42撃目.プールの客②

 正直、誰か分からなかった。

 正体が判明したのは、子供が身体を拭き、恥ずかしそうにお辞儀した時だった。


「せんじつは、母がごめいわくをおかけしました……甘瀧家当主、慶四郎でございます」


 深々とした、お辞儀。

 見覚えがある。去年の十月ごろに関わった事件の依頼人だ。


 紅葉ロボットが凶器にされた、連続首吊り殺人事件の舞台『甘瀧温泉』の一人息子。

 水着の子供は、『甘瀧慶四郎』その人だった。


「頭の白い布が無いと分からないね」

「あんなぶきみなかっこうで覚えられたくないですけどね」


 慶四郎は照れたように頬を掻いた。

 頭に白い布をかぶり、華やかな着物を着て、玩具でいっぱいの座敷牢に収められていた、あの姿……不気味だという自覚はあったらしい。


 あるいは、あの事件を経て、ちゃんと不気味だと思えるようになったのか。

 今の恰好も、見る人が見れば不気味かもしれない。


「女の子……だったん、です……か?」


 俺は混乱した。慶四郎という名前は、どちらかというと男性的な響きである。

 それに対し、目の前の慶四郎は、こう、分からない。


 黒髪ロング。

 探偵に引けを取らない、白く綺麗な肌。

 顔は母親に似て、いずれ魔性の美女になりそう。

 とにかく顔が良い、ふりふりピンクの水着を着た、黒髪ロングの十歳児。


「みてのとおり、おとこのこです。はい」

「……?」

「? あの、なにゆえ、そんなにジッと……?」

「辰弥くん。世界は広いんだよ」


 世界は広いらしい。


「欲情するなら私の身体にしておきなさい。同性は良いが、未成年はまずい」


 俺は探偵を無視することにした。


「色々ありましたが、調子はどうです? また今日はなぜこんな場所に……」

「辰弥くん無視しないで?」

「おかげさまで、げんきにやっております」


 慶四郎ははきはきと答えた。


「こんかいは、その、しきんちょうたつに、まいったのです」

「……資金調達?」

「はい。『くれない様』を、おーくしょんにしゅっぴんすることにいたしました」


 俺は、まじかよ、と思った。

 思い出されるのは、『くれない様』の脅威である。


 紅葉に擬態したロボットの枝が、自身の四肢を引きちぎった時の嫌な感覚が蘇り、寒気がした。この船の上では、あんなに危険なロボットまで売買されるらしい。


 というか、倒しきれてなかったのかよ、くれない様。


「中枢を持たない群生型で数も多かったし、撃ち漏らしはいるだろうねぇ」


 探偵はさらりと言った。

 さらりと言わないでほしい。

 俺が湿気たタバコで頭痛を抑えていると、慶四郎が尋ねる。


「……たんていさまがたも、おかいものですか? それとも、なにかをうりに?」

「そんなところだよ」


 探偵は曖昧に答えた。

 爆破予告に関して、慶四郎に共有する気はないらしい。

 当然のことだ。

 かつての依頼人とはいえ、今の慶四郎は部外者に過ぎないのだから。


「しかし、元気そうでよかった。冬にプールで遊ぶほど元気とは想像もしなかったがね」

「む、お、おはずかしいところを……」

「構わないさ。人生初のプールだろう?」


 俺はハッとした。

 俺は慶四郎が飛び込み台からひゃっほーしていた理由に、ようやく気付いたのである。

 慶四郎は監禁されて育ったような子供だ。

 こんな立派なプールの経験がないだろうことは、俺でも容易に想像できた。

 同じ状況なら、俺も寒中水泳を我慢できないだろう。


「存分に楽しんでくるといい」


 年相応に、ね? と探偵は柔和な笑みを浮かべた。

 からかう姉か母親か、そういったものを想像させる笑みである。

 慶四郎は暫く恥ずかしそうにもにょもにょしていた。

 その内、どうにか納得したらしい。


「……ではまた、おーくしょんかいじょうで、おあいいたしましょう」


 深々と頭を下げる、慶四郎。


「わたくしは、いましばらく、ぷうるに興じておりますゆえ?」




 プールにあがる水柱と歓声を背に、俺たちはデッキを後にする。


「辰弥くん」

「はい」

「見つけるよ、爆弾」

「……はい」


 探偵は、いつになく、決意に満ちた目をしていた。








 ほどなくして、豪華客船ライヘンバッハ号は出航した。

 爆弾は、ひとつも見つかっていない。

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