩後ろについた。


「わたしはここ初めてだから、案内をお願い」

「かしこまりました♡」


 国立心奏学院があるのは本州から少し離れた島の上だ。


「島ひとつまるまる学院の敷地になってるんだっけ」

「はい。敷地内には病院や校舎だけでなく、ショッピングモールや公園、劇場など様々な施設があります」


 島全体でひとつの街と言っていいだろう。

 『歌姫』技術で整備され、定期的にアップデートも行われているためか、外の景色は都心を思わせるようなお洒落なものだ。

 それでいて土地には余裕があるので道幅は広く、混雑した印象はない。

 奏音が足を向けたのは島内にあるショッピングモールの方向だった。


「……でも、思ったより男も多いんだ?」

「それはまあ。島で働く方もいますし、心奏には他の学科もありますからね」


 『歌姫養成科』は女子専用だが、その他に普通科も用意されており、こちらは男子でも受験可能となっている。


「歌姫養成科と併願する女子が多いので、男性にとってはなかなか狭き門のようですけれど」

「難しくても挑戦してみたい気持ちはわかるかも」


 普通科の卒業生には、『歌姫』関係の研究者、関連用品の開発者、スポーツトレーナーのようなサポートスタッフ、作詞家や作曲家などの道に進む者も多い。

 真央がそうだったように、自分ではなれなくとも『歌姫』に関わる仕事につきたい、そう思う男はたくさんいるのだ。


「……それで、お姉様? 気分はいかがですか?」


 僅かに歩調を落とした奏音が囁くように。


「愚民──もとい、男性から注目される気分は」

「これはお前が見られてるんだろ」

「口調が乱れておりますが」

「……奏音が変なこと言うのが悪い」


 確かに、万桜たちは見られていた。

 昔から注目を浴びやすい妹ではあったが、その隣でワンピースを着ている今は余計に視線を感じる。

 いや、それだけではなく感覚が前より鋭くなっているのか?

 なんとなく「ぞわぞわ」するのを感じつつ視線を向けると、「やば」と言いたげな男に目を逸らされる。


「慣れると快感になりますよ?」

「……変態?」

「違います。『歌姫』の力は人々からの愛によって高まるのです。お姉様も聞いたことくらいはあるでしょう?」

「それはまあ、あるけど。あれって比喩表現じゃなかったの?」

「違います。実際に、わたくしたちへの想いは力になります。同時に、力を受け取る際にはある種の幸福感が発生するのです」


 では、この「ぞわぞわ」は。


「……感じ方は人それぞれですが、人によっては絶頂めいた快感を覚えることもあるとか♡」

「っ」


 相手は妹とはいえ、耳元で囁かれるとぞくっとする。

 知らん顔の奏音は「ですが」と首を傾げて、


「お姉様? 視られているなー? 程度の快感しか感じていらっしゃいませんね?」

「そうだけど。道を歩いているだけだし、そんなものじゃない?」

「いいえ。……やはり、これは『歌姫』の力が詰まりを起こしている可能性がありますね」

「水道管かなにかみたいに言うな?」

「似たようなものです。何年もまったく使っていなければ流れが淀むのも無理はありません。まして、お姉様はまだ一度も使っていないのですから」


 『歌姫』の、力。

 言われてみると、自分にそれが「ある」と言われはしたものの、まだそれをこの目で確かめてはいない。

 万桜の知っている『歌姫』は空を飛び、空に光を放ち、重い物を持ち上げ、人を癒やすことができた。

 万桜にも、そんな力が。


 黒髪黒目の美少女──今は一卵性のように似ている妹の顔に笑みが浮かんで、


「歌ってみましょう、お姉様」

「歌う?」

「ええ。歌は力になります。力の流れを正すならこれが一番かと」


 万桜は、目覚めてすぐの頃、奏音や医師から言いつけられたのを思い出した。


『元気になるまでは「歌わない」こと』


 歌うとなにか起こりかねないから止めておけ、と。

 元気になった今ならもう、問題ないということか。


「歌は、なにがいいですか?」

「ん……そうだね。じゃあ、やっぱりあの歌で」


 口にしたタイトルは、事故に遭う前に繰り返し聞いて、何度も口ずさんだ歌。

 とある『歌姫』の代名詞とでも言うべき一曲。

 奏音は「かしこまりました」とあっさり了承すると、万桜の手を、指を絡めるようにして握って。


「……行きますよ、お姉様」

「ん」


 二人の声が唱和した。

 今の万桜の声は清流のように澄んだ、美しい音色だ。

 少年だった頃では物真似にもならなかったけれど、今は、妹の和楽器を思わせる優美な音色と重なっても違和感がない。

 最初は恐る恐る、けれど、自然と声は弾んで。

 声に重なるようにして、光が溢れ出した。


 同時に胸から湧き上がるのは「ときめき」とでも表現するしかないような、むず痒くも温かな気持ち。


 楽しい。

 心からそう感じながら、万桜は周りの人たちからの視線をさらに強く感じた。

 歌い出した二人をみんなが注目している。ただ、それだけじゃない。

 みんなの想いを感じる力がさっきまでよりも強くなっていて。


 一曲を歌い終えると、歌う高揚が身体を去り、注目される感覚だけが残って。


「〜〜〜っ♡」


 ひとりでに膝が曲がるのを感じた万桜は、とっさに妹の腕にしがみついた。


「お、お姉様?」

「ごめん。しばらく、こうさせて」


 押し寄せる感覚に身体がついていかない。

 痙攣のような動きを繰り返していると、周りから遠慮がちな拍手が聞こえた。

 顔を上げれば、女性は笑顔で、男性はやや目を逸らしがちな態度。

 奏音は困ったように眉を下げて、


「こうなることを想像していなかったのは申し訳ありませんでした。……ですが、その、この状態はまるでわたくしがいやらしい悪戯をしたかのようです」

「ご、ごめんっ」


 ぱっと身を離すと、万桜はそのまま地面にへたり込んでしまった。

 奏音が「仕方ない」と言うように手を差し伸べてくれて、ようやく立ち上がる。

 視線が減ってきたからか、身体の感覚も少しずつ元に戻ってきた。


「驚いた。……みんなこんな状態で大丈夫なの?」

「普通は生活している間に慣れますし、注目を浴びるタイミングは決まっていますから。お姉様の場合は特別ですね」

「特別?」

「初めてなうえ、とても『溜まって』いましたから、仕方ありません」

「っ」


 囁かれた万桜は妹をわりと本気で睨みつけた。

 奏音は気にした様子もなくくすくす笑って、


「お姉様、少し休憩いたしましょうか? その、化粧直しですとか……」

「いるかっ!」


 と、言ったものの、まだ足にあまり力が入らなかったため、適当な飲食店に入って休憩した。


「外出用のバッグなども購入したほうが良いですね。目的とは別になりますが、今のうちに済ませてしまいましょう」


 アイスティーをかき混ぜつつ告げる奏音。

 向かいに座る妹が「お姉さん風」を吹かせているのが気になりつつも、万桜はアイスコーヒーにミルクを投入して、


「そういえば、最初の目的はなんだったんだ?」

「言っていませんでしたか? 今日の目的は、お姉様のデバイス──『歌姫』用の通信端末を購入することです」

「おお」


 力の一端を垣間見たと思ったら、今度はデバイス。

 本格的に「別世界に足を踏み入れた感」が出てきて、わくわくしてくる万桜だった。

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