36撃目.純金色の光②

 なぜ万年筆が可南子の悲鳴で飛び出してきたのかは、わからない。

 お化けの所為かもしれない。

 だが、今はそのお化けにキスしたって良い気分だった。


 俺は探偵の言葉を思い出す。

 ――――――売り文句は『戦車が百台乗っても大丈夫』!

 ――――――恐らく、私のパイルバンカーでも壊せない。

 驚異的な耐久力だと思った。


 普通の万年筆にそんな耐久力は不要だと思ったが、今この状況においては、その耐久力がこれ以上なく頼もしい。


 探偵のパイルバンカーをもってしても破壊できないものが、ビルの壁に……人間三人の重量程度に、負ける訳がないのである。


 俺たち三人は、完全に、万年筆にぶら下がっていた。


 探偵もよく考えたものである。

 落下を止める足場が無ければ、足場を作ればいい……などと。

 見事なアイデアだ。

 見事なアイデアなので、事前に説明しておいてほしかった。

 俺がほっとすると……腕から、嫌な音がした。


「……また、修理費嵩むなぁ」


 掴まれていない方の足で、来島が俺を蹴りつけてくる。

 来島は可南子を大事そうに抱えたままだ。


 落下停止の衝撃で、可南子は完全にのびている。脱力しきった人間は重い。

 俺の両腕は、サイボーグ一体と、暴れる成人男性。そして気絶した成人女性を支えなければならなかった。


 関節から、ギチギチという嫌な音が連続する。



「離せ……離してください!」

「暴れないでくださいよ」

「寺嶋さん……あなたにならば分かる筈だ!」


 来島の鬼気迫る目が、俺を見上げた。


「あなたは、こちら側の筈なんだ……そうでしょう? 寺嶋さん!」


 来島の囁きは、いつの間にか叫びに変わっていた。


「あなたは、探偵が示した小さな希望のためだけに、命を投げ捨てることができる人間だ!」

「……」


 否定できなかった。

 俺はなぜか、バッグが役立たずと分かるその瞬間まで、何も心配していなかったのだ。


 投げ渡されたものは、小さなバッグひとつ。

 今俺たちを支えているのは、小さな万年筆一本。

 そんな状況に、そんなモノに命を賭ける人間は、とても正気ではないだろう。


「あなたと同じだ。僕は、あの人を信じた。だから、可南子を守ることに決めた……」

「……あの人?」

「僕は、僕の可南子を守らなければいけないんですよ。寺嶋さん」


 可南子はお前の所持品じゃないだろ。

 来島とは会話になっていない。

 だが俺は、来島の目にはっきりとした恐怖が映っているのを感じ取った。

 少なくとも、それは落下死への恐怖ではないように思えた。

 こいつは明確に、目の前にない何かに、怯えている。


「あの人は言った……僕でなければ、可南子は守れない。あの人の謎から、可南子を!」


 意味不明な言葉を喚き散らす、来島。




「北斗さんでも探偵でも、あの女には、絶対に勝てないんですよ!」




 ………………そこで、俺の頭上から割れる音がした。

 俺の腕から、ではない。

 万年筆が突き刺さっていた、ビルの壁からだ。

 俺の新調したサイボーグの身体は耐えてくれたが、ビルの壁は、耐えてくれなかった。


 落ちる。

 来島が笑った。

 俺は笑いも、泣きも、驚きもしなかった。


「――――限定解除」


 そんな声が、聞こえた気がしたからである。


「目標、最重要物証。フォーゲル社製高級ロボット万年筆『モデル:H・K』」


 俺はサイボーグの人工筋肉を引き絞り、来島と可南子を持ち上げる。

 瞬間……俺たちの落下する先……来島の逆さになった頭の下が、爆発した。




「解放―――パイル・バンカァァアァーーーーーー――――ッッ!!!」




 粉砕された壁の向こうに、彼女が立っていた。

 純金色のポニーテール。

 夜景の風に翻る、トレンチコート。

 射貫くような碧い瞳が、俺と、パイルバンカーの衝撃で泡を吹く来島を見上げている。


 彼女こそは、パイルバンカー探偵。

 名を、シャーロット・ポラーレ・シュテルン。


 俺は来島と可南子を抱え、砕かれた壁に飛び込み、彼女の隣に着地した。



「お疲れさま、辰弥くん。間に合ったかな?」

「腕壊れました」



 間に合ってはいる。

 探偵は、俺が万年筆を突き立て、そして落下を停止する階数と時間まで、計算に入れていたらしい。だからこそ、ひとつ下の階で俺たちを出迎えることができたのだ。

 うげぇ、と探偵は口で言った。

 俺は、気絶している来島に笑いかけた。

 思い出してみると、彼の言葉がおかしく思えて仕方が無かったのである。



「……負けませんよ。俺の探偵は」


 なにせ。




 ――――彼女に砕けぬ謎など、無いのだから。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る