35撃目.純金色の光①

 外から高級レストラン店内に飛び込むのには、窓拭き用のゴンドラを利用した。

 だがそれは、探偵のパイルバンカーの反動で消し飛んでいる。


 視界いっぱいに、夜景。

 足場は存在しない。


 頭から夜景に落ちていく、来島と可南子の影だけが見えた。



「クッソ探偵が……! 犯人分かってるならさっさと倒しとけよ!」



 俺は走った。

 ビルの壁を蹴って無理やり加速し、自由落下の速度を増す。

 新調したサイボーグの身体は快調に壁を走り、すぐに、可南子と来島の声が届く場所へ。

 落下は止まらない。


「なっ!? 自殺行為ですよ、寺嶋さん!」

「自殺してる奴には言われたくないですね!」

「自殺ではありません」


 来島は可南子の頭を胸に抱きながら、恍惚とした表情で言った。



「――――――心中です」



 同じだろ、と思った。

 正気を失った来島相手に、問答をしている時間はない。


 俺は探偵から受け取ったものをたしかめた。それはきっと秘密道具的なもので、この状況をなんらかの形で打破してくれるものであろう。

 流石は探偵である。

 期待は裏切られた。


「……ただのバッグ!?」


 可南子が膝にのせていた、レストランに持ち込めるようなバッグである。

 レディースの小さなもの。

 高級感のある黒いデザインで、取っ手が金のチェーンになっているのがなおさらゴージャス。


 なるほど、この取っ手を壁に引っかけて落下を止めればよいのだな。

 俺は高層ビルの外壁を見た。

 つるつるしていた。

 引っかける場所は存在しなかった。

 ……このバッグ、なんの役にも立ちそうにない。


 おのれ探偵。


「そうだ。寺嶋さん、僕たちの仲人になるつもりは……」

「うるせぇ!」


 俺は壁を蹴り、落下する来島たちに追いついた。バッグが役に立たないなら、自分でどうにかするしかない。

 掴みかかる先は、来島の足首。


「……! 無駄なことを!」


 俺は来島を捕まえた。

 しかし当然、落下は止まらない。


「僕と可南子は一緒に終わるんです! 綺麗な姿勢で、同時に頭から落ちて……」


 来島の妄言に頭が痛くなるのと同時に、地面が近づいてくる。

 最初は遠景にしか見えなかった東京の夜景が、もう遠いものではなくなっていた。地面のアスファルトまで、もう五十メートルもないだろう。

 頭から落ちれば死ぬ。

 それは来島も、可南子も、頭だけは生身の俺も、である。

 俺は必死で思考した。しかし、この状況から助かる方法はひとつも思いつかなかった。


 ……探偵なら、この状況も解決してみせたのだろうか。

 頭の中が探偵に染まった、その瞬間だった。



「――――たすけて、父ちゃん……っ!」



 来島の腕の中。

 可南子が、か細い悲鳴をあげた。

 役立たずのバッグの中から、何かが飛び出す。


 それはとても小さなものだった。


 あまりにも小さいものだから、はじめ、それが何か分からなかった。

 ただ分かるのは、金色。

 人工の星空の光を受けて輝く、純金の光。

 探偵のポニーテールを思わせる、無垢で傷ひとつない、光。


 俺は我武者羅に、ただ本能のままその純金色の光に手を伸ばし。

 掴んで。


「っらぁ!」



 そいつを、ビルの壁面に叩きつけた。



 高層ビルの窓ガラスに亀裂が走る。

 来島が目を見開く。

 俺の腕が、衝撃に軋む。


 壁面に突き立ったそれが、俺たちの落下を引き留める。

 落下速度が減じる代わりに、俺を構成するサイボーグの身体が破損していく。

 俺の手に握られた小さなものが、ビルの壁をがりがりと切り裂いていく。


 ……やがて、落下が止まる。

 下までは十メートルもなかった。


「そ……それ、は」


 落下が停止したことに対して、来島は驚愕した。俺も驚いている。

 しかし、来島が驚きの声をあげたのは、死を免れたことに対してではなかった。



「なにをしたんですか、辰弥さん!」





 壁に突き刺したものは――――ロボット万年筆。





 可南子の父、景平北斗の遺品である。

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